カルチュラル・スタディーズ

【スチュアート・ホールとは】人物・思想・研究までわかりやすく解説

スチュアート・ホールとは

スチュアート・ホール(Stuart Hall)とは、ジャマイカに生まれ落ち、イギリスで高等教育を受けた文化研究者です。ホールはカルチュラル・スタディーズという研究領域を確立し、メディア研究、人種、エスニシティといった分野で大きな影響力をもった人物でした。

カルチュラル・スタディーズという研究領域は「スチュアート・ホールなしに成り立つことがなかった」と断言してもいい程、ホールの仕事は重要でした。

この記事では、

  • スチュアート・ホールの伝記的情報
  • スチュアート・ホールの研究

をそれぞれ解説していきます。

興味のある箇所から読み進めてください。

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1章:スチュアート・ホールの伝記的情報

まず1章では、ホールの伝記的情報します。ここでは、ホールの伝記的情報を大きく「幼少期ー青年期」「カルチュラル・スタディーズ黎明期」「オープン・ユニバーシティ期」に区分して紹介します。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1: スチュアート・ホールの「幼少期ー青年期」

まず、ホールは1932年ジャマイカのキングストンで生まれました。そして、ホールの回想によると、ホールは次のような家庭環境で育ちました2Stuart Hall, The formation of a diasporic intellectual (1993) An interview with Stuart Hall by Kuan-Hsing Chen

  • 父親は下位の中産階級出身で、アメリカ人やイギリス人のビジネスマンに認められることを目標としていた。父親の家族はアフリカ系、ユダヤ系、ポルトガル系が混ざり合った家族構成であった
  • 母親はローカル・ホワイトと呼ばれる比較的肌の白い人で、「イギリス」志向がある人
  • 姉は肌の黒い彼氏の存在を両親に拒否されると、神経衰弱に陥ってしまう

この中で重要なのは姉を襲った悲劇です。ホールは植民地的状況の犠牲者として姉の存在を見るようになり、精神的なものを植民地の構造として関連づけて考えるようになります。

それ以降、ホールは親から押し付けられる植民地環境や状況から逃げ出したいと願うようになり、それは最終的にイギリス行く選択をする理由となりました。

■ イギリスに渡ってからのホール

ホールは1951年にオクッスフォード大学に留学をするためにイギリスに渡ります。このとき、ホールの移民としての経験が始まります。

1954年までは西インドからの移住者に関する政策に興味を持っていたようですが、ホールは1956年に起きたソ連のハンガリー侵攻とイギリスのスエズ侵攻を重要な契機と捉え、政治運動に参加していくことになります。

具体的に、ホールは古典的マルクス主義を批判し、ニュースレフト運動に参加します。特に、大事なのはホールが『ニュー・レフト・レビュー』という英国左翼政治の理論誌の編集を務めたことです(ちなみに、ホールはこのとき中学校の教師でした)。

『ニュー・レフト・レビュー』とは、具体的に次のような理論誌でした。

  • 英国の左翼政治を支える理論誌
  • ヨーロッパの批判的マルクス主義の動向を紹介
  • 具体的に、グラムシのヘゲモニー論、バルトの記号論、アルチュールのマルクス主義的構造主義が紹介される

多くの大学図書館に所蔵されていますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。



1-2: スチュアート・ホールの「カルチュラル・スタディーズ黎明期」

さて、1964年になると、ホールはようやくアカデミズムに職を得ます。それがバーミングハム大学の「現代文化研究センター(CCCS:Center for Contemporary Cultural Studies)」でした。1969年にリチャード・ホガートの後任として、ホールはCCCSのセンター長になります。3Stuart Hall, The formation of a diasporic intellectual (1993) An interview with Stuart Hall by Kuan-Hsing Chen

そして、センター長がホガートからホールに代わったことで、研究内容にも変化が起きます。その変化は次のように説明できます4上野 俊哉, 毛利 嘉孝 『カルチュラル・スタディーズ入門』ちくま新書

  • ホガート・・・労働者階級といったこれまで文化とみなされてこなかった階級の生き生きとした文化を研究することが目標
  • ホール・・・大衆文化、サブカルチャー、メディア研究に関する分析が中心。後に人種エスニシティ、ジェンダーの議論へと発展していく

特に、重要なのは大衆文化やサブカルチャーの議論です。これらの議論はカルチュラル・スタディーズにおける中心的な議論の一つですので、詳しく知りたい方は次の記事を参照ください。

→大衆文化に関して詳しくはこちらの記事

→サブカルチャーに関して詳しくはこちらの記事

■ CCCSの活動の特徴

CCCSはプロジェクトとして共同作業をおこなった事に特徴があります。そのため、ホール自身の単著というものは存在しません。

当時のCCCSは若者のサブカルチャー、フェミニズム、人種を対象とし、アクチュアルな社会問題を徹底的に議論しました。その具体的な例として、『危機を取り締まること(Policing the crisis)』(1978)があります。

『危機を取り締まること』は、次のようなものです。

  • ホール、クリッター、ジェファーソン、クラーク、ロバーツといったカルチュラル・スタディーズを代表する学者の共著で書かれた本
  • 「強盗」といわれたストリート犯罪がどうようにメディアに取り上げられて、黒人と結びつけれたのかが議論される
  • 黒人を犯罪者として取り上げ、ステレオタイプ化する社会への意義申し立てをした

その後も、CCCSはサブカルチャーを議論した『儀礼を通した抵抗』や人種問題を扱った『帝国の逆襲』などの重要な論考を発表していきます。CCCSの成果が国際的に認められると、CCCSは学部に昇格し、正規のプログラムを運営するようになりました。

CCCSの論考は重要なものばかりですが、『危機を取り締まること』は特に有名ですので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

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1-3: スチュアート・ホールの「オープンユニバーシティ期」

1979年にホールはCCCSを離れると、オープンユニバーシティで職を得ます。オープンユニバーシティとは、働きながら学ぶ人のための大学で、BBCのテレビ講座と集中講義からなる教育組織です。日本でいうと、放送大学みたいな組織です5上野 俊哉, 毛利 嘉孝 『カルチュラル・スタディーズ入門』ちくま新書

オープンユニバーシティでのホールは、70年代のCCCSの成果をまとめると同時に人種やエスニシティといったポストコロニアリズムの問題に関わっていきます。

このように大まかに振り返ると、ホールはメディア研究から人種をめぐるさまざまな問題を論じていることがわかると思います。

日本ではメディア研究とポストコロニアル理論の領域間に断絶があるため、ホールの研究に関する積極的な対話が進んでいないことを残念がる研究者もいます6上野 俊哉, 毛利 嘉孝 『カルチュラル・スタディーズ入門』ちくま新書

1章のまとめ
  • ホールは親から押し付けられる植民地環境や状況から逃げ出したいと願うようになり、それは最終的にイギリス行く理由になる
  • イギリスでは『ニュー・レフト・レビュー』という英国左翼政治の理論誌やCCCSの活動を通して、社会に異議申し立てをしていった
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2章:スチュアート・ホールの研究

ホールの研究は多様ですが、特に「メディア研究」「ポストコロニアル理論」が有名です。

具体的に、ここでは以下の研究を紹介します。

  • 「テレビ言説におけるコード化と脱コード化」(1973; 2007)
  • 「文化的アイデンティティとディアスポラ」(1990)

2-1: スチュアート・ホールと「コード化と脱コード化」

「テレビ言説におけるコード化と脱コード化」という論文は、

コミュニケーションの過程を直線的な流通回路とみなした従来のメデイア研究を批判し、「生産—流通—配分/消費—再生産」という新たな過程を「コード化」と「脱コード化」の概念から提示したもの

です。

まず、重要なのは「コード化」という概念です。

  • 「コード化」とは「encoding」の訳語で、メッセージの送り手がその意味を「生産—流通—配分」の過程から生産していくことを意味する
  • たとえば、ニュース番組では取材・テロップ・BGMといった作業から恐怖を煽るようなニュースを生産していく
  • それはテロップも解説もなしに、映像を流すのとは異なるもの。編集作業から生まれる意味の生産である

「上部構造ー下部構造」を基礎とする古典的なマルクス主義の見解によると、メディアはイデオロギーの領域に属します。イデオロギーは生産関係という経済的土台を反映してるものと捉えられますから、イデオロギーに属するメディアは資本家の利益になるために機能する装置と考えられます。

つまり、これまでのメディア研究では、

  • メディアを楽しむ大衆は、資本主義の哀れな奴隷として描かれがちであった(「行動主義」といわれるもの)
  • その結果、大衆が主体的にメディアを解読すること、つまり「脱コード化」する過程が抜け落ちていた

といえます。

このような先行研究を批判しながら、ホールはメディアの内容が生産関係に基礎づけられることは認められながらも、大衆は受動的な消費をするだけでなく、能動的に「脱コード化」をすることを主張します。

たとえば、当たり前かもしれませんが、性別や階級が変われば「脱コード化」された意味も変わります。大衆はメディアの意図したように意味を解読するのではなく、自らの経験や立場に基づきながら解読、意味を生産をするのです。

このようにしてホールはメッセージが一方通行的であると考えた以前のメディア研究を批判し、大衆の読みの多様性や政治的交渉の可能性を模索したのでした。

「テレビ言説におけるコード化と脱コード化」という論文は、『Essential Essays Vol.1』(2019)に収められています。英語自体は簡単なので、ぜひ読んでみてください。



2-2: スチュアート・ホールと「文化的アイデンティティ」

「文化的アイデンティティとディアスポラ」では、ポストコロニアル的主体を視覚的に表象する一連の映画で問題とされている、文化的アイデンティティ(cultural identity)の考察がされます。

ホールによると、文化的アイデンティティを考えるときに二つの立場が存在します。

一つ目の立場は、次のようなものです。

  • 文化的アイデンティティを「他の多くのより表装的または人工的に押しつけられた『自己』を内部に隠蔽する、一つの共有されたある集合的な『一つの真なる自己』」と捉える立場
  • つまり、ある共通の歴史と先祖を持つ人々が共有するものという観点から定義する方法

この観点から文化的アイデンティティを定義すると、共通の歴史と共有された文化的コードが文化的アイデンティティを決定します。単一の人々としての私たちに、実際の歴史の絶え間ない分裂化と変位の下に隠されて、安定した、不変の、継続的な認識的枠組みと意味を供給するのです。

たとえば、より表装的な差異の根底にある単一性が「カリビアンらしさ」の真実であり本質になると考える立場です。この種の文化的アイデンティティはポストコロニアル闘争で極めて重要な役割を果たしきました。

しかし、この立場の文化的アイデンティティは本質主義的と批判をされされます。そのため、ホールはこの立場に満足しません。

■ 文化的アイデンティティの第二の立場

そこで、ホールは文化的アイデンティティの第二の立場を提示します。文化的アイデンティティの第二の立場とは、次のような立場です7『現代思想臨時増刊号 スチュワート・ホール』(2014)を参照

多くの類似点に加えて「実際の私たち」、むしろ歴史が介入してきたゆえに「私たちがなってしまったもの」を構築する深層的決定的な差異をいうものがある、と認める立場がある。

より具体的にいうと、文化的アイデンティティの第二の立場とは、以下のように考える立場です。

  • 第一の立場と異なりアイデンティティに一貫性を認めるのではなく、カリビアンのユニークさを構築している断絶と非連続性という歴史を引き受ける立場である
  • つまり、文化的アイデンティティとは「あるもの(being、黒人に本質的に備わっているもの)というだけでなく、「なるもの(becoming)」
  • 文化的アイデンティティは本質化された過去のようなものに永続的に固定化されるというものではなく、歴史、文化、権力の継続的な「戯れ(play)」に従わなければならない

第二の立場が非常に重要なのは国民国家、人種・民族、伝統といった既存の文化的な枠組みを批判的に考察できる可能性が広がるからです。

第二の立場を引き受けることでのみ、本質的で決定されている閉鎖的な「国民国家」「人種・民族」「伝統」ではなく、現在はあくまでも「将来に開けた未完の過程」であると捉え直すことができるではないでしょうか。

『文化的アイデンティティとディアスポラ』は青土社の現代思想から出版された特集号で読むことができます。日本語で読めますので、ぜひ当たってみてください。

2章のまとめ
  • 「テレビ言説におけるコード化と脱コード化」という論文は、コミュニケーションの過程を直線的な流通回路とみなした従来のメデイア研究を批判したものである
  • 「文化的アイデンティティとディアスポラ」では、ポストコロニアル的主体を視覚的に表象する一連の映画で問題とされている、文化的アイデンティティ(cultural identity)の考察がされたものである
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3章:スチュアート・ホールを学ぶための本

どうでしょう?スチュアート・ホールについて理解を深めることはできましたか?近年、ホールの重要論文をまとめた論集が出版されていますので、それらを中心に紹介していきたいと思います。

おすすめ書籍

Stuart Hall『Essential Essays』Duke Univ Press

ホールの重要論文がジャンルごとに分けられています。論文を読み進めることで、ホールの思考がどう発展していったのか理解できるため非常にオススメ。

Stuart Hall『Cultural Studies 1983』Duke Univ Press

1983年にホールがイリノイ大学で実施した「マルクス主義と文化解釈—限界、フロンティア、境界」という短期講習会と講義をもとに書かれています。カルチュラル・スタディースの出現と理論的発展がホールの視点から述べられています。

上野俊哉・毛利嘉孝(編)『カルチュラル・スタディーズ入門』(ちくま新書)

カルチュラル・スタディーズの入門書。スチュアート・ホールを学ぶならば、カルチュラル・スタディーズを学ぶ必要があります。

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まとめ

この記事のまとめ
  • スチュアート・ホールとはジャマイカに生まれ落ち、イギリスで高等教育を受けた文化研究者であり、カルチュラル・スタディーズの創設者として有名である
  • メディア研究からポストコロニアル理論まで幅広い領域の研究に影響を与えた社会科学の重要人物である

【引用】

ホールの画像(https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=125563&id=738489)