ポストコロニアリズム(postcolonialism)には、①「第二次世界大戦後の約20年間に、アジアやアフリカなどの旧植民地が独立した後」を指す時間的な意味と、②「植民地主義に対する先鋭的な思想や理論」を指す批評的な意味があります1大谷裕文「ポストコロニアル論」『文化人類学20の理論』弘文堂を参照。
「植民地主義なんて私たちには関係ない」と思う方もいるかもしれませんが、「ポストコロニアリズムとはなにか?」を理解しなければ、国際情勢についていけません。
たとえば、2018年フランスのマクロン大統領は、旧植民地のベナンに文化遺産を返還することを発表をしました(植民地時代に盗まれた文化遺産)。これは植民地問題が21世紀まで継続していることを示しています。
日本のポストコロニアルな状況に向き合うためにも、ポストコロニアリズムを理解することは必須です。
そこで、この記事では、
- ポストコロニアリズムの定義・意味
- ポストコロニアリズムの用法
- ポストコロニアリズムの代表的な理論
を解説します。
知りたいところからで構いませんので、読んでみてください。
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1章:ポストコロニアリズムとはなにか?
1章では、ポストコロニアリズムを定義や意味などから概説します。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注2ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1: ポストコロニアリズムの定義・意味
冒頭の確認になりますが、ポストコロニアリズムとは二つの意味があります。
- 「第二次世界大戦後の約20年間に、アジアやアフリカなどの旧植民地が独立した後」を指す時間的な意味
- 「植民地主義に対する先鋭的な思想や理論」を指す批評的な意味
ポストコロニアリズムの用法を混同しないように、注意する必要があります。
1-2: ポストコロニアリズムの時間的な用法
「ポストコロニアリズム」の時間的な用法は、歴史的な出来事の説明です。
歴史の授業を思い出してください。第二次世界大戦後のアジア、アフリカ、中近東、オセアニアなどの地域で旧植民地が次々と独立しましたね。
そして、このような第二次世界大戦後の旧植民地の独立を説明する形容詞として、「ポストコロニアル(postcolonial)」=「植民地独立後の」がさまざまな名詞とともに使用されています。
たとえば、次のような用法があります。
- 「植民地独立後のアフリカ(postcolonial Africa)」
- 「植民地独立後のアジア(postcolonial Asia)」
「post」という接頭辞は「後の」や「次の」を意味しますから、「postcolonial」は「植民地後〜」を指す用語と理解しやすいと思います。
1-3: ポストコロニアリズムの批評的な用法
一方でポストコロニアリズムの批評的な用法は、植民地主義の遺産を批判的に検討することを意味します。もっとも重要なことですが、ポストコロニアリズムの批評的な用法には植民地独立は「歴史的な出来事」ではなく、「現代まで続く過程」という基本認識があります3たとえば、本橋哲也『ポストコロニアリズム』 (岩波新書) 。
そのため、「ポストコロニアリズム」が批評的に使われるとき、旧植民地の自治権の獲得や国際法上の独立といった「歴史的な出来事」は、二の次です。
なぜならば、以下のな状況が次第に明らかになってきたからです4大谷裕文「ポストコロニアル論」『文化人類学20の理論』弘文堂を参照。
- 植民地主義が植民された人びとに与えた心体への影響は依然と残る
- グローバル資本主義のなかで、旧植民地は新たな方法で支配されている(新植民地主義)
つまり、植民地主義の遺産や新植民地主義の状況を批判的に考察する思想や理論が、ポストコロニアリズムの批評的な用法です。
用法は学問分野や文脈によりますが、「ポストコロニアリズム」というとき、多くの場合は批評的な用法を意味していると思われます。
1-3-1: ポストコロニアリズムとフランツ・ファノン
フランツ・ファノン(1925-1961)
ポストコロニアリズムで先駆けとなったのは、フランツ・ファノンです。ファノンは、アルジェリア戦争でスポークスマン的な役割を担った思想家です。
フランスの旧植民地であるマルティニーク島出身のファノンは、『黒い皮膚・白い仮面』や『地に呪われる者』といった書物で、次のような指摘をしました。
- 植民者である白人の差別的な視点を、黒人が内面化していること5ex: 黒人が自分自身をみるとき、「野蛮で劣る」という白人の視点からしか自分自身を認識できないことを意味する
- 経済政治的な独立では不十分で、人種や民族の力関係が複雑に絡まる状況に注目するべきこと
特に重要なのは、白人の世界観に犯された黒人には劣等感しかないという指摘です。植民地支配の解体には経済的な構造の変革だけでなく、内面化した眼差しからの解放も必須であることを明らかにしたからです。
「白人になりたい」と多くの黒人が考えるとき、ファノンは「私はニグロだ」と肯定的に黒人であることを認識しようといいます。ファノンが目指したのは、白人が黒人を疎外するとき、自己自身を疎外する黒人の解放でした。
ファノンの思想は『黒い皮膚・白い仮面』『地に呪われる者』から理解できます。素晴らしい書籍ですので、ぜひ参照ください。
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1-4: ポストコロニアリズムとアカデミズム
さて、1970年代になると、アカデミズムでも植民地的状況は続いてる、という認識のもと研究がおこなわれ始めます。
ポストコロニアリズムという同じ意味で、
- ポストコロニアル批評
- ポストコロニアル研究
- ポストコロニアル理論
といった呼ばれる研究分野が登場しました。
そのなかでも、第三世界(アジア・ラテンアメリカなどの開発途上国のこと)出身のエドワード・サイードやガヤトリ・スピヴァックの研究は注目を集めていきました。
- ポストコロニアリズムには二つの用法があるので、注意が必要
- 一般的には、「植民地主義の遺産や新植民地主義の状況を批判的に考察する思想や理論」としてポストコロニアリズムが使われる
- ポストコロニアリズムの先駆者は、フランツ・ファノン
2章:ポストコロニアリズムの代表的な理論
さて、2章ではポストコロニアリズムの代表的な思想を簡潔に紹介します。
今日、地球上に植民地と呼ばれる土地はほとんどありませんが、21世紀に入り、ゾンビのごとく現れる植民地主義の問題を無視することはできません。
2-1: エドワード・サイードのオリエンタリズム
ポストコロニアル理論でもっとも影響力のあった論者の一人は、エドワード・サイードです。パレスチナ出身でアメリカに移住後、文芸批評家・思想家になった人物です。
サイードの代表的な書物は、『オリエンタリズム』(1978)です。
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「オリエンタリズム」はエキゾチックな「東洋趣味」や「東洋研究」を意味する言葉でしたが、サイードの研究によって全く異なる意味に変化しました。
それはサイードが『オリエンタリズム』で、西洋が東洋(主に中東)をどう表象したのか?を批判的に検討したためです。
2-1-1: ミシェル・フーコーの言説
サイードの『オリエンタリズム』で方法論になったのは、フーコーの「言説(discourse)」という概念です。フーコーの言説概念の特徴の一つは、言説が「権力(power)」と密接に結びつくことです。
少し難しく聞こえるかもしれませんが、要するに言説とは以下の意味を指します。
言説の特徴
- あるテーマの語られ方を規定し、社会で容認されるものする
- 一方で、本来ならば多様にあるはずの他の語られ方の可能性を排除する
- そうすることで、そのテーマと私たちの振る舞いの関係を管理する
- 最終的に、そのテーマに対する知識を生産していく
つまり、言説は語られる対象に関する知識をパワー関係のもと生産する、ということです。
たとえば、「何が正常であり何が狂気であるのか」「何が善で何が悪なのか」「何が真理で何が嘘なのか」といった知識を、言説はパワー関係のもと生産します。
2-1-2: ミシェル・フーコーの権力
このように、フーコーにとって、権力とは国家や政党が行使するパワーではなく、むしろ、日常生活に網の目状に張り巡らされているパワーを考察する概念です(たとえば、家族、教会、学校、牢獄、精神病院といった場所)。
フーコーは日常的な実践のなかに権力は存在し、そこで言説は生産されていると指摘しました。
フーコーの言説や権力論は次の記事でさらに詳しく解説しています。
2-1-3: サイードの『オリエンタリズム』における分析
そして、サイードは『オリエンタリズム』で、
- 西洋という自己に対する、異質な他者として東洋が割り宛てられるあり方
- 地理的な実体ではなく、文化社会的な負の他者表象(ex: 非合理性、後進性、沈滞性、未発達など)がされるあり方
などを詳細に分析しました。
言い換えると、『オリエンタリズム』でサイードは、知識と(負の)他者表象が生産される言説のあり方を明らかにしたです。ここまでくれば、フーコーの言説概念がなぜ重要だったのかわかるのではないでしょうか。
そしてサイードの『オリエンタリズム』以降、「旧宗主国による旧植民地の」または「先進国による発展途上国の」優越感や偏見といった描写や態度も、オリエンタリズムと考えられるうようになりました。
2-2: ガヤトリ・スピヴァックのサバルタン論
皆さんは「サバルタン(subaltern)」という用語をご存じでしょうか?サバルタンとは、「社会の下層にいきる人びと」を指します。
ポストコロニアル理論で有名なガヤトリ・スピヴァック(インド出身)は、歴史から排除されてきたサバルタンを主体とする歴史を作り上げようとした人物です。スピヴァックの有名な論考は、「サバルタンは語ることができるのか」という論文です。
簡潔にいえば、スピヴァックは「サバルタンは語ることができるのか」で、以下の内容を指摘しました。
- サティ(夫の死とともに寡婦を焼き殺す、殉死の習慣)に着目した
- サティで殉死する寡婦には、植民地主義と家父長制の二重の抑圧がある
- その結果、サティは人間主体として声を発することが不可能であった
このように、スピヴァックにとって、サティは声を奪われたサバルタンを表す実例だったのです。
2-2-1: サバルタンを誰が表象・代弁するのか?
さらに、「社会の下層にいるサバルタンを表象・代弁する権利は誰にあるのか?」という立場(ポジショナリティ)の問題をスピバックは提起します。
なぜならば、研究者は抑圧されている人びとの声を回復し代弁すると軽々しく考えがちだったからです。
- 自分の立場(研究者は植民者側の場合が多い)を省みずに代弁することは、むしろサバルタンの声を搾取することになる
- だからといって、抑圧された人間は自分のため語ることもできない(サティの事例)
このような過程を通して、スピバックは植民地主義における主体回復の楽観性を批判ながら、サバルタンを語ることへの困難さを強調したのです。
- ポストコロニアル理論の代表的な理論は、オリエンタリズムとサバルタン論
- オリエンタリズムは、知識と他者表象が生産される言説のあり方を明らかにした
- サバルタン論は、主体回復の楽観性を批判ながら、サバルタンを語ることへの困難さを主張
3章:ポストコロニアリズムを学ぶための書籍リスト
最後に、ポストコロニアリズムを知るための書籍リストを紹介します。
フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(みすず書房)
ファノンは21世紀の社会でもきわめて重要です。ポストコロニアルな状況は未だに存在するからです。読み物としても面白いので、ぜひ読んでみてください。
エドワード・サイード『オリエンタリズム(上・下)』(平凡社)
オリエンタリズムはポストコロニアリズムを学ぶための必須本です。案外難しくありませんので、強く原著をおすすめします。
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ガヤトリ・スピヴァック『サバルタンは語ることができるのか』(みすず書房)
ポストコロニアリズムを勉強するためにきわめて重要な本です。この本からサバルタンを誰がどう表象・代弁する権利があるのかを考えてみてください。
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綾部恒雄(編)『文化人類学20の理論』(弘文堂)
文化人類学は真剣にポストコロニアルな状況を引き受けた学問の一つです。この記事の多くは、この本を参照しました。重要な論考をわかりやすく解説しています。
一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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まとめ
いかかでしたか?この記事の内容をまとめます。
- ポストコロニアリズムとは、植民地主義の遺産や新植民地主義の状況を批判的に考察する思想や理論
- 代表的な論者は、エドワード・サイードとガヤトリ・スピヴァックである
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