政治思想・政治哲学

【公共哲学とは】ハーバーマス・アーレント・サンデルの議論などを詳しく解説

公共哲学とは
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公共哲学(Public philosophy)とは、

公(国家)や私(経済活動や個人的な生活)の間にある「公共」の領域において、「公共」の実態やあるべき姿について論じる一種の哲学です。

公共哲学は、他の学問に比べればそれほど知られていないテーマではありますが、現代の日本にもとても意義があるテーマです。

たとえば、あなたは、「〇〇みたいな問題があるのに、政府は解決してくれない。政府は何をやってるんだ。」と思ったことはありませんか?

このような思いを持った時に、その問題についてなぜ「国家」が対応しなければならないのか考えたことはありますか?

現代日本では、「国家」か「私」の二元論で論じられるテーマが多く、「公共」の領域で解決しようとする姿勢が薄くなっている可能性があるのです。

そこでこの記事では、

  • 公共哲学とはどのような学問なのか?問題意識やテーマについて
  • 公共哲学の主要な論者や議論

などを解説します。

関心があるところから読んで、これからの学びに役立ててください。

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1章:公共哲学とはどのような学問か

もう一度確認しましょう。公共哲学(Public philosophy)とは、

公(国家)や私(経済活動や個人的な生活)の間にある「公共」の領域において、「公共」の実態やあるべき姿について論じる一種の哲学です。

公共哲学を理解する上で大事なのが「公共」の概念です。

まずは基本的なことから説明します。

1-1:「公共」とは

公共哲学における「公共」とは、「国家」と「私」の間にあるものです。

「なぜこのような中間領域を設定して論じる必要があるの?」

と思われるかもしれません。

端的に言えば、これまでの政治学・政治哲学などでは、「国家」対「私」というテーマが主要なものでしたが、それだけでは説明できないのが「公共」的な領域だからです。

■政治学に欠けている視点

そもそも過去の政治学では、「私」つまり個人の思想、行動、信仰、経済活動、財産の所有などの権利について、「国家はどこまで規制して良いのか」「国家の権力はどこまで認められるのか」というのが本質的なテーマとされてきました。

しかし、例えば国家が何らかの政策を行ったとしても、その受け皿となる「公共」領域での取り組みがなければ現実味がありません。

また、国家が上から問題を提起して政策を行っても、国民は当事者意識を持つことができず、社会的な問題がすべて「政府任せ」になってしまいます。

現代の日本には、このような「社会的な問題は政府任せ」の空気があるように思えます。

つまり、従来の政治学的な「国家」対「私」という対立軸では欠けてしまう論点があるため、「公共」という領域を設定した公共哲学が生まれたのです。

1-2:「公」と「公共」と「私」

ここまで「国家」や「私」や「個人」という言い方をしてきましたが、公共哲学の考え方では、「公」「公共」「私」という言い方をします。

この三元論的な考え方は、公共哲学の第一人者の一人である山脇直司教授が『公共哲学とは何か』(2004)で整理したものです。

この整理によると、それぞれ以下のようなことを指しています。

  • …政府、法律
  • 公共…市民活動、NPO・NGO、地域住民、国民
  • …営利活動(経済活動)、プライバシーな領域、私有財産

『公共哲学とは何か』はとても分かりやすい新書です。入門書として最適ですのでぜひ読んでみてください。

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■二元論の問題点

こうした三元論的な考え方が必要とされるのは、一般的な二元論的な視点で政治的テーマを理解しようとすると、正しい答えにたどり着けないことがあるからです。

例えば、政治学や経済学の世界では、自由な経済活動というテーマについて「国家」と「市場」を対立的、敵対的なものとする見方があります。

つまり、市場を重視する人々(たとえば新自由主義者、リバタリアンなど)は「国家が市場に介入するのは非効率」と考えますし、市場を問題視する人々(ケインジアンなど)は「市場を野放しにすれば格差が拡大する」と主張します。

いずれも国家と市場、つまり「公」と「私」の領域をそれぞれ対立的に見ているのです。

しかしこれでは、国家の役割や市場の役割を一面的に見ており、それぞれの公共的な面を見過ごしてしまうのです。

このように、公共哲学は旧来の政治学などの社会的なテーマを扱う領域が見過ごしてきた「公共」にフォーカスした学問なのです。

2章では主要な論者による議論を紹介しますので、まずはここまでをまとめます。

1章のまとめ
  • 公共哲学とは、社会的なテーマについて「公」「公共」「私」の三元論的な見方をする
  • 過去の政治学では、「国家」と「個人」という二元論的な見方をしていたため、その間にある「公共」を見逃してきた
  • 「公共」の視点が欠けると、公共的な政策が実社会で役立たなかったり、公共的な問題について国民が「政府任せ」の無責任になってしまう
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2章:公共哲学の主要な議論

公共哲学という領域は、1980年代ごろから提唱されたと言われる比較的新しい学問領域です。

しかし、公共哲学的なテーマはそれ以前から論じられてきたものですし、政治哲学と言われる分野でも公共哲学的なテーマは論じられてきました。

そこでここでは、公共哲学的なことを論じてきた論者と、その議論について簡単に紹介します。

2-1:ハーバーマス

ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas)はドイツの哲学者です。

ハーバーマスは『公共性の構造転換』第二版で、公共性に関する独自の考え方を展開しています。

2-1-1:ハーバーマスの公共哲学の概要

ハーバーマスの公共哲学をおおまかにまとめると、以下のようなものです。

  • 17世紀~18世紀のロンドンで流行した、コーヒーハウスでの市民たちの議論の中で「市民的公共性」が形成された
  • 市民的公共性とは、判断力を持った市民たちによる、公共的な討議(公論)の営みのこと
  • ハーバーマスは17世紀~18世紀に形成された市民的公共性を、現代に復活させることを主張した

「市民的公共性」についてもう少し説明が必要かもしれません。

市民的公共性について、桂木隆夫は『公共哲学とはなんだろう』(2016)で以下のように定義しています。

つまり市民的公共性とは、市民がお互いに対話的合理性を発揮しつつ社会的実践を行っているとき、そこに市民的公共空間が形成されているという考え方なのです。

参照:『公共哲学とは何だろう』p.27

対話的合理性とは、

  • 他者との対話が「役に立つ」から大事だと考えること(目的合理性)とは異なり、他者の存在そのものを尊重して理解、合意しようと努力すること
  • 対話の中で主張や反論をするときに、相手が納得してくれそうな理由を言うのではなく、あらゆる立場の人間が納得するような理由を主張すること

という考え方です。

こういった考え方で対話する個人が、公共的な活動(たとえばNPOやボランティア)をしたり、社会的なテーマについて討議することが現代にも必要だとハーバーマスは考えたのです。

2-1-2:ダム決壊理論

ハーバーマスがこのように、「対話的合理性」という市民の公共活動における理想を提示したのは、「対話的合理性」を満たさない議論が重なると、許容する水量を超えたダムが決壊するように、社会の道徳的基盤が崩壊する可能性があると考えたからです。

これを、ハーバーマスはダム決壊理論と言います。

具体的には、バイオテクノロジーやヒトES細胞の研究から説明しています。

ヒトES細胞の研究は、人間の胚を人為的に操作するものです。研究は純粋な目的でも、こうした人の命を道具にする操作や議論が積み重なることで、社会の前提にある道徳的な基盤が破壊されてしまうのではないか。

ハーバーマスはこのような危機感を持っているようです。

これは一例ですが、こうした「ダム決壊」を招かないためにも、対話的合理性、そして市民的公共性が大事なのだ、という主張です。

ハーバーマスの公共哲学は非常に多くの論点を含みますので、詳しくは書籍を読んでみてください。

2-2:アーレント

ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)はドイツ出身のユダヤ系の哲学者です。

『全体主義の起源』『イェルサレムのアイヒマン』『人間の条件』など、世界的に有名な政治哲学や公共哲学的なテーマの著作を多数発表しています。

2-2-1:公共性の喪失

アーレントはまず、現代社会の問題点として公共性が失われたことを指摘します。

アーレントは、『人間の条件』で人間の行為を、「労働」「仕事」「活動」の3つに分け、また人間の行動する領域について、プライベートな領域(私的領域)、社会的領域(経済活動)、公的領域(自由な政治的領域)の3つに分けました。

アーレントは、以下のように主張しました。

  • 経済活動の拡大で私的領域が大衆社会化し、公的領域も経済的な論理で考えられるようになった
  • その結果、現代社会では公共性が失われた

アーレントは、政治的な行為である「活動」や、公的領域を重視しし、労働や仕事を通じた経済的な活動(社会的領域)を軽視した主張をしていることが分かります。

2-2-2:全体主義批判

アーレントはまた、社会の大衆化によって個人が特定の集団から切り離され、「アトム化」したと主張します。

個人が社会の中で、原子のように分断された個人となっていることをイメージしてください。

全体主義とアトム化

アーレントは大衆がアトム化したことで、全体主義がはびこるきっかけをつくってしまったと考えました。

全体主義とは、権力を独占した指導者が、恣意的に作られた一貫した世界観・イデオロギーを用いて国民の思想をコントロールする体制のこと。ナチスドイツが代表例。

アトム化した大衆は属する階級を持たず、自分たちの利益が不明確です。政治参加にも消極的で常に不安を抱えています。

そのような大衆は、世界を明快に説明し、一貫した物語を提示する全体主義的指導者に騙されてしまうのです。

※全体主義について、詳しくは以下の記事で解説しています。

【全体主義とは】生まれた理由からアーレントの主張までわかりやすく解説

アーレントは、大衆化・アトム化が進んだ世界では全体主義がはびこる隙を与えてしまうため、市民が自発的に政治的主張をし、討議する場である「ポリス的公共性」を復活させることを主張しました。

明快で画一的な世界観を提示する全体主義に惹かれることは、その人が自分の頭で考えることを放棄し、人の作った物語に自分の身を預ける行為です。

それに対して、アーレントが提示したポリス的公共性とは、自分たちの頭で考え、討議し、積極的に政治参加していくことをやめない姿勢です。

これこそが、全体主義に対抗できる態度だと考えたのです。

■アーレントの公共哲学の問題点

「結局、アーレントは具体的にどのような主張をしたの?」

と思われるかもしれません。

アーレントは、現在の政党政治などにかわり「評議会制」などの秩序を構想していますが、それも含めてそれほど具体的な構想を明らかにしているわけではありません。

大まかにまとめると、アーレントは、

  • 現代の公共性は閉じられており、大衆化・画一化に向かっている
  • そのため、開かれた公共性と、下から(つまり市民の個人の思想や行動から)の公共性が必要

と考えているようです。

これでもやや抽象的ですよね。

しかし、「ポリス的公共性」は、奴隷制に支えられた古代ギリシャをお手本にした思想で、現代社会にそのまま移植できる思想ではありません。

つまり、アーレントの公共哲学は抽象的・理想的な面があるのです。

とはいえ、現代社会の画一性や大衆化・アトム化など、公共性の問題点を鋭く指摘した点に、アーレントの思想の大きな意義があります。

2-3:ロールズ

公共哲学について論じる上で避けられないのが、アメリカの政治哲学の流れです。

政治哲学ではありますが、その内容は公共哲学とも重なる部分が大きいため、ここで紹介します。

アメリカの政治哲学には、「リベラリズム」「リバタリアニズム」「コミュニタリアニズム」の3つの大きな流れがあり、それぞれが独自の立場に立っています。

政治哲学としての3つの思想は、下記の記事で説明していますが、ここでは公共哲学的なテーマとして簡単に説明します。

【政治哲学とは】3つの流れと主な議論をわかりやすく解説

2-3-1:『正義論』の公共哲学

ジョン・ロールズは、現代の政治哲学の原点となった『正義論』を発表したことで有名です。ロールズが『正義論』主張したことは、

  • 戦後アメリカの政治思想である「大きな政府による経済的・社会的平等の達成」という路線は、功利主義の伝統に立っていた
  • 功利主義は、ベンサム的な「最大多数の最大幸福」の思想であり、社会の幸福の総量を増大させるために、少数の犠牲・不平等を許容する思想
  • より平等・公正な社会を作るために、「正義の二原理」という条件を満たせるような政策を行うべき

というものです。

このような主張をしたロールズの政治哲学をリベラリズムと言います。

※「正義の二原理」の詳しい内容などは前述の記事を参照してください。

【正義論とは】二つの原理・無知のヴェールから批判までわかりやすく解説

ここで重要なのが、リベラリズムが「価値中立的」な姿勢を持っていたということです。

2-3-2:リベラリズムの価値中立性

ロールズ以降のリベラリズムの思想は、以下のようなものです。

  • 現代社会では、人々が生き方を選ぶ上での価値観(善)は多様で人それぞれ
  • 国家が人々の価値観(善)を制限したり、特定の価値観を優遇することは認められない
  • そのため、国家は特定の価値観を優遇しない中立的な姿勢を持つべきで、誰にでも共有できる「正義(権利)」の問題のみを扱うべき

これをリベラリズムの「価値中立性」と言います。

例えば、アメリカでよく政治的なテーマになるのが、妊娠中絶の合法化についてです。

「妊娠中絶を合法化すべきか、違法にすべきか」という対立が起きるのですが、これについて政府が、

「政府は価値観について中立的であるべきなので、合法化も違法化もしない」

という判断をするとどうなるでしょうか?

結果的に、妊娠中絶を認めることになり、特定の価値観を優遇しないはずだったのに結果的に「妊娠中絶を認める」という価値観を優遇したことになってしまいます。

つまり、「価値中立性」を理由に道徳的・倫理的なテーマを棚上げし、合意しやすい権利の問題のみしか論じないのがリベラリズムの特徴です。

リベラリズムが提示した公共哲学は、このように矛盾した点があったため、後にマイケル・サンデルによって批判されることになりました。

2-4:サンデル

マイケル・サンデル(Michael Sandel)は、ロールズの『正義論』批判から有名になった政治哲学者です。

日本でも「白熱教室」や『これから「正義」の話をしよう』などで有名になりました。政治的立場としてはコミュニタリアニズム(共同体主義)と言われており、公共哲学としても『公共哲学-政治における道徳性についての小論集-』という本を発表しています。

サンデルが行ったリベラリズムに対する批判には複数のものがあります。

しかし、公共哲学という論点で言えば、最大の批判はリベラリズムの「価値中立性」つまり、道徳的・倫理的問題を棚上げして論じないという問題点です。

道徳的・倫理的問題を棚上げすれば、これらのテーマについて人々が論じて問題解決に向かうことができませんし、当事者意識をもって考えることができません。

そこで、サンデルは「共和主義」という一種の公共哲学を主張しました。

サンデルの共和主義の主張をまとめると、

  • アメリカはリベラリズムの国家になった結果、市民が公民的道徳心を失い自己統治を目指さなくなった
  • 国家が個人の価値観に介入しないことから、倫理的テーマ(妊娠中絶合法化や安楽死など)に明確な答えを示せないか、中立的になった結果特定の価値観を支持してしまっている
  • さらに、国家が価値観(共通善)を示せないことから、格差が広がり新たな社会問題を生んでいる

というものです。

したがって、国家が積極的に価値について論じ、国家は市民の人格(公共心)の陶冶を目指すこと。そして市民が自己統治できるように政策を行うことを主張しました。

つまり、サンデルの公共哲学は、「公」「公共」「私」という文脈で言うと、

  • 「公」が積極的に価値を論じることで「公共」の取り組みを行うこと
  • 「私」は共同体の中で積極的に活動することで、「公共」の取り組みをすること

を主張していると言えるでしょう。

サンデルの政治哲学について、詳しくは以下の記事で解説しています。

【サンデルの政治哲学とは】正義の議論から共和主義までわかりやすく解説

2-5:ノージック

アメリカの政治哲学・公共哲学の流れには、リバタリアニズムと言われる思想もあります。

リバタリアニズムとは、簡単に言えば「自由至上主義」です。

つまり、国家が個人の思想や行動、経済活動等を規制することは一切認められない。国家は暴力などから国民を守るためだけのみに存在すべきという考え方です。

代表的なのはロバート・ノージック(Robert Nozick)という政治哲学者です。

ノージックは『アナーキー・国家・ユートピア』でリバタリアニズムを論じました。

ノージックの主張は、

  • 個人が生み出した価値はその個人のものであるため、いかなる理由があっても国家がそれを奪ったり(たとえば徴税)再配分(社会保障サービスなど)したりすることは認められない
  • 国家の役割は、暴力や詐欺などからの国民の保護、契約の履行の強制などしか認められない
  • したがって、福祉国家的な政策は認められない

というものです。

これを読むと、「それでは、リバタリアニズムでは『公共』について論じていないのでは?」と思われるかもしれません。

確かに、リバタリアニズムは「公」である国家の存在を強く否定する思想ですので、もちろん「公」による「公共」の取り組みも否定します。

また、「公」と「私」を対立的に捉えて、「公」を否定するため、「公共」について主張することも少ないです。

現実の社会問題である、経済的・社会的な平等・公正をいかに実現するのか?社会的な弱者をどう救うのか?という問題についても、民間企業や自治組織といった「私」の領域が行った方が、効率的に弱者を救えると論じます。

他の思想に比べるとやや楽観的です。

そのため、政治哲学として実際の政治にも大きな影響を与えてはいますが、公共哲学としては見劣りします。

ロバートノージックの思想とは|『アナーキー・国家・ユートピア』からわかりやすく解説

2-6:モラルサイエンス

モラルサイエンスとは、分野横断的ないわば「人間学」と言える領域です。

特定の分野にこだわらず、広い立場から公共哲学について論じるのが特徴です。

2-6-1:モラルサイエンスの特徴

モラルサイエンスの公共哲学としての特徴は、2点あります。

  1. 共通性・同質性と多様性のバランスを考える
    サンデルのコミュニタリアニズムのような思想は、個人と共同体の結びつきを強調するため、個人が持つ共通性・同質性を強調する。しかし、この思想は国家が特定の価値観を個人に押し付け、同質化する危険性を持つ。
    一方で多様性のみに着目すれば、個人の価値観には立ち入らないリベラリズムの思想になる。
    そこでモラルサイエンスは、個人の持つ共通性・同質性と多様性の両方を重視し、その間でのバランスを考える。
  2. 経験主義・懐疑主義的
    ハーバーマスやアーレントの思想は理想的すぎ、現実の社会で実現することが難しい。そこで、モラルサイエンスは現実の生活の場から議論すること、つまり経験主義を重視する。
    また、そもそも公共性とは何なのか?といった本質的なテーマから疑ってかかる健全な懐疑主義を重視する。

2-6-2:デイヴィット・ヒュームの思想

モラルサイエンスの原点は、18世紀の哲学者であるデイヴィット・ヒューム(David Hume)であると考えられています。

ヒュームは多様な視点を持って社会を分析しましたが、その中には公共哲学的な思想もあります。

■限られた思いやり

特に重要なのが、「限られた思いやり」という概念です。

「限られた思いやり」とは、人間は身近な人間には「思いやり」を持てるものの、イマジネーションの及ばない遠い世界の人には「思いやり」を持てないということです。

例えば、私たちも遠く離れたまったく接したことのない国家の人に対して、思いやりを持つことは難しいですよね。

ヒュームは、この「限られた思いやり」はコミュニケーションによって広がり「社会的共感」になると考えました。

つまり、まったく接したことのない国家の人々とも、コミュニケーションをとることで思いやりを持てるようになるということです。

■自由経済と自生的秩序

ヒュームは個人の個々の行動が、結果的に公共の利益になると考えました。

これは、アダム・スミスが論じた市場原理と同様の思想です。個人の自己利益を追求する行動が、結果的に社会の利益を最大にするという思想です。

これは、単に経済的側面だけではありません。

個々人の行動が結果として公共性=自生的秩序(自然に生まれた秩序)に繋がる、という思想でもあるのです。

2-6-3:モラルサイエンスの公共哲学

モラルサイエンスは、上記のようなヒューム的な自生的秩序の思想を持っています。

モラルサイエンスは、以下のように「公」からの公共性への取り組みを批判します。

  • 国家が上から秩序を形成しようとして失敗した例が社会主義であり、ヒューム的な自生的秩序はそれと対抗する思想
  • 政治家や官僚が政治問題について検討し、それを上から法や政策という形で提示するのが、現代の政治における問題解決方法
  • しかし、これは社会主義的思想と同じ、「公」が公共性を作ろうとしている試みで、「私」からの自生的秩序ではない

なぜ「私」からの公共性への取り組みが必要なのかというと、それは経済活動において、多様な個々人の行動が、結果として公共性(社会の利益の増大)に繋がるのと同じです。

多様な個々人が試行錯誤し、討議することで、市民に政治倫理が生まれ公共性(政治問題の解決)に繋がるということです。

これが、モラルサイエンスの公共哲学の思想です。

ここまで説明したように、公共哲学は一貫した思想というよりも、様々な論者による「公共」「公共性」をテーマにした議論の集合体です。

もっと深く知りたい場合は、関心が出た論者の著作から学んでみることをおすすめします。

2章のまとめ
  • ハーバーマスの公共哲学…17~18世紀のコーヒーハウスでの市民の討議を通じて発揮される市民的公共性を重視
  • アーレントの公共哲学…大衆がアトム化した現代社会では、市民が自発的に政治的主張をするポリス的公共性が必要
  • ロールズ…価値中立的で個人の価値観に介入せず、「正義の二原理」に基づいて権利のみをルール化すべき
  • サンデル…ロールズの主張のように国家が価値中立的では道徳的・倫理的テーマが棚上げされ議論されないため、国家が積極的に討議する「共和主義」を重視
  • ノージック…いかなる理由があっても国家が人々から財産を奪うことは許されないため、国家の存在は最小限であるべき
  • モラルサイエンス…国家(公)による公共性の取り組みだけでなく、経済関係や個人レベル(私)からの自生的秩序としての公共性の取り組みが大事
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3章:公共哲学の学び方

ここまで説明したように、公共哲学にはさまざまな議論があり簡単に学ぶことは難しいです。

しかし「公共」が喪失した現代社会に生きる私たちにとって、公共哲学を使って「公共」を個人それぞれが考えることがとても大事です。

また、政治学などを学んでいる場合も、公共哲学の視点を持つことでさらに深い議論ができるようになるはずです。

公共哲学について、さらに学びたい場合はこれから紹介する本を読んでみてください。

オススメ書籍

オススメ度★★★桂木隆夫『公共哲学とはなんだろう [増補版]: 民主主義と市場の新しい見方』(勁草書房)

本文中でも紹介しましたが、この書籍は公共哲学についてとても分かりやすく、講義調で書かれているため初心者にも分かりやすいです。

この記事では論者ごとにまとめましたが、この本では「民主主義」「市場」「寛容」などテーマごとにも説明されているのでより深く学べます。

オススメ度★★山岡 龍一,齋藤 純一『公共哲学』(放送大学教育振興会)

初心者向けに公共哲学の要点が書かれた、放送大学のテキストです。まったくの初心者でも学べる内容なので、こちらもおすすめです。

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オススメ度★★佐々木 毅,金 泰昌『公共哲学〈3〉日本における公と私』(東京大学出版会)

少し古い本ですが、公共哲学の研究に非常に詳しくまとめられた本です。公共哲学についてある程度学んだ中級レベルの方には必読です。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 公共哲学とは、国家(公)と市場や個人の活動(私)の間にある「公共」の領域について論じる学問
  • 従来の政治学に対して、公共哲学は国家と市場の二元論ではなく、「公」「私」「公共」の三元論を唱える
  • 公共哲学には多様な議論があり、ハーバーマス、アーレント、アメリカの政治哲学などで論じられている

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