政党政治(party politics)とは、政党(つまり利害を共有した政治家の集団)が競い合う政治のことです。大統領制でも、議院内閣制でも、現代の民主政の政治では政党政治が基本です。
当たり前に行われている政党政治ですが、
「そもそもなぜ政党を単位として政治が行われるのか」
「政党政治にはどんなメリットや問題点があるのか」
「自民党支配が続いてきた戦後日本で、政党政治は機能していたのか」
などを知っておくことは大事です。
そこでこの記事では、
- 政党政治の基本的な知識
- 政党政治の歴史(イギリス、アメリカ、日本)
- 日本の政党政治の特徴
について詳しく説明します。
政党政治について理解することは、現代の日本の政治を理解することになります。
関心のある所から読んでみてください。
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1章:政党政治とは
繰り返しになりますが、政党政治とは、政党が競い合うことを基軸にしている政治の仕組みのことです。
では、そもそも政党とはどのようなものなのでしょうか?
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:政党とは
そもそも「政党」とは、主張や利害をある程度共有している政治家の集団のことです。日本の場合は「自民党」「立憲民主党」などがありますね。
そして、政党は大きく二つに分けられます。
- 与党…内閣を組閣する政党
- 野党…与党以外の内閣を組閣できない政党
内閣は、国会で指名を受けた内閣総理大臣が、自分の政党の人間や外部の人間を集めて作るものです。
内閣とは与党が組織するもので、行政権のトップであり、内閣総理大臣と各省庁の大臣(国務大臣)から構成される。
そのため、国会での決定を左右できる、つまり国会で多数派となった政党が与党として内閣を組閣でき、それ以外の政党は野党になるわけです。
また、国会で単独で多数派を形成できなかった場合、いくつかの政党が集まって政権を担うこともあり、これを「連立政権」と言います。
こうした政党の存在を前提とし、複数の政党が競い合う中で行われる政治が政党政治です。
1-2:政党の3つの役割
さて、現代の民主政における政治が政党政治を基本としているのは、政党が民主主義の実現においていくつかの大きな役割を持っているからです2久米郁男ら著『New Liberal Arts Selection政治学』493-498頁などに詳しい。
民主主義に関して詳しく、こちらの記事を参照ください。
1-2-1:役割①民意の集約
政党の役割の一つは、民意を集約することです。
そもそも、民主主義の国家では、国民の意見を政治に反映させるのが政治家の役割です。
しかし、それなら政治家が政党に入らなくても、個人で国会に出て、それぞれが主張をすれば良いような気もしますよね。そうなっておらず、基本的に政治家が政党に入るようになっているのは、政治家がそれぞれ個人で意見を主張すると対立が多すぎ、国家として身動きが取れなくなるからです。
国家としての意思決定を担うのは主に国会や内閣ですが、意思決定は出席者の多数決で行われることが多く、対立が多すぎると何も可決できず政策が作れないのです。
そのため、政治家たちはある程度主張や利害を共有できる政党に入り、政党の内部で意見を集約・調整することで、政党として政治に民意を反映するようになっています。
こうした集約された民意は、政党としての「マニュフェスト」「公約」などの形で表出されます。
ちなみに、人類の歴史上はじめて民主政が誕生した古代ギリシアでは、直接民主政であり政党は存在しませんでした。下記の本は歴史の教養書ですが、古代ギリシアの政治(共和政治、直接民主政)について分かりやすく書かれています。
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1-2-2:役割②政治への責任感の保持
政党政治の役割として見過ごしてはならないのが、政党が政治への責任を担保する役割です。
私たちは選挙で投票するときに、「この政党(議員)に投票すればこんな政策をやってくれるんだろう」という期待をします。そのため、無意識のうちに政党がマニュフェストで掲げた政策を実践してくれることを前提に考えているのですが、これは政党政治だから可能なことです。
なぜなら、政党は今の政権の後の選挙でも勝って政権を担い続けたいと考えるため、現政権でも無責任なことはできないことになるからです。
もちろん、マニュフェスト通りの政治ができないことも多いのですが、少なくとも公約を実現するための努力をしなければ、支持者は「有言実行できない無責任な政党だ」と思い、次の選挙で投票してくれなくなります。
そうなると、政党は政権を担えなくなります。
これが政党ではない完全な個人(たとえば、無所属で当選することが多い知事など)だと、その後当選する気を持たなければ、公約を放棄して適当な政治をすることも可能です。
このように、当選し続ける必要がある政党政治だからこそ、政治への責任が生まれて、国民の主張が政治に反映されることがある程度担保されるのです。
1-2-3:役割③政治家の育成
政治家の仕事の本質は、国民の意見(民意)を政治に反映させることですが、単に国会で声を上げていれば良いわけではありません。
他の政治家や利益団体、業界団体、官僚などとの駆け引きのノウハウ、選挙で戦う方法、政策に関する高度な知識などが必要とされます。
そういった専門職である政治家を育成する役割は、政党が担っています。政党がこうした政治家の育成をするのは、政党を何世代にもわたって維持・発展させたいためです。
政治家は、政党の金銭やノウハウ、人脈の支援なしに当選することは難しいですし、当選しても政治家として活躍するのはもっと難しいです。
互いにメリットがあるため、政治家は政党に所属しようとするわけです。
日本の政党政治の基本的な知識は、以下の書籍で分かりやすく解説されています。
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政党政治の基本的な知識を理解することはできましたか?
ここまでは一般的な説明でしたが、もっと深く政党政治を理解するにはその成り立ちから知っておくことが大事です。また、日本の政党政治には独特の特徴もあります。
そこで、歴史は2章で、日本の政党政治について詳しくは3章で説明します。
まずはここまでをまとめます。
- 政党政治とは、政治家のグループである政党による競争を基軸とした政治
- 政党政治には、民意の集約、国民に対する責任の担保、政治家の育成などの役割がある
2章:政党政治の歴史
現代の政党政治を理解する上で、政党政治の成り立ちを理解することは大事です。
なぜなら、最初から現在のような形の政党政治の姿が作られたわけではないからです。あくまで、自然な歴史の中で生まれてきたのが政党政治なのです。
政党政治が誕生したのはイギリスですので、まずはイギリスでの政党政治の成り立ちから理解しましょう。
歴史を細かく覚える必要はありません。大筋を押さえておくようにしましょう。
2-1:イギリスの政党政治
イギリスの政党がゆるやかな形で表れてきたのは17世紀後半ごろで、政党が明確な形で立ち現れたのは、名誉革命のころからです。
まずは政党の誕生から説明します。
2-1-1:イギリスにおける政党の誕生
イギリスで政党が誕生したきっかけは、1678年~1681年にかけての王位継承問題です。
この王位継承問題には、以下のような経緯がありました。
- チャールズ2世に嫡子がいなかったため、時期の王として弟ジェームズ(後のジェームズ2世)の即位されることが目されていた
- しかし、イギリスはカトリック教会の権威に対抗するプロテスタントが国教(英国教会)であったため、カトリックであるジェームズの即位に反対するグループが誕生した
- ジェームズの即位への賛成派がトーリ党、反対派がホイッグ党と言われるようになった(結果的にはジェームズが即位しジェームズ2世となった)
- トーリ党は国王の尊重、英国教会の重視(保守的な姿勢)であり、ホイッグは宗教的に寛容で議会重視、後に自由主義的な姿勢を持つようになった
そしてこれ以降、議会においてホイッグ党とトーリ党が対立し、後にホイッグ党が自由党、トーリ党が保守党になるもとになりました3イギリスにおける議院内閣制の歴史について、君塚直隆『物語イギリスの歴史』(下)に簡潔にまとまっている。。
2-1-2:政党政治の確立
当時のイギリスにおける政治上の問題は、国王の権力と議会の権力のバランスです。
当時の国王ジェームズ2世が議会を無視した政治を行うようになったため、
- ホイッグ党とトーリ党は協力して国王を排除し、オランダ総督のウィレム3世とその妻を招聘
- ウィレム3世の統治下で、ホイッグ党、トーリ党から閣僚が選ばれて内閣が組閣されるようになった
ということが行われました(名誉革命)。
さらにその後、
- ウィリアム3世の時代…ホイッグ党からのみ閣僚が選ばれ、同一政党から内閣が組閣される伝統が生まれる
- ジョージ1世の時代…当初内閣は国王が主催していたが、ジョージ1世は内閣に出席せず閣僚に任せた
- ウォルポール内閣の時代(ホイッグ党)…ウォルポールが内閣のトップという意味でプライムミニスター(内閣総理大臣)と呼ばれるようになる。また、彼が下院の議会から指示を得られなくなると、議会の支持がないことを理由に辞任し、内閣には議会の信任が必要であることが明確になった(責任内閣制)。
といった経緯を経て、政党政治と議院内閣制がこのころに確立されていったのです。
※議院内閣制について詳しくは以下の記事で解説しています。
【議院内閣制とは】イギリス・日本の歴史から大統領制との違いまで解説
2-1-3:二大政党制
その後のイギリスでは、ホイッグ党とトーリ党がそれぞれ選挙で争い、下院で多数派になった政党が内閣を組閣するようになりました。
これが二大政党制の確立です。政党政治は議院内閣制とともに、世界でイギリスをモデルに浸透していきました。
やがておおまかな立場としては、以下のようになっていきます。
- トーリー党(保守党)…大地主たちが支持層で、保守的な立場。
- ホイッグ党(自由党)…ブルジョワジー(資本家)が支持層で、自由主義、革新的な立場。
その後は、20世紀になってから労働党が結成され、労働党と保守党の二党による二大政党制になりました。さらに、1989年には自由民主党が結成されて支持されるようになるなど、二大政党制は変化を見せています。
イギリスの政党や政治制度の移り変わりについて、以下の本で分かりやすく解説されています。
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2-2:アメリカの政党政治
現在、アメリカは共和党と民主党の二大政党制ですが、この二大政党制は19世紀以降になった成立したものです。
現代でも知られているように、共和党と民主党はそれぞれ以下のような政党です。
- 共和党…保守党で人種的には白人による支持が多い。宗教的(キリスト教的)にやや厳格な教義を持つ人々が支持することが多い。経済的には市場主義的。
- 民主党…革新党であり、労働者や中流層の支持が多く、人種的にはさまざまな人種からの支持が多い。また、宗教的には教義に寛容。経済的には社会自由主義・福祉国家路線。
この二大政党は19世紀前半に形成された政党でしたが、それぞれが現代のような保守・革新に分かれたのは、20世紀以降でした。
- 共和党…当初は知的エリートが支持する政党で、革新的性格を持っていたが、20世紀前半に革新的な人々が離脱。新たな支持層としてキリスト教右派の勢力を取り入れ、その後多くの保守勢力からの支持を取り付けたため、現在のような保守的政党となった。
- 民主党…南北戦争後に労働者や移民層に支持を広げたことから、経済的・社会的な平等を志向するようになった。したがって、社会的なマイノリティや貧困層に向けた政策を重視していて、その路線はオバマにも受け継がれた。
※民主党を中心としたアメリカのリベラル勢力について、こちらの記事をご覧ください。
このように、歴史の中で変化し現在のような二大政党制になったのです。
とはいえ、現在のトランプ政権(共和党)は、労働者層からの支持を取り付け、国内産業の保護を重視する政策を行い、一方で対外貿易政策を軽視しています。
つまり、その支持層も政策の内容も伝統的な共和党路線からずれています。
現代のアメリカ政治は、従来の政党の対立からも変化しつつあるのです。
※アメリカの政治について、以下の書籍からは網羅的に知識を得ることができます。
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2-3:日本の政党政治
さて、現代の日本の政党政治の形は、第二次世界大戦後の歴史の中で形成されたものです。
そして、戦後の政党政治はいくつかの段階に分けられます。
- 1945~1955年
- 1955年~1993年
- 1994年~現在
日本の政治を少しでも知っているなら分かると思いますが、上記の段階は「55年体制」を軸に「その前」と「その後」にシンプルに分けたものです。
簡単に説明します。
2-3-1:1945年~1955年
終戦からの約10年は、さまざまな政党が結成されかわるがわる政権を担いました。政党政治が安定しなかったのは、アメリカの統治下で、戦前の政治家が公職追放されていたためです。
そしてこの時期の政党政治のポイントは、吉田茂(自由党)の政治です。
吉田茂は、鳩山一郎が公職追放によって一時政治に関われなかったため、その時期の自由党を任された身でした。
この時期に、吉田茂は多くの元官僚を自由党に引き入れたのです。
それをきっかけに、
- 鳩山一郎は吉田の後遺に反発し、自由党を離れて民主党を結成
- 保守党内でその後、官僚出身者とそれ以外の対立(党人派・官僚派)の対立が生まれるきっかけとなった
ということが起こりました。吉田茂の行動が戦後の自民党の政治に大きな影響を与えたのです4日本の政党政治を中心とした政治の動向については、北岡真一『日本政治史』などに詳しい。。
2-3-2:1955年~1993年
1955年には、日本の政党政治における最大の出来事が起こりました。
それは、
- 社会党の右派と左派の統一による「日本社会党」の結成
- 社会党勢力の統一に対抗した、保守勢力の合同による「自由民主党(自民党)」の結成
という出来事です。こうして二大政党制という意味での「55年体制」が生まれました。
その後、自民党の支配が1993年まで続くこととなったため、自民党一党支配の体制のことが「55年体制」と言われるようになりました。
55年体制、つまり自民党の長期支配は独特の政党政治の仕組みや慣行を生みました。この点について、詳しくは3章で説明します。
2-3-3:1994年~現在
自民党による40年近い支配は、1993年まで続きました。
その後の政権は以下のように、一時的に非自民党の次期もあったものの、その後は自民党の連立政権・団徳の政権が続き、民主党の時代から現在の自民党の時代に再び戻ってきました。
- 1993年~1994年:細川政権(日本新党、日本社会党、新生党、公明党、新党さきがけ、民社党、社会民主連合・民主改革連合の連立)
- 1994年~1994年:羽田政権(新政党、日本新党、民社党、自由党、公明党、社会民主連合、改革の会の連立)
- 1994年~1996年:村山政権(日本社会党、自民党、新党さきがけの連立)
- 1996年~1996年:第一次橋本政権(自民党、日本社会党、社民党、新党さきがけの連立)
- 1996年~1998年:第二次橋本政権(自民党)
- 1998年~2000年:小渕政権(自民党→第一次内閣改造後:自民党、自由党、第二次内閣改造後:自民党、自由党、保守党、公明党の連立)
- 2000年~2000年:第一次森政権(自民党、公明党、保守党の連立)
- 2000年~2001年:第二次森政権(自民党、公明党、保守党の連立)
- 2001年~2003年:第一次小泉政権(自民党、公明党、保守党(保守新党)の連立)
- 2003年~2005年:第二次小泉政権(自民党、公明党の連立)
- 2005年~2006年:第三次小泉政権(自民党、公明党の連立)
- 2006年~2007年:第一次安倍政権(自民党、公明党の連立)
- 2007年~2008年:福田政権(自民党、公明党の連立)
- 2008年~2009年:麻生政権(自民党、公明党の連立)
- 2009年~2010年:鳩山政権(民主党、社民党、国民新党の連立)
- 2010年~2011年:菅政権(民主党、国民新党の連立)
- 2011年~2012年:野田政権(民主党、国民新党の連立)
- 2012年~2019年8月現在:安倍政権(自民党、公明党の連立)
55年体制以降の特徴としては、自民党以外の政権では政権を担う実力がないことが分かったことです。
民主党政権が誕生したころは、民主党と自民党による二大政党制の実現や、保守党である自民党に代わり、革新的な政策が行われることが期待されました。
しかし、現実には辺野古の基地移転問題や消費税増税、東日本大震災の対応などで国民の期待に応えられず、3年で退陣することになりました。
このように、戦後日本では自民党支配が長かったために、それ以外の政党が十分に力をつけることができなかったのです。
※さらに、現代の日本政治は「右傾化」していると指摘されることがあります。詳しくは以下の記事をご覧ください。
【右傾化とは】55年体制から安倍政権までの変化をわかりやすく解説
政党政治について理解するためには、「右派・左派」の違いや日本における実態を知ることが大事です。それぞれ、以下の記事で解説しています。
【図解・右翼・左翼とは】フランス革命から現代日本までわかりやすく解説
【日本のリベラル(左派)とは】政治的立場と戦前~現代の歴史を解説
日本の政党政治の歴史について踏まえた上で、日本の政党政治の特徴や問題点を説明します。
- 政党政治は、イギリスで議院内閣制とともに発展した
- アメリカでは、共和党は初期の革新的な政党から、革新派の離脱やキリスト教勢力の取り込みから保守的に、民主党は労働者や移民の支持を取り付けたことから、左派政党となった
- 戦後日本では、55年体制(自民党の長期支配)の影響から自民党以外の政党が十分に実力をつけることができず、二大政党制は発展しなかった
3章:日本の政党政治の特徴
戦後日本では、長期の自民党支配によって、
- 政権交代が起こらなかったため、国民は選挙で政権を選ぶことができなかった
- 「政府」と「与党」がそれぞれ別に政治的な力を持った
などの結果をもたらしました。
日本の政党政治について詳しく説明します。
3-1:日本の与党と野党
そもそも、「与党」「野党」という言い方は日本独自です。多くの国では、政権を担うことになった党のことを「政権党」と言い、それ以外を「反対党」と言います。
なぜなら、国会で多数派になれば、
内閣を組閣→政権を担う
ことになり、政権党と反対党はは役割が明確に分かれるはずだからです。
しかし、日本の場合は言葉のニュアンスとしても、実態としても「政権党」「反対党」とは違う意味を持ちます。
■日本の与党の役割
繰り返しになりますが、議院内閣制である日本の場合、国会で多数派となった政党が内閣を組閣するため、国会(立法権力)と内閣(行政権力)を支配します。そして、内閣と内閣の下に位置付けられる省庁がまとめて「政府」と言われます。
そのため、本来「与党=政権党=政府」と言って良いはずです。
しかし、日本で「与党」「政府」が異なる意味を持つのは、自民党が55年体制の下で独自の政府的な機能を持つようになり、「政府(=内閣+省庁)」と異なる立場を取ることがあったからです。
■日本の野党の役割
それに対して、長期に渡って政権を担うことができなかった野党は、与党に単に対抗する役割というよりも、与党(自民党)から利益配分によっておこぼれをもらって政策を調整する立場でした。
多くの場面で、野党が問題を提起し、与党はそれに合わせて政策を調整する。そして、与党が作った政策が通りやすいように、野党にも利益を配分して協調してもらうような仕組みになっていたのです。
自民党長期支配の影響化で、与党と野党は独自の変化を遂げ、その結果政党政治としては欠陥を作ってしまいました。
次にもう少し詳しく自民党がどのような体制を作っていたのか理解しましょう。
3-2:自民党の独自の体制・役割
自民党は55年体制下で、政府(内閣・省庁)から少し距離を取ったところから、独自の政府的な機能を持つようになっていきました5下記の記述は、飯尾潤『日本の統治構造』を参考に作成しています。。
3-2-1:自民党と政府の二元的な意思決定
自民党は長期支配の中で、独自の党内の意思決定経路を作り上げました。
「意思決定は国会で行うものではないの?」と思われるかもしれませんが、国会での意思決定は与党と野党の間で行われるものです。
しかし、与党が国会で多数派を形成することができていれば、国会の決定は与党によってコントロールできるため、与党の議員にとって国会での討論や意思決定にあまり意味がありません。
むしろ、与党(自民党)の議員にとって重要なのは、党内で利害を調整し意思決定し、国会前に自民党としての意思決定をしておくことだったのです。
■党内で意思決定するのは官僚の統制のため
党内での意思決定が重要な理由は、政府(内閣)には官僚の影響力が大きいためです。
詳しくはこちらの「官僚制」の記事で解説していますが、日本では官僚による政治への影響力が強く、しかも官僚は行政権力である内閣との関係が深いです。
そのため、官僚制によって政治がコントロールされないためには、与党(自民党)は党内で党としての主張を固めておく必要があったのです。
■党内での決定に議員は拘束される
詳しくは4章で紹介している書籍を参考にしていただきたいのですが、自民党内では、独自の意思決定の仕組みがあります。
党内の最終決定である「総務会」でその法案の結論が出ると、その結論について自民党の議員たちは「党議拘束」をかけられます。
党議拘束というのは、国会でその案件が審議されるときに、議員たちは必ず賛成しなければならない(拘束される)ということです。
自民党が国会で単独過半数なら、その法案は「党議拘束」がかけられた時点で成立が保証されることになります。
逆に、党内での審査を受けない法案については、国会審議での不安が残るため閣議決定されないという慣行もできました。
法律ができるまでのプロセスは、
法律案の作成→内閣法制局による審査→閣議決定→国会での審議→法律の成立
という流れです。
自民党の場合は、
法律案の作成→党内での審議→内閣法制局による審査→閣議決定→国会での審議→法律の成立
となり、しかも党内での審議に通らなければ国会提出どころか閣議決定すらされない、という慣行があったのが特徴的です。
3-2-2:野党との利害調整
自民党の長期支配が続いた結果、野党は政権を担うことが現実的ではなくなっていき、また与党である自民党は、政権交代しないことから「国民の意見を政治に反映できないのでは」という不安を持たれるようになりました。
政権交代があれば、そのたびに国民は選挙によって政権を選ぶことができるため、国民の意見が政治に反映されることが実感できるイベントになるのです。
こうした背景から、
- 野党は、政権の奪取を目指すよりも、政策としての問題提起や与党との利害の調整を役割とし、与党からの利益配分をもらうようになる
- 与党である自民党は、国民に「民意が反映されている」実感を持ってもらうために、野党の主張にある程度寄り添い、中道寄りの政策を行った
といった政治が行われました。
3-2-3:疑似政権交代としての総裁選
自民党による一党で長期支配には、他にも大きな問題がありました。
それは、国民が政権を選んでいるという実感を持てないということです。
国民は選挙によって、自分たちで政権を選び、選んだ政権によって国民の意見が政治に反映されることを期待します。
しかし、長年にわたって自民党が勝ち続けると、事実上「政権交代がない」状況になります。
その結果、国民は、民意が政治に反映されることを期待できず、政府に不満を持ちやすくなるのです。
そこで、自民党は政権交代の代わりに「総裁選」によって首相を交代するようになりました。
自民党の総裁選とは、
- 自民党内の選挙により、自民党のトップである総裁が選ばれる
- 自民党総裁は、与党であれば国会での首相指名選挙で首相に指名される
- そのため、自民党の総裁選は、55年体制下では事実上の首相を選ぶ選挙としての性質を持っていた
というものです。
政権交代によって首相が代わることはないものの、総裁選によって首相が代わることがあるため、政権交代がないことによる国民の不満を解消する性質があったと言われています。
そのため、自民党の総裁選は「疑似政権交代」とも言われます。
3-2-4:派閥と大臣ポストを利用した人事
自民党は長期に渡って政権を担う中で、自然に生まれた「派閥」も制度化していきました。
長期に渡って政権を担うと、党内では当選回数の多さや政治家としての実績が多ければ、「次の内閣で大臣になれるのでは」という期待が持たれるようになれます。
当初は、当選回数などに限らず官僚経験などから大臣に選ばれることもありましたが、長期政権の下で当選回数によって大臣のポストが回ってくることが制度化されていきました。
おおむね5~7回程度の当選回数があれば大臣になれるようになり、その結果、大臣のポストが短期間で入れ替わるようになります。
そのため、短い期間で大臣が入れ替わるため、内閣での大臣による意思決定は官僚がコントロールしやすくなります。したがって、自民党内での意思決定システムの重要性が高まりました。
このように、日本の政党政治は自民党一党支配下で独自の仕組みを作り、現代にいたっているのです。
- 日本の政党政治は、55年体制下で独自に発展した
- 自民党は「政府」と距離を置いた、独自の政府的機能を持つ制度を党内に作り上げた
- 日本の野党は政権の奪取よりも、自民党の支配下での政策の調整や利益配分にありつく立場を取った
- 政権交代がないと国民は「政権を選んでいる」感覚がないため、自民党は総裁選による「疑似政権交代」を制度化した
4章:政党政治に関する書籍
政党政治についてイメージすることはできましたか?
政党政治を理解することは、現代の政治をより深く理解することになります。とはいえ政党政治と関連するテーマは非常に多いため、まずは概説書や新書から読み始めることをおすすめします。
以下の書籍が分かりやすいためおすすめです。
飯尾潤『日本の統治構造-官僚内閣制から議院内閣制へ-』(中公新書)
この書籍は、日本の統治構造について官僚制や議院内閣制、政党政治などからとても詳しく論じている名著です。日本の政治を理解する上で必読書ですので、ぜひ読んでみてください。
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中北浩爾『自民党―「一強」の実像』 (中公新書)
いわゆる55年体制は93年までの出来事ですが、その後自民党が野党に下野したのは2度のみで、やはり「一強」の状態は続いています。その強さの理由について網羅的に説明されているので、自民党を中心とした政党政治を理解する上でとても役立ちます。
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一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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まとめ
この記事の内容をまとめます。
- 政党政治とは、政党の対立を基軸とした政治のことで、議院内閣制の国も大統領制の国でも行われている
- 政党政治の伝統はイギリスの名誉革命のころに生まれ、その後議院内閣制モデルとともに世界に広がった
- 日本の政党政治は、戦後の自民党支配(55年体制)下で独自に発展し、自民党は政府的な機能を発達させて現在に至っている
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