ディアスポラ(diaspora)とは、自発的または強制的に故地から離散した状態のことを指します。
21世紀に入り、ディアスポラはますます日常的なありさまとなっています。たとえば、日本社会にいる外国人労働はディアスポラの一種といえるでしょう。
その上、ディアスポラのアイデンティティを理解することは、新たな社会を創造する重要な試みとして社会科学で研究の対象となっています。
そこで、この記事は、
- ディアスポラとその歴史
- ディアスポラとグローバリゼーション
- ディアスポラとアイデンティティ
をそれぞれ詳しく解説します。
あなたの興味がある箇所から、ぜひ読み進めてください。
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1章:ディアスポラとはだれか?
1章では、ディアスポラを概説します。ディアスポラの学術的な議論に関心のある方は、2章から読んでみてください。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1: ディアスポラとその歴史的な起源
まず、冒頭の定義を繰り返しますが、
ディアスポラとは、自発的または強制的に故地から離散した状態のこと
を指します。
「ディアスポラ」という言葉自体はそれほど新しいものではありません。しかし、今日の社会理論やカルチュラル・スタディーズといった分野で「再発見」されると、重要なキーワードとして注目を集めています。
まず、「ディアスポラ」という言葉の歴史を解説します。「ディアスポラ」はもともと、次のよな意味をもつ言葉です。
- ギリシャ語の「diaspeirein」に語源をもち、「さまざまな方向に種をばらまく」を意味した
- 「diaspeirein」は「dia=through」「speirein=to scatter」を指す
そして、歴史的な言葉としての「ディアスポラ」はユダヤ人という民族集団に対して限定されて使用されてきました。たとえば、「ディアスポラ」は「パレスチナ、イスラエル外に離散したユダヤ人」「離散したユダヤ人が住む国々」を指すといった用法がありました。
その後、この言葉は英語でも使用され始めます。その際、定冠詞がつき頭文字が大文字の「the Diaspora」として表記されました。当時の英語では「バビロン捕囚後にユダヤ人がパレスチナ以外の土地へ離散している状態」を意味しました。
ここでも限定的にユダヤ人の離散を意味する言葉とわかると思います。
しかし、グローバリゼーションという人、モノ、情報、資本の国境を越えた地球規模の移動が常態となった現代では、「ディアスポラ」は異なった用法で使われ始めました2上野 俊哉, 毛利 嘉孝 『カルチュラル・スタディーズ入門』 (ちくま新書)。
1-2: ディアスポラとグローバリゼーション
結論からいうと、グローバリゼーションに特徴づけられる現代の「ディアスポラ」とは、離散状態となったある民族集団を指します。つまり、ユダヤ人の離散だけではなく、さまざまな民族集団を意味するようになりました。
たとえば、現代のディアスポラには次のような人々がいます。
- 通商や出稼ぎといった経済的目的をもった個人や集団
- 強制的な移住や脱出に迫られた個人や集団(政治的抑圧や戦争などによる亡命や難民を含む)
より具体的にいうと、私たちが「ディアスポラ」というとき、
- 奴隷貿易によって暴力的な強制移住を経験した黒人
- ラテンアメリカ諸国やカリブ海における黒人
- 歴史的な迫害を受けてきたアルメニア人
- 大英帝国の旧植民地からの労働者:インド系(印僑)、東南アジアの華僑や華人
- ハワイや北米・南米大陸に渡った日系人
などが含まれます。
お気づきの方がいるかもしれませんが、現代的なディアスポラは、多くの場合、近代植民地主義の遺産です。言い換えると、このポストコロニアルな状況こそが、ディアスポラを生み出しているのです。(→ポストコロニアリズムについてはこちら)
1-3: ディアスポラと植民地主義
ディアスポラが植民地主義の遺産であるという意味は、西欧諸国による植民地主義が世界中の土地を覆い尽くしたときに、自発的または強制的に大量の人間の移動がおこなわれたためです。
そして、国境を越えた安価な労働力の移動がおこなわれた結果、社会には新たなディアスポラ・コミュニティが登場し、ハイブリッドな文化が創られていきました。
1-3-1: ディアスポラと排斥主義
一方で、旧植民地から旧宗主国への移動がますます増加するにつれて、受け入れ国では極右的な排斥主義が生まれていることも無視できません。
たとえば、極右集団にはフランスのル・ペンやネオ・ナチなどの集団がいます。彼らは国民国家、人種・民族、伝統といった既存の文化的な枠組みを強固にしようとします。
極右集団が台頭する21世紀の現在、社会科学の分野でディアスポラへの関心が高まってるのは、そのような既存の文化的な枠組みを相対化するものと考えられているからです。
ディアスポラに興味をもった方はまず次のような専門書をおすすめします。ディアスポラの歴史から未来まで理解できる素晴らしい書籍です。
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- ディアスポラとは、自発的または強制的に故地から離散した状態のこと
- 歴史的な言葉としての「ディアスポラ」はユダヤ人という民族集団に対して限定されていたが、現代の「ディアスポラ」とは離散状態となったさまざまな民族集団を指す
- 現代的なディアスポラは、多くの場合、近代植民地主義の遺産
2章:ディアスポラとアイデンティティ
ディアスポラのなかでも研究が進んでいる分野は、「ブラック・ディアスポラ(balck diaspora)」です。日本語では「黒人の離散」や「アフリカン・ディアスポラ」といった直訳がされます。
2章ではまず大まかにブラック・ディアスポラの歴史を振り返り、その後ディアスポラのアイデンティティに関する研究を解説します。
2-1: ブラック・ディアスポラの歴史
そもそも「ブラック・ディアスポラ」は、以下のことを意味します。
- 父祖の地から離散して居住する黒人
- つまり、サハラ砂漠以南のブラックアフリカという地域から黒人奴隷として各地への移住を余儀なくされた人びととその子孫や、その共同体
黒人離散の範囲はイスラム圏、ヨーロッパ、カリブ海諸島、南北アメリカ大陸といった地球規模のものです。
とくに、「7世紀から始まったイスラム圏における黒人奴隷制度」と「大西洋奴隷貿易」による黒人の離散はあまりにも有名です。ここでは黒人離散史を簡単に振り返りましょう。
大事なのは黒人の離散と父祖文化の断裂の歴史は現代の彼らのアイデンティティの形成に寄与している、という点です。
2-1-1: 7世紀から始まったイスラム圏における黒人奴隷制度
広く知られるように、7世紀までにアフリカに達したアラブ人は、交易の一環としてアフリカ人を陸路でイスラム圏に連行し奴隷にした歴史があります。
そして、イスラム圏の黒人奴隷の特徴は大まかに次のようなものでした。
イスラム圏における奴隷の特徴
- 黒人奴隷の「仕事」・・・内妻、家内労働者、兵士といった有力者の私有財産
- 黒人奴隷の人口と男女比率・・・推計1100万人、男女比は1対2
- 黒人奴隷の扱い・・・人道的に扱われ、解放された後は社会的な力をもつ者も
7世紀以降にイスラム圏が拡大するにつれて、黒人奴隷は中国、インド、スペインに到達したといわれています。
2-1-2: 大西洋奴隷貿易
14世紀以降ヨーロッパ人の大西洋進出に伴いカリブ海諸島とブラジルでの砂糖生産が開始されると、労働力不足を補うためにポルトガル商人によって、アフリカ人奴隷の売買が始まります。
大西洋奴隷貿易における黒人奴隷の特徴
- 4世紀間の黒人奴隷の人口と男女比率・・・推計1200万人、男女比は2対1(大西洋航海中に10-20%が死亡)
- 奴隷制度の原理・・・「科学的」な人種的優劣が思想のベース
- 黒人奴隷の扱い・・・非人道的な扱い。労働の一単位として組み込まれる
- 黒人奴隷の文化・・・奴隷たちに許された日没から夜明けまでの時間を有効活用することで、徐々に形成・維持されていった
19世紀になると各地で奴隷制度が廃止されましたが、黒人独特の文化はさまざまな影響をホスト社会に与えてきました。
2-1-3: ブラック・ディアスポラの貢献と遺産
大まかに、ブラック・ディアスポラはこのような歴史をもっています。ブラック・ディアスポラの歴史を簡潔にまとめると、次のようにいえるでしょう。
父祖の地から離散した黒人は各社会の文化と融合した芸術、音楽、食べ物、ファッションを生み出してきた一方で、人種主義や貧困、そして父祖の地からの断絶を経験した
再度言いますが、重要な点は「父祖の地からの断絶」です。ブラック・ディアスポラのこの経験から生み出される特有のアイデンティティは社会科学の研究だけでなく、新たな社会を考える上で重要な考え方となっています。
2-2: ディアスポラのアイデンティティとスチュアート・ホール
ここではカルチュラル・スタディーズの創始者であるスチュアート・ホールの議論を紹介します。ホール自身もジャマイカにルーツをもち、英国で半生を過ごしたブラック・ディアスポラです。
ホールは今日の黒人の文化的アイデンティティを考えるときに、2つの立場が存在するといいます。
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2-2-1: ブラック・ディアスポラのアイデンティティ:第一の立場
第一の立場はある共通の歴史と先祖を持つ人びとが共有するアイデンティティです。
第一の立場の特徴
- 共通の歴史と共有された文化的コードが、黒人の文化的アイデンティティを決定する
- 単一の人びととしての黒人に安定した、不変の、継続的な枠組みと意味を供給する
- たとえば、より表装的な差異の根底にある単一性が、「カリビアンらしさ」の真実であり本質となる
ホールによると、この種のアイデンティティは社会運動の勃興、フェミニズム、反植民地主義、反人種主義に際して重要な役割を果たしてきました。
なぜならば、この文化的アイデンティティがもつ失われた過去と繋がるイメージは、ディアスポラの歴史である離散と分裂の経験に、想像上の一貫性を与えることができるからです。
しかし、この立場の文化的アイデンティティは本質主義的と批判をされされます。そのため、ホールはこの立場に満足しません。
2-2-2: ブラック・ディアスポラのアイデンティティ:第二の立場
文化的アイデンティティの第二の立場として、ホールは次のような考えを提示します3『現代思想臨時増刊号 スチュワート・ホール』(2014)を参照。
多くの類似点に加えて「実際の私たち」、むしろ歴史が介入してきたゆえに「私たちがなってしまったもの」を構築する深層的決定的な差異をいうものがある、と認める立場がある。
わかりやすく言い換えると、文化的アイデンティティの第二の立場とは、次のような立場です。
- 第一の立場と異なりアイデンティティに一貫性を認めるのではなく、カリビアンのユニークさを構築している断絶と非連続性という歴史を引き受ける立場
- つまり、文化的アイデンティティとは「あるもの(being、黒人に本質的に備わっているもの)というだけでなく、「なるもの(becoming)」
- 文化的アイデンティティは本質化された過去のようなものに永続的に固定化されるというものではなく、歴史、文化、権力の継続的な「戯れ(play)」に従わなければならない
第二の立場が非常に重要なのは国民国家、人種・民族、伝統といった既存の文化的な枠組みを批判するためです。
たとえば、極右集団は国民国家、人種・民族、伝統といった共通の歴史観と想像上一貫性を用いて、排他的な「自己」を構成します。それはいわばアイデンティティの第一の立場と似ています。
その反対に、アイデンティティの第二の立場は、文化的アイデンティティを歴史と文化の言説内部で形成されるアイデンティフィケーション(identification)のある不安な地点(完成されていない地点)と捉えています。
そのため、アイデンティフィケーションは常に過程であり、本質的に固定されることなく、歴史的、文化的に変容し続けているとホールは考えます。
ホールの考えを引き受けることで、本質的で決定されている閉鎖的な「国民国家」「人種・民族」「伝統」ではなく、現在はあくまでも「将来に開けた未完の過程」であると捉え直す可能性があるのではないでしょうか。
ブラック・ディアスポラのアイデンティティのあり方が、社会科学で注目される理由を学ぶことができましたか?これまでの内容をまとめます。
- 父祖の地から離散した黒人は各社会の文化と融合した芸術、音楽、食べ物、ファッションを生み出してきた一方で、人種主義や貧困、そして父祖の地からの断絶を経験してきた
- 文化的アイデンティティは「あるもの(being、黒人に本質的に備わっているもの)でなく、「なるもの(becoming)」として捉えるべき
- 本質的で決定されている閉鎖的な「国民国家」「人種・民族」「伝統」ではなく、現在はあくまでも「将来に開けた未完の過程」である
3章:ディアスポラを学ぶための書籍リスト
どうでしょう?ディアスポラについて理解を深めることはできましたか?
この記事で解説した内容はあくまでも一部です。ディアスポラについて深く理解するためにはこれから紹介する書籍から学ぶことが非常に重要です。
上野俊哉・毛利嘉孝(編)『カルチュラル・スタディーズ入門』(ちくま新書)
ディアスポラはカルチュラル・スタディーズが興隆するなかで注目されたものです。カルチュラル・スタディーズを学ぶことでディアスポラの神髄を理解できます。
スチュワート・ホール『現代思想』(青土社)
2014年に創刊されたスチュワートホールの臨時特集。ディアスポラはもちろん、さまざまな文化理論を提唱した彼の論考を学ぶことができます。
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まとめ
今回の内容をまとめます。
- ディアスポラとは、自発的または強制的に故地から離散した状態のこと
- 文化的アイデンティティは「あるもの(being、黒人に本質的に備わっているもの)でなく、「なるもの(becoming)」として捉えるべき
- 本質的で決定されている閉鎖的な「国民国家」「人種・民族」「伝統」ではなく、現在はあくまでも「終わらない未完の過程」であると捉えるべき
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