政治史

【絶対王政とは】その意味をイギリス・フランスからわかりやすく解説

絶対王政とは

絶対王政(absolute monarchism)とは、王が国家の主権をもち、王直属の官僚と常備軍によって国家を統治する形態を指します。王への権力の集中を正当化するために王権神授説が用いられていました。

絶対王政はイギリス革命やフランス革命以前の政治形態として有名で、世界史の教養としてだけでなく政治学を中心とした社会科学をより深く理解する基盤にもなるものです。

そこで、この記事では、

  • 絶対王政の意味
  • 絶対王政のイギリス・フランスの事例

から解説します。

あなたの関心に沿って読み進めてください。

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1章:絶対王政とは

まず、1章では絶対王政の政治形態を詳しく解説します。2章ではイギリスとフランスにおける絶対王政期の出来事を紹介しますので、具体的な出来事を知りたい方は2章からお読みください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:絶対王政の意味

絶対王政を理解するためには、「主権国家」「成立背景」「官僚と常備軍」「王権神授説」の項目から学ぶとわかりやすいです。それぞれ解説していきます。

1-1-1:主権国家とは

まず、絶対王政期の国家は「主権国家」という形態でした。ポイントは以下のとおりです。

  • 国境によって他国と区別された領土を持つ
  • 領土内の統治について一切の制約を受けない排他的な権利を持つ(対内的主権)
  • 国際関係において、他国と対等な立場が認められている(対外的主権)

17世紀初頭より前の時代、ヨーロッパ世界には「カトリック教会による宗教的支配」「土地支配を通じた国王や諸侯による支配」という重層的な支配体制が存在しました。

しかし、ウェストファリア条約(1648年)以降、主権国家体制は数世紀をかけて、世界中に広がっていきました。

主権国家体制を図解

そして、絶対王政の国家では、国家の主権を国王がもちました。それは「主権者である国王の意思に領土内の国民全員が従わなければいけない」ということを意味します。

1-1-2:絶対王政が成立した背景

このような絶対王政国家は、スペイン、イギリス、フランス、ロシアなどヨーロッパ各国で成立しました。

主権国家が成立する前である、中世までの国家は「封建国家」という形態でした。封建国家とは、

  • 国王と貴族(家臣)の間で交わされる契約関係により成立する国家
  • 国王は貴族達に土地を与え、見返りとして貴族達は国王に軍役を果した

ものです。

また、封建国家は主権国家と違い、領土、国民、国を統一する法や制度、軍隊は以下のように極めて曖昧でした。

  • 当時は国境が明確ではなかったため、そもそも、国の領土自体が曖昧であった
  • 国の各地域の住人は国王の管理下になく、契約で土地を与えられた貴族の管理下にあった
  • 裁判権、警察権、徴税権も貴族の決定権の下にあり、国王が地域の内政に干渉することもなかった。つまり、地域ごとに法や制度が異なり、国を統一するルールがなかった
  • 国王と貴族の契約関係に制限がなかったため、ある一人の貴族が複数の王と契約を結ぶことが可能だった2たとえば、フランスが隣国スペインと戦争になった場合、フランス国王とスペイン国王それぞれと契約を結んでいる貴族がどちらに軍役を果たすか不明確であった

このように、曖昧な国家形態であった封建国家は、国王が直接統治する主権国家へと姿を変えていきます。

主権国家が成立した歴史に深入りすると脱線しますので、より詳しくは次の記事を参照ください。(→【主権国家体制とは】成立の経緯から現代の問題点までわかりやすく解説)

ちなみに、おすすめ本は『主権国家体制の成立』です。

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1-1-3:絶対王政の統治機構〜官僚と常備軍〜

絶対王政の国家を支えた特徴として、国王直属の「官僚」「常備軍」があります。簡単にいえば、官僚は国民からの徴税を担い、常備軍は国防を担いました。

主権国家体制において、各国の王は強い権力を持って他国に支配を広げようとするため、国防のためにも強い軍を持つ必要がありました。そのため、戦時のみの一時的な軍ではなく「常備軍」を組織したのです。

そして、常備軍を維持するためには多額の資金が必要いなるため、国民から安定的に徴税するために官僚組織も整備されたのでした。

そして絶対的な権力を持った国王は、官僚を通し国を直接的に支配し、常備軍により国外の勢力拡大へと力を注いでいきました。このような過程をとおして、絶対王政では「国王が官僚と常備軍を意のままに操って直接的に国を統治していた」と考えられています。

しかし、実際の統治形態はより複雑であったという学説があるのも事実です。そのような学生は「国王による絶対的な直接統治は行われていなかった」という主張をしています。そちらについては、1-2で詳しく紹介します。



1-1-4:王権神授説とは

実際、王による独裁には、旧来の権力者層である貴族からの反感も強く残りました。そこで、王の絶対的な権力を正当化するために用いられた思想が「王権神授説」です。

【王権神授説とは】

  • 支配者による国家の支配を、「王の権力は神から与えられたものだから正しいものなのだ」と考える思想。つまり、支配者に都合の良い思想
  • イギリスの思想家フィルマーやフランスの神学者ボシュエによって唱えられ、絶対王政の正当性を主張する柱となった
社会契約説と王権神授説

こうした思想がメジャーだと、大衆は国家権力から抑圧されても、それは「しょうがないこと」と考えられてしまいますよね。

そこで一部の思想家によって、「平等で対等な状態から、人々が合意したことで、政府(国家権力)が生まれたのではないか」と考えられるようになったのです。それが「社会契約説」の誕生へと発展していきます。

※社会契約説に関しては以下の記事が詳しいです(→【社会契約説とは】ホッブズ・ロック・ルソーの違いからわかりやすく解説)

ちなみに、王権神授説的のように、神話の世界に支配者の正当性を求める思想は世界中にあります。日本でも『日本書紀』『古事記』で書かれた日本の建国神話は、天皇の支配の正当性を根拠付けるための、一種の王権神授説であったとも言えます。

1-1-5:絶対王政期の代表的な人物たち

絶対王政期には、強力な権力を持った各国の国王達が、歴史に存在感を残しました。最後に、その代表的な人物達に簡単に触れておきましょう。

エリザベス1世

  • イギリスで絶対王政最盛期の国王がエリザベス1世である
  • 当時世界の頂点にあったスペインを撃破し、東インド会社を設立、その後の大英帝国への礎を築いた
  • また、羊毛産業の発展に力を入れ、莫大な富をイギリスにもたらした

ルイ14世

  • フランスで絶対王政最盛期の国王がルイ14世である
  • 「朕は国家なり(私自身がフランスそのものだ)」という発言で有名
  • 商工業の発展に力を入れ、もうけを浪費と勢力拡大の戦争に注ぎ込んだ。ヴェルサイユ宮殿はルイ14世の浪費のたまものである

フェリペ2世

  • スペインに全盛期をもたらした国王がフェリペ2世である
  • 植民地政策に力を入れ、南米、フィリピン、アフリカへと勢力を広げた
  • スペインは「太陽の沈まぬ国」と呼ばれ、地球上のスペイン領では常に太陽が昇っている状態を指した

ピョートル1世

  • ロシア近代化の礎を築いた国王がピョートル1世である
  • ピョートル1世は使節団を西欧各国に派遣し、遅れていたロシアの近代化に力を入れた。国王自らが使節団に紛れ、オランダの造船所で働いたエピソードは有名
  • また、対外政策にも力を入れ、スウェーデン、オスマン帝国(現トルコ)、清(現中国)へと勢力を拡大した



1-2:絶対王政に関する学術的議論

上記のように、絶対王政とは「国王が官僚と常備軍を意のままに操って、国を直接統治していた」と考えられてきました。

しかし、「絶対王政期の国家による統治は「社団」という中間団体を介した間接統治であった」という主張があることも事実です。その点に関して触れます。

1-2-1: 社団の役割

社団とは、

都市の「コルポラシオン(=ギルド、職人の組合)」のような職能的集団や、貴族により統治された旧来の「村落共同体」などの中間団体

です。

少なくとも、フランスでは社団を介した統治が行われていたと考えられています。それは当時のフランスではほぼ全ての人が何らかの社団に属しており、社団は重要な存在であったからです。

たとえば、職人や商人は職能的社団に属さなければ、その職業を営む権利を得られないほどでした。そのため、社団から独立して、個人の職人や商人が存在しない社会だったのです。

(*この点に関して、より福井憲彦『教養としての「フランス史」の読み方』(PHP研究所)第Ⅲ部第7章が詳しいです。)

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実際には、国王は力のある旧来の社団を排除できずに、それらの社団を頼った統治を行っていました。そして、社団は国王から特権(商業の独占など)を与えられ、見返りとして税金、納付金を納めていました。つまり、国王と社団は互いの利害のための相互依存の関係にあったのです3*この点に関して詳しくは、たとえば岡村等(2016)「フランス革命における社団解体の理念」(『早稲田法学会誌』第66巻2号)などがあります。

「社団」の発達は経済史上も重要な出来事でした。詳しくは下記の記事で解説しています。

【商業資本主義とは】歴史からその特徴ををわかりやすく解説

1-2-2: 官僚の役割

また、統治のあり方と同様に、官僚に関して次のような主張があります。

官僚は「国王の手足として忠実な存在だった」とされていたが、実際の官僚は国王に忠実な存在ではなかった

このような主張がされる最大の理由は、国王に官僚の任命権がなかったことに由来します。

官僚のほとんどは旧来の権力をもった貴族達で、官僚の職位(「官職」)は貴族達に世襲されていっていきました。そのため、国王の影響が及ばない、能力の低い官僚が多く存在したのです。

その結果、国王が徴収できる税金の税率が国王と官僚の力関係で決まってしまう程、国王の影響力は弱かったと主張もされています4たとえば、福井憲彦『教養としての「フランス史」の読み方』(PHP研究所)第Ⅲ部第10章参照

当時の官僚制は現代の官僚制とは違うものでした。現代の官僚制については、以下の記事を参考にしてください。

【官僚制とは】日本の特徴からウェーバーの議論までわかりやすく解説

このようにみると、絶対王政という政治形態は定義的な説明よりも複雑だったといえるかもしれません。しかし、どの学説を支持するかはあなた自身で勉強するなかで、より論証的なものを選びとっていくべきでしょう。

いったん、これまでの内容をまとめます。

1章のまとめ
  • 絶対王政とは、王が国家の主権をもち王直属の官僚と常備軍によって国家を統治する形態を指す
  • 王の絶対的な権力を正当化するために用いられた思想が「王権神授説」である
  • フランスの絶対王政下では「社団」という中間団体を介した間接統治があったという主張もある

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2章:絶対王政の歴史

では、2章ではイギリスとフランスを例に、絶対王政の盛衰を紹介します。

2-1:絶対王政期イギリスの歴史

まずは、イギリスの歴史からみていきましゅう。結論からいえば、絶対王政期のイギリスは、三度にわたる独裁と革命を経て、近代国家としての道を歩んでいくことになります。

2-1-1:スチュアート朝の成立〜独裁王朝の誕生〜

16世紀末、イギリスはエリザベス1世の統治下で繁栄の最中にありました。しかし、エリザベス1世の死後に混乱が訪れます。

エリザベス1世に後継ぎがいなかったため、外部から新国王ジェームズ1世が招かれることになりました。これによって「スチュアート朝」が誕生すると、以下のような独裁を強めていきます。

  • ジェームズ1世と彼の子であるチャールズ1世は王権神授説を唱え、二世代に渡り独裁をおこなった
  • イギリス国教会への信仰を強制し、国内のカトリックやピューリタン(イギリスにおけるカルヴァン派)の信仰の自由を奪っていった
  • さらに、議会を解散し独裁を進めた
  • 国内の貴族は王側の勢力(王党派)と議会側の勢力(議会派)で二分され、争いが繰り広げられた

2-1-2:ピューリタン革命〜クロムウェルによる独裁〜

チャールズ1世による独裁が続き、ピューリタンと議会派の不満が募っていくと、「ピューリタン革命」と呼ばれる出来事が起きます。

具体的には、清教徒革命(ピューリタン革命)は、

  • ステュアート朝のチャールズ1世の専制政治により、国内の清教徒(ピューリタン)やスコットランド、アイルランドに反対勢力が発展
  • チャールズ1世率いる国王軍と独立派の議会軍が対立し、クロムウェルが騎馬隊を率いて勝利

という出来事でした。

しかし、クロムウェルもチャールズ1世のように、独裁を始めてしまいます。つまり、クロムウェルは共和政を樹立し、改革で王権を制限し、護国卿として軍事独裁的政治を行ったのです。

より詳しくはこちらの記事を参照ください。→【清教徒革命(ピューリタン革命)とは】名誉革命との違いや歴史を解説

2-1-3:名誉革命:〜絶対王政の崩壊〜

ここからの大きな流れを言うと、クロムウェルの独裁の終了→王政復古→ジェームズの独裁→名誉革命というように歴史が展開されていきます。

そして、名誉革命は、

  • 議会制民主主義政党政治など、現代に繋がる政治制度を発展させるきっかけになった
  • 王権を制限し立憲君主制を成立させた

という政治史上とても重要な出来事でした。

細かい歴史の流れよりは歴史的な出来事の全体像を優先した説明でしたでしたが、いかに絶対王政が倒されていたのかを大まかに理解できたのではないでしょうか?

より詳細を知りたい方は次の記事を参照ください。→【名誉革命とは】清教徒革命との違い・ロックとの関係までわかりやすく解説



2-2:絶対王政期フランスの歴史

そして、フランスにおける絶対王政の歴史はを実際に起きた出来事を中心に紹介します。

2-2-1: 宗教戦争の終わり、ブルボン朝の誕生〜絶対王政の成立〜

16世紀末、カトリックとユグノー(フランスでのキリスト教カルヴァン派)による内戦が続くフランスで誕生した王朝が「ブルボン朝」でした。

フランス国王となったアンリ4世は、ユグノーの信仰の自由を認めるナントの勅令を発布し、宗教戦争に終止符をうちます。そして、内戦により疲弊したフランスを復興へと導きました。

しかし、その平定は長くは続きませんでした。アンリ4世の後を継いだ、息子ルイ13世の治世に独裁が始まります。幼くして即位したルイ13世に代わり、政治を主導した宰相リシュリューは議会(三部会)を停止し、ルイ13世の独裁を強めたのでした。ここに絶対王政の始まりを見て取れます。

2-2-2: 太陽王ルイ14世の時代〜絶対王政の最盛期〜

ルイ13世の後継者が、フランス絶対王政最盛期の国王となる息子ルイ14世です。幼くして即位したルイ14世に代わり、政治を主導したマザランは、ルイ14世の独裁を確固たるものとしました。

ルイ14世は国内の商工業に力を入れ、儲けはヴェルサイユ宮殿建設をはじめとする浪費と対外戦争に注ぎ込みます。しかし、ルイ14世に戦争の才能はなく、損失が大きくなるばかりでした。

その結果、ルイ14世の元で最盛期を迎えた絶対王政にも終わりが近づきます。

2-2-3: ナントの勅令の廃止〜フランス革命へ〜

そのきっかけは、ナントの勅令廃止による財政の悪化でした。カトリックの熱心な信者であったルイ14世は、ナントの勅令を廃止し、ユグノー達を国外に追放してしまいます。

追放されたユグノー達の中には商人や職人が多かったため、国内の商工業は衰退しフランス財政は悪化の一途をたどってしまったのです。悪化した財政を補うため、国民に重税が課せられます。

その結果、国民の不満は頂点に達し、フランス革命勃発へと繋がるのでした。このようにして、フランス絶対王政は、ルイ14世のもとで最盛期を迎えますが、決して長続きはしませんでした。財政難による重税をきっかけに、フランス革命へと繋がります。

ここでも駆け足の紹介となりましたので、より詳しくは以下の関連記事から理解を深めていってください。

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3章:絶対王政について学べる本

絶対王政について理解することはできたでしょうか?

最後に、さらに理解が深まる書籍を紹介します。どの書籍も歴史が詳しくない方でも読みやすい一冊ですので、ぜひトライしてみてください。

おすすめ書籍

君塚直隆『物語イギリスの歴史』(上・下)(中公新書)

イギリスの歴史を講義調で解説しているものです。イギリス革命について書かれているのは「下」ですが、その前の歴史から知っておかなければイギリスの王朝の役割や王権が制限されていくプロセスが理解しづらいです。上下合わせて読むことをおすすめします。

安達正勝『物語 フランス革命―バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで』(中公新書)

フランス革命について書かれた、もっとも分かりやすい本です。新書なのですぐに読めますのでおすすめです。

中野京子『名画で読み解く ブルボン朝 12の物語』(光文社新書)

『怖い絵』シリーズでおなじみ、西洋史研究家の中野京子さんによる著書です。絵画を通して、ブルボン朝の実態を読み解きます。ユニークな説明で、楽しみながら学べます。

中島智章『図説 ヴェルサイユ宮殿-太陽王ルイ14世とブルボン王朝の建築遺産-』(河出書房新社)

ヴェルサイユ宮殿が徹底的に解説された一冊です。豊富なヴェルサイユ宮殿の写真から、フランス絶対王政による権力や浪費の実態がよく分かります。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 絶対王政とは、王が国家の主権をもち、王直属の官僚と常備軍によって国家を統治する形態を指す
  • 王の絶対的な権力を正当化するために用いられた思想が「王権神授説」である
  • フランスの絶対王政下では「社団」という中間団体を介した間接統治があったという主張もある

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