政治史

【安政の大獄とは】背景・受刑者とその内容・影響をわかりやすく解説

安政の大獄とは

安政の大獄とは、江戸幕府の大老・井伊直弼に対して批判的な態度をとった多くの人物たちが弾圧されたことを指します。

安政の大獄は、後に桜田門外の変で井伊直弼が暗殺される事態を引き起こしました。一般的に、桜田門外の変が幕末政治過程の一大画期になったとされているため、日本の政治史を理解するために大事です。

この記事では、

  • 安政の大獄の背景・内容
  • 安政の大獄の影響

について詳しく解説します。

ぜひ読みたい所から読んで勉強に役立ててみてください。

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1章:安政の大獄とは何か

まず、1章では安政の大獄を概説します。2章では安政の大獄の影響に関して詳しく解説しますので、用途に沿って読み進めてください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:安政の大獄の背景

安政の大獄は、幕府の大老に就任した井伊直弼が強権を発動することで、幕府・朝廷・諸藩に関わらず、多くの人々が処罰された大弾圧事件です。

安政の大獄の背景を見ていくには、まずは安政5年(1858)の政治史を深く観察する必要があります。

日米修好通商条約の締結をめぐって、幕府では条約調印に際して勅許(天皇の許可)を得ることで、国内を納得させようと試みます。

こうした外交問題について、幕府は江戸時代を通じて独占状態にあり、朝廷や他の大名が介入することは出来ませんでした。その前提が崩れていくのが「幕末」という時代です。

勅許をめぐる問題

  • 日米間でも通商条約締結のための交渉が一応はまとまり、幕府としては条約勅許が行われれば問題はないはずであった
  • しかし、孝明天皇が条約勅許に否定の立場を表明したことで、事態は深刻化した
  • 老中首座・堀田正睦は自ら京都に赴き、条約勅許を要請するが、回答としては諸大名の意思をもう一度聞くようにという指示があった

つまり、通商条約の締結については幕府のみならず諸大名の間でも意見が分かれており、朝廷側としては幕府に意見を調整してからではないと勅許は出せないという立場を表明しました。

条約問題の一方で、将軍・徳川家定の跡継ぎをめぐる問題(将軍継嗣問題)も重要課題でした。

将軍継嗣問題をめぐる問題

  • 将軍継嗣に一橋慶喜(徳川慶喜)を擁立しようと積極的に動いていたのが越前藩であった
  • 越前藩主・松平慶永は腹心の橋本左内を使って朝廷工作を行ない、太閤・鷹司政通から賛意を得るなど成果を上げていた
  • こうした背景もあり、ちょうど上京していた堀田正睦に将軍継嗣を速やかに決定するように勅命も出した

幕府としては、条約問題ではなく将軍継嗣問題で勅命が出されてしまい、不本意だったと思われます。老中首座・堀田正睦は江戸に帰着し、松平慶永を大老にすることで事態の打開を図ろうと将軍・徳川家定に進言します。

しかし、家定は井伊直弼を大老とすることに決め、安政5年(1858)4月23日、井伊直弼が大老に就任しました。

日米修好通商条約の締結をめぐって、井伊直弼はあくまでも勅許を得るまでは条約調印を延期することを主張しますが、アメリカとの交渉役であった岩瀬忠震らは反対します。

こうして、6月19日に日米修好通商条約が締結されます。結果的に幕府は「違勅調印」(勅命を違えて外国と条約を調印した状況)となってしまいました。→日米修好通商条約について詳しくはこちら。

ここから、井伊直弼は強権を発動していくことで、混乱した秩序を取り戻していこうとするようになります。まずは、堀田正睦・松平忠固を老中から罷免します。

  • 特に、堀田は老中首座であり、京都における朝廷との交渉もやっていたので、責任を取らされるかたちで引導を渡された
  • さらに、「違勅調印」を批判し、江戸城に不時登城(無断で入城)して井伊直弼を責め立てた徳川斉昭・一橋慶喜・徳川慶勝・徳川慶篤らを処罰していった

さらに、将軍継嗣問題においては、まだ幼い紀州藩主徳川慶福(後の徳川家茂)とすることに決めます。

  • つまり、越前藩や薩摩藩が推していた一橋慶喜は斥けられる結果となった
  • 将軍継嗣が公表された直後に将軍・徳川家定は死去したため、次期将軍には徳川家茂が就くことになった

一方、朝廷では、「違勅調印」に激怒した孝明天皇が譲位の意思を示していました。さらに、天皇から「戊午の密勅」が幕府や水戸藩、そのほか12藩へも伝達されます。

戊午の密勅とは

  • 内容は条約の違勅調印と将軍継嗣問題で一橋慶喜を推していた人々に対する処罰を遺憾とし、日本内で争いがあってはいけないので一同が評定して「公武御合体」が遂げられるように徳川家を扶助せよ、というものであった
  • つまり、幕府のやり方を批判しつつも、これまで通りの秩序を保持してほしいということが記されていた

しかし、この「戊午の密勅」は大問題を引き起こすこととなり、さらに激しい弾圧が行われていくことになります。なぜならば、天皇の命令である勅命が幕府以外に出されるということが異例であり、この密勅が伝達された水戸藩は承諾する旨の請書を提出してしまいます。

従来の幕府の政治の在り方から逸脱する事態に、井伊直弼は「戊午の密勅」に関わった者たちの厳罰化を目指していきます。ここから、京都・江戸を舞台に水戸藩をはじめ、多くの藩士たちが捕縛されていくことになります。



1-2:安政の大獄の受刑者とその内容

「安政の大獄」は、公家・大名からその家臣まで幅広い層が処罰の対象となったことが特徴的です。それでは、処罰の対象となってしまった代表的な人物たちを見てみましょう。

1-2-1:大名

■ 徳川斉昭

徳川斉昭は元水戸藩主で、幕府の海防政策に参与していた人物です。後に最後の将軍となる徳川慶喜の父でもあります。

斉昭は、不時登城を行なって井伊直弼を批判したことで、謹慎の処分となり、最終的には永蟄居となりました。永蟄居とは、無期限の閉門・謹慎であり、切腹や改易(御家断絶)に次いで重い処分でした。

■ 一橋慶喜(徳川慶喜)

一橋徳川家の当主であり、後に最後の将軍となる徳川慶喜も井伊直弼のやり方を非難したことで隠居・謹慎処分となります。後に井伊直弼が暗殺され、文久期になると復権を果たし、幕末史の最重要人物と言っても過言ではない存在になっていきます。

■ 松平慶永

松平慶永は越前藩主で、家臣の橋本左内を派遣して朝廷工作を行ない、将軍継嗣問題では一橋慶喜を次期将軍に就けるために動いていました。井伊直弼を激しく非難したことで隠居・謹慎となってしまいます。

やがて、文久期には同じく処分を受けていた慶喜と共に復権を果たし、「政事総裁職」となって幕政改革を行ないます。幕末を通してとても重要な位置にいた一人と言えます。



1-2-2:大名家臣

■ 橋本左内

橋本左内は越前藩士であり、将軍継嗣問題では藩主松平慶永の命令で朝廷工作などを活発に行っていました。橋本は捕えられて斬首となっています。

橋本左内刑死について、幕臣の水野忠徳は「井伊大老が橋本左内を殺したるの一事、もって徳川氏を亡ぼすに足れり、いわんやその他を殺罰したるにおいてをや」と言っています2松岡英夫『安政の大獄 井伊直弼と長野主膳』(中央公論新社、2001年)4頁

つまり、後の幕府崩壊につながっていく要因は大老井伊直弼が橋本左内を殺したことに求められる、という幕臣の発言が残るほど橋本左内の刑死は衝撃的であったということです。

■ 安島帯刀

安島帯刀は水戸藩の家老です。「戊午の密勅」に関与したことで切腹になります。このほかにも水戸藩関係者は井伊直弼から斬首・獄門といった重い処分を受けており、御三家とは言え一大名に密勅が伝わってしまったことの衝撃が見て取れます。

■ 梅田雲浜

元小浜藩士であった梅田雲浜は、攘夷思想から条約調印を行なった幕府を批判し、捕縛されてしまいます。激しい拷問を受け、そのまま獄中で死んでしまいます。梅田雲浜の逮捕は、後に吉田松陰の逮捕にも関わってきます。

■ 吉田松陰

長州藩の吉田松陰は、日米修好通商条約の調印に憤慨し、老中の間部詮勝を討ち取る計画などを立てて藩政府を慌てさせ、長州藩内の野山獄に一旦は投獄されます。

梅田雲浜と面識のあった松陰は、梅田が逮捕されたことで幕府から目を付けられ、江戸へ護送されることになります。幕府からの取り調べでは、松陰は老中暗殺計画を自供し、斬首刑に処されてしまいます。

このほかに、朝廷へも処罰の手が伸びており、当時の大弾圧の様子を垣間見ることが出来ます。

青蓮院宮尊融法親王(後に中川宮朝彦親王)や右大臣の鷹司輔熈といった文久期以降に活躍する親王・公卿も処罰されており、安政の大獄は後に政治的に重要人物となっていく者たちをも多く処分対象としていることがわかります。

ちなみに、こちらの書物からは井伊直弼という弾圧した側の視点から学ぶことができます。

1章のまとめ
  • 安政の大獄とは、江戸幕府の大老・井伊直弼に対して批判的な態度をとった多くの人物たちが弾圧されたことを指す
  • 「安政の大獄」は、公家・大名からその家臣まで幅広い層が処罰の対象となったことが特徴的である

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2章:安政の大獄の影響

さて、2章では安政の大獄に関する学術的な議論を解説していきます。

2-1:安政の大獄の構造

井伊直弼は自らの政策に批判的な人物や秩序を乱すと見做した人物をとことん弾圧していきましたが、一見するとどのような基準で処罰を繰り返していたのか複雑に見えます。

松岡英夫は『安政の大獄 井伊直弼と長野主膳』(中央公論新社)にて、「大老井伊直弼の安政の大獄断行観の基底」として、4つの視点を挙げています3松岡英夫『安政の大獄 井伊直弼と長野主膳』(中央公論新社、2001年)3頁

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  1. 日米修好通商条約はじめ、諸外国との通商条約の締結という幕府政治の基本に対して妨害となる思想と行動への処罰と弾圧
  2. 将軍(嗣子)決定に対して幕府の秩序を乱す行動への処罰
  3. 京都朝廷における反幕派の一掃と、親幕の代表者である関白九条尚忠を擁護するための反九条派の弾圧
  4. 天皇の勅諚が水戸の徳川家にくだった水戸密勅事件が幕政の綱紀を乱すものとして、とくに水戸の関係者に対する厳罰が考慮されたこと

弾圧の前提は、内政・外交における秩序を乱す存在を封じることです。松岡の①の指摘とは相違しますが、外国との通商条約問題では、井伊自身が政権を担当する以前から外交を担当し、「違勅調印」を実行した者に責任を取らせるかたちで処罰しています。

これは、「鎖国」と表現される幕府の対外方針に大きな変更を加えたために、岩瀬忠震や川路聖謨を処罰したと言えます。

②~④は内政面での指摘です。将軍継嗣問題は、それまでは徳川将軍家の問題であったにも拘わらず、越前藩や薩摩藩が朝廷工作などを行うことで次期将軍を据えようという運動でした。それまでの秩序が変化していく兆しでした。

また、「戊午の密勅」も朝廷が内政面に介入することや幕府以外の諸藩に意思を伝達することは前代未聞でした。明らかに江戸時代に構築されていた政治秩序が崩れていく画期であり、井伊直弼はそれを食い止めるために苛烈な処罰を繰り返したと言えます。



2-2:安政の大獄の歴史的意義

安政の大獄は、後に桜田門外の変で井伊直弼が暗殺される事態を引き起こします。

宮地正人『幕末維新変革史 上』(岩波書店)をはじめ、数々の歴史書では、桜田門外の変が幕末政治過程の一大画期になったと論じています。

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さらに宮地は、桜田門外の変を契機として一挙に政治の底辺が拡大し、藩命・君命を用いず、藩域を超えた横の連携による国事運動が政治舞台に躍り出てくるとし、「処士横議」の時代が始まったと指摘しています4宮地正人『幕末維新変革史 上』(岩波書店、2012年)224頁

つまり、それまでの幕府・朝廷・大名・幕臣・一部の在野人たちを中心とする政局に、藩連携による政治変革の動きが加わっていったということになります。

桜田門外の変は、水戸・薩摩を脱藩した人間たちによって起こされました。後の薩長同盟などの藩域を超えた政治連携の伏線も見て取れるでしょう。

安政の大獄による井伊直弼の強権発動は徳川将軍家による体制を維持するためでしたが、反動として秩序が崩壊していく契機になりました。

安政の大獄は桜田門外の変と合わせて見ていくことで、徳川将軍家による内政・外交が自明のものではなくなっていく一つの画期がわかります。

2章のまとめ
  • 弾圧の前提は、内政・外交における秩序を乱す存在を封じることである
  • それまでの幕府・朝廷・大名・幕臣・一部の在野人たちを中心とする政局に、藩連携による政治変革の動きが加わっていった

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3章:安政の大獄について学べるおすすめ本

安政の大獄を専門的に論じた書籍は決して多くはありません。主に通史叙述から歴史的位置づけを学んでいくと良いと思います。

おすすめ書籍

吉田常吉『安政の大獄』(吉川弘文館)

安政の大獄の専門的研究と言えばこの一冊です。条約調印問題や将軍継嗣問題、そして井伊直弼など同事件を軸にあらゆる論点が見えてくることでしょう。

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松岡英夫『安政の大獄』(中央公論新社)

井伊直弼・長野主膳という弾圧した側の視点から安政の大獄を学ぶことができます。新書なのでとても読みやすく、井伊直弼や長野主膳の動向も簡潔にまとめられています。

宮地正人『幕末維新変革史 上』(岩波書店)

幕末維新史を通史的に学ぶことができます。大局的な政治動向のなかで、安政の大獄・桜田門外の変についても詳細に検討が加えられています。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 安政の大獄とは、江戸幕府の大老・井伊直弼に対して批判的な態度をとった多くの人物たちが弾圧されたことを指す
  • 弾圧の前提は、内政・外交における秩序を乱す存在を封じることである
  • それまでの幕府・朝廷・大名・幕臣・一部の在野人たちを中心とする政局に、藩連携による政治変革の動きが加わっていった

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