政治史

【ホームステッド法とは】内容やインディアンへの影響をわかりやすく解説

ホームステッド法とは

ホームステッド法(Homestead Act)とは、1862年にアメリカ合衆国大統領エブラハム・リンカーンが公布した西部での農民創出法のことです。

ホームステッド法はアメリカが西部へと進出していく際、重要な意味をもった法律です。そのため、当時の社会的な背景と制定の歴史を理解することをオススメします。

この記事では、

  • ホームステッド法の内容
  • ホームステッド法の背景
  • ホームステッド法の影響

をそれぞれ解説していきます。

あなたの関心に沿って読んでみてください。

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1章:ホームステッド法とは

まず、1章ではホームステッド法の「内容」「背景」「タウンシップ制との違い」をそれぞれ解説していきます。

2章ではホームステッド法の影響を解説しますので、関心に沿って読み進めてください。

1-1: ホームステッド法の内容

冒頭の確認となりますが、ホームステッド法とは1862年にアメリカ合衆国大統領エブラハム・リンカーンが公布した西部での農民創出法のことです。

より詳しくいえば、ホームステッド法とは、

  • 21歳以上の市民であれば誰にでも160エーカーの公有地を提供する法律
  • アメリカ市民が最低6カ月間その土地に居住し開墾すれば、1エーカーあたり1.25ドルの支払いで所有権を取得できる
  • また、その市民が5年間その土地に居住し開墾すれば、無償でその土地の所有権も取得できる

というものでした。

ちなみに、1エーカーは4,046.86m2で、160エーカーだと 647, 497.6 m2になります。



1-2: ホームステッド法制定の背景

ホームステッド法の内容自体はそれほど重要ではないかもしれませんが、この法律が制定される社会的な背景はしっかり押さえる必要があります。

それはアメリカの西部進出や南北戦争などに、ホームステッド法が大きな意味をもつからです。それぞれ解説していきます。

1-1-1: 移民の流入と西部進出

ご存じの通り、アメリカ合衆国は歴史上かってないほどさまざまな地域から移民を大量に受け入れてきた国です。

榊原胖夫と加藤一誠(著)の『アメリカ経済の歩み』では、人口の増加が以下のように述べられています。

植民地時代から1860年までは人口は、ほぼ23年ごとに2倍になっていきました。1650年の人口が5万人、1776年米国が独立してから14年後の1790年には390万人、南北戦争時には約3,000万人でした。

榊原・加藤 2011『アメリカ経済の歩み』(文眞社, 9頁)を参照

詳細な歴史の記述は省略しますが、重要なのは独立を達成したアメリカは広大で未開な辺境の地(西部のフロンティア)への進出を目論んだことです。

それは西部開拓の観点からいえば、ホームステッド法の制定は拡張主義の勢いをより加速させるものだったからです。

西部拡張のイデオロギーとなったのは「マニフェスト・デスティニー」です。簡単にいえば、西部拡大は神に与えられた使命であると考える思想です。

→より詳しくは、【マニフェスト・デスティニー】の記事へ



1-1-2: 南北の対立と戦争

積極的に西部開拓を進めてきたアメリカでしたが、独立から80年以上が経過し、併合する州が増えるのにつれて、北部と南部との経済的な利害が対立するようになっていきました。

具体的には、以下のような違いがありました。

アメリカ北部

  • 主要産業は商工業であり、1860年代のアメリカ製品はヨーロッパの製品に対して品質は近づきつつあった
  • 自国産業を守りさらに発展させていくために外国から輸入される製品には高い関税をかける保護貿易を求めていた
  • また、製品を作り出す工業において重要なのは物を作り出す機械であり、特に奴隷制度を維持しなければならない状況ではなかった

一方でアメリカ南部では以下のような特徴がありました。

アメリカ南部

  • 主要産業は綿花栽培など黒人奴隷の廉価な労働力を使って世界市場に向けて特産農産物を大量に生産するプランテーション農業
  • 特に綿花はヨーロッパに輸出されていたために、南部地域の人々は輸出制限を受けにくい自由貿易を求めていた

このような南北の対立が顕著になるなか、1860年11月6日に共和党から出馬したエブラハム・リンカーンが選挙戦に勝利します。

すると、翌月サウス・カロライナ州(南部)は州大会を開催し、満場一致でアメリカ合衆国連邦から脱退することを決定しました。1861年2月にアメリカ合衆国から離脱し、7つの州によって成るアメリカ連合国(Confederate States of America)を設立することなります。

これらの州の特徴は、

  • 南部の大プランターの支持を受けたこと
  • 黒人奴隷制度の維持と拡大
  • ヨーロッパへの輸出拡大を目指す自由主義貿易
  • 反連邦主義(州権主義)

などの共通理念があります。

そして、民主党員のジェファソン=デヴィスをアメリカ連合国の大統領に選出され、2か月後の4月に、南北戦争の火ぶたが切られます。(*戦争と共に、ヴァージニア、アーカンソー、テネシー、ノースカロライナ4州が加わり、アメリカ連合国は11の州で構成されることになりました)

そして、南部の11州が去ったアメリカ合衆国議会の中で「ホームステッド法」は可決され、1862年に公布されました。

当初、南北戦争の戦況は南部優勢で進んでいきましたが、「ホームステッド法」という西部農民への優遇措置を公布したことで、西部地域の人々が北部の共和党を支持するようになり、戦況は北部の合衆国側が有利になっていきました。

さらに1863年リンカーンが「奴隷解放宣言」をしたことで、世論は北部側を支持するようになっていきます。

同年7月には、北軍はゲティスバーグの戦いに勝利すると戦況は決定的になり1865年に北軍の勝利で南北戦争は終結します。



1-1-3: ホームステッド法の制定以前

ちなみに、アメリカの公有地を無償で払い下げ、独立自営農民(ヨーマン)を増やしていこうとする活動は、1840年代からアメリカ国内で始まっており、1850年代には、ホームステッド法の議案が何度も議会に提出されました。

しかし、西部に自由農民が増えることに対して南部は以下のような理由から反対しました。

  • 西部に自由農民が増えること南部での人口増加を妨げることである
  • また、北部と西部が経済的結合を形成することは南部にとっては不利なことである

しかし、1861年2月に南部の州がアメリカ合衆国から脱退したことにより、議会では、ホームステッド法の賛成派が多数を占めるようになり本法案が可決されたのです。

1-3: ホームステッド法とタウンシップ制との違い

さて、ホームステッド法はタウンシップ制としばしば比較されますので、両者の違いに注意が必要です。ここでは、簡潔に解説します。

1-3-1: タウンシップ制とは

そもそも、タウンシップ制とは、

アメリカ政府が公有地法の中で示した土地区画制度の考え方と測量方法などのこと

を指します。

この公有地条例では、まず、アパラチア山脈の西、オハイオ川の北、ミシシッピ川の東の土地を10の邦(state)に区分するを規定しました。

そして、その後は以下のような細かい規定から土地区画がされていきます。

  • 邦(state)はいくつかの群区(township)から構成されるように規定
  • 土地の測量上、ひとつのタウンシップは一辺が6マイル(9.7km)の正方形として計算
  • 1つのタウンシップには、36の街区(Section)から構成されるように計画
  • ひとつのセクションは一辺が1マイル(1.6km)の正方形と規定したため、街区(1セクション)の面積は1.6km×1.6kmで2.56km2になる(東京ドームの面積が、0.468km2だから、一つの街(セクション)は東京ドーム6、7個分の大きさになる)

日本の京都が碁盤の目になるように計画されたように、新しくできる邦(state)も碁盤の目になるようにアメリカ政府は計画し公有地法の中で定めたのです。

また、公有地法において36街区(Section)中、1街区(Section)は公的な教育施設に割り当てるように定めており、1つのタウンシップの中の1セクションは教育施設を建てるように計画していました。



1-3-2: ホームステッド法との違い

ホームステッド法の最大の特徴は、5年間その土地に居住し開墾すれば無償でその土地の所有権を取得できるという点です。

国家財政確保に苦慮していたアメリカ政府にとって、公有地売却による収入は重要な財源であったため、ホームステッド法以前の公有地は有償でした。

  • 1785年・・・1エーカー(約4,000平方メートル、約60メートル四方)あたり1ドル
  • 1796年・・・1エーカーが2ドル
  • 1804年・・・農民たちの不満により価格を下げ、1エーカーあたり1.64ドルになりました。
  • 1820年・・・1エーカーが1.25ドル

このようにみると。ホームステッド法の5年間の開墾で無償という法律はヨーロッパの人々をもひきつけるほどの有利な法律であったといえます。

1-3-3:  ホームステッド法以前の法律

ちなみに、アメリカ政府が公有地の測量方法と売却価格の規定を初めて定めたのは、ホームステッド法成立の77年前の1785年のことでした。

「公有地法」または「公有地条例」とも言われるこの法律の英語名称は「Land Ordinance of 1785」といいます。公有地法は何度か修正が加えられましたが、ホームステッド法成立までの公有地についての有効な法律であり続けました。

1章のまとめ
  • ホームステッド法とは、1862年にアメリカ合衆国大統領エブラハム・リンカーンが公布した西部での農民創出法のことである
  • ホームステッド法制定の背景には、西部進出や南北戦争などの社会背景がある
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2章:ホームステッド法の影響

さて、2章ではホームステッド法がアメリカ社会に与えた影響を「西部開拓」「インディアン」の項目からみていきましょう。

2-1: 西部開拓への影響

まず、ホームステッド法の影響として「西部開拓」を挙げることができます。

移民を西部に向かわせた理由にはヨーロッパにおいて飢饉が発生したり、各国が政治的に不安定になったりなどの多様な要素が考えられますが、ホームステッド法の成立が移民を引き付ける一因となったことは間違いがありません。

簡潔に歴史を述べると、

  • 最初に辺境の地へ入って行ったのは、ロッキー山脈やカリフォルニアにおける鉱山開発
  • 次いで、牛の放牧業者がグレートプレーン西側の乾燥地帯へ入った
  • 1870年以降は、乾燥地帯における農業開発も盛んに行われるようになった(農機具が改善され、乾燥農法と共に乾燥に耐えうる品種が発明される)

といった展開があります。

当初、独立自営農民を増やすことを目的にしたホームステッド法でしたが、ロッキー山脈の西側の土地には不毛な土地も少なくなく、20世紀に入って大規模な灌漑計画が実施される以前は広大な土地であっても収益があげられないこともあったといわれています。

経済学的な観点からいえば、

  • 西部が発展し人口が増えることは東部を中心とする工業生産地の製品の市場が拡大することを意味した
  • アメリカ国内で工業と農業の両方をまかなえる構造を作り出すことができ、外国に依存する必要のない自立的な国家として発展を続けることが可能になった

といえます。



2-2: インディアンへの影響

ホームステッド法の成立により多くの移民が西へと膨張していきましたが、不利益を被ったのは先住民であるネイティブ・アメリカンです。

ここでは大規模な争いに発展していった南北戦争中からの先住民との戦闘を紹介します。

1622年から1890年に至る期間の白人入植者による先住民の征服戦争は「インディアン戦争(Indian Wars)」と総称で呼ばれます。当初は小競り合い程度の争いであったものが大規模な戦闘状態に突入していったのは、南北戦争が開始され、ホームステッド法が成立して以降のことでした。

なかでも、ダコタ戦争(Dakota War)はとても有名です。概要は以下のとおりです。

  • 南北戦争が起きる10年前の1851年、ミネソタに居住していたダコタ・スー族は、長く狩猟場としていた地域をお金と引き換えにアメリカに譲渡した
  • その一方で、毎年政府から年金として小麦粉などの食料の配給を受けることに同意し、狭い居留地に強制的に移住させられた
  • 1862年には居留地事務所からの食糧配給も滞りがちになりダコタ・スー族は飢餓状態に陥る中、4人のダコタ・スー族の戦士が白人農場主ともめごとを起こし農場主の一家を殺害した
  • ダコタ・スー族は、4人の殺害者を合衆国の地方政府に引き渡すよう求められ、族内で協議を行うものの部族の不満は最高潮に高まり白人と交戦が開始された
  • 戦いはミネソタ州全土で6週間続き、アメリカ軍の兵士と入植者の死者は500名におよんだ
  • 一方で、先住民側の死者数は把握されていないものの最終的には合衆国軍に鎮圧され、303名の先住民が殺人者として告訴され軍法法定で死刑の判決を受けた
  • その後、エブラハム・リンカーンはミネソタ州からすべてのスー族を排除することを宣言し、先住民と交わしていた居留地の契約も解消し領土を没収した

その後も白人とインディアンとの闘争は続き、各部族単位で活動していた先住民たちが連合を組み合衆国軍のカスター中佐の第7騎兵隊を全滅させるような戦いもありましたが、1890年には戦闘状態は完全に終結しました。

インディアン戦争が終結した年は、合衆国の国税調査局長が1890年にフロンティアラインの消滅を報告した年と一致しますが、これは偶然のことではありません。

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3章:ホームステッド法の学び方

ホームステッド法を理解することはできたでしょうか。

ホームステッド法が施行された時代とは合衆国の西部開拓の時代と言い換えることもできます。今回はこの時代の雰囲気やフロンティアラインが西に移動していく様子をイメージするのに有益な本を含めて、おすすめ本を紹介します。

おすすめ書籍

オススメ度★★★ 古矢旬『アメリカニズム―「普遍国家」のナショナリズム』(東京大学出版会)

アメリカ史をアメリカの視点から理解するの重要な本です。アメリカ史を専門とするならば、読んでおきたい本。

オススメ度★★★ フレデリック J. ターナー『アメリカ史における辺境』(北星堂書店) 

歴史学者であるターナーは西部への爆発的な人々の移動を統計を用いて丁寧にに説明し、街が創設される際に誰が最初に訪れ、どのような職業の人々がどの順番で街に入ってくるかを明らかにしています。

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オススメ度★★ ジョン・スタインベック『怒りの葡萄(The Grapes of Wrath)』(新潮文庫) 

初版が1939年に出版された「怒りの葡萄」は1940年にピューリッツァー賞も受賞した米国の小説です。舞台は1930年代の大恐慌の時代のオクラホマの農家で、西に対しての夢と現実の差が描かれたおすすめの作品です。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • ホームステッド法とは、1862年にアメリカ合衆国大統領エブラハム・リンカーンが公布した西部での農民創出法のことである
  • ホームステッド法はタウンシップ制としばしば比較されるため、両者の違いに注意が必要である
  • ホームステッド法は西部開拓やインディアンとの関係で影響を与えた

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