ジェンダー論

【ポストコロニアルフェミニズムとは】特徴や具体的な運動からわかりやすく解説

ポストコロニアルフェミニズムとは

ポストコロニアルフェミニズム(Postcolonial feminism)とは、西欧白人男性中心主義の言説ならびにフェミニズムの言説にはらまれた権力関係を批判的に考察する実践です。

人種、階級、ジェンダー、エスニシティ、その他のさまざまな差異のなかで、すべての女性があらゆる抑圧から解放されるには一体どうしたらいいのか?

今回はポストコロニアルフェミニズムをキーワードに、その巨大な問いについて考えていきたいと思います。

この記事では、

  • ポストコロニアルフェミニズムの背景や特徴
  • ポストコロニアルフェミニズムの具体的な運動

をそれぞれ解説していきます。

関心のある所から読み進めてください。

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1章:ポストコロニアルフェミニズムとは

1章ではポストコロニアルフェミニズムを「背景」「特徴」から概説します。ポストコロニアルフェミニズムの具体的な運動を知りたい場合は、2章からお読みください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:ポストコロニアルフェミニズムの背景

「ポストコロニアルフェミニズム」……なんだかカタカタばかりでとっつきにくいかもしれませんが、ポストコロニアルフェミニズムとは、「ポストコロニアリズム」と「フェミニズム」が組み合わさったものであるという点をまず押さえておきたいと思います。

1-1-1:ポストコロニアリズムとは

まず、前半のポストコロニアリズムとは何かをおさらいしておきましょう。ポストコロニアリズムとは、植民地主義の遺産や新植民地主義の状況を批判的に考察する実践のことを指します。

ポストコロニアリズムの基本認識をひとつ挙げると、第二次世界大戦後の約20年間でなされたアジアやアフリカなどの旧植民地の独立は、「歴史的な出来事」ではなく「現代までつづく過程」であるというものです。

  • 植民地はなくなったのに、西側諸国と旧植民地の差異は埋まらず、黒人や第三世界の人びとへの差別はつづいている
  • 時代は下っても一方は富み、一方は貧困にあえぐという固定化された状況に対し、「植民地主義は終わっていないではないか!」という第三世界の人びとからの異議申し立てが、ポストコロニアリズムの思想的な背景にある
  • 要するに、接頭辞の「ポスト」は終わったものを指すのではなく、植民地の独立後も支配との闘いが現在進行形でつづいていることを指す

ポストコロニアル研究の原点はエドワード・サイードによる『オリエンタリズム』(1978)であり、1990年代に日本に普及しました。

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サイードはポスト構造主義の影響を受けて、文芸批評や文化批判という言説分析を中心に、植民地主義が文化や社会、アイデンティティにいかに浸透しているのかを明らかにしようとしました。

※ポストコロニアリズムに関してはこちらで詳しく解説しています→【ポストコロニアリズムとはなにか】定義や代表的な理論を簡単に解説

1-1-2:フェミニズム

1980年代に入るとそこにフェミニズムが接合し、いよいよポストコロニアルフェミニズムが登場します。

フェミニズムは、ひと言でいうと女性解放運動です。近代以降、第一波フェミニズム、第二波フェミニズムを経て、家父長制や資本主義などさまざまな抑圧からの女性の解放を目指した思想であり運動でした。

それぞれのキーワードと、ジェンダー論のカテゴリーにはこちらから飛ぶことができます。

→第一波フェミニズムの記事へとぶ

→第二波フェミニズムの記事へとぶ

→家父長制の記事へとぶ

→ジェンダー論のカテゴリーへとぶ

「個人的なことは政治的なことである」というスローガンを掲げた第二波フェミニズムが1960年代後半に誕生すると、次第に「私たちを『女』から取りこぼしている!」という異議申し立てが非白人のフェミニストたちから発せられるようになります。



1-2:ポストコロニアルフェミニズムの特徴

では、ポストコロニアルフェミニズムの思想的特徴とはどのようなものでしょうか?

それはひと言でいえば、従来的なフェミニズムが内面化していたレイシズム、階級性に光を当て、それが限定的なフェミニズムに過ぎなかったことを明らかにする点にあるということができます。

1-2-1:これまでのフェミニズムの捉え直し

たとえば、黒人女性の観点からこれまでのフェミニズムの歴史をふりかえると、以下のようにいえます2鄭暎惠 1997「フェミニズムのなかのレイシズム」江原由美子・金井淑子編『ワードマップ フェミニズム』新曜社 89−113頁

  • 第一波フェミニズムは、奴隷制廃止運動における黒人女性たちの取り組みに端を発した運動でもあった
  • しかし女性参政権運動に代表される第一波フェミニズムの内部では、公然と白人女性による黒人女性への人種差別主義が横行していた
  • 白人女性にとって、人種差別との闘いよりも、自分たち自身の解放が優先され、黒人のフェミニストによる優れた運動はフェミニズムの歴史から消されていった

さらに「公民権運動の影響を受けて生まれた」という語られ方をする第二波フェミニズムも、そもそも公民権運動自体が1955年にバスの座席移動を拒否したローザ・パークスという黒人女性の逮捕をきっかけに展開したものでした。

そして、その後も、黒人の女性リーダーたちが先頭に立ち、牽引した運動でした。

これについて鄭暎惠は、次のように述べています。

  • 白人至上主義によらずに考えれば、第二波フェミニズムは、「ベティ・フリーダンが白人中産階級の主婦たちの悩みに焦点を当てた本を出版した1960年代後半からはじまった」という定説は覆される
  • そして、「1955年の公民権運動からはじまった」と訂正すべきである

第一波、第二波ともにフェミニズムは、それぞれ奴隷制廃止運動、公民権運動という市民権獲得を目指した黒人解放運動をきっかけとしているのですから、鄭のポストコロニアルフェミニズムの立場にのっとった解釈は正鵠を射ているといえます。

このように、ポストコロニアルフェミニズムは、白人中産階級女性の経験に占有された、ひとくくりの「女」というカテゴリーからはじき出された、多様な人種、エスニシティ、階級、セクシュアリティ、ジェンダーなどによる差異をいかに表象できるかを課題としています。



1-2-2:サバルタンは語ることができるか?

ポストコロニアルフェミニズムの代表的な論客として、ガヤトリ・スピヴァック、レイ・チョウ、シャンドラ・モハンティ、トリン・T・ミンハが挙げられます。

スピヴァックのサバルタン論は、ポストコロニアルフェミニズムを理解するために大変重要な議論となりますので、重点的に解説してきます3スピヴァック、ガヤトリ 1998 『サバルタンは語ることができるか』みすず書房; 菊池夏野 2010 『ポストコロニアリズムとジェンダー』青弓社

サバルタンとは、インド独立後もインド社会で抑圧される貧農や労働者、不可触民たちのことを指します。

ラナジット・グハらの古典的マルクス主義にもとづくサバルタン研究集団は、サバルタンを自律的な意識と意思をもった抵抗する主体として描き、サバルタンの歴史を回復しようと試みました。

しかし、フランスのポスト構造主義者であるジャック・デリダの研究で知られたインド出身のスピヴァックは、サバルタン研究に対して以下のような異論を唱えます。

  1. エリートたちの言説的支配が見落とされている
  2. サバルタンの内的な多様性が隠され一枚岩の主体として表現されてしまう
  3. サバルタンの女性についてほとんど言及されていない

このようにスピヴァックは、歴史から排除され、沈黙させられ、周縁化されてきたサバルタンを知識人が代弁するときに現れる、「知」と「権力」の共犯関係を鋭く突きました。

ここで重要になってくるのが、立場(ポジショナリティ)という考え方です。

立場(ポジショナリティ)という考え方

  • 西側諸国からやって来た研究者が、「宗主国の」「エリート」であるというような自らの立場を省みずに弱者を代弁することは、サバルタンを搾取する行為であり、第三世界の主体の内在的な抑圧につながる
  • 一方で、構造的に抑圧された人間は、自分のために語ることはできない

スピヴァックは複数の女性の声に耳を傾けながら、ジェンダー化されたサバルタンの声は常に語られているにもかかわらず、常に聞き取られなかったことを明らかにします。

だからこそ、これまで無視されてきた沈黙に注目し、声がかき消される過程の権力関係を自覚的に見すえる重要性を説いたのです。

このように、みずからの特権的位置をあえて自覚し突き崩していくことで、「知」と「権力」の共犯関係を脱構築していこうとするスピヴァックの研究は、ポストコロニアルフェミニズムの展開にとてつもなく大きな影響を与えました。

1章のまとめ
  • ポストコロニアルフェミニズムとは、ポストコロニアリズムとフェミニズムが組み合わさったものである
  • ポストコロニアルフェミニズムとは、西欧白人男性中心主義の言説ならびにフェミニズムの言説にはらまれた権力関係を批判的に考察する実践である
  • 代表的な議論として、ガヤトリ・スピヴァックの「サバルタン論」が挙げられる
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2章:ポストコロニアルフェミニズムの具体的な運動

さて、2章では、ポストコロニアルフェミニズムのより具体的なケースを見ていきます。

2-1:女性性器切除(FGM)問題

1980年、コペンハーゲンで行われた国連「女性の10年」中間年会議において、女性性器切除(FGM)4女性器切除(FGM)とは、女性の外性器の一部または全体を切り取る行為で、女子割礼とも呼ばれる。(朝日新聞デジタル https://digital.asahi.com/articles/ASN6842K4N5HUHBI00L.html )をめぐり白人女性と黒いチャドルをまとったアラブの女性が激しい口論をはじめました。

岡真理は当時の光景について、「白人女性」側にいた当事者である、アメリカ人ジャーナリストのフラン・ホスケンの記述を紹介します5岡真理 1998 「『同じ女』であることは何を言いするのか−−フェミニズムの脱構築に向けて」江原由美子編『性・暴力・ネーション』勁草書房 221頁

セナガルの首都ダカールにあるマリー・アンジェリケ・サバネが率いる婦人団体、「研究と発展のためのアフリカ女性連合」(AAWORD)は(…)生殖器切除についての討論に抗議し、私の集会のひとつをつぶしてしまった。彼女たちは切除で傷ついた子どもたちに援助の手を差しのべたといって、ユニセフを批判することまでしたのである!(…)サバネは(…)「彼女たちの重要なときを(…)楽しみに待っている小さな少女に、どんな代わりのものを与えることができるのか」といって、女性の生殖器切除を保護する論文を発表した。

つまり、FGMを「野蛮」で「後進的」な暴力行為であると国際舞台で高らかにアピールする西洋のジャーナリストに対し、当事者である第三世界の女性たちが反旗を翻したのです。

そのためか、上記の引用文からは、善行によって感謝をされて当然なのになぜ?という不意打ちを食らったホスケンの驚きと怒りがよく表れています。

これについて岡は、会議におけるアフリカの女性たちの反応は、FGMを保護したいからではなく、「野蛮」で「後進的」であるというホスケンらのまなざしにある西洋中心主義と反イスラム感情に向けられた、抗議こそが理由であったと解釈します。

実際、西側のフェミニズムによるFGMの論じ方は、以下のような特徴をもっています。

  • 手術が行われる当該社会の政治的、経済的、歴史的コンテキストをいっさい無視している
  • それによりFGMを、当該社会の家父長制や文化であると本質化してしまう
  • その結果、歴史的・地域的多様性とさまざまな階級的経営条件において行われるFGMに関わる人びとの思いを無視し、「加害者」としてステレオタイプ化する
  • アフリカ女性が被る政治的・経済的問題を不問に付す

このような西洋のFGM観は、第三世界の女性たちへの言説的暴力であり、植民地主義的な関係性を再生産するものであると、岡は痛烈に批判します。

要するに、

  • 西側の女性たちが第三世界の女性たちに向ける「同じ女」というまなざしは、その他の差異をおおい隠す暴力性を持つ
  • 特に、マジョリティという立場を生きる者たちこそ、それを自覚する必要がある

のです。

その後、アフリカの女性たち自らの運動やさまざまな論争を経て、2012年、国連総会は人権侵害として女性器切除を禁止する決議を採択しました。

ジャーナリストの伊藤詩織さんが制作し注目を集めたドキュメンタリー6伊藤詩織「世界で2億人の女性が経験している女性器切除の実態とは?伝統を断ち切ろうと立ち上がった女性たち」Yahoo! Japan クリエイターズhttps://creators.yahoo.co.jp/itoshiori/0200035892をはじめ、現在もFGM廃絶は国際的なイシューとして定着しています。

フェミニズムが、女性の解放のための思想や運動であったならば、そこで前提とされる「女性」とはいったい誰のことを指すのか−−第三世界の女性たちから投げかけられた本質的な問いに、フェミニズムはまだ明確な答えを出すことができていません。



2-2:日本のポストコロニアリズム

つづいて、日本の状況について見ていきましょう。植民地主義は、日本ではもう終わったことなのでしょうか?これについては、大きく「いいえ」といわざるを得ない状況が広がっていることは、みなさんの多くが認めるところかと思います。

アンチ・フェミニズムのページでも紹介していますが、1990年代後半からはじまった日本軍「慰安婦」問題へのバッシング(=バックラッシュ)は、日本で歴史修正主義が浸透する大きなきっかけとなった出来事でした。

現在では徴用工問題が「歴史戦」の熱を帯びてきていますが、ポストコロニアルフェミニズムを考えるために、この節では沖縄について取り上げてみたいと思います。

ひとつ確認しておきたいのは、沖縄がこれまで法的に日本の植民地であったことは一度もないということです。

しかし、1872年から1879年にかけて行われた日本政府による琉球併合(琉球処分)以来、以下のような理不尽な国策が沖縄に押しつけられてきました。

  • 皇民化教育による同化政策
  • 県民の4人に1人が亡くなった地上戦を伴う沖縄戦
  • サンフランシスコ講和条約における沖縄の切り捨て
  • 日本国憲法の及ばない戦後の米軍施政権下の27年
  • 日本復帰後もなお残る在日米軍の圧倒的な基地負担と被害

つまり、沖縄は、近代以前は琉球王国という独立した国だったにもかかわらず、併合後、対等な人間として扱われてこなかったのです。

そして、1995年に沖縄本島北部で起きた米海兵隊員による少女暴行事件をきっかけに、沖縄の市民や政治家から「県外移設」の主張が誕生します。その論理を大づかみに説明すると、以下のような流れになります。

「県外移設」の論理

  • 沖縄に基地被害が集中するのは、0.6%の小さな沖縄県に7割以上もの在日米軍基地が偏在しているから
  • 米軍の駐留を認めた日米安保体制を支持し、戦争を放棄した憲法9条による平和と安全の恩恵を受けているのは、「本土」に暮らす日本人である
  • 「本土」は沖縄に基地負担を押し付け、リスクとコストを払わないのは不公平であり、差別である
  • 沖縄県外の「本土」でも、少しは米軍基地を負担するべきではないか

このような沖縄の人たちの切実な声に、初めて本格的な思想表現を与えたのが、沖縄出身の社会学者である野村浩也でした。

野村は2005年に『無意識の植民地主義』を出版し、沖縄の基地被害における「本土」の日本人の無関心の背景には植民地主義があり、沖縄の基地偏在はその結果であると論じました。

そして、日本人が植民地主義を止めるためには、「本土」で基地を引き取る必要があると主張したのです。

沖縄における米軍基地の引き取りに関しては、高校生でも読める以下の本がおすすめです。

これに対し、「本土」のフェミニストから「性暴力も引き取るのか?」という批判が寄せられます。

つまり、「性暴力をはらむ危険な基地を沖縄から日本「本土」に分散したら、性暴力を引き取ることにつながる。そんな責任は取れないから、在日米軍基地の「全基地撤去」の道しかない」という主張です。

これについて、「県外移設」を唱える沖縄のライター・知念ウシは、こう問いかけます。

なぜ、日本人女性は同じように問われないのでしょうか。

「沖縄人の女性や子どもを犠牲にして米兵から性暴力を(かなり高い割合で)受けないで済む利益を得てきた責任を、あなたはどう取りますか」と7知念ウシ 2013 『知らんフーナー(知らんふり)の暴力』未来社 56頁

日本人の8割という圧倒的多数が日米安保体制を支持している現状において、「全基地撤去」はきわめて困難な目標設定であると言わざるを得ません。

そのような状況において、上記の問いは次のような意味をもちます。

  • その目標が実現するまでの間、沖縄の女性たちへ向けられた日々の暴力の責任を、「本土」に住む人間は取れるのかという痛烈な問いかけである
  • 沖縄の女性たちに向けられたその暴力は、日本全体の平和と安全を守るための引き換えのものであるからこそ、なおさら鋭く突き刺さる

FGMをめぐってアメリカのジャーナリストとアフリカの女性たちとが争ったように、沖縄の米軍基地においても、女性を「同じ女」とみなすフェミニズムと、植民者/被植民者とを分かつ植民地主義という変数がせめぎ合っています。

ポストコロニアルフェミニズムが、従来的なフェミニズムが内面化していた限定性を明らかにする実践であるならば、まさに沖縄の米軍基地をめぐる問題は、ポストコロニアルフェミニズムによって現在進行形で私たち日本人が突きつけられている問題であるということができます。

人種、階級、ジェンダー、エスニシティ、その他さまざまな差異のなかで、すべての女性があらゆる抑圧から解放されるためには一体どうしたらいいのか。問われているのは、いまを生きる、私たち自身なのです。

2章のまとめ
  • ポストコロニアルフェミニズムの代表的な議論に、女性性器切除(FGM)問題がある
  • 西側の女性たちが第三世界の女性たちに向ける「同じ女」というまなざしは、その他の差異をおおい隠す暴力性を持つ
  • 日本のポストコロニアルフェミニズムのケースに日本軍「慰安婦」問題、沖縄の米軍基地問題などが挙げられる
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3章:ポストコロニアルフェミニズムを学ぶためのおすすめ本

ポストコロニアルフェミニズムについて理解が深まりましたか?

この記事で紹介した内容はあくまでもきっかけにすぎませんので、下記の書籍からさらに学びを深めてください。

おすすめ書籍

スピヴァック、ガヤトリ『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房)

ポストコロニアルフェミニズムにおける最重要の一冊。サバルタンの女性について、知識人が植民地的主体を他者として構成する「認識の暴力」を問いただしました。

菊池夏野『ポストコロニアリズムとジェンダー』(青弓社)

占領期沖縄の売買春と日本軍「慰安婦」問題を事例に、売買春や戦争と女性など論争的なテーマについてポストコロニアルフェミニズムの分析視覚で切り込む意欲的な一冊。

江原由美子(編)『性・暴力・ネーション』(勁草書房)

女性兵士、日本軍「慰安婦」、FGM、という誰もが部外者ではいられないテーマを上野千鶴子、江原由美子、岡真理など錚々たるメンバーが問題提起しています。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • ポストコロニアルフェミニズムとは、西欧白人男性中心主義の言説ならびにフェミニズムの言説にはらまれた権力関係を批判的に考察する実践
  • 西側の女性たちが第三世界の女性たちに向ける「同じ女」というまなざしは、その他の差異をおおい隠す暴力性を持つことを指摘した

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