『代議制統治論』(Considerations on Representative Government)とは、19世紀イギリスの思想家J.S.ミルが、代議制統治という政治制度について論じた著作です。ミルはこの著作において、代議制統治が最善の統治形態であることを論証しようとしました。
当時のイギリスの具体的な政治制度とその改革を念頭に置いて書かれたものですが、現代の政治制度を考えるうえでも触発されるところの多い、示唆に富む著作です。
そこで、この記事では、
- 『代議制統治論』の背景知識と要約
- 『代議制統治論』に関する学術的議論
をそれぞれ解説していきます。
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1章:『代議制統治論』とは
1章では、『代議制統治論』の背景知識を解説し、それから内容を大まかに要約します。2章では具体的な学術的議論を解説しますので、用途に合わせて読み進めてください。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:『代議制統治論』の背景知識
ミルと言えば、功利主義の思想家であること、そして主著である『自由論』が特に注目されており、哲学や倫理学の思想家として広く知られています。
一方、ミルの政治思想に関しては、『代議制統治論』が翻訳されているものの、広く知られてるとはいえないかもしれません。しかし、以下で見ていくように、ミルは生涯を通して政治について深く考え、政治と密接に関わっていた人物でした。
ミルの生涯を政治思想という側面から見ると、次のようにまとめられます。なお、以下の解説は、山下重一の『J.S.ミルの政治思想』(木鐸社)2山下重一『J.S.ミルの政治思想』(木鐸社、1976年)173-177頁を参照しています。
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- ベンサムの影響の下、17歳頃から政治に関する論文執筆や演説を活発に行うようになる
- 「精神の危機」後、ベンサムの主張を見直す
- その後、論理学や経済学の研究に専念するが、1848年のフランス二月革命を機に政治への関心が復活する
- 1861年、それまでに発表してきた政治的主張の集大成として、『代議制統治論』を刊行する
- 1865年、下院議員に当選する。女性の参政権など、当時としては急進的な主張を行う。しかし、次の1868年の総選挙には落選する
このように、ミルは生涯を通して政治に強い関心を抱き、さまざまな雑誌や新聞に政治的文章を寄稿するとともに、政治的演説なども活発に行っていました。
ミルの政治思想を考える上で特に大事なのは、ミルの師匠であるベンサムが、痛烈な貴族批判を繰り返していたことです。(→ベンサムの思想はこちらの記事)
- ベンサムは、統治者である貴族が階級的利益のみを追求していることを批判し、統治者と被治者との利益が一致しなければならないと主張していた
- 幼少期からベンサムの絶大な影響下にあったミルも、若くして貴族批判と民主化の主張をしていた
しかしその後、ミルはベンサムの主張を見直し、民主主義の問題点も意識するようになります。このとき、ミルに影響を与えた人物として、フランスのトクヴィルとサン・シモンが挙げられます。
- トクヴィル・・・民主主義の問題点として、「多数派の専制」を主張しました。この点は、ミルの『自由論』に特に影響が見られるが、ミルの政治思想の形成においても重要な役割を果たした
- サン・シモン・・・初期の社会主義者で、エリート主義的な思想をもった。ミルはエリート主義とは一線を画しているが、民主主義のなかでいかにして有能な人材を統治機構に集めるかに腐心しており、ここにサン・シモンの影響も見られる
このような影響を受けつつも、ミルの民主主義者としての根幹は揺らぎませんでした。そして、それまでの民主化などの政治的主張の集大成として晩年に刊行されたのが、『代議制統治論』です。
ミルはこの中で、民主主義の一つの形態である代議制統治が、最善の統治形態であることを論証しようとしました。
1-2:『代議制統治論』の要約
さて、『代議制統治論』の内容を大まかに要約していきます。以下の要約は、関口正司訳の『代議制統治論』(岩波書店)を参照しています。
ミルの『代議制統治論』は、18の章から成る大きな著作です。そのうち、第1章から第4章までは政治制度についての総論、第5章から第18章までは具体的な制度論という構成になっています。ここでは、主に第1章から第4章までの総論部分を要約していきます。
1-2-1:統治形態は選択の問題かどうか
ミルはまず、統治形態がどこまで選択できるか、という論点から議論を始めます。
統治形態には、代議制統治を含む民主制や、君主制、貴族制などさまざまなものが考えられます。このような統治形態を、国民が自由に選ぶことはできるのでしょうか?
もし統治形態は何らかの理由で決定されており、選択することが不可能であるとすれば、統治形態について(代議制統治について)論じることは無意味です。そのため、ミルは最初にこの問題を提起するのです。
ミルによれば、統治形態は三つの条件を満たしている場合に限って選択が可能だと述べます。その三つの条件とは、以下の通りです3関口・前掲書4頁。
- 国民が統治形態を受け入れていること、あるいは少なくとも、統治形態の確立が不可能になるほどにまでは嫌がっていないこと
- 国民が統治形態の存続に必要な物事を進んで行うこと、かつ行うことが可能であること
- 国民が統治形態の目的を達成するために国民に求められる物事を進んで行うこと、かつ行うことが可能であること
この三つの条件を満たしていれば、統治形態は選択の問題である、というわけです。
これで、統治形態について議論する準備が整いました。そこで次に、ミルは最善の統治形態を決定するための基準へと議論を進めます。
1-2-2:よい統治形態の基準
ミルは、よい統治形態の基準を考える際の注意点として、それが社会状態によって異なるということを指摘します。
社会状態とは、簡単に言えば、その社会の進歩の度合いです。そして、ミルの議論の対象は当時の西洋諸国であり、ある程度は進歩している(と想定された)社会です。
この前提を共有したうえで、ミルは、統治形態のよしあしを考える際の基準として、以下の二つの基準を挙げます。
- 国民の全般的な精神的発展(徳や知性の発展)を促進する度合い
- 国民の精神的資質を最大限活用できるような、機構それ自体の組織化の完成度
このうち、ミルは前者を特に重視しています。統治制度論としては、その経済的側面や効率性、機能性などが注目されがちです。しかし、ミルは制度を考える際にはその制度が国民の精神的資質、すなわち性格形成に与える影響が第一に重要であると考えているのです。
これは、ミルが統治の唯一の目的は被治者の幸福であると考えているからです。国民の幸福を第一に考えるならば、国民が徳や知性を発展させるのが重要視されます。
これで、統治形態を評価する際の基準が定められました。続いて、ミルはこの基準に照らしながら最善の統治形態は何かを論じていきます。
1-2-3:最善の統治形態は代議制統治である
ミルはまず、「すぐれた専制君主を確保できるのであれば専制君主政が最善の統治形態だろう」4関口・前掲書42頁という、伝統的な意見を検討します。
専制君主政のあり方
- 確かに、民主主義は議論を前提とした統治形態であるため政策の決定に時間がかかるし、多数者の意見に流されて誤った決定をしてしまう可能性も大きい
- その点、もし善良で有能な君主の存在を保証できるとしたら、それが最善であるようにも考えられる
しかし、ミルによればこれは誤った意見です。ここでミルは、前項で確認した第一の基準、つまり国民の精神的発展を促進するかどうかという基準を持ち出します。
- それは、以下のような理由があるためです。
- 専制君主政では君主に統治のすべてを任せてしまうため、国民が統治に関与する余地はない
- そうすると、公共的な事柄に対する無気力や無関心が国民に蔓延し、人々は私的な事柄にのみ関心を向けるようになってしまう
ここからミルは、国民が広く統治に参加する、あるいは少なくとも国家の重要な意思決定に参加するような統治形態が最善である、という答えを導き出します。それがすなわち、代議制統治なのです。
以上が第1章から第4章までの総論部分の大まかな要約です。その後ミルは、第5章から第18章まで、代議制統治における具体的な機構の検討を行います。
その際も、先ほど指摘した第一の基準、すなわち国民の精神的発展を促進するかどうかという基準が度々持ち出されます。
ここで詳しく紹介することはできませんが、公開投票や複数投票制など、現代においては斬新な提案もいくつかあり、非常に示唆に富む内容となっています。
- 『代議制統治論』とは、19世紀イギリスの思想家J.S.ミルが、代議制統治という政治制度について論じた著作である
- ミルは国民が広く統治に参加する、あるいは少なくとも国家の重要な意思決定に参加するような統治形態が最善であると考えた
2章:『代議制統治論』に関する学術的議論
さて、2章では『代議制統治論』の内容を深掘りし、さらにこの書物への批判を紹介していきます。
2-1:選挙資格について
『代議制統治論』の各論部分の中から特に重要であると考えられる部分の一つを紹介します。それは、選挙資格についてです。
ミルは『代議制統治論』の第10章において、秘密投票と公開投票のどちらがよいかという問題を取り上げています。
- 秘密投票・・・現代において一般的なもので、誰が誰に投票したのかがわからないような方式
- 公開投票・・・誰が誰に投票したかがわかるような方式
結論からいえば、ミルは公開投票がよいと主張しています。それはミルが選挙資格は権利ではないという考えをもっているためです。
論旨をまとめると、以下のようになります。
- 人は誰も、他者に対して権力を行使する権利を持つことはできない
- 持つことができるとすれば、それは最も完全な意味での信託でなければならない
- しかし、選挙資格を行使する(投票する)ことは、他者に対する権力行使である
- そのため、選挙資格は権利ではなく信託でなければならない
ここで、「信託」の意味が少し難解です。簡単に言えば、選挙で投票する資格というのは国民に与えられた権利ではなく、国民の個々人に対して国民全体が信じて委ねている資格であるということです。そのため、国民の個々人は国民全体に対して責務を持つのです。
このことから、ミルは以下のように述べます5関口・前掲書186頁。
投票は自分の好き勝手でしてよいものではない。それは、陪審員の採決と同じように、本人の個人的願望とは何ら関わりを持たない。まったくもって責務の問題なのである。投票は、公共善に関する自分の最善にして最も良心的な見解に即して行わなければならない。これと異なる考えの人は誰であれ、選挙資格を持つのにふさわしくない。
ミルが危惧していたのは、選挙資格が「権利」と呼ばれることによって、国民が好き勝手に投票するようになることでした。そのため、選挙資格は自分以外の国民が自分に対して信頼し託した責務であると考えることが必要であると主張したのです。
このことから、ミルは秘密投票の弊害を主張します。秘密投票にしてしまえば、人は個人的利益に基づいて投票するようになるというのです。
以上のように、ミルは選挙資格を非常に重く受け止めています。この他にも、ミルは国民の公共精神を重視する主張を各所で行っています。
ミルと言えば、『自由論』を著した自由主義者の側面がよく知られていますが、このように、市民の政治参加と公共精神を重視する側面も併せ持っているのです。
2-2:専制の容認という批判
以上のような議論を展開した『代議制統治論』ですが、この書物に対してはミルが専制を容認しているとの批判があります。
前章でも述べたように、ミルは『代議制統治論』において、よい統治の基準は社会状態によって異なると述べました。『代議制統治論』の議論の対象は当時の西洋諸国なので、そこには代議制統治が最適だという結論になっています。
一方でミルは、野蛮な「未開」状態の社会には専制が最適だという議論も展開しているのです。
「未開」社会における統治
- 「未開」状態の社会に暮らす人々は統治に従うということを知らず、そこに民主政や代議制統治を導入したら無秩序に陥ってしまう
- そのため、「未開」状態にはまず専制統治を行い、服従を覚えさせることが必要だ
加えて、ミルは『代議制統治論』の第18章で、自由国家による植民地支配について論じています。そこでは、先進国は植民地支配によって後進国を急速に発展させることができるため、植民地支配は有益であるとの議論が行われています。
このように、ミルは西洋近代の進歩主義的な立場からの一面的な他文化理解をもとに議論しているともいえます。
また、当時のイギリスは、インドをはじめとして、帝国主義的な植民地支配を展開していました。ミルの議論は、これを正当化するものであると言えるでしょう。これらの点が、批判の対象となっているのです。
しかし、ミルが専制を容認しているのは、その国民を一定の進歩の段階まで引き上げることができる場合のみであることには注意が必要です6山下・前掲書182-183頁。
- ミルは公開投票を支持した
- ミルが専制を容認しているとの批判がある
3章:『代議制統治論』に関するおすすめ本
どうでしょう?『代議制統治論』の全体像を掴むことはできましたか?
最後に、『代議制統治論』をより深く理解するための書籍を紹介します。
J.S.ミル『代議制統治論』(岩波書店)
2019年に出た新しい翻訳で、非常に読みやすくなっています。著名なミル研究者が翻訳しており、訳者注や解説も非常に参考になります。
小泉仰『ミルの世界』(講談社)
ミルへの入門書としておすすめです。ミルの生涯や思想、著作等が、幅広く丁寧に解説されています。ミルの政治的側面についても詳細に紹介されています。
山下重一『J.S.ミルの政治思想』(木鐸社)
ミルの政治思想を詳細に論じた学術的著作です。前半は『自由論』について、後半は『代議制統治論』についての議論が展開されています。
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まとめ
この記事の内容をまとめます。
- 『代議制統治論』とは、19世紀イギリスの思想家J.S.ミルが、代議制統治という政治制度について論じた著作である
- ミルは国民が広く統治に参加する、あるいは少なくとも国家の重要な意思決定に参加するような統治形態が最善であると考えた
- 『代議制統治論』において、ミルが専制を容認しているとの批判がある