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社会学

【文化産業とは】アドルノの議論から意味や批判をわかりやすく解説

文化産業とは

文化産業(英-culture industry; 独-kulturindustrie)とは、ジャズ、ラジオ、音楽などの商品化・標準化された大衆文化を批判する用語です。

この用語はマックス・ホルクハイマーとテオドール・アドルノの『啓蒙の弁証法』(1947)で初めて使われたものです。

文化産業論に関しては肯定的な評価と否定的な評価がありますが、文化と社会の関係を語る上で理解しておきたい用語です。

そこで、この記事では、

  • 文化産業の意味と生まれた歴史的文脈
  • 文化産業と『啓蒙の弁証法』の関係
  • 文化産業論に対する評価

をそれぞれ解説します。

あなたの関心に沿って、読み進めてください。

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1章:文化産業とはなにか?

1章では、文化産業を概説します。文化産業の評価に関心のある方は、2章から読んでみてください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1: 文化産業とアドルノの『啓蒙の弁証法』

まず、冒頭の定義を確認となりますが、文化産業とは、

ジャズ、ラジオ、音楽などの商品化・標準化された大衆文化を批判する用語

です。

『啓蒙の弁証法』の著作であるホルクハイマーとアドルノは、人びとの娯楽となる大衆的な文化を「文化産業」と呼び、それをとおした社会の支配と管理を批判しました。

『啓蒙の弁証法』は亡命の地であるアメリカ合衆国で1940年代前半に書かれた思想書です。『啓蒙の弁証法』は非常に難解な書物と有名で、読み手は骨を折る作業が必要ですが、論点を要約すると次のようになります。

『啓蒙の弁証法』の論点

  • 「理性と啓蒙の伝統をもつヨーロッパという地から、なぜファシズムという野蛮が生まれたのか?」を分析すること
  • つまり、西洋の啓蒙思想に逆説的に内在する野蛮性を分析すること
  • 言い換えると「啓蒙と野蛮」「理性と暴力」の関係とは一体なにか?を分析すること

一般的に、啓蒙とは理性によって野蛮な暴力性をもつ人間を解放するものと考えられています。

しかしアドルノは「なぜ啓蒙精神が深く根付くヨーロッパで、ナチズムのような野蛮が登場したのか?」という疑問に答えようと試みます。それが『啓蒙の弁証法』という書籍でした。

→啓蒙主義について詳しくはこちら

→『啓蒙の弁証法』について詳しいはこちら



1-1-1: 啓蒙と暴力

「啓蒙」と「暴力」という一見相反するものがどのように補完的な関係をもつのか?を理解しなければ、文化産業の内容も理解しにくいです。ですから、まずはこの疑問から始めましょう。

『啓蒙の弁証法』では上記のような問いが、

  • 「神話はすでにして啓蒙である」
  • 「啓蒙は神話に退化する」

という2つのテーゼを軸に議論が展開されていきます。

1-1-2: オデュッセイア

そして、ホルクハイマーとアドルノはホメロスの『オデュッセイア』を「西欧文明の原テクスト」として検証しています。

ホメロスの『オデュッセイア』とは、以下のような物語です。

オデュッセウスがトロイア戦争を故郷のイタケーをめざして放浪するなかで、さまざまな自然神から妨害にあうことが語れたもの

重要なのは、ホルクハイマーとアドルノが『オデュッセイア』に次の内容を読み解くことです。

  • 外的支配
    オデュッセウスは知謀に長けており自然神を策略によって欺く→自然神を欺くことで自然の魔力を解いて、人間による自然支配が可能になったことを示してる
  • 内的支配
    故郷イタケーに帰郷するには、自然神の誘惑に屈しない「理性的」な振る舞いが要求される→自然に屈しない不屈の「自己」が確立される過程を示している

このような二つの支配的な過程をとおして確立された主体ですが、この主体は諦念の人に違いありません。

なぜならば、オデュッセウス的な主体は、

  • 「外部にある自然の支配は、快楽に傾きがちな自らの内なる自然(欲望)の抑圧を代償として貫徹せざるをえない」2細見和之の『フランクフルト学派』113頁
  • つまり、自然支配(外的自然)によって保存するはずの自己(内的自然)を失うという逆説が存在することを意味する

のです。

その結果、内的自然を抑圧したことによって確立される自己は、保存するべきはずの自己(自己保存が人間を突き動かす衝動)を喪失した「空虚な自己」となります。(『オデュッセイア』では、空虚な自己が際限のない暴力によって充填されうることが描かれている)

このようにして、ホルクハイマーとアドルノは「文明の歴史」または「啓蒙の過程」を諦念の歴史にほかならないとして捉えているのです。



1-2: 文化産業の誕生背景

さて、「文化産業」は『啓蒙の弁証法』の第4章「文化産業-大衆欺瞞としての啓蒙-」に登場します。

重要な点はアメリカ合衆国における大衆文化との出会い」「フランクフルト学派の批判理論」です。それぞれの要点を解説します。

1-2-1: アメリカ合衆国における大衆文化との出会い

先ほども言ったように、『啓蒙の弁証法』は亡命の地であるアメリカ合衆国で書かれました。

言い換えると、アメリカ合衆国の文化と社会に触れあったとき、アドルノはアメリカ社会における「文明と野蛮」の関係を見出します。

それは具体的に、アメリカにはナチズムのような野蛮は存在しないが、その代わりにジャズや映画といった「大衆文化」という「野蛮」が存在したというものでした。

アドルノはアメリカ社会における文化的な現状を「文化産業」という用語を用いて説明します。それは商品化された大衆文化の画一性を批判しようとする概念でした。

1-2-2: フランクフルト学派の批判理論

次に重要な点は、アドルノはフランクフルト学派の研究者だったということです。フランクフルト学派とは、次のような学派です。

  • フランクフルト大学の「社会研究所」を中心に活躍した学者たち
  • 理論的特徴はマルクスの唯物論を基礎としつつ、ウェーバーの社会学やフロイトの精神分析を導入したこと

なぜフランクフルト学派の学者であることが重要だったのかをいうと、「文化産業」という用語はマルクスの唯物論を乗り越える試みの一つだったからです。

マルクスの唯物論的な解釈において、文化は上部構造に属するものであり、生産は経済的な土台に属します。つまり、文化は経済の反映でしかないのです。

しかし、アドルノはマルクスの時代には存在しなかった映画やラジオといった文化の大量生産を念頭に、上部構造である文化を下部構造に組み込みました。それが「文化産業」という言葉で表されたのです。



1-3: 文化産業の意味

ここまでくると、文化産業の意味がわかりやすいのではないでしょうか?アドルノは主に芸術に着目しながら、文化産業によって作り出される「大衆欺瞞」を提示していきます。文化産業が大衆欺瞞となるのは2つの意味においてです。

具体的に、それらは、

  1. 文化産業は大衆に娯楽を与えることで、大衆を抑圧的な労働に順応するように仕向ける
  2. 文化産業は権力関係を示すような芸術作品の可能性を消滅させて、大衆が批判的な視点をもつことを阻害する状況を作ること

です。

つまり、ジャズ、ラジオ、音楽などの商品化・標準化された大衆文化は巨大なイデオロギー生産機構なのです。

社会学者の片上はアドルノが直面した当時のアメリカ社会の状況を次のようにいいます3片山 2018 「愉しいアドルノ :「文化産業論」における「娯楽」と「技術」の可能性」『応用社会学研究 』(60), 123

文化や芸術の可能性が産業によって押し潰されていた。だからこそ、彼らは啓蒙の暴力の延長上に「文化産業」なるものを位置付けながら、それを考察しようとした。アメリカの「文化産業の野蛮さ」は、歴史に後からやってきた後進国の「文化遅滞」によって生じたものなどではなく、「理性」を発達させたがゆえに生じたものであるととらえたのだ。

どうでしょう?文化産業という概念が生まれる歴史的概念と意味を理解することはできました?いったんこれまでの内容をまとめます。

1章のまとめ
  • 文化産業とはジャズ、ラジオ、音楽などの商品化・標準化された大衆文化を批判する用語である
  • 文化産業とは巨大なイデオロギー生産機構である

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2章:文化産業の評価:批判と可能性

さて、冒頭でも言ったように、アドルノの文化産業論は肯定的な評価も否定的な評価もあります。ここからそれらの点を学び、さらに文化産業に関する理解を深めていきましょう。

2-1: 文化産業への批判

文化産業への批判には、「エリート主義」「文化的な抵抗の拒絶」があります。それぞれの点を解説します。

2-1-1: 文化産業への批判:「エリート主義」

第一の批判は、アドルノの強い芸術嗜好に対してされました。彼は芸術のみを「文化」としてエリート主義的な議論を展開します。

社会学者の片上が指摘するように、「アドルノの強い芸術愛好癖は、娯楽文化の可能性をそぎ落としているような、エリート主義的な芸術主義者による、悲観的でときに侮蔑的な『大衆文化』に対するまなざし」4片山 2018 「愉しいアドルノ :「文化産業論」における「娯楽」と「技術」の可能性」『応用社会学研究 』(60), 124をもっていました。

事実、アドルノはアメリカ合衆国のポピュラー音楽には強い嫌悪感を示したそうです。言い換えると、アドルノをはじめとしたフランクフルト学派が対象にした文化とは高級な文化だったのです。

2-1-2: 文化産業への批判:「文化的な抵抗の拒絶」

第一の批判に関連して、アドルノはポピュラー文化の多様性や抵抗のあり方に可能性を見出さなかったことが第二の批判です。

つまり、アドルノは「人びとは大衆文化に毒されており、メディアと資本主義に支配・管理されており、あくまでも、大衆は受動的に操作された人びとである」と考えていました5たとえば、Stuart  Hall 2019. Essential Essays: Foundations of Cultural Studies (Durham: Duke University Press)における論考を参照されたい

アドルノの正反対の考え方をしたのが、カルチュラル・スタディーズです。カルチュラル・スタディーズは文化を実践する人びとの能動的なあり方に着目し、研究をしてきました。

たとえば、カルチュラル・スタディーズは、サブカルチャーという行為に、

  • 社会、政治体制への抵抗
  • 職場や学校などの日常への抵抗

を見出していきます。

このように、支配的な文化との相互行為、闘争、交渉の結果としてのサブカルチャーは、アドルノの正反対の考え方といえるでしょう。



2-2: 文化産業の可能性

さて、これまでみたようにアドルノの文化産業論は批判される点もあります。しかし、「アドルノが大衆文化に可能性を見出していた」と主張する論者もいます。

たとえば、片上によると、アドルノはトリック映画の「技術」を「合理主義に対抗するファンタジー」と捉えていました。

具体的に、アドルノは「技術はもの言わぬ者たちに第二の生を付与することによって、電気じかけの動物たちやいろいろな事物を、同時に公正に取り扱うという面をももっていた」6片山 2018 「愉しいアドルノ :「文化産業論」における「娯楽」と「技術」の可能性」『応用社会学研究 』(60), 130と主張します。

このアドルノ主張を片上は、以下のように支持しています7片山 2018 「愉しいアドルノ :「文化産業論」における「娯楽」と「技術」の可能性」『応用社会学研究 』(60), 130

「技術」はこのようなこれまで人間が想像することが困難であった「ファンタジー」を「再生産」する可能性をもつものでもあるのだ。そこにはある種の“幸福”のイメージがある。

このような事例を分析しながら、片上は「狭い意味の「芸術」に閉じない「文化」の可能性
を『啓蒙の弁証法』議論から読み取る」8片山 2018 「愉しいアドルノ :「文化産業論」における「娯楽」と「技術」の可能性」『応用社会学研究 』(60), 124作業をしています。

1章のまとめ
  • アドルノをはじめとしたフランクフルト学派が対象にした文化とは高級な文化だった
  • 支配的な文化との相互行為、闘争、交渉の結果としてのサブカルチャーは、アドルノの正反対の考え方である

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3章:文化産業の学び方

どうでしょう?文化産業に関する理解を深めることは出来ましたか?最後に、あなたの学びを深めるためのおすすめ書物を紹介します。

おすすめ書籍

竹峰 義和『アドルノ、複製技術へのまなざし―「知覚」のアクチュアリティ』(青弓社)

アドルノの議論を肯定的に捉えていこうする研究です。文化産業の可能性を考える上で非常に重要な書籍です。

川崎 賢一『トランスフォーマティブ・カルチャー (文化政策のフロンティア)』(勁草書房)

日本社会における文化産業に関する研究。日本の文化産業の実態に興味のある方にオススメです。

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まとめ

最後に今回の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 文化産業とはジャズ、ラジオ、音楽などの商品化・標準化された大衆文化を批判する用語である
  • 文化産業への批判には、「エリート主義」「文化的な抵抗の拒絶」がある
  • 文化産業の可能性は片上を初めとしたさまざまな論者によって議論されている

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