啓蒙主義(Enlightenment)とは、18世紀のヨーロッパで起こった、中世的な思想、慣習を打ち破り近代的・合理的な知識体系を打ち立てようとした運動のことです。
啓蒙主義は、ヨーロッパが中世から近代化する間で起こった遠い昔の出来事だと思われがちですが、その「進歩的」「合理的」「実践的」な思想は、現代社会にも連続していると言えます。
つまり、私たち現代人にとっても無関係な思想ではないのです。
そこでこの記事では、
- 啓蒙主義とはどういう思想か?
- 啓蒙主義はなぜ批判されたのか?
- 啓蒙主義の代表的な人物や具体的な思想は?
- 啓蒙主義について学べる書籍リスト
について詳しく説明します。
気になるところから読んで、政治や経済、歴史への学びを深めたり、自らの考え方を振り返るきっかけにしてみてください。
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1章:啓蒙主義とはどういう思想?
啓蒙主義というと「ピンとこない」という方も多いかも知れませんが、意味を分解していくとそれほど難しい言葉ではありません。
まずは、啓蒙主義の意味、特徴、そして批判についてポイントを絞って説明します。
1-1:啓蒙主義の意味
もう一度確認しますが、
啓蒙主義とは、18世紀のヨーロッパで起こった、中世的な思想、慣習を打ち破り近代的・合理的な知識体系を打ち立てようとした運動のこと
です。
啓蒙主義は啓蒙思想と言われることもあります。
そもそも「啓蒙」の原語は「明るく照らす」という意味です。
理性や科学についての知識を持たない無知蒙昧な人々を無知から解放してあげようという運動が啓蒙主義・啓蒙思想と言われたものです。
このような思想が生まれたのは、18世紀という時代に、
- 17世紀のデカルト、ロック、ニュートンらの思想家・科学者の学問的な成果がベースにあった
- ヨーロッパの各国が政治的に安定し、さらなる近代化が志向された
- カトリック教会の支配からある程度解放され、教義に縛られない自由な思想の形成が可能になった
などの背景があったからです。
つまり、17世紀に知的な遺産が蓄積された上に、18世紀に各国が政治的に安定してきたために、それ以上の進歩を求めて生まれたのが啓蒙主義・啓蒙思想だったのです。
そしてそれは、中世的なカトリック教会の教義に縛られた思想、学問、社会を、新しく生まれた学問の力で変えていこう、というものでした。
カトリック教会の教義を打ち破った宗教的出来事として、宗教改革がありました。詳しくは以下の記事で解説しています。
【宗教改革とは】意味・思想・その後の時代への影響をわかりやすく解説
また、宗教改革を実行し発展した思想にプロテスタンティズムがあります。詳しくは以下の記事をご覧ください。
1-2:啓蒙主義の特徴
啓蒙主義の意味はなんとなく分かりましたか?
もう少し詳しく、啓蒙主義の特徴を紹介します。
1-2-1:進歩主義
啓蒙主義の特徴の1つは「進歩主義」です。
進歩主義とは、その時代の社会や思想をもっと発展させよう、もっと良くしよう、もっと広めようと進歩を求める思想のことです。
啓蒙主義は主にフランスやイギリスで発展した思想ですが、
- フランス・・・ルソーらによる、フランス革命の前提となる反体制に繋がる急進的な思想
- スコットランド・・・ヒューム、スミスらによる、立憲主義体制の中で漸進的に改革を求める思想
というものでした。
反体制的か体制の中での改革かという違いはあれど、どちらも体制をより良くしようという思想であることが分かると思います。
1-2-2:コスモポリタニズム
啓蒙主義は、コスモポリタニズムの特徴もあります。
コスモポリタニズムとは「世界市民主義」という意味です。
啓蒙主義の思想家たちは、国家の枠組みにとらわれず、共通した思想を持つことに連帯意識を持ちました。
また、実際に国境を越え、海を越えて交流し思想を発展させたのです。
ここから、啓蒙主義は、国家や宗派に縛られていた中世的な価値観から明らかに脱した思想であったことが分かります。
1-2-3:政治より経済・道徳
啓蒙主義以前の思想は、国内外の政治体制の安定や宗教的秩序からの解放を求めた思想でした。
しかし、18世紀に入り、17世紀よりも各国が政治的に安定したことで、18世紀の啓蒙主義は経済や道徳の理論を中心に発達します。
各国の政治的問題の場合、そこで論じられる議論は各国の政治体制によって規定されます。
しかし、政治的に安定したからこそ各国に共通の問題である道徳や経済が論じられる状況ができたのです。
- 道徳・・・人間本性や善悪の問題
- 経済・・・富をいかに蓄積するのかという問題
逆に言えば、啓蒙主義の思想家たちは、自分たちが政治体制を変革しようとしたり、それを明確に論じたりしようとはしませんでした。
1-2-4:人間本性の考え方の転換
17世紀の思想では、グロティウス、ホッブズ、ロックの社会契約説のように、
- 人間の本性を丸出しにする「自然状態」では安定した秩序が作られない
- そのため、何らかの形で理性によって、人間本性をコントロールしなければならない
と考えられました。
※社会契約説について、詳しくは以下の記事をご覧ください。
しかし、18世紀の啓蒙主義ではこの点が変化し、人間本性を規制せずありのままにすることで社会が発展する、人間の感情が社会発展の原動力になると考えられました。
それはアダム・スミスによって、人間の利己的な行動が経済を発展させるという経済学の源の考え方にも通じるものになっていきました。
1-2-5:台頭した知識人層が担い手となった
啓蒙主義の代表的な人物は、ヴォルテールやモンテスキュー、ヒュームなどの思想家ですが、彼らだけが啓蒙主義の担い手ではありません。
当時台頭していた上流階級の王侯貴族からブルジョワなどの中流階級の人々など、啓蒙主義の思想を支えたのはたくさんの無名の人々でした。
つまり、代表的な啓蒙主義者の主張が、幅広い知識人によって読まれ、広められ、後の社会改革に繋がる原動力になっていったのが啓蒙主義の特徴なのです。
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1-3:啓蒙主義への問題点・批判
啓蒙主義は、ヨーロッパの近代化やその後の社会変革のために重要な役割を果たしましたが、その後様々な批判を受けることにもなりました。
なぜなら、啓蒙主義は、
- 社会は野蛮・未開な社会から文明化した社会へ進歩してきた
- 「野蛮」「無知」「貧困」などは文明化によって克服されなければならない
という思想でもあったからです。
楽観的に近代化を捉えたために、近代化していない社会を「未開」「野蛮」と考え、それを啓蒙すべき対象と考えたのです。
この考え方はその後、「科学的」と装って植民地主義を正当化することになったため、後の学者から強く批判されることになりました。
植民地主義のその後の展開や批判は「ポストコロニアニズム」について詳しく解説した記事をご覧ください。
ここまでをまとめます。
- 啓蒙主義は、17世紀的な学問の遺産や政治的安定、カトリック教会支配の弱体化などの背景から生まれた、近代化を進める思想
- 啓蒙主義は、その後の社会科学系学問のベースになる思想となった
- 啓蒙主義は、野蛮から文明へと直線的な発展観を持っていたため、後に批判されることになった
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2章:啓蒙主義の代表的人物と歴史
啓蒙主義の思想の意味や特徴、批判について理解できたでしょうか?
実は啓蒙主義に関わった人は多く、思想も多様で一つにまとめて表現することは難しいものです。
そこでここでは、より詳しく知りたい人のために、啓蒙主義の歴史や重要人物を紹介します。
人名や主張の内容よりも、どのような思想が生まれ受け継がれて行ったのか、大きな流れを確認しながら読んでみてください。
2-1:啓蒙主義の原点
啓蒙主義の原点は、17世紀から18世紀に時代が変わる、まさにその転換点にありました。これから紹介するシャフツベリとマンデヴィルは、人間本性をむき出しに行動しても社会秩序は保たれるという、啓蒙主義のベースとなる思想を生み出しました。
2-1-1:第三代シャフツベリ伯爵
第三代シャフツベリ伯爵(本名:アントニー・アシュリー=クーパー/Anthony Ashley Cooper/1671年-1713年)は、イギリスの貴族です。
シャフツベリの主張は、
人間には「道徳感覚」が備わっているため、人間が利己的な本性のまま行動しても、道徳感覚によって抑制され、社会の調和が保たれる。
というものでした。
17世紀的な「人間が本性のまま行動したら社会が保てない(だから社会契約して国家を作る)」という思想から、本性のまま行動しても秩序は保たれる、という思想に変化していることが分かると思います。
2-1-2:マンデヴィル
バーナード・デ・マンデヴィル(Bernard de Mandeville/1670年-1733年)は、『蜂の寓話』で知られるオランダの思想家です。
マンデヴィルの主張を一言で言うと「私悪は公益」ということです(これは『蜂の寓話』のサブタイトルです)。
もう少し詳しく彼の主張を紹介すると、
- 人間には「虚栄心」「名誉心」などの本性がある
- これらは「私悪」だが、人間がみな「私悪」のまま行動すると、その結果「公益」を生み出す
- すなわち、人間がみな利己的に行動するほど公益が達成される
というものでした。
ここに明らかに、「人間本性をコントロールすべき」と主張する17世紀的な思想を超える発想があることが分かると思います。
- 人間が本性のままに利己的な行動を追求しても、社会秩序は保たれる(むしろ発展する)と唱えた
2-2:フランス啓蒙主義
シャフツベリやマンデヴィルの思想の展開が、その後の啓蒙主義のベースになっていきました。
啓蒙主義・啓蒙思想は、主にフランスとイギリスという当時ヨーロッパ世界で最も発展していた二国の知識人の間で生まれた思想です。
まずはフランス啓蒙主義から見ていきましょう。
2-2-1:ヴォルテール
ヴォルテール(Voltaire/1694年-1778年)は、フランスを代表する啓蒙主義の思想家で、哲学者、歴史家、文学者などの側面を持つ人物です。
『ルイ十四世の世紀』『哲学辞典』『哲学書簡』などの著作が有名です。
ヴォルテールの主張をまとめると、以下のようになります。
- カトリック教会と封建領主による支配を強く批判
- イギリスの自由の制度や精神を評価し、フランスも改革されることを望んだ
- イギリス、フランスの絶対王政が、カトリック教会・封建領主の支配を崩し、自由を獲得する役割を果たした
- 現在のフランスは国民の自由を奪っているため、「法の支配」を実現する改革が必要
ヴォルテールは、カトリック教会の支配に批判的で、中世的な支配(カトリック教会+封建領主による支配)からフランスを脱却させ、近代化を推し進めることを強く主張したのです。
その思想は、「法の支配」を実現していたイギリスを詳細に観察したことから生まれたものでした。
2-2-2:モンテスキュー
シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー(Charles-Louis de Montesquieu/1689年-1755年)は、ヴォルテールとほぼ同時代に生きた法哲学者、思想家です。
『ペルシア人の手紙』『法の精神』などの著作があります。
モンテスキューの主張をまとめると以下のようになります。
- フランスが自由を獲得するためには、絶対王政ではなく、絶対王政と対向できる貴族の力が重要
- 政体には伝統的に「専制」「君主制」「共和制」があるが、「君主制」が一番優れている
- イギリスもフランスも君主制だが、フランスは絶対王政によって立法権と行政権が支配されているため、国民の自由が守られていない
- 絶対王政と対向できる貴族が司法権力を担うことで、三権分立により自由が実現できる
- 市場経済が発達することが、国民に野蛮な習俗を捨てさせ、社会秩序を安定させる
現代の社会でも実現されている「三権分立」の概念を明確に主張したこと、また、自由に商業を行うことが、社会の安定に繋がること、この点がモンテスキューの思想の特徴です。
モンテスキューが主張した三権分立の思想は、その後の民主主義の根幹になりました。詳しくは以下の記事で解説しています。
2-2-3:百科全書派
『百科全書』派はフランス啓蒙主義の代表的な存在であり、ヴォルテールもその1人でした。
『百科全書』派とは、本文17巻、図版11巻からなる、当時の学問・技術的知識を体系的にまとめた大規模な『百科全書』の出版に携わった人たちです。
『百科全書』の目的は、
- これまでに蓄積された学問・技術の知識の体系と、それを貫く一般的原理を示すこと
- それを通じて、未開から文明へ発展してきた人類の歩みの成果を示すこと
- カトリック教会を中心とした知的な権威を否定し、知の体系を市民に広めること
という点にありました。
『百科全書』に執筆した人物は100名以上いるため、すべてをひとまとまりにしてその思想を明らかにすることはできません。
しかし、上記の出版目的からも分かるように、人類の知をまとめ広めるという意味でまさに啓蒙主義的精神の集大成であったと言えるのです。
- ヴォルテールは、フランスで法の支配を実現し国民の自由を保護するために、中世的な支配からの脱却や絶対王政の役割を主張した
- モンテスキューは、絶対王政に対向できる貴族が司法権を担い、三権分立を実現することを主張した
- 百科全書派は、知の集大成を作り知識を市民に伝え、カトリック教会的な知の権威を崩した
2-3:スコットランド啓蒙主義
啓蒙主義はスコットランドでも発展しました。
スコットランドの啓蒙主義は、「法の支配」のもとで政治的に安定し、国民の自由が最も守られていたイングランドと隣接していたという地理的特徴から生まれた思想です。
2-3-1:ハチソン
フランシス・ハチソン(Francis Hutcheson/1694年-1746年)は、スコットランド啓蒙主義の父とも言われる哲学者です。
ハチソンの思想は、以下のようなものでした。
- シャフツベリの思想に影響を受けて、人間には利己心を克服する「仁愛」があると考えた
- 仁愛を認識する「道徳感覚」も人間に備わっている
- 隣国イングランドは経済的に発達しているものの、国民が利己的に行動した結果、虚栄の世界になっている
- スコットランドがイングランドのようにならないためには、利己心の追求による経済の発展を道徳感覚やカルヴィニズムの伝統によって修正するべき
※カルヴィニズムとは、宗教改革で生まれたカルヴァンの思想です。
このように、ハチソンはスコットランドの近代化について、新たな方向性を模索した思想家でした。
2-3-2:ヒューム
ハチソンの思想に影響を受けたのがデヴィット・ヒューム(David Hume/1711年-1776年)です。ヒュームは『人間本性論』『道徳・政治論集』『イングランド史』などの著作があり、後世にも大きな影響を与えた哲学者です。
ヒュームの思想は、以下のようなものでした。
- 人間が平和のために仲間と協働できるのは「共感」を備えているため
- 人間は所有権・契約などの「正義の諸規則」を守るのは、「黙認」によるもので、黙認によって国家が設立された
- 人間が「正義の諸規則」を守るのは、正義を守ることが公共の利益を守ることであると「共感」しているため
- 「奢侈(贅沢)」はそれ自体が悪でも原動力でもない。
- 「奢侈」ではなく、民衆に富が分配され消費が高度にすることによる、消費需要の拡大・高度化が経済発展のエネルギーになる
- つまり、人間がみな私的利益を追求することで消費需要が拡大・高度化することが、公益になる
ヒュームの思想により、個人の私的利益が公益に繋がることが明確に論じられ、それがその後のアダム・スミスによる経済学の体系化を準備することになりました。
このように、18世紀の啓蒙主義は、それぞれが様々なことを論じつつ、次の世代に繋がれていき、それがその後の政治学・経済学の源流となる思想を生み出した点に功績があるのです。
啓蒙主義の思想家の一部は重農主義という経済学の思想の担い手となり、重農主義はさらにアダムスミスの経済学の体系化に影響を与えました。それぞれ詳しくは以下の記事でご覧ください。
ここまでをまとめます。
- スコットランドでは、隣国イングランドの経済的・政治的発展に影響されて経済や道徳を中心とした思想が発達した
- スコットランド啓蒙主義から、人間の利己的な行動が公益に繋がるという経済学の源となる思想が生まれた
3章:啓蒙主義について学べる書籍リスト
啓蒙主義について、ある程度理解できたでしょうか?
啓蒙主義は簡単にはひとまとめにできない多様な思想でもあるので、詳しく知りたい方はぜひこれから紹介する書籍を読んでみてください。
政治学や経済学の源流がどのように生まれたのか理解できますし、啓蒙主義的な進歩に対するあくなき探究心が、現代社会にも影響を及ぼしていることがよく分かるはずです。
オススメ度★★★ロイ・ポーター『啓蒙主義-ヨーロッパ史入門』(岩波書店)
啓蒙主義を広くまとめ、また「啓蒙主義研究」の動向までまとめた良書です。詳しくしりたい方は必読です。
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オススメ度★★坂本達哉『社会思想の歴史-マキャヴェリからロールズまで-』(名古屋大学出版会)
社会思想の歴史について書かれた非常に良いテキストです。啓蒙主義についてはもちろん、その前後の思想も書かれているため、どのような流れで生まれた思想なのかよく分かります。
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オススメ度★★弓削尚子『啓蒙の世紀と文明観 (世界史リブレット)』(山川出版社)
啓蒙主義についてわずか90ページでコンパクトにまとめられています。このシリーズはとても分かりやすくポイントが学べるため、さらっと知りたい方におすすめです。
一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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まとめ
この記事の内容をまとめます。
- 啓蒙主義は、17世紀の学問の上に政治的に安定した18世紀だからこそ生まれた進歩的な思想
- 啓蒙主義は、人間が利己的に行動しても公益が実現できるという思想を生んだ
- 啓蒙主義は、野蛮から文明社会へという直線的な発展を前提にしていたため、その後批判された
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