都市社会学(Urban Sociology)とは、1910年-1920年代に急速な都市化が進んだシカゴ(Chicago)を対象として、社会学的な研究が発展したことに起源をもつ社会学の一分野です。都市生活における生活様式、生活構造、社会意識、文化などを実証的に分析しています。
都市社会学の起源はある時代のアメリカですが、急速な都市化を経験した日本社会でもその理論や分析の視点は応用されています。
都市社会学の発展に伴い「新都市社会学」や「都市論」などの理論的立場が登場し、都市をめぐる分析はさらに精緻化しています。
そこで、この記事では、
- 都市社会学における「都市」の意味
- 都市社会学の歴史
- 都市社会学の理論
- 都市社会学と日本社会
をそれぞれ解説します。
ぜひ興味のある箇所から読み進めてください。
このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。
ぜひブックマーク&フォローしてこれからもご覧ください。→Twitterのフォローはこちら
1章:都市社会学とはなにか?
1章では、都市社会学を概説します。都市社会学と日本社会の関係に関心のある方は、2章から読んでみてください。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1: 都市社会学における「都市」の意味
まず、冒頭で提示した都市社会学の特徴を確認すると、次のようになります。
- 1910年-1920年代に急速な都市化が進んだシカゴ(Chicago)を対象として、社会学的な研究が発展したことに起源をもつ社会学の一分野である
- 都市生活における生活様式、生活構造、社会意識、文化などを実証的に分析した
- 現在では「新都市社会学」や「都市論」という理論的立場がある
都市社会学における「都市」の定義はマックス・ウェーバー(Max Weber 1864年ー1920年)やルイス・ワース(Louis Wirth 1897年ー1952年)のものが有名です。
ウェーバーとワースは同じような「都市」の定義を提示しました。両者の共通点は次の通りです2橋爪 大三郎 、大澤 真幸、若林 幹夫、吉見 俊哉、野田 潤(編) 『社会学講義』 (筑摩書房)。
ウェーバーとワースによる「都市」の定義
- 家屋が連なる定住地であること
- 大量の人口が密集している土地であること
- 多くの住民が商工業労働者であること
- 住民同士の親密な関係が欠落していること
ウェーバーとワースはこれらの条件を提示しましたが、私たちの経験と一致しない場合も多いと思います。たとえば、「下町」における親密な人間関係は上述の定義には符合しません。
ウェーバーとワースによる「都市」の定義は古典的な定義ですので、ここで触れましたが、重要なのはあなたの経験と比較して、都市のあり方・定義を考えていくことかもしれません。
あらゆる都市に適応可能な普遍的定義を提示することは難しいですが、思考的な遊びとしてあなたの暮らす都市の特徴を考えてみると面白いかもしれません。
1-2: 都市社会学の歴史:シカゴ学派
さて、都市社会学は起源はアメリカ社会学の一派の「シカゴ学派」にあるといわれます。
「シカゴ学派」には、
- ロバート・パーク
- ルイス・ワース
- アーネスト・バージェス
といった著名な学者がいました。
これらの学者は、1910-1920年代におけるシカゴという都市の変容を目撃し、「都市とはなにか?」「社会とはなにか?」といった疑問に回答しようと試みます。
シカゴを対象にした研究や分析が蓄積されると、それは「都市社会学」といわれるようになります。ここではシカゴ学派が用いた分析理論を紹介します。
1-3: 都市社会学の理論:人間生態学とアーバニズム論
シカゴ学派の理論的立場は「人間生態学」と「アーバニズム論」があります3橋爪 大三郎 、大澤 真幸、若林 幹夫、吉見 俊哉、野田 潤(編) 『社会学講義』 (筑摩書房)。
1-3-1: シカゴ学派と人間生態学
人間生態学とは、
人間や人間集団間の生態学的な淘汰の結果、都市空間に秩序が生まれると考える立場
を指します。
具体的に、人間生態学の立場は「動物生態学」や「植物生態学」をモデルとしながら、「いかに都市空間に社会的な秩序が構成されるのか?」「その都市空間はどのように変容するのか?」といった問いを投げかけました。
「なぜ人間生態をモデルとするの?」と思う方が多いと思います。その疑問には人間生態学的立場は、「文化的な社会」と「共生的な社会」という二つの側面から社会を捉えるからといえます。
文化的な社会と共生的な社会は、次のような関係をもっています。
文化的な社会と共生的な社会の関係
- 文化的な社会・・・コミュニケーションや合意に基づく制度や慣習が秩序を生み出す
- 共生的な社会・・・文化的な社会の「土台」には人間や人間集団間の競争や淘汰があり、それが共生的な関係を作り上げている
つまり、文化的な社会と共生的な社会の関係は、マルクス主義における上部構造と下部構造に近いです。
都市部における共生的な関係を基層として分析をおこなうため、この立場は「人間生態学」といわれました。
1-3-2: シカゴ学派とアーバニズム論
アーバニズム論の論点はシンプルですので、わかりやすいと思います。
アーバニズム論では、
- 都市という変数を大量・高密度・高異質的な人口の土地であると定義
- 都市における人間の行動(利己的行動、階級、エスニック集団等)を変数から説明する
といった特徴があります。
シカゴ学派の理論には批判もありますが、今日私たちが「都市社会学」というとき、その「土台」となるのは上述した分析理論です。
1-4: 都市社会学と新都市社会学
さて、1960年代から1970年代になると、マルクス主義陣営から都市社会学に対する批判が出現してきます。その一派は「新都市社会学」といわれました5橋爪 大三郎 、大澤 真幸、若林 幹夫、吉見 俊哉、野田 潤(編) 『社会学講義』 (筑摩書房)。
具体的に、新都市社会学は次のような批判をしました。
- 都市社会学がいう「都市」は、資本主義社会における文化様式や生産様式である
- 「都市」という言葉で表現されるものは、実は資本主義社会における文化主義的なイデオロギーである
マルクス主義的にいうならば、ある生産様式を「都市」という言葉で表現するのは間違っているということです。
ちなみに、マルクス主義に関しては以下の記事で詳しいです。
→【マルクス経済学とは】史的唯物論から『資本論』の世界まで解説
→【上部構造・下部構造とはなにか】マルクスの議論をわかりやすく解説
1-4-1: 新都市社会学とカステルの議論
新都市社会学の代表的な論者は、マニュエル・カステル(Manuel Castells 1942年−)です。カステルは都市社会学に対する批判的な視点から、新たな都市社会学のあり方を追求していきます。
カステルは都市の問題を空間と社会の関係であると主張し、都市空間は社会的な生産と消費が必須の要件の社会であると捉えました。
経済決定論を回避しようとするアルチュール学派の影響を受けたカステルは、都市空間における社会的な生産と消費が経済、政治、文化のなかで重層的に決定されていると主張したのです。
つまり、経済的な下部構造の決定の結果として社会を捉えるのではなく、政治的な権力や都市におけるシンボリズムなどの要素をとおして構成される社会をカステルは想定しています。
カステルの議論は彼の代表作である『都市問題』(1984)を参照ください。日本でも影響力をもった議論で、都市空間に興味のある方には必須本です。
- 都市社会学とは1910年-1920年代に急速な都市化が進んだシカゴ(Chicago)を対象として、社会学的な研究が発展したことに起源をもつ社会学の一分野。都市生活における生活様式、生活構造、社会意識、文化などを実証的に分析
- シカゴ学派の理論的立場は「人間生態学」と「アーバニズム論」
- マルクス主義陣営から都市社会学に対する批判が出現し、その一派は「新都市社会学」といわれる
2章:都市社会学と日本社会
1章は都市社会学が立ち現れる歴史や理論が中心でしたが、2章では日本社会における都市空間について紹介します。
2-1: 都市社会学と日本社会:「マチ」から「都市」への発展
社会学者の中村晋介によると、日本社会において「都市」の原型は近世期に確立しています6 中村晋介「地域社会」『社会学―基礎概念と射程』九州大学出版会。具体的に、日本社会の近世期には、次のような歴史があります。
- 幕藩体制のもと政治的に安定した状態で、城下町や宿場町などの「マチ」が誕生した
- 「マチ」には防災、防疫、ゴミの処理等の相互扶助システムが確立した
そして、日本社会における「マチ」は2度の波をうけることで「都市」へ発展していきます。
2-1-1: 「マチ」から「都市」への発展:第一の波
第一の波は、
1920-1930年代における産業化と資本主義化の影響のもと、地方行政機関の再編成
を意味します。
この時期の日本社会は、
- 重化学工業の発展により、都市部での労働機会の増加(特に、繊維産業や鉄工業)
- 農村部の経済的停滞
といった状況的な特徴がありました。
その結果、都市部人口比率(都市部人口/総人口×100)ははじめて30%を突破します(1920年18.2%→1930年33%)。
この時期に多くの人口が都市部を目指しますが、
- その大半は出稼ぎ労働者、日雇い雇用などの下層労働
- 中心は、「マチ」に代々住み続ける人びと
でした。このような理由から都市の発展は限定的なものでした。
2-1-2: 「マチ」から「都市」への発展:第二の波
第二の波は、
1950-1970年代の高度経済成長期
を意味します。
この時期の日本社会は、
- 敗戦に伴う社会体制の変革、石炭から石油へのエネルギー革命、交通網の整備などによる産業化と工業化(たとえば、太平洋ベルト)
- 貿易の再開による農産物の価格低下
という特徴があります。
これらの社会的影響を受けて、都市部の人口は1950年37.5%→1965年68.1%→1975年75.9%に達します。
村落部から都市部へのこの大移動は、次のような問題を作り出しました。
- 村落部に深刻なダメージを与える(人口流入の典型が若者層であったため)
- 都市部では大量の人びとが流入したことで人間関係の希薄化、相互扶助システムの機能不全
大まかにこのような2つの波をうけて、日本社会における近世的な慣習やしきたりが形骸化し、「マチ」が「都市」に変化したのです。
日本社会における「都市化」をさらに詳しく知りたい方は、社会学者の中村晋介の議論を参照ください。
2-2: 都市社会学と日本社会:都市に暮らすという経験
2つの波を経て都市化した日本社会は、多くの人に「都市の経験」を強いるようになります。社会学者の永井良和は「都市に暮らす経験」の特徴を提示しています7永井良和「都市という空間」『基礎社会学』世界思想社。
- 外部環境への依存・・・食料やエネルギーの自給ができない環境であること
- 匿名性と自由・・・見知らぬ人びとに囲まれて暮らす匿名性がある一方で、伝統や制度から解放という自由があること
- ひとり者の社会・・・地方出身の学生や高齢者などの一人暮らしが進行すること
- 画一化の進行・・・街並みからサービスまで効率化を重視した様式が広がることで都市の画一化が進行すること
- 再開発・・・再開発によるホームレスなどの立ち退き。「安全な」都市は誰のための「安全」なのか?を考える必要がある
グローバリゼーションに伴う外国人労働者の増加を考えると、都市問題はさらに複雑になっています。そういった意味でも、都市問題は人間共存の可能性を模索する人類普遍の課題です。
このような理由から、「都市」を「社会学的」に研究にするとは現在注目される分野の一つであり、将来の発展性をもった大事な分野なのです。
これまでの内容をまとめます。
- 日本社会における「マチ」は2度の波をうけることで「都市」へ発展した
- 都市的な経験は、人類にとって普遍的な問題系を扱うことでもある
3章:都市社会学の学び方
どうでしょう?都市社会学について理解を深めることはできましたか?最後に、あなたの学びを深めるためのおすすめ書物を紹介します。
橋爪 大三郎 、大澤 真幸、若林 幹夫、吉見 俊哉、野田 潤(編) 『社会学講義』 (筑摩書房)
都市社会学の理論的発展を解説した章が特にオススメです。この記事でも参照していますが、さらに詳しい内容が具体例とともに解説されています。「社会学」が「都市」を研究する意味がわかる本。
井上 俊、伊藤 公雄(編) 『都市的世界』(世界思想社)
都市社会学を学ぶための基本的な理論を解説した本。シカゴ学派の古典的な理論からフィールドワークまで述べられているので、初学者に重宝される本でしょう。
(2020/05/17 11:26:35時点 Amazon調べ-詳細)
一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
最初の1冊は無料でもらえますので、まずは1度試してみてください。
また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
Amazonプライムは、1ヶ月無料で利用することができますので非常に有益です。学生なら6ヶ月無料です。
数百冊の書物に加えて、
- 「映画見放題」
- 「お急ぎ便の送料無料」
- 「書籍のポイント還元最大10%(学生の場合)」
などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。
まとめ
最後に今回の内容をまとめます。
- 都市社会学とは1910年-1920年代に急速な都市化が進んだシカゴ(Chicago)を対象として、社会学的な研究が発展したことに起源をもつ社会学の一分野。都市生活における生活様式、生活構造、社会意識、文化などを実証的に分析
- シカゴ学派の基礎的な理論立場は「人間生態学」と「アーバニズム論」
- 日本社会における「マチ」は2度の波をうけることで「都市」へ発展し、現在ではさまざまな問題を抱えている
このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。
ぜひブックマーク&フォローしてこれからもご覧ください。→Twitterのフォローはこちら