日本政治

【象徴天皇制とは】起源・役割・戦前との違いをわかりやすく解説

象徴天皇制とは

象徴天皇制とは、天皇が政治権力を持たず国民統合の「象徴」としての役割を務める体制のことです1定義には議論があるが、茶谷誠一『象徴天皇制の成立』NHKブックスで象徴天皇制をめぐる議論が整理されている。

象徴天皇制は日本国憲法(1946年発布)によって規定され、昭和、平成を経て令和の徳仁天皇に引き継がれています。

象徴天皇制という言葉は非常によく耳にしますが、多くの人にとって「結局どういう体制のことなのか」「それ以前の天皇制とどう変わったのか」「天皇の役割とはどんなものなのか」疑問があるのではないかと思います。

そこでこの記事では、象徴天皇制について理解できるように、

  • 象徴天皇制の憲法における規定
  • 象徴天皇制における天皇の役割
  • 象徴天皇制という政治体制について
  • 昭和、平成、令和天皇の象徴としての姿について

を、初心者向けに詳しく解説します。

天皇制について否定派であろうが肯定派であろうが、まず必要なのは正しい知識です。関心のあるところから読んでみてください。

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※なお、本来なら天皇陛下やその他の皇族をテーマにする場合、最高敬語を使うべきですが、この記事では政治学の記事としての立場と読みやすさを優先するために、適宜省略させていただきます。

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1章:象徴天皇制とは

繰り返しになりますが、象徴天皇制とは天皇が政治権力を持たず国民統合の「象徴」としての役割を務める体制のことです。

日本国憲法には、第1条で天皇制について以下のように規定されています。

第一条

天皇 は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

ここでは、

  • 天皇の役割…国民統合の象徴
  • 天皇の正当性…国民の総意

ということが言われています。

「憲法にも書かれている象徴ってどういうこと?」と疑問かもしれません。象徴とは、英語で言えばシンボル(symbol)です。天皇は「国民統合」の「象徴」ですから、日本人が「私たちは日本人だよね」というイメージを共有する上でのいわばシンボルであるのが天皇の役割なのです。

「国民統合に象徴が必要ってどういうこと?」とまだピンと来ないかもしれません。象徴が必要とされる理由を理解するためには、私たちが暮らす時代の国家が「国民国家」であることを知っておく必要があります。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注2ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:国民国家としての日本

国民国家とは、中央集権的な権力が存在し、国内で暮らす人々に「国民」としての意識が共有されている国家のことです3塩川伸明『民族とネイション』などで整理されているように、国民統合やナショナリズムをめぐる議論には様々なものがありますが、ここでは初学者がこの先の議論を理解するためのおおまかなもの説明と捉えてください。

「国民としての意識」とは、簡単に言えば「私たちは日本人だよね」という意識のことです。

もちろん国内には外国人や、日本国籍でも海外にルーツを持つ人々はいるのですが、国内の大多数の人が「私たち○○人」という意識を共有していれば、「国民」意識が共有されていると言って良いと思います。

1-2:日本の国民国家化の歴史と天皇

「私たちが日本人って当たり前じゃないの?」と思われるかもしれませんが、このような意識を日本人が持つようになったのは、おそらく明治維新以降ではないかと考えられています。

つまり日本人は、150年前くらいまでは「日本人」としての意識を持っていなかったのです4塩川、前掲書77-88頁

その理由には主に以下のものが考えられます。

  • 徳川幕府が存在していたとは言え、藩もそれなりに権力を持った独立した存在で、現在ほどの中央集権的(権力を一手に集めている)政府ではなかった
  • 国内で暮らす人々は、自分たちが日本人であるというより「○○藩の人間」「○○村の人間」という意識を持っていた
  • 言語もバラバラ(方言が強い)で標準語がなかった
  • アイヌや琉球民族など少数民族が存在した
  • 全国新聞もTVもネットもない時代、日本という国家単位のまとまりを知る媒体が存在しなかった

しかし、幕末になり海外から開国を迫られ、西洋の強力な国家に対抗していかなければならなくなりました。

そこで、以下のようなことが行われて国民国家としての日本が成立したのです。

  • 沖縄(琉球)や北海道が明確に日本の領土とされた
  • 和人(日本の本土の多くの民族)と異なるアイヌや沖縄の人に対し、言語や文化の同化政策が行われた
  • それ以外の地方に対しても、標準語が普及された
  • 天皇の存在や歴史、神道をシンボルに日本の民族としての統一感が醸成された

ここで重要なのが、天皇の存在が国民国家としての統一に活用された点です。

国民国家として「私たち日本人」という意識を作るためには、共通の言語、歴史、文化、宗教などの存在が必要になります。

そこで、日本の建国神話(記紀神話)から現代まで続くとされる、長い歴史を持った天皇の存在が国家としての強い一体感を作るためにとても役立ったのです5原武史『日本政治思想史』第5章、6章に詳しい

国民統合や国民としての意識(ナショナリズム)について、詳しくは以下の記事で解説しています。

【ナショナリズム・国民国家とは】成立過程から問題までわかりやすく解説

また、天皇と神話や神道との結びつきについて、詳しくは以下の記事をご覧ください。

【神道とは】宗派・特徴・原始から現代までの歴史をわかりやすく解説



1-3:象徴としての天皇の意義・役割

ここまで説明すれば、なんとなく分かってきたのではないでしょうか。

私たちが「私たち日本人」という意識を無自覚に持つことができるのは、日本人としての統一された言語や文化、歴史を持つためです。そして、象徴天皇制における「象徴としての天皇」は、強い「私たち日本人」としての意識を醸成する面があると考えられます。

令和元年(2019年)の11月には、徳仁天皇の即位礼正殿の儀が行われました。テレビでご覧になった方も多いのではないでしょうか。

あのような儀礼を見ることで、日本人は天皇の存在や日本の文化、歴史を強く意識し、日本人としての意識を強めることができる、そのような役割が象徴としての天皇にあるということです。

国民としての意識が必要なのは、現代でも人間は本質的には国家という枠組みで生きていくものだからです。

いくらグローバル化が進んだとは言え、まだ人間も会社法人もどこかの特定の国に所属しなければならないことになっています。そのような仕組みで世界ができている以上、国民としての意識は必要なものです。

国民意識がまったく欠如した人が増えれば、法令順守の監視や治安維持、公共サービスの提供など国家の統治コストが高まると考えられます。

1-4:象徴天皇の仕事(国事行為)

ここまでやや抽象的なことを説明してきましたが、「天皇って具体的にはどんなことをしてるの?」と思われるかもしれません。

天皇が日常的に行っている行為の多くは「国事行為」として日本国憲法に規定されている以下のようなものです。

  • 内閣総理大臣の任命(第6条)
  • 最高裁判所長官の任命(第6条)
  • 憲法改正、法律、政令および条約の交付(第7条第1号)
  • 国会の召集(第7条第2号)
  • 衆議院の解散(第7条第3号)
  • 総選挙の施行の公示(第7条第4号)
  • 国務大臣その他の官吏の任免、全権委任状及び大使公使の信任状の認証(第7条第5号)
  • 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権の認証(第7条第6号)
  • 栄典の授与(第7条第7号)
  • 批准書その他の外交文書の認証(第7条第8号)
  • 外国の大使、公使の接受(第7条第9号)
  • 儀式(第7条第10号)

とはいえ、天皇・皇后による巡幸(日本や海外を回りながら現地の人々と触れ合う行為)のように、国事行為と規定されていない行為も行われています。

それは、敗戦後に天皇自身が「象徴」としての務めを果たすために必要と考え、実践してきたからです6原、前掲書15章

次に、象徴天皇制は憲法上どのように規定されているのか、明治憲法における天皇制と比較して説明します。

1章のまとめ
  • 象徴天皇制における天皇の役割は、「国民統合の象徴」である
  • 天皇の存在は、「私たち日本人」という国民意識を高める意義がある
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2章:憲法から分かる象徴天皇制と近代天皇制の違い

象徴天皇制について理解するには、「象徴天皇制ではなかった」天皇制と比較すると分かりやすいです。

象徴天皇制は、1946年11月3日に発布され、1947年5月3日に施行された「日本国憲法」ではじめて規定され、始まったものです。

そして明治維新後に制定されてから大日本国憲法が制定されるまでの間は、象徴天皇制ではありませんでした。明治~敗戦までの天皇制のことを、ここでは「近代天皇制」としましょう。

この「象徴天皇制」と「近代天皇制」を比較すると、象徴天皇制がどのようなものなのか分かりやすいです。

象徴天皇制は日本国憲法で、近代天皇制は大日本帝国憲法で規定されていますので、それぞれの規定から以下のように整理できます。

象徴天皇制
(日本国憲法)
近代天皇制
(大日本帝国憲法)
制定者 GHQと日本政府 明治天皇(欽定憲法)
主権者 国民 天皇
天皇の権威の正当性 主権者である国民の総意 古代より続く万世一系の
統治者としての家系
天皇の役割 国民統合の象徴 国家の総攬者

近代天皇制と象徴天皇制にはさまざまな違いがあるのですが、大きくは上記の4つの点で違いがあります。

簡単に説明します。

2-1:制定者

そもそも、大日本帝国憲法は明治天皇が制定した憲法です。

もちろん明治体制では天皇の権力が大きかったとはいえ、「立憲君主制」つまり憲法によって天皇の権力をある程度制御する仕組みなので、好き勝手に天皇が決めたわけではありません。とはいえ、天皇の意向が大きく反映された点で現代の日本国憲法とは大きく性質が異なります。

日本国憲法は、敗戦後にGHQが草案を作り、それに日本の政治家が手を加えて作った憲法です。

第二次世界大戦下の日本の権力のトップは天皇とされていましたから、その天皇の権力が大きくそがれる形になりました。
※憲法制定のプロセスについては、後ほど解説します。



2-2:主権者

憲法上、明治憲法では主権者は天皇であり、日本国憲法では主権者は国民と規定されています。

主権者とは、「国家を統治する人」という意味です。そのため、主権者が天皇であるとは「国家を動かす権力を持っているのは天皇」という意味になり、主権者が国民(国民主権)とは、「国家を動かす権力を持っているのは国民」という意味になります。

「でも、今の国を動かしているのは政治家でしょ?」と思われるかもしれませんが、政治家はあくまで政治における国民の代理人であり、「忙しい国民に代わって、政治を行ってくれる人」という仕組みになっています(もちろんこれは仕組みの上の話で、実態は別の話です)。

主権者が天皇ではなく国民と憲法に規定されたことで、日本は仕組み上は民主主義の国として成立することができたのです。

2-3:天皇の地位の正当性

天皇の地位について、それぞれの憲法には、

  • 象徴天皇制:国民の総意に基づく
  • 近代天皇制:万世一系の家系であること

と記されています。

まず、明治から大戦までの近代天皇制における天皇は、非常に強い権力を持っており、国家の権力の頂点に座していました。なぜそんな権力を握ることが認められたのでしょうか?

その正当性は、古代から続く万世一系の統治者としての家系にあることとされていたのです。

  • 天皇家は、記紀神話(『日本書紀』『古事記』に記された日本の神話)にルーツを持つ神であり、日本をずっと統治していた家系である
  • 日本の国民は、「天皇の子」である

簡単に言えば、「ずっと日本を統治してきた神の家系であり、日本人はずっと被統治者だったから」という理由で天皇の支配が正当化されていた、ということです。

詳しくは下記の記事もご覧ください。

【古代天皇とは】歴史・実在性や学術的議論をわかりやすく解説

これに対し、象徴天皇制における天皇の地位は、「主権者である国民の総意に基づく」とされています。つまり、国民のみんなが天皇の存在を認めているから、天皇が天皇として今でも存在することができているのだ、ということが憲法に書かれているのです。



2-4:天皇の役割

天皇の役割は、日本国憲法と明治憲法で以下のように区別されています。

  • 象徴天皇制:国民の象徴
  • 近代天皇制:国家の総攬者

「象徴」については1章で説明した通りです。

これに対して、明治憲法における「国家の総攬者」とは、簡単に言えば国家の統治権を一手に掌握しているということです。

つまり、ここまでも書いてきた通り天皇の役割は権力のトップとしての立場である、ということが明治憲法には書かれていたのです。

まとめると、象徴天皇制における天皇の権力や立場は、明治憲法のそれと比べて非常に弱く、あいまいなものになっていることが分かると思います。

■天皇の政治とのかかわり

象徴天皇制における天皇は、政治的権力を奪われ政治に関与できなくなりました。それは、大戦に進んだ時代に天皇が権力者であったためです。

そのため、敗戦後の天皇は政治的発言を避けられるようになりました。なぜなら、たとえ政治体制が民主主義的でも、天皇が憲法を逸脱して「こんな国家にしたい」などと政治的発言をしてしまうと、国民の支持を集めて国会や内閣、政党の権力がそがれてしまう可能性があるからです。

天皇が「象徴」として権威を持っている以上、天皇と政治権力が結びつかないように慎重にならなければいけないということです。

では、実際、象徴天皇制はどのように作られたのでしょうか?また、その実態はどのようなものでしょうか?

3章では象徴天皇制の歴史を簡単に説明します。

2章のまとめ
  • 象徴天皇制は、1946年に発布された日本国憲法に規定されてはじまったもの
  • 日本国憲法では、天皇の役割や権力の頂点(総攬者)から象徴に変化し、天皇の立場は
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3章:象徴天皇制の歴史

象徴天皇制の歴史は昭和天皇からはじまったため、まだ歴史的には浅いものです。

しかし、大きくとらえれば「癒し」「祈り」という行為が積極的に行われるようになった歴史として捉えることができるでしょう。これから説明します。

3-1:日本国憲法の制定

まずは、象徴天皇制を規定することになった日本国憲法が作られる過程から説明します。

そもそも、昭和天皇は権力のトップにいながら戦争を止めることができなかったため、本来なら敗戦後、何らかの形で責任を取ることが避けられないはずでした。実際、戦後は国内外で天皇の責任に対し肯定論、否定論が激しく議論されました。

しかし、日本を占領したマッカーサーは、天皇に責任を取らせて退位させることなく、そのまま在位させて天皇としての役割を引き続き行うことを求めました。なぜなら、マッカーサーは以下のように考えたからです7マッカーサーと天皇制について原、前掲書15章、茶谷、前掲書1章などに詳しい

  • 敗戦後の日本人による抵抗がほとんどなかったのは、天皇が直接国民に語り掛けて敗戦を宣言したからだった
  • 円滑に日本を占領する上では、天皇に責任を取らせるよりも、天皇の存在を利用した方が良い

したがって、昭和天皇は戦争犯罪人として裁かれることなく在位を続けることになりました。

しかし、戦前・戦中の日本では、天皇は神として国民を統治していたため、その国民の意識は変えなければなりません。そこで、天皇は「人間宣言」を行い、特別な神ではなくいち人間であることを宣言しました。

その後、マッカーサー・GHQが主導して草案が作られ、そこに日本の政治家が手を加えて作ったのが1章、2章でも説明してきた日本国憲法です。



3-2:天皇の皇后化

天皇は「象徴」という枠組みに規定されることになり、どのような行為を行うようになったのでしょう?

まず昭和天皇が戦後に行った象徴的な行為は、1946年~1954年にかけて沖縄県を除く全国を天皇が回った「巡幸」です(沖縄県はアメリカの執政下にあったため訪れませんでした)。

この巡幸の目的は、大戦で傷ついた国民の心を癒し励ますことでした。

天皇はこの戦後巡幸で、さまざまな場所を訪れましたが、特に、

  • 病院や療養所
  • 戦災孤児の施設

などの施設を訪れています。戦前は軍事施設を訪れることが多かったのと対象的です。

単純化して言えば、戦前・戦中は強い権力の頂点であった天皇像から、癒し、励ましの天皇像へと転換していったのです。このような天皇の行為の転換を、天皇制研究で著名な原武史は「天皇の皇后化」と説明しています。

病院や療養所を訪れ国民を癒し、励ますという役割は、戦前は皇后が積極的に行っていたからです。

現代の私たちがイメージする、巡幸しながら国民を励ます天皇のイメージは、強い天皇から癒しの天皇へと、敗戦直後の時期から転換していった結果生まれたものだと知っておいてください8原武史『日本政治思想史』2017、放送大学出版など

3-3:平成・明仁天皇の行為

さて、天皇に関する論点は他にもたくさんありますが、ここでは「象徴としてどのような行為をしてきたか?」ということに絞り、平成の明仁天皇の行為に進みます。

あなたは、平成の時代の天皇陛下にどのような印象を持っていますか?多くの方は、「癒し」「励まし」「祈り」などの印象があるのではないでしょうか。

昭和天皇は、戦前と戦後で「強い」「男性的」「権力」の天皇から、「象徴」「癒し」の天皇へと転換しましたが、そんな父である天皇の姿を見て、明仁天皇はより「癒し」「励まし」そして「祈り」の天皇へと進んで行った、と言うことが言えると思います。

平成・明仁天皇は皇后と共に、

  • 沖縄やアジア太平洋の、太平洋戦争の戦地
  • 災害の被災地
  • 福祉施設、医療施設

などを積極的に訪れており、その姿をテレビ等で見てきた方は多いと思います。

天皇の被災地や高齢者施設、医療施設などを巡幸し直接語り掛けて励ますイメージは、ある意味で明仁天皇が作ってきたものだとも言えるでしょう。このように、昭和・裕仁天皇も平成・明仁天皇も、それぞれが「象徴」としての役割を模索してきた歴史があるのです。

こうした天皇・皇后の巡幸し、祈る姿が報道されることで、国民は天皇の存在を強く感じ、それが「国民統合の象徴」としての天皇の存在感に繋がっています。

こうした姿は、令和・徳仁天皇にも引き継がれていくことでしょう。

3章のまとめ
  • 昭和天皇が戦争犯罪人として裁かれず退位しなかったのは、マッカーサーが天皇が在位したままの方が占領しやすいと考えたため
  • 昭和天皇は敗戦後、病院や戦争孤児の施設などを巡幸し、戦前の皇后のような役割を担うようになった
  • 平成・明仁天皇(現上皇)は、昭和天皇の象徴としての役割を引き継ぎ「癒し」「祈り」の行為を積極的に行った

4章:象徴天皇制のおすすめ本

象徴天皇制について理解を深めることができましたか?

象徴天皇制は、政治学の研究者の間でも政治家や議論の世界でも議論され続けているテーマですので、基本的な知識を押さえたうえで、より深い議論を学んでみることをおすすめします。

これから紹介する本は、より象徴天皇制についてより深く学ぶ上でとてもいい本です。

おすすめ書籍

「NHKスペシャル」取材班『日本人と象徴天皇』 (新潮新書)

この本は、象徴天皇制に関するテーマについて基本的なことが説明されており、また天皇が実際にどのような行為を行ってきたのか基本的なことが説明されています。象徴天皇制の入門書としてオススメです。

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赤坂憲雄『象徴天皇という物語』 (岩波現代文庫)

象徴天皇制について民俗学的な視点から書かれた本です。天皇の役割や行為は神道と深く関わるものですので、神道的な知識を絡めて学ぶことができる良い本です。

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茶谷誠一『象徴天皇制の成立-昭和天皇と宮中の「葛藤」-』(NHK出版)

この本は、象徴天皇制という仕組みがどのように作られていったのか、敗戦後の詳しいプロセスから解説された本です。象徴天皇制成立のプロセスや政治学的な議論が学べます。

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最後に、書物を電子版で読むこともオススメします。

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まとめ

この記事の内容をまとめます。

ここの記事のまとめ
  • 象徴天皇制は、日本国憲法に規定されはじまった天皇制
  • 象徴天皇制における天皇の役割は、国事行為を中心とするさまざまな行為を行うことによる、国民統合の象徴としてのもの
  • 天皇の行為は、より「癒し」「励まし」「祈り」を積極的に行うものとなってきた

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