南原繁とは、日本最初の西洋政治思想史研究者であり、太平洋戦争でファシズムを批判した日本の思想家です。
著名な日本政治思想研究者の丸山真男の師匠であり、日本に初めて西洋政治思想史の講座を東京帝国大学に開いた人物です。日本における政治思想のパイオニア的存在である南原を取り上げます。
この記事は、
- 南原の伝記的情報
- 南原の思想の特徴
- 南原の代表的著作・講演の概要(『国家と宗教』、『政治哲学序説』、「新日本の建設」、「新日本文化の創造」)
をそれぞれ解説していきます。
好きな箇所から読み進めてください。
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1章:南原繁とは
1章では南原の「伝記的情報」と「思想の特徴」を紹介します。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:南原繁の伝記的情報
南原は大日本帝国憲法が発布された1889年、香川県大川郡相生村(今の大川郡引田町)に、父貞吉と母きくの次男(長男は早世したため、繁が実質的な長男)として生まれました。
後に東大総長にまでなる南原ですが、彼は年少期を田舎の貧しい実家で過ごすことになります。少年・南原の生長に母きくは大きな影響を与えていきます。
- 通常よりも一年早く尋常小学校に南原を入学させた上に、12歳という異例の速さで小学校準教員資格を南原に取らせた
- 母きくがここまで南原に教育を施したのは、没落した南原家を南原によって再興させるためであった
- 南原は母の期待に答えて教員になることを志したが、南原の周囲の人々は南原を教員ではなく、中学校、高等学校、そしてそのあとに控える帝国大学にまで進学させることを母きくに勧めた
- 母きくも決心し、南原を中学校に進学させた
- その後、南原は頭角をあらわしていき、東京の第一高等学校へ入学することになった
しかし、そこで南原はきくの望んだ立身出世の方向へと向かいませんでした。南原はそこで人生を一変させる出会いをします。つまり、内村鑑三を中心とする無教会派(キリスト教)に出会ったのです。
当時、多くの青年は自分の人生の意味について悩んでいました(現在もあまり変わりがないのかもしれまん)。煩悶青年と呼ばれた彼らは精神的な指導者を求めていましたが、そうした状況下で大きな影響力をふるったのが無教会派とよばれるキリスト教の一派でした。
- 南原はキリスト教的な神に出会うことで、立身出世ではなく、さらなる高みを目指そうとした
- 母の望んだ家の再興ではなく、世のため人のために大事をなすことで神に仕えるという更に大きな目標を抱くようになる
経済的な利益ではなく、精神的な高みを果たそうとする南原の発想は、戦後に空襲によって荒廃した日本を再建させることを説いた「新日本の建設」「新日本文化の創造」という演説にまで引き継がれるのですが、そのことについては後で述べましょう。
高等学校卒業後には東京帝国大学法科大学政治学部に入学します。東大卒業後、一旦は内務省に入省して労働問題などの解決などに従事しますが、1921年には東大に舞い戻って学究生活を開始することになります。
当時、政治学は実証的な研究が大半を占めていましたが、南原は実証的な研究とは異なった、精神的な次元での研究を推し進めました。イギリスやドイツへの留学後、1925年には教授に就任し、名実ともに大学教授という職業としては日本で初めての西洋政治思想史研究者となりました。
南原はその後、表舞台からは姿を消して学究を続けていきます。しかし、1930年代が下るにつれて時勢が厳しくなり始めると、それに対応した研究を開始し、戦中の1942年にはついにナチスと京都学派の田辺元を批判した『国家と宗教』を出版するにいたります。
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戦争末期の1945年には終戦工作に携わり、戦後には東京大学総長に選出。その後旺盛に執筆活動や講演などを続けましたが、1974年に亡くなります(享年84歳)。
1-2:南原繁の思想の特徴
南原の思想の特徴は「キリスト教信仰」と「精神的な次元での研究」から説明できます。一つは、内村鑑三に由来するキリスト教信仰です。
1-2-1:キリスト教信仰
内村の創始した無教会派は、南原だけでなく近代日本の思想史そのものに深甚な影響を与えました。その理由は二つあります。一つは、内村のキリスト教が「無教会」という名前が指し示すように教会を認めなかったことです。
- これはカトリックに反対したプロテスタントを創始したマルティン・ルターの発想を突き詰めたものである
- ルターは聖書のみにキリスト教の本質を認め、教会などの制度を歴史的な歪曲の所産に過ぎないとして拒絶したあ
- つまり、聖書だけがキリストの精神を伝えているはずなのである
この考えは、内村を経由して南原にも引き継がれていきます。そして、教会の拒否はあらゆる外的な権威の拒絶に繋がります。聖書こそが本物ですので、その他のものはすべて偽物となるからです。
聖書を通じて我々一人一人は、神という真理に繋がっているのです。そのために、たとえば聖書に反する政府の命令などは時に拒絶の対象となります。政府の命令は聖書の真理とは違って偽物だからです。こうして当時の日本のキリスト者たちは政府と対立しました。
※→より詳しくはこちらの記事を参照ください。「プロテスタンティズムとは」「宗教改革とは」
しかし、内村は「二つのJ」を唱えることで、日本とキリストとを調和させようとします。この「二つのJ」が、内村の無教会主義が多くの日本人青年に受け入れられた二つ目の理由になります。
二つのJ
- ルターのようにキリストの真理を重視するのであれば、論理的に日本という共同体と対立せざるを得ない状況が出てくる
- たとえば、天皇とキリストのどちらの権威が優先されるかが非常に大きな問題となってしまう
- そこで、内村はキリストと日本とを等置することでこの問題を解こうとした。つまり、日本(Japan)という共同体もイエス(Jeseu)と調和しうると内村は主張した
このように、日本という共同体を神の目的に仕させることが出来ると内村は考えたのです。
こうして多くの青年たちは、青年特有の純粋さをもって神のため世のため人のために社会改良へと乗り出していきました。南原もその一員だったわけです。
1-2-2:精神的な次元での研究
そして、南原のその具体的な社会改良の場は政治思想という学問でした。ここで、南原の思想的特徴の二つ目である、実証的な研究ではなく精神的な次元での研究が出てきます。
神に悩んだ南原にとって、重要だったのは何処其処の国の制度ではなく、人の思考を捕らえる世界観でした。つまり、制度ではなく人を動かす理念こそが重要であると南原は考えたのです。
制度や経済を離れて理想を訴えかける南原の思考は、時として浮世離れしているように見えますが、戦争によって生きる目標を失っていた青年たちに、内村が南原にしたように生きる希望を与えていきます。
しかし、南原の弟子である丸山は、そうした南原の姿勢に敬意を表しながらも神を説く南原を全て肯定することはできませんでした。その辺りの事情については最後に述べることにします。→丸山眞男についてはこちらの記事を参照してください。
ちなみに、南原の議論を始めて学ぶ方には、岩波の新書がオーソドックスであり、おすすめです。
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- 南原繁とは、日本最初の西洋政治思想史研究者であり、太平洋戦争でファシズムを批判した日本の思想家である
- 南原の思想の特徴は「キリスト教信仰」と「精神的な次元での研究」から説明できる
2章:南原繁の代表的著作・講演とその解説
それではこれから、『国家と宗教』『政治哲学序説』「新日本の建設」「新日本文化の創造」を取り上げます。
2-1:『国家と宗教』
南原はナチスと京都学派の田辺元を批判した『国家と宗教』の出版によって、表舞台に姿を現すことになりました。
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南原がこれまでジャーナリズムに文章をほとんど寄せていなかっとこと、そしてこの著書が学問書の体裁をとっていたことから『国家と宗教』は発禁処分にはなりませんでした。しかし、発禁が一時検討されたほど、この本は当時の日本においては主張することが危険な内容が含まれていました。
南原は同書で帝国日本そのものを批判することは避けていますが、ナチスは明確に批判しています。
ナチス批判
- 南原によれば、ナチスは神を失った人間が行き着く破局であった
- ルネッサンスによって我々人間は「人間」を発見し、ルターの宗教改革によって「神」を発見したが、人間と神との調和はそう長くは続かなかった
- 近代文明の発展によって、実証主義的な科学が勃興し、それは人間から生きる意味と神を剥奪した
- 数式や化学式は人間に生きる意味を与えてくれるわけではなかった
こうして、生きる意味を求めたドイツ人はナチスが提供してくれる「血と土」という神話に生きる意味を見出していきます。
つまり、優等民族たるアーリア人(ドイツ人)が他の国家の国土を征服していく権利と義務があるという物語に、ドイツ人たちは生きる意味を見出したのです。
こうして、南原はナチス誕生の精神的背景を読み解きながら、それへの対処として「神」の再発見を主張します。
- 近代文明の進展を止めることが出来ない以上、科学が人間から生きる意味を奪っていく運命を変えることはできない
- 生きる意味や目標を与えてくれる存在がわれわれには必要なのである
- しかし、それはナチスが主張するように人種という「科学」であってはいけない
- 科学を超越した「神」という普遍的な真理が我々には要請されるはずなのである
そして、これは当時の帝国日本への批判も含意していました。当時の日本は、天皇は万国無比の無窮の存在であると歴史学的に主張することで、他の国家や民族を征服することを正当化していました。
ナチスの「血と土」という神話と同様に、日本も別の神話を用いていたのです。『国家と宗教』の中には日本への批判的な直接的言及は含まれていませんでしたが、南原がナチス批判に仮託して何を言わんとしていたかは注意深い読者であれば明らかでした2南原繁『国家と宗教』(岩波文庫)。
とはいえ、『国家と宗教』ではナチス批判は登場するものの、南原自身の積極的な立場は出てきていません。それについては以下で見ていきましょう。
2-2:『政治哲学序説』
『政治哲学序説』は1971年に脱稿しましたが、同書の内容そのものは1930年代の講義に基づいており、その意味で前節において紹介した『国家と宗教』と深い関連性をもっています。
『政治哲学序説』は、神を前面に押し出した『国家と宗教』とは少しばかり異なって、新カント派の哲学を用いることで自身の議論を哲学的に補強しています。
新カント派の哲学については解説している記事がありますので、詳しい話はそちらに譲ります。しかし、新カント派の哲学のポイントを言うならば、それは文系と理系とを区別したということにあります。→より詳しくはこちら
- 南原はそこに眼をつけて、どちらかというと自然科学的な方法を採用する実証的な政治研究と自身の研究とを区別した
- つまり、南原は自然科学的な制度研究ではなく、文系的な理念の研究に自分の研究のアイデンティティを見出した
- そして更に、この新カント派の哲学と内村に由来する無教会派のキリスト教とをかけ合わせた
こうして出来上がった南原の政治哲学は二つの要素から成り立ちます3南原繁『南原繁著作集第5巻』(岩波書店)。
2-2-1:価値並行論
一つは「価値並行論」という発想です。新カント派の哲学は価値という判断基準によって理系と文系と区別しました。前者は価値が関係していないが、後者は価値が関係している、と考えたのです。
南原は新カント派の哲学者ハインリッヒ・リッカートの議論を引き継ぎ、価値によって人間の社会活動を理解しようとしました。
- 人間の社会活動は、真理という価値を追求する学問、善という価値を追求する道徳、美という価値を追求する芸術、そして正義という価値を追求する政治に分割されると考えた
- そして、それぞれの領域は互いに互いを征服することはなく、並列関係にある
- つまり、真理という価値を追求する学問に、正義という価値を追求する政治が介入することは認められない
- もちろん、学問、道徳、芸術も政治に介入することは許されない
- それぞれの領域はそれぞれの価値で営まれるべきなのである
このように南原は主張することで、たとえば「生」を高唱する美的なロマン主義者たちが政治に介入していったナチスを批判します。
2-2-2:意味批判
南原の政治哲学の二つ目の要素は「意味批判」です。先程、政治は正義という価値によって営まれなければならないと述べましたが、南原はこの地上に正義という価値が顕現しなければならないと考えました。
価値を現実世界に実現することを、南原は「意味批判」と呼びます。実は、ここで出てくる「意味」は新カント派の哲学においては、特別な哲学的意味合いをもっています。
- 価値はもちろんながら目に見えないし、現実には存在しないのですが、日々の生活で感じる「意味」は価値の存在を指し示してくれている
- たとえば、目の前で幼子が殺されようとしているのを見る時、そこには大人と子供という肉体的な存在の運動以上のものを我々は感じるはずである
- とっさの驚愕や、悲しみ、憐憫などといった「意味」を我々はそこに見て取るはずである
つまり、そしてそうした「意味」は道徳という価値を暗示しているのです。物質的な運動に汲み尽くされない「意味」は、価値を示しているわけです。
南原はこの意味を通じて正義という価値を現実の世界に引きずり降ろさないといけないと考えました。そして、ここに出てくるのが神です。
- 南原によれば、神が価値の存在を保証してくれる
- ある物事を正しい、あるいは正しくないと判断するとき、我々は真理という価値に服するが、その真理という価値に服さねばならないことを教えてくれるのは神なのである
- そして、正義という価値に我々は服さねばならないとすれば、その正義に適った行為は宗教的な色彩を帯びてくる
- 神に連なる正義という価値をこの世に実現する、つまり天国のような「神の国」を薄汚れたこの世である「地の国」に実現しなければならない
そしてここに、内村の無教会派の影響を見て取ることができす。キリスト者は社会に出て神の目的を実現しなければならないと内村は考えましたが、南原も正義という神の目的をこの世に実現しなければならないと考えたのです。
そして、発禁処分を覚悟しながらもナチスを批判した『国家と宗教』は、まさにその神の目的を実現するための戦いの記録なわけです。
南原の議論は「神ありき」であったと言えるでしょう。無宗教であることを疑わない現代の我々から見るならば、南原の議論はあまりにも神に頼りすぎているように見えます。
しかし、戦後の荒廃期において南原の言葉はキリスト者だけでなく、多くの日本人に国家再建の道を指し示しました。そのことについては以下で見ていきましょう。
2-3:「新日本の建設」「新日本文化の創造」
敗戦によって日本人は経済的にも精神的にも虚脱状態に陥りました。戦争の勝利を至上目的としていた日本人は、敗戦という事実によって目標を失ったのです。こうした状況におおいて、南原は日本人の行末をまるで預言者のように示そうとします。
敗戦後すぐに行われた「新日本の建設」という演説の中で、南原は学徒動員から復員してきた学生たちに、学問を通じて各自の主観の中に超個人的な普遍的なものが現われることを期待しつつ、次のように述べます。
少し長いですが、南原の演説の熱気を伝えるためにそのまま引用します4南原繁『南原繁著作集第6巻』(岩波書店)65-66頁。
今や偉いなる黎明が日本に、否、普く世界人類の上に明け初めんとしつつある。だが、それはなお暗黒を通してであり、未だ人類の――ことに我が日本の――辿る夜は深い。そこには多くの苦難や危険が、しかり、蹉跌が待っているかもしれぬ。全人類は相警めつつ、この暗黒と危険を突き抜けて、再び人類の過悪と惨害を繰り返してはならぬ。この苦難を乗り越えて、新しい平和の世界にまで各国民を結集せしめるものは何か。世界に普遍的な正義感と批判的な真理への慾求以外にはない。ことにそれは日本民族にとって生くべき唯一の道であり、なかんずく、われわれ学徒に負荷された「真理の戦」であると思う。
また、「新日本文化の創造」という別の演説では、更に南原は神を前面に押し出していきます。人間主観の内面を突き詰めた先にある神に出会うことによって、われわれは自由を手にすることが出来ると南原は主張します。
そして、今までわれわれを支配してきた民族宗教的な日本神学からの解放を、世界人類的な世界宗教、つまりキリスト教によって克服しなければならないと説きます。
連合国の統治政策によって政治社会制度は変革されつつありますが、いまだ精神面での変革は途上にあります。ここで南原は内的な知的=宗教的なる「精神革命」を主張します。南原はキリスト教という神による人間精神の回心を日本人に広く求めたのです。
しかし、ここで重要なのは、南原にとってキリスト教の回心は、あらゆる伝統の拒絶を意味するわけではないということです。
南原のこうした主張に南原の師である内村の影を見て取ることができます。内村は「二つのJ」を主張し、日本(Japan)とイエス(Jesus)とが矛盾すること無く調和することが可能だと考えました。
日本の伝統をイエスの教えに適うように再生させようとする南原の主張は、まさしく日本とイエスとを調和させようとする試みだったと言えるでしょう。
南原のこの主張は大きな反響を呼びました。精神的な虚脱状態にあった日本人は神の目的に適った平和国家日本という新たな目標を手にしたのです。
余談ですが、この南原の「精神革命」あるいは「人間革命」という発想はキリスト者ならざる別の宗教者、たとえば創価学会の戸田城聖や池田大作にも影響を与えました。
宗教的な回心による日本の再生は敗戦後の日本の一つの大きなトレンドであったと言えるでしょう。
しかし、こうした宗教的な回心も敗戦という記憶が薄れるにつれて影響力を失っていきます。南原の弟子である丸山は南原には敬意を表しながらも、キリスト教的な神に自分は頼ることが出来ないと述べます。
精神革命は南原が考えるほど日本人にとっては容易ではないのです。丸山は日本人が政治に対して抱える問題を、神に頼るのではなく、その問題をもたらす日本の宿痾を認識することで解決しようとしました。→丸山眞男についてはこちらの記事を参照してください。
- 『国家と宗教』の中には日本への批判的な直接的言及は含まれなかったが、南原がナチス批判に仮託して何を言わんとしていたかは明らかであった
- 『政治哲学序説』は、新カント派の哲学を用いることで自身の議論を哲学的に補強していった
- 日本の伝統をイエスの教えに適うように再生させようとする南原の主張は、まさしく日本とイエスとを調和させようとする試みだった
3:南原繁を学ぶための本
南原繁の議論について理解することはできたでしょうか?もっと深く学びたい場合は、以下の本を読んでみてください。
南原繁『国家と宗教』(岩波文庫)
南原の主著の文庫です。巻末に南原繁の弟子である福田歓一と、福田の弟子である加藤節の解説とが付されており、読書の便を図っています。いきなり取り組むにはいささか難易度が高いので、南原について詳細に解説した以下の新書を読まれてから取り組まれることをおすすめします。
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加藤節『南原繁――近代日本と知識人』(岩波新書)
南原について解説した最もオーソドックスな著書です。上記の『国家と宗教』に取り組む前に読むのがおすすめです。
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小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社)
南原が中心に置かれてはいないものの、随所に南原が登場する著書です。本記事では南原のナショナリズムや天皇観などにそれほど詳しい話をしませんでしたが、戦後の言論空間において東大総長であった南原の言葉は重いものがありました。小熊は膨大な資料を用いて南原を含めた当時の言論空間を再構成しており、当時の雰囲気を知るにはおすすめの一冊となります。
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一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
最初の1冊は無料でもらえますので、まずは1度試してみてください。
また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
Amazonプライムは、1ヶ月無料で利用することができますので非常に有益です。学生なら6ヶ月無料です。
数百冊の書物に加えて、
- 「映画見放題」
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などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。
まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 南原繁とは、日本最初の西洋政治思想史研究者であり、太平洋戦争でファシズムを批判した日本の思想家である
- 南原の思想の特徴は「キリスト教信仰」と「精神的な次元での研究」から説明できる
- 日本の伝統をイエスの教えに適うように再生させようとする南原の主張は、まさしく日本とイエスとを調和させようとする試みだった
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