経済史

【ニューディール政策とは】行われた事業・背景・成果をわかりやすく解説

ニューディール政策
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ニューディール政策(New Deal)とは、1929年の大恐慌により機能停止状態に陥った米国経済の危機打開のために、1933年以後フランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)がとった一連の政策のことです。

ニューディール政策は、アメリカにとって大きな政策思想の転換でした。具体的に、伝統的な自由主義から国家が積極的な役割を果たす、社会自由主義的な思想への転換です。

そういった意味で、現代アメリカを理解する上での重要な出来事として捉える必要があります。

そこで、この記事では、

  • ニューディール政策の背景や実際に行われた政策
  • ニューディール政策の成果

について詳しく解説しています。

関心のあるところから読んでみてください。

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1章:ニューディール政策とは

繰り返しになりますが、ニューディール政策とは、

  • 1929年の大恐慌により機能停止状態に陥った米国経済の危機打開のためにに行われた
  • 1933年以後フランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)がとった一連の政策

のことです。

それ以前、経済政策は国家が経済活動に積極的に関与しない、伝統的な自由主義の思想の元に行われていました。しかしニューディール政策は、その伝統的な自由主義を修正し、連邦政府が積極的に経済に介入することを基調とした点に特徴があります。

1-1: ニューディール政策が行われた理由・背景

まずはニューディール政策が行われた理由や背景から説明し、それから実際に行われた政策を解説します。

1-1-1:「黄金の20年代」と30年代の大不況

ニューディール政策が行われた理由を知る上で、1920年代~30年代の経済状況を理解する必要があります。

1920年代のアメリカは建国以来の繁栄を迎えていて、

  • 自動車や映画、ラジオなど当時の先端技術も大衆に広まり、家電の普及で人々の生活は豊かになっていった
  • 大量生産、大量消費の恩恵を受け、新しいライフスタイルが出来上がってきた時代でもあった(→大衆文化に関してはこちら
  • ロックフェラーセンターやクライスラービルなどのニューヨークの象徴の高層ビルもこの時代に建設された

という出来事がありました。こうした繁栄を象徴する20年代は「黄金の20年代」とも呼ばれます。

しかし、繁栄の時代は20年代末に大きく転換します。

1929年10月24日(木曜日)ニューヨークのウォール街で株価が大暴落したのを皮切りにアメリカ全土、世界中を巻き込む大恐慌の時代に突入していきました。これが「世界恐慌」です。

①銀行の倒産増加

株価暴落により、まず銀行の倒産数が増加していきました。

当時のアメリカでは資本金の少ない小さな地域銀行が大部分で、大銀行が倒産するという現象そのものは、めずらしいことではなく、銀行に預金口座を持つ人の多くが中産階級であり、工場労働者で銀行口座を持つ人は少なかった時代でした。

銀行の倒産件数が目に見えて増加した理由は、

  • 株価の低迷が続くと銀行資産は減少
  • 貸付金として担保にとっていた株も値を下げるため、取引は収縮
  • 最終的には、倒産にいたる

ということです。

幣さした銀行数は、下記のように急増しました。

  • 1930年7月~31年7月に閉鎖:640行
  • 1931年7月~32年7月に閉鎖:1553行
  • 1932年7月~33年3月に閉鎖:1199行

参考:榊原胖夫『アメリカ経済の歩み』(文眞堂)51頁

このように銀行が閉鎖したのは、「取り付け騒ぎ」が起こったからでした。

銀行に預けられたお金の大半は貸し付けられています。そのため、銀行の口座から一度に下ろすことができる現金は、預けられたお金のほんの一部です。したがって、銀行の予測以上の人が一気に現金を下ろそうとすると、銀行からお金がなくなり、銀行の活動が停止してしまいます。これが「取り付け騒ぎ」です。

ルーズベルト大統領が就任した1933年3月には取り付け騒ぎが起こり、ほとんどすべての銀行が入り口を閉じていました。

参考:榊原、前掲書51頁

不況の程度は極めて深刻なものでGDP(国内総生産)が恐慌が起きる前よりも45%以上も下回った年もありました。

大恐慌以前でも、米国は周期的な景気後退を繰り返していましたが、19世紀に最大になったのが1893ー98年の5年間でした。

それでも失業率が15%を超えたのは1894年の1回だけであったのにも関わらず、1930年代において失業率が15%を超えた期間は8回もありました。



1-1-2:30年代に全世界的な不況が起きた理由

不況のはじまった1929年以降、連邦準備制度(FRS)は数回にわたり金利を下げ金融緩和政策をとっていました。

連邦準備制度(FRS)とは、アメリカの中央銀行制度のことです。

金融政策により、1931年には工業生産高の回復の兆しが確認されています。

しかし、1931年の金利引き上げによって恐慌が世界に広まりました。

  • 1931年、連邦準備制度は金利を引き上げることに舵をきる
  • これに伴い、金融危機は世界中に広まり、各国は外国人からの資金回収行動をとり始めた
  • 当時は、多くの国が金本位制を採用しており、自国通貨の流出はそのまま金の流出を意味するものだった

英国では、1931年に金本位制を停止し、米国は金融引き締めによって対応しようとしたのですが、債券価格も株式価格も下落し、結果的には経済回復の芽をつみとるかたちになりました。

現在では、多くの国で個人や企業が経済的なリスクを負った場合に、最悪な事態から保護するセーフティーネットの仕組みがありますが、当時は政府もFRSも銀行の倒産時に預金者を守るための方策をとることなく、そのまま放置してしまったのです。

それが、景気後退をさらに深刻な状態にしていったのです。

その後、FRSは金利を下げて、貨幣供給量を増やす方向に切り替えたものの、資金は債券や株式にシフトせず、株式投資が低調な中で、企業の設備投資が増えない状況に陥ったのです。

米国の財政政策の点で見た大恐慌発生の理由は以上の通りですが、他にもいくつかの理由がありました。

  • 第一次世界大戦後の戦争好況下のもと、米国では資本や設備に対して過剰投資が行われ、結果、生産過剰の状況に陥ったため。
  • 米国内需要の減少に伴い、企業は生産量を減らしリストラを実施し失業者が増加した。
  • 失業者の増加はそのまま購買力の低下を誘引し、企業はさらに生産量を低く抑えるという悪循環に陥ったため。
  • ヨーロッパを中心に自国産業を保護するための保護貿易主義に転換していったため、世界全体の貿易市場は縮小。
  • 第一次世界大戦中、食糧の需要が高まり価格が上昇したため、世界規模で穀物生産は増大したものの、1920年代半ば以降、農産物が供給過剰な状況に陥り、農産物価格が下がる農業不況に発展したため。

この状況下で、農家収入が激減し内需が減少しました。

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1-2:ニューディール政策で行われた具体的な政策・事業

ニューディール政策で行われた具体的な政策を説明します。

フランクリン・ ルーズベルトは、大統領選挙運動中にラジオで大統領に就任後1年以内で恐慌前の物価水準に戻すことを公約にかかげました。1933年3月4日に大統領に就任すると、翌日の3月5日が日曜日にも関わらず、米国内のすべての銀行を休業させ、1週間以内に銀行経営の実態調査を行い、預金の安全を保障することを約束しました。

これにより、銀行の取り付け騒ぎは収束の方向へと向かっていったのです。

そして、就任後、100日間に次々に改革案を提案しあるいは法制化していきました。

後にニューディール政策と呼ばれるようになったルーズベルトの一連の政策の目的は、しばしば3つの”R”で表現されるます。

  • 一つ目の”R”=Relief(救済)
    貧困や失業者の苦難を軽減するために政府が直接援助を提供することを目的にしました。
  • 二つ目の”R”=Recovery(回復)
    経済を回復させるために政府が仕事を提供し、個人や企業が成長する手助けをすることを目的にしました。
  • 三つ目の”R”は=Reform(改革)
    経済危機を緩和し不況を回避できるように、また、将来において経済危機が起きないような金融プログラムを導入することでした。

ルーズベルトは、緊急性の高いものから着手していきました。

ルーズベルト就任後最初の2年間である1933年から1934年にかけて行われた主に貧困層の救済などを行った期間は、「ファーストニューディール」と呼ばれ、

1935年から1939年までのこの4年間に行われた社会改革と国家の復興を目的に実施された政策は、「セカンドニューディール」と呼ばれています。

政策や制定された法律の主なものを紹介します。



1-2-1:1933年から1934年にかけて実施された政策(ファーストニューディール期間)

ニューディール政策の初期に行われた主な政策は以下のものです。

  • 連邦緊急救済法(=Federal Emergency Relief Act)による支援
  • TVA(テネシー渓谷開発公社)(= Tennessee Valley Authority)など公共事業の拡大
  • AAA(農業調整法)の制定(=Agricultural Adjustment Act)
  • グラス=スティーガル法(銀行法)(=Glass-Steagall Act)の成立
  • CCC(市民保全部隊)(=Civil Conservation Crops)による大規模雇用
  • NIRA(全国産業復興法)(= National Industrial Recovery Actの制定)

簡単に説明します。

①連邦緊急救済法(=Federal Emergency Relief Act)による支援

アメリカ政府は1933年5月、連邦緊急救済法を制定し成人の失業軽減を目指しました。

具体的には、連邦緊急救済局 (Federal Emergency Relief Administration、略称FERA)が各州に援助金を提供。援助金を受領した州や地方自治体は様々なプロジェクトを実施し、1935年12月までに2000万人を超える雇用を創出しました。

➁TVA(テネシー渓谷開発公社)(= Tennessee Valley Authority)など公共事業の拡大

1933年5月に議会で承認された公社のひとつがTVA(テネシー渓谷開発公社)です。

ルーズベルトは政府が公社を新設し公共事業を増やすことで地域産業を興し、雇用を増大させることを政策のひとつにしたのです。

TVAは、テネシー川流域のダム建設、治水事業、植林、など総合開発を実施しました。

③AAA(農業調整法)の制定(=Agricultural Adjustment Act)

1933年5月AAA(農業調整法)も制定されました。これは、農産品の生産を削減し、削減による減収は政府が補助金で償う趣旨の法律です。

従来は、小麦、とうもろこし、綿花、食肉などの余剰農産品は、個別の経営者の責任のもと海外や米国内にも販売されていました。

これに対し、個人や企業による自由売買が価格下落(農業不況)に陥った原因であると考えた政府は、生産量をコントロールし、削減分を生産者に補償する制度を制定したのです。

④グラス=スティーガル法(銀行法)(=Glass-Steagall Act)の成立

1933年6月にルーズベルトが署名して成立したのがグラス=スティーガル法(銀行法)です。

この法律により連邦政府が基準を設け、すべての銀行に対して監督を行うようになりました。

健全な再建ができると判断された銀行には貸し付けが行われ、救済不能と判断された銀行は整理されるというシステムを導入したのです。

⑤CCC(市民保全部隊)(=Civil Conservation Crops)による大規模雇用

CCC(市民保全部隊)も同年、1933年に設立されました。

高校を卒業しても就職できない不況の時代の中、若者に合宿やキャンプを通じての職業訓練を実施するとともに、道路建設やダムづくりなどの公共工事や森林伐採や植林などの維持管理作業に従事させるなど、雇用機会を提供しました。

⑥NIRA(全国産業復興法)(= National Industrial Recovery Actの制定)

同年1933年、ルーズベルトは産業の振興と労働者を保護するための法規としてNIRA(全国産業復興法)を制定しました。

この法律は、物品価格と賃金の下落を止めることで産業を復興させることを目的にしました。この法律の中で、各産業ごとの企業団体に協定を結ばせることも推進しました。

企業を指導する機関として全国復興局(NRA)も設立し、最低賃金や上限労働時間(週40時間)などを定めました。

しかし、1935年5月、大統領による議会の立法権への侵害であるとして憲法違反と判決を受けNIRAは廃止されることになります



1-2-2:1935年から1939年4年間に行われた政策(セカンドニューディール期間)

セカンドニューディールの期間には、下記の政策が実践されました。

  • WPA(雇用促進局)(=Work Projects Administration)の設立
  • REA(農村電化事業団)(=Rural Electrification Administration)の設立
  • 全国労働関係法(通称:ワーグナー法)(=National Labor Relations Act)
  • 社会保障法(=Social Security Act)
  • 公正労働基準法(Fair Labor Standard Act of 1938)

簡単に説明します。

①WPA(雇用促進局)(=Work Projects Administration)の設立

1935年5月6日に大統領令により発足したのが、WPA(雇用促進局)でした。

WPAは、数百万人の失業者を公共事業を通じて雇用することを目的にして発足したものであり、地方経済を支えることに貢献しました。

➁REA(農村電化事業団)(=Rural Electrification Administration)の設立

1935年5月11日、ルーズベルトは行政命令によって農村電化局(REA)を創出しました。

当時、民間電力会社はコストがかかるとして農村に送電線を拡張することに抵抗していましたが、REAの設立により、農村地域にも送電線が建設され、また低利で電気を使用できる仕組みを作ったのです。

この農業促進策により米国農場の98%が電力の供給を受けられるようになったのです。

③全国労働関係法(通称:ワーグナー法)(=National Labor Relations Act)

もともとは、ニューディール政策の柱として1933年5月に成立した全国産業復興法(NIRA)が1935年に最高裁により違憲判決が下されたことに伴い、この法規の労働者の権利について改めて立法化させたのが1935年7月5日に制定された全国労働関係法(通称:ワーグナー法)です。

この法規の中で、最低賃金、最高労働時間を定め、労働者の団結権を認め、団体交渉権を保障しました。

④社会保障法(=Social Security Act)

また、1935年8月には、社会保障法も制定し、 失業保険制度、退職金制度、国の年金基金、労働災害犠牲者のための給付を確立しました。

⑤公正労働基準法(Fair Labor Standard Act of 1938)

1938年には児童労働を廃止し、従業員の勤務時間を制限した公正労働基準法を制定しました。

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1-3:ニューディール政策とケインズ

ニューディール政策は、市場(経済活動)に国家が積極的に介入したことから「ケインズ経済学」の影響があったと言われることがありますが、これは間違いです。

ケインズ経済学とは、革新的な経済学者の一人であるジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)が体系化した経済学のことです。

ケインズ経済学の特徴は、国家が積極的に市場に介入することが、富を増大させると説いた点です。第二次世界大戦後の西側先進国の経済政策に大きな影響を与えました。

ニューディール政策の中にケインズの理論に近い考え方で立案された政策はあったものの、ケインズが系統的に自らの理論を述べた『雇用、利子および貨幣の一般理論』が発行されたのが1936年です。

それに対し、これまで説明してきたように、ルーズベルトが数々の政策を打ちだしたファーストニューディールの期間は1933年から1934年です。そのため、ニューディールがケインズの影響を受けて施行された政策であったという表現は正しくありません。

同様にルーズベルトがケインズの提唱する政策を実施したことによって、景気回復が達成できたという見解も正しいとは言えないでしょう。

むしろニューディールは、不況に直面した中で、緊急の対処療法的な政策と政治的な判断から試行錯誤を繰り返しながら進めていかざるを得なかった政策でした。それが結果的に、国家が市場に積極介入する政策になったのでした。

ケインズとルーズベルトは1934年の6月に実際に会っています。しかし、お互いの考え方がピッタリあっているとは感じなかったと言われます。

  • ニューディール政策の開始当初は高く評価していたものの産業政策や農業政策の改革を急ぎ過ぎていると批判的なコメントを残している
  • ケインズは景気回復のために、財政出動が必要(※)と考えていたが、ルーズベルトが財政出動の必要性に納得し、回復計画を議会に提出するのは1938年になってからのことだった

※財政出動とは、政府が赤字予算を組み、民間の経済活動を刺激し市民の所得を増加させる政策のこと

1章のまとめ
  • ニューディール政策とは1929年に起こった恐慌への対策として行われた、ルーズベルトによる一連の政策
  • ニューディール政策では主に公共事業が行われた
  • ニューディール政策はケインズの影響と言われることがあるが、ケインズの影響はなかったと考えられる
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2章:ニューディール政策の成果・影響

ニューディール政策は

  • 失業率の改善
  • 実質経済成長率の改善

といった効果を出しました。

2-1:ニューディール政策の成果

ニューディール政策の実際の効果はどのようなものだったのでしょうか?まずは統計的なデータを用いて結果を説明します。

2-1-1:統計的な結果

ニューディールの結果について、

  • 名目GDP
  • 財政収支
  • 実質経済成長率
  • 失業率

を紹介します。

①名目GDP

■名目GDPの推移

  • 1929年、1036億ドル
  • 1933年、564億ドルまで低下
  • 1937年、919億ドルに回復するも、同年冬から翌年夏に再び低下
  • 1938年、861臆ドルにとどまる
  • 1941年、ようやく1929年の水準に戻る

参考:榊原、前掲書51頁

➁財政収支

■財政収支

  • 1934年、財政収支は連邦と州、地方を合わせて、1934年には9億7100万ドルほど黒字
  • 1936年、21億4800万ドルの赤字
  • 1938年、15億700万ドルの赤字になりました

参考:榊原、前掲書59頁

「財政収支が赤字ってダメなんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、ニューディール政策はお金を使えない企業や個人に代わって、国家が積極的にお金を使って経済を回す、という政策です。そのため、財政収支が赤字になっていることはある意味当然のことです。

③実質経済成長率

■実質経済成長率

  • 1930年から1933年までマイナス成長
  • 1934年からはプラス成長に転じ、1937年までプラス成長

その後、1938年こそマイナス成長になったものの1939年から1944年までプラス成長を続け、第二次世界大戦に参戦した1941年、42年、43年においては20%を超える成長率を達成しました。

④失業率

  • 1933年:失業率35%を超え1200万人の失業者が発生
  • 1934年から1937年:失業率減少
  • 1937年:失業率は約20%、失業者800万人まで減少
  • 1938年、1939年:再び増加
  • 1941年:失業率15%、失業者600万人まで減少
  • 1942年:失業率5%、失業者200万人まで減少

出典:「米国経済統計」

ニューディール政策が実施されていた期間、名目GDPは減少し、財政赤字が増加したものの失業率や失業者数は確実に減少し、この点では成功しました。

経済政策の目標の一つは失業率の改善ですので、この点でニューディール政策には大きな成果があったと言えます

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2-1-2:ニューディールの成果(その他)

ニューディール政策は、他にも下記の点で評価されます。

①恐慌を国内経済政策で乗り切ろうとした

1920年代末に発生した世界恐慌は、世界各国の経済に甚大な影響を与え、植民地の少ない多くの「持たざる国」は資源獲得のために対外拡張的な政策を行いました。

ドイツ、イタリア、日本などの国家が、支配を広げることで危機を乗り切ろうとしたわけです(もちろん戦争の原因はそれだけとは言えませんが)。

アメリカの保護主義的な政策をとった点で問題はあるのですが、経済政策で危機を乗り切ろうとした点は評価されます。

この時期の日本の行動について以下の記事を参考にしてください。

【アジア主義とは】戦前〜現代までの思想と構想をわかりやすく解説

➁福祉国家的路線の政策

戦後世界の西側先進国の政策は、「福祉国家的政策」「大きな政府」的な政策と言われます。

これは、国家が市場(経済活動)に積極的に介入して、富を再分配(年金や健康保険制度、補助金など)する政策です。このような政策は、古典的な自由主義的政策とは異なるものだったのですが、ニューディール政策の成功は世界の戦後の経済政策に大きな影響を与えました。

とはいえ、ニューディール政策が福祉国家的政策の起源だったわけではありません。第二次世界大戦中から、多くの国が福祉国家的な政策をはじめていたからです。

それは、戦争に行く兵士たちやその後の家族の生活を保障する必要があったために整備されたのでした(多くの国で、戦中に年金や社会保障制度が整えられました)。



2-2:ニューディール政策と福祉国家

ニューディール政策以降、西側世界では戦後~1980年代にかけて福祉国家的な政策が主流になりました。

その背景には、

  • 共産主義への対抗
  • 戦時の兵士や家族への補償
  • ケインズ経済学の隆盛

などさまざまな要因があったのですが、自由主義の国アメリカでも多くの政策が実施されました。

※もちろん、ニューディール政策は福祉国家になることを目指して行われたというわけではありません。結果的に福祉国家的な政策になったと言った方が正確です。

ニューディール政策の中には、現在の社会では当たり前になった政策が含まれていますので、いくつかご紹介します。

これらの福祉的政策は、1935年から1939年4年間に行われた政策であるセカンドニューディール期間に主に実施されたものです。

福祉国家について詳しくは下記の記事でも解説しています。

→福祉国家について詳しくはこちら

また、アメリカはその後古典的な自由主義から国家が市場に積極的に介入する「社会自由主義」という思想を持つようになりました。

→社会自由主義について詳しくはこちら

2-2-1:全国労働関係法(=ワグナー法)に謳われる労働者の権利

1933年に産業の振興と、労働者を保護するための制定された法規であるNIRA(全国産業復興法)をもとに、労働者の権利について定められたのが1935年の全国労働関係法(=ワグナー法)でした。

米国に限らず、現在の日本の国や企業、他国においてもワグナー法で謳われている次のような権利や制度は尊重されています。

  • 最低賃金と労働時間規定
  • 労働者の労働組合を組織する権利と団体交渉権を承認。
  • 失業保険制度の改善
  • 国の年金基金の改善
  • 労働災害犠牲者のための給付制度の採用
  • 公正労働基準法の制定
  • 社会保障制度の充実

もちろん労働関連法はもっと古くから存在しますが、ワグナー法は労働組合の活動を広く認め、労働者の企業に対する交渉力を高めた点に前進がありました。

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2-2-2:社会保障法に定められた社会保障制度

1935年年には、社会保障法が定められました。

この法律は失業保険制度や退職金制度、年金制度が整備され、米国が社会福祉に目を向ける転換点になりました。

社会保障法が整備されることになった背景には、

  • 賃金上昇よりも物価上昇率の方が高い状況の中で、失業者、高齢者、障碍者などの生活が困窮
  • 国内で社会保障制度の充実を求める声が高まり、それに応えるかたちで法案が成立

という経緯があります。

しかし、これらの社会保障が米国連邦財政の健全化を妨げるものとして、「老齢年金」は米国の一般財源からの支出としてではなく企業と労働者の負担金から支出されることになりました。

失業保険についても基本は各州で実施されることになり、米国政府は州を補助する立場を取りました。また、全国一律の健康保険制度を実施することができず、この問題については今も米国内で議論されています。

2-2-3:公正労働基準法で定められた若年者の労働の禁止

1938年に立案され1940年に発行されたのが公正労働基準法でした。

この法律の中で、労働時間の上限が定められ週最高44時間労働の考え方が導入されました。(1944年には週40時間が上限になりました。また、現代日本でも労働時間は原則週40時間までであり、それを超えた労働は労働者との合意(36協定)が必要とされています。)

最低賃金については、1時間あたり0.25ドルと定められました。

また16歳未満の児童に対しての就学時間内の労働や過酷な児童労働が禁止されました。

時代の変化や社会の要求により、ルーズベルトの時代のアメリカは社会福祉の考えを取り入れなければならなかったのです。

1930年代、40年代ごろはこのように雇用や社会保障の面で国家が積極的な役割を果たしました。さらにその後、50年代、60年代以降はさらにそれが社会的な側面にも向かいました。

それが黒人らのアメリカ社会におけるマイノリティが権利を求めた「公民権運動」などです。人種主義やアメリカのリベラルな政策について、詳しくは以下の記事をご覧ください。

【保存版】人種主義とは?その意味から具体例までわかりやすく解説

【アメリカのリベラル(左派)とは】保守との違いと歴史をわかりやすく解説

2章のまとめ
  • ニューディール政策によって、失業率や実質経済成長率が改善した
  • ニューディール政策によって「大きな政府」的な政策が主流になり、その後の世界の経済政策に影響を与えた
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3章:ニューディール政策・アメリカ経済史のおすすめ本

ニューディール政策について理解を深めることができたでしょうか。

アメリカの経済史を理解することは、現代の政治哲学や日本・世界の経済政策を理解する上でとても大事です。これから紹介する本から、ぜひ詳しく学んでみてください。

オススメ書籍

オススメ度★★★榊原胖夫、加藤一誠『アメリカ経済の歩み』(文眞堂)

今回の記事は、同志社大学経済学部教授を経て名誉教授になった榊原胖夫氏のこの著書を参考にしました。この『アメリカ経済の歩み』は大学レベルのアメリカ経済が非常に読みやすくわかりやすく説明されています。

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この記事における語句の定義や背景は『アメリカ経済経営史事典』で確認しました。この辞典の良い点は、その言葉の定義だけでなく、背景や変化が丁寧に記載されており、どんな時代にどういう理由で法案などが成立したのかイメージしやすい点です。経済学初心者は手元に置いておくべきです。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • ニューディール政策とは、1929年に起こった恐慌への対策として1930年代に行われた、アメリカの経済政策のこと
  • ニューディール政策における経済政策は主に公共事業で、その後の世界の経済政策にも影響を与えた
  • ニューディール政策によって、失業率や実質経済成長率は改善した

このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。

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以下の書籍を参考にしています。

【参考文献】

  • 榊原胖夫、加藤一誠『アメリカ経済の歩み』(文眞堂)
  • James S. Olson(著), 土屋慶之介(監訳)『アメリカ経済経営史事典-Dictionary of United States Economic History』(創風社)
  • 中本 悟・宮崎礼二(編)『現代アメリカ経済分析 - 理念・歴史・政策』(日本評論社)
  • 萩原伸次郎『新自由主義と金融覇権 現代アメリカ経済政策史』(大月書店)
  • 中臣久『現代アメリカ経済論 アメリカにおける資本主義の精神』(日本評論社)
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