社会思想

【アジア主義とは】戦前〜現代までの思想と構想をわかりやすく解説

アジア主義と大東亜共栄圏

アジア主義(pan asianism)とは、

アジア主義とは、アジア地域で政治的秩序を形成することを目指す思想のことです。

そして、アジア主義は日本のアジアに対する認識に基づくもので、それは現代にも続いている思想でもあります。

そのため、私たち現代人にとっても、「大昔の、自分たちに関係がない思想」とは言えないものなのです。

そこでこの記事では、

  • アジア主義の意味、思想、提唱した人物
  • 戦前・戦後から現代までのアジア主義の歴史
  • アジア主義について学べる書籍リスト

について詳しく解説します。

アジア主義について知ることは、日本のこれからのアジアでの在り方について考えるきっかけにもなるはずです。

政治や歴史、経済を学んでいる学生はもちろん、国際情勢を理解したいビジネスマンや投資家の方にも必要な知識ですので、興味がある所から読んでみてください。

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1章:アジア主義とは?

もう一度確認しますが、

アジア主義とは、アジア地域で政治的秩序を形成することを目指す思想のことです。

特にアジア主義と言われるものは、19世紀末から20世紀初頭に現れた、日本の帝国主義やアジアの植民地化に繋がった、アジアに対する日本の認識です。

1-1:アジア主義の意味

もう少し詳しく説明すると、アジア主義とは、

  • 日本がアジアの中でも急速に近代化したこと
  • 近代化の過程で、ヨーロッパの社会進化論(ヨーロッパの文明社会が最先端で、他の国家は遅れていると考える思想)的な思想を取り入れたこと

という要因から、アジアに対して「日本が一番優れている」「アジアをけん引する国として、アジアの植民地をヨーロッパから開放してあげなければならない」「アジアを文明化してあげよう」などと考えられたものです。

そのために、アジアに地域秩序を構想し実践するために動いたのがアジア主義の特徴です。

それは、みなさんも知っているように植民地主義と結びつき、悲惨な結果をもたらすことになりました。

また、もう一つの特徴としては「欧米の諸国家」への対抗意識ということです。

戦前・戦中では欧米列強の植民地主義への対抗、戦後から現代までは、EUやアメリカの経済力に対する、アジアで対抗という思想が根底にあります。

1-2:アジア主義の特徴

アジア主義と一言で言っても、アジア主義的な主張をしていた人物は非常に多く、主張内容も多様です。

大きく分けると、

  1. リアリズム的な主張
    →中国の文明化の脅威を背景にした植民地主義、帝国主義的なもの
  2. 協調主義的な主張
    →アジアの開放や文明化のために、アジアの支配ではなくアジアの連帯を唱えたもの

がありました。

とは言え、②の場合もアジアの支配を正当化するために主張されていたり、連帯を唱えていても、「日本が一番進んでいて、他の国を文明化すべき」という社会進化論的な思想が入っていたりしました。

※アジア主義について以下の本にも詳しくまとまっています。すぐに読める分量なのでぜひ読んでみてください。

状況によっても主張内容は変わっていったので、2章では歴史の中で、どのようにアジア主義が生まれて変化していったのか見ていきましょう。

1章のまとめ
  • アジア主義とは、アジアにおいて地域秩序を作ろうとする思想のこと
  • アジア主義は、日本の近代化に伴う「日本以外のアジアは遅れている」「日本がアジアを支配して文明化させ、ヨーロッパ植民地から解放させるべき」という考えだった

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2章:アジア主義の歴史

アジア主義は一貫した思想や運動というよりも、当時の思想家や政治家が持っていた考えの根底にあった思想と言えそうです。

それは、日本の近代化と共に中国への認識の変化から生まれ、帝国主義に結びつき、第二次世界大戦における敗戦という結果を生みました。

さらに、戦後も一種のアジア主義的構想は多々生まれ、それは現在に至っても「東アジア共同体」構想などの形で続いています。

2-1:日本の近代化と共に現れたアジア主義

明治維新以降、みなさんも知っての通り日本は急速に近代化を進め、文明国となっていきました。

その19世紀末ごろから生まれたのがアジア主義です。

2-1-1:欧米列強によるアジア植民地化の脅威

アジア主義が生まれるきっかけになったのは、欧米列強によるアジアの植民地化が脅威になったことでした。

日本はアジアで急速に近代化し軍事力も持ちつつあったとは言え、欧米列強が本格的にアジアに進出してきたら侵略されるかもしれませんし、アジアでの優位を失ってしまいます。

そこで日本は、より近代化を進めるためにヨーロッパの文化や思想を取り入れました。

そこで影響を受けたのが社会進化論的な考え方です。

社会進化論について、詳しくは以下の記事で解説しています。

【社会進化論とは】スペンサーの議論や問題点をわかりやすく解説

簡単に言えば、社会進化論とは、近代化・文明化が成功した国が進化の最先端にいて、他の国は野蛮、未開である。だから文明国が啓蒙、解放してあげなければならない、という考え方のことです。

こうした考えは、明治初期から明治中期ごろ「興亜論」と呼ばれました。

日本では、近代化の成功とヨーロッパ的な思想を受け入れたことから、

  • 日本はアジアの他の民族より優れている
  • それは、独自の伝統や歴史、文化を持っていたからだ

という思想が生まれました。

例えば、大隈重信は『開国五十年史』で以下のように語っています。

(前略)日本民族は必ず他の亜細亜民族と異なる伝統と歴史とを有し、其発達成熟によりて、此の如き光彩を発せるものならんとは、世界の想到する所にして、其原因は必ず識者の聴かんと欲する所なるべし。

大隈重信『開国五十年史』から引用

この日本の感覚は、第五回大阪万博(1903年)で、「人類館」という展示でアジアの他の民族を蔑視するような展示をしたことから、批判される事件にもなりました。

2-1-2:中国への見方の転換と日清戦争

日本ではもともと、中国を文化的に優れた国、憧れの国として見る伝統がありましたが、日本のいち早い近代化と中国の近代化の遅れは、中国に対する認識を変化させることになりました。

それは段階的なもので、

  • 日清修好条規締結(1871年)による日中間での人の行き来の増加
  • 台湾出兵(1874年)で軍事的視察が増えた

などがきっかけです。

中国に関する情報量が増えるに従って、中国を批判する論調が増え、「日本の方が近代化に成功している」という思想が固まっていきました。

こうした「興亜論」では、アジアの連帯、国際法に基づく地域秩序の形成が主張され、アジア秩序を巡って中国と対立し、日清戦争(1894年)に繋がります。

日清戦争での勝利によって、日本が優れているという思想が決定的になり、中国を含むアジアは野蛮、未開であり近代化に成功した日本が支配することが、アジアの諸民族にとっても利益になると考えられたのです。

これが、この時代に生まれたアジア主義です。

2-1-3:アジア主義に関する各人物の主張

アジア主義が高まったこの時期、強い思想としては日本をアジアの盟主として欧米列強に対抗するという思想でしたが、それ以外にも様々な議論がありました。

いくつか紹介すると、

  • 徳富蘇峰・・・日本は中国の存在への負けじ魂があったために発展したのであり、この精神が急速な近代化を実現させた
  • 内藤湖南・・・東洋文化は歴史があり成熟しているため、中国も日本のように近代化させるべき、と単純に考えるのは誤り
  • 宮崎滔天・・・アジアの連帯に生涯をかけ、孫文の革命運動を支援
  • 北一輝・・・辛亥革命で目覚めた中国がロシアと対峙し、日本はイギリスと対抗してアジアからヨーロッパの勢力を駆逐するべき(亜細亜モンロー主義)
  • 大川周明・・・ヨーロッパの植民主義を強く批判し、アジアの復興を主張

このように、中国の存在や文明を認める議論もあり、また、必ずしもアジア主義を「支配」として考えていたわけではない人々もいたのですが、

  • アジアは遅れている
  • 文明化のために日本のリードが必要
  • 日本をアジアの一国ではなく、「日本とアジア」と対比し日本を特別な国と考える

という思想は共有されていたようです。

2-1-3:アジア地域秩序構想・汎亜細亜主義

こうした思想から、以下のような構想が生まれるようになりました。

  • 東亜新秩序・・・第一次近衛文麿内閣が主張。ヨーロッパのアジアにおける植民地主義と帝国主義を駆逐し、日本を盟主としたアジアでの地域秩序を構想し、戦争を正当化しようとした。
  • 東亜連盟・・・石原莞爾が主張。日本と中国の連携によって日中戦争を終結させ、アジアの秩序を安定させることを唱えた。
  • 大東亜共栄圏・・・第二次近衛文麿内閣が主張。日本、中国、満州が中心となってアジアに地域秩序を打ち立て、ヨーロッパの植民地を排斥する構想。
  • 汎アジア主義・・・東南アジアやインドを含む広いアジアを、日本の構想する地域秩序に含めようとする構想。

日本は大東亜共栄圏を実現しようとした結果、太平洋戦争に敗れアジアの植民地を失ったことは、あなたも知っての通りです。

しかし、ここから先のアジア主義は、一般的にあまり知られていません。

実は、日本は戦後〜現代にかけても、アジア主義と言える様々な構想を打ち立ててきたのです。

2-2:第二次世界大戦後のアジア主義

戦後の日本は経済の復興や、アジアとの経済連携による経済成長のために、様々な地域秩序を構想していきました。

それは必ずしも実現したものばかりではありませんが、APECのように現在でも続いているものもあります。

戦後日本の地域構想は、戦前・戦中のような「アジアの支配による文明化」を目指すようなものではありませんでした。

地域構想の目的は、

  • アジア諸国への戦後賠償
  • アジア諸国の資源や市場など経済的目的
  • 冷戦への対抗という国際社会での政治的課題

などでしたが、それはアジアにおいて何らかの政治的まとまり・地域秩序構想を検討したという点で、一種のアジア主義と言えると思います。

2-2-1:1950年代:東南アジアの資源や市場にアクセスするための構想

1950年代のアジア地域構想は、アジアで戦争の記憶が色濃かったことから多くが頓挫しました。

  • 東南アジア経済開発基金・アジア決済同盟
  • 地域開発基金・短期決済金融機構
  • アジア開発金融機関
  • 東南アジア開発基金

これらはアメリカのイニシアティブの元で構成されたましたが、アジア諸国やアメリカからの反対によって頓挫しました。

そのため、まずはアジアへの戦争の賠償のため、現金ではなく財の輸出、経済協力(賠償協定)と合わせて行われて経済的な連携が強められたのが、この時代の特徴です。

2-2-2:1960年代〜70年代:アジアでの冷戦の脅威から東南アジア外交が進む

1960年代から70年代は、冷戦の脅威に対抗するため、

  • 1965年:東南アジア開発閣僚会議の開催
  • 1967年:太平洋経済委員会(PBEC)の発足

などが構想されました。この時期、三木武夫、大来佐武郎、永野重雄、小島清などが太平洋地域協力構想を始め、その構想から学者・研究者・政治家の間でネットワークが生まれ、それが現在も続くAPEC(アジア太平洋経済協力)に繋がった経緯があります。

この時代は「開かれた地域主義」という概念が提唱され、アジアでの日本主導の地域構想が、過去の「支配」とは異なるものであることが、アジアやアメリカに対して主張されました。

2-2-3:1980年代から現代:国際経済体制の変化による地域主義の台頭

1980年代以降、

  • 冷戦構造の崩壊とそれに伴って市場経済化する国が増えた
  • 中国を含む新興国が著しい経済成長を遂げた
  • GATT・WTOを中心とした国際経済体制が機能不全に陥るようになった

という理由から、世界では「グローバルな枠組みではなく、地域単位の枠組みで経済関係の自由化を進めよう」という地域主義の波が来ました。

※地域主義について、詳しくは以下の記事で解説しています。

【地域主義・地域統合とは】国際経済の新たな流れが生まれた理由・背景を解説

一方で日本は、

  • バブル崩壊以降、特に90年代末から経済の停滞が問題視されるようになった
  • 2000年代以降、中国の経済成長が著しくなり、政治的発言力を増すようになった

という国際環境の変化から、「アジアの成長を取り込んで日本も成長しなければならない」「中国の影響力の増大に対処するために、アジアで地域構想を作ってコントロールしていかなければならない」という考えが生まれてきました。

こうして生まれたのが「東アジア共同体論」と言われる一連の構想です。

近年の日本のアジアにおける地域主義構想は、アジアで地域秩序を打ち立てようとする中国に対して、インドやオーストラリアなど他の民主主義の国家を仲間に引き入れて地域秩序を作ることで、中国の影響力を相対化しよう、という目的が含まれているのが特徴です。

2-3:戦前のアジア主義から現代のアジア主義の連続性

以上をまとめると、戦前・戦中のアジア主義が、日本の近代化に伴うアジア蔑視や「アジアの盟主」としての日本という位置付けの構想だったのに対し、戦後から現代に至るアジア主義は、アジアやアメリカの反発に配慮をした、協調的な構想だったということになるでしょう。

とは言え、戦後のアジア主義も、戦後復興から経済大国化したプライドから、日本を「アジアのリーダー」に位置付けるような部分もあり、戦前・戦中のアジア主義と共通している面もあるのです。

また、近年に限って言えば、日本のアジア主義は「停滞した経済の立て直し」と「中国の脅威に一国で対処することが難しいため、仲間を増やしての地域協力」という目的に変化しています。

日本のアジアでの立ち位置の変化により、アジア主義も変化していると言えるでしょう。

2章のまとめ
  • 近代化や欧米の社会進化論を取り入れたことをきっかけに、中国への見方を変え、日本が優れているという思想が生まれたことから、アジア主義が生まれた
  • アジア主義には様々なものがあったが、日本がアジアの諸民族と比べて優れていること、「アジアの日本」ではなく「アジアと日本」と考えた点などで共通していた
  • 戦後もアジア主義的構想が生まれたが、それは戦前とは異なるものだった

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3章:アジア主義について学べる書籍リスト

アジア主義がどのような思想だったのか、何となく理解することはできましたか?

細かいことを覚える必要はありませんが、大まかな流れやそこに通底していた認識を拾い上げることは、私たち日本人の考えを相対化するために必要なことです。

ここでは簡単な説明しかしていませんので、より詳しく学びたい方はこれから紹介する書籍を読んでみてください。

政治や歴史、経済を学ぶ学生はもちろん、日本の歴史について深く理解したいすべての方に役立つはずです。

オススメ度★★★井上寿一『増補 アジア主義を問い直す』(ちくま学芸文庫)

戦前・戦中のアジア主義から、現代のアジア主義(東アジア共同体論など)まで網羅的に解説された本です。多少の歴史の知識を持っていれば簡単に読めますので、ぜひ読んでみてください。

オススメ度★★中島岳志『アジア主義 西郷隆盛から石原莞爾へ』(潮出版社)

アジア主義を現実主義(リアリズム)的に捉えれば、それは日本の帝国主義に繋がった思想ですが、この本では、アジア主義に込められた「アジアとの連帯」などの協調主義・理想主義的側面の光が当てられています。読み物としても面白いのでおすすめです。

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オススメ度★長谷川雄一『アジア主義思想と現代』(慶應義塾大学出版会)

アジア主義に関する研究が複数紹介されています。上記の2冊を読み、より学術的なことが知りたい場合はこちらを読むことをおすすめします。

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さらに、アジア主義をはじめとした国際情勢は、専門の書物と合わせて最新の動向を追うと理解が深まります。

これからのアジア情勢を知るために、国際情報の情報量が多い新聞や専門誌を購読することをおすすめします。

まとめ

今回の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • アジア主義は、日本を頂点に考えるアジア認識や欧米への対抗意識から生まれた
  • 戦後もアジア主義は生まれたが、それは戦前・戦中とは異なる目的に基づいていた
  • 戦後のアジア主義にも、欧米社会への対抗やアジアでのリーダーという思想は共通していた

このサイトでは、これからも日本を取り巻く国際情勢や過去の歴史について解説していきますので、ぜひブックマークしてこれからも読みに来てください。