アジア通貨危機(Asian Financial Crisis)とは、1997年7月のタイ・バーツの暴落をきっかけにアジア各国に派生した、連鎖的な通貨・金融危機のことです。
アジア通貨危機は、主に東南アジアと韓国経済に大きな影響を与えました。しかし、通貨危機への対応からアジアに協調的な姿勢が生まれ、その後のアジア経済協調のさまざまな構想を進めるきっかけにもなった出来事です。
日本を含むアジアの政治・経済を語る上で、アジア通貨危機のことを頭に入れておくことは重要です。
この記事では、
- アジア通貨危機の経緯、原因や各国への影響
- アジア通貨危機に対する日本の対処や批判
などについて詳しく説明します。
関心のあるところから読んでみてください。
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1章:アジア通貨危機とは
繰り返しになりますが、アジア通貨危機とは1997年7月に、タイの通貨バーツが暴落したことから連鎖的に発生した、アジアにおける通貨の下落現象のことです。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
アジア通貨危機の経緯は以下の通りです。
- アメリカのヘッジファンド(投資機関)からの攻撃により、タイの通貨バーツが暴落する
- 連鎖的にアジア各国の通貨が暴落する
- 大ダメージを与えられた各国に対し、IMF(国際通貨基金)は厳しい構造改革などを強いたことから、アジア各国が反発
これから詳しく説明しますが、アジア通貨危機はアジア各国の国内的な原因に加えて、アメリカのヘッジファンドによる攻撃から起こったという点が重要です。
1-1:アジア通貨危機の背景
アジア通貨危機の直接の原因は、アメリカのヘッジファンドを中心とした機関投資家が、アジア各国に攻撃をしかけたためです(この点は詳しくはあとで説明します)。しかし、タイを中心としたアジア各国は、ヘッジファンドから狙われるだけの理由を持っていました。
1-1-1:ドルペッグ制
各国が持っていた問題の一つが「ドルペッグ制(固定相場制)」という仕組みです。
ドルペッグ制とは、自国の通貨の為替レートを米ドルと固定する仕組みのことです。たとえば、日本がドルペッグ制を採用したとすると1ドル=120円で相場を固定するし、変動させないようにすることになります(もちろん実際の日本は変動相場制です)。
為替相場を固定する具体的な方法としては、以下の2種類があります。
- 政府が自国金利とアメリカの金利を連動させ、為替相場の動きを最小限にする
- 政府が自国通貨を売ったり買ったりすることで、為替相場を意図的に変動させ、ドルとの変動を最小限にする
詳しい仕組みは経済学のテキストを見ていただきたいですが、ここでは「政府の介入でドルペッグ制は可能になるのだ」とだけ覚えておいてください。
「ドルペッグ制は何のためにするの?」という疑問もあると思います。
ドルペッグ制には為替レートが安定するというメリットがあります。
まだ発展途上の国の場合、自国の国内の企業や個人の力だけでは経済成長が難しく、外国からの投資が欲しい場合があります。その場合、為替レートが安定すれば、外国の企業にとってはその国に投資しやすくなるため、ドルペッグ制を採用するメリットが大きいのです。(逆に、為替レートが不安定な国に投資すると、為替レートの変動によって投資した資産が大きく目減りしてしまう可能性があるため、投資家は「投資しよう」と思えなくなります。)
ただし、ドルと自国通貨を固定することで、アメリカがドル高政策を行うと、ドルにペッグしている国の通貨も他の通貨に対して高くなるデメリットがあります。
1-1-2:輸出型の貿易構造
一方で、アジア各国は自国で生産した製品を輸出することで利益を得る、輸出型の貿易構造で成長してきました。
輸出型の貿易構造では、自国の通貨が安く維持されていることが必要です。ここで簡単に為替レートと貿易の仕組みを説明します。
例えば1ドル=100円の時は、日本産の100万円の自動車はアメリカに1万ドルで売れることになります。しかし、円高・ドル安になり1ドル=50円になった場合、日本産の100万円の自動車はアメリカでは2万ドルになります。円高になった分、高く輸出することになるのです。
為替相場の変動によって輸出価格が高くなれば、その分その製品は売れにくくなるため、輸出国にとってダメージになります。
(実際にここまで極端に変動することはありません)
上記の例からも分かるように、輸出が経済成長の原動力になっている国にとって、自国通貨が安く維持されていることは大事なことなのです。
しかし、1-1-1でも説明したように、アジア各国は投資を呼ぶためにドルペッグ制を採っていたため、アメリカがドル高政策を行うと自国通貨高になってしまうという弱点を持っていました。
ここが、アジア通貨危機を起こすきっかけになったのです。
1-1-3:通貨の評価のずれ
通貨危機の引き金を引いたヘッジファンドは、アジア通貨が本来のレートから外れたものだと考えました。
東南アジアの各国は、人件費の安さから日本や欧米各国によって生産拠点になっていました。つまり、安い場所に工場を作ろうと考えられていたのです。
しかし、90年代に入るとより安い中国を「工場」にしようと考え、日本や欧米の企業は東南アジアから中国へ生産拠点を移し始めました。そのため、東南アジアに投資していた投資家たちは「東南アジアにこのまま投資していて大丈夫かな?」と不安を抱くようになっていました。
さらに、1995年以降アメリカは「ドル高」政策を採用するようになります。
その結果、ドルにペッグ(固定)しているアジア各国も通貨高になり、輸出が伸び悩みました。その結果、アジアに投資している投資家たちはさらに疑念を持つようになりました。
つまり、アジア各国には経済成長に行き詰まりが生まれはじめているのに、ドル高に通過を固定している状況にあり、これをヘッジファンドは実体経済とずれていると考えたのです。
こうした経緯から、ヘッジファンドを中心とした機関投資家はタイのバーツを中心に空売りをしかけたのです。
ここまでを整理すると、
- ドルペッグ制による為替相場の固定
- 輸出型の貿易
- アメリカのドル高政策による通貨高と、それによる投資家の不安
といった要因が危機前にすでに存在していたわけです。
1-2:アジア通貨危機の原因
上記の背景があった上に、それに目を付けたヘッジファンドが「通貨売り」を仕掛けたことが、アジア通貨危機の直接の原因です。
そもそもヘッジファンドとは、何億、何十億というお金を持っている資産家からお金を集め、それを超エリートの投資家がまとめて運用して増やし、資産家に増やしたお金を返す、というビジネスを行う機関投資家のことです。
アジア通貨危機のきっかけとなる通貨売りを仕掛けたのは、ジョージソロスという天才投資家でした。まず、「通貨を売る」とはどういうことか仕組みから簡単に説明します。
海外旅行に行くときに日本円を海外の通貨に交換すると思いますが、これは「日本円を売って海外通貨を買う」という行為ですよね。
ヘッジファンドが行った「通貨を売る」という行為は、この海外旅行の時に行うような通貨の交換をとてつもなく巨大な規模で行ったということです。アジア通貨危機の場合は、ヘッジファンドがバーツを売りまくりました。
個人が海外旅行で通貨を交換するくらいでは通貨の変動はほとんどありません。しかし、これを巨大な規模で行うと為替相場が変動します。
つまり、ヘッジファンドが巨額の「売り」をしかけたことで、タイのバーツはひたすらバーツ安に向かって暴落していったということです。
「それでどうやってヘッジファンドは儲けるの?」と疑問かもしれません。
アジア通貨危機時にヘッジファンドが行ったのは、「空売り」という行為です。
「空売り」というのは、いろいろな所から通貨を借りてきてそれを売ってしまうということです。
たとえば、ヘッジファンドは巨大な銀行等から通貨を借りてきます。タイのバーツをたくさん持っている銀行からバーツを借りるのです。そして、
- マーケットで借りたバーツを売りまくって相場をバーツ安に誘導する
- 他の投資家も損したくないため、一緒にバーツを売ってさらにバーツ安になる
- 相場が下がり切った(バーツ安の底まで来た)と思ったところで売りをやめ、売ったバーツを買い戻す
ということをやるのです。
バーツはもともと買ってきたものですから、借りてきた銀行等に返さなければなりません。そのため最後に買い戻すのですが、「高い所で売って安い所で買い戻している」ため、ヘッジファンドは大儲けできるのです。
これが、ヘッジファンドが通貨の空売りによって大儲けする仕組みです。
アジア通貨危機において、欧米のヘッジファンドは「俺たちがバーツを売れば相場を動かせそうだ。だから空売りで大儲けしよう。」と考えたのです。
以上を前提として、これから各国におけるアジア通貨危機の経緯を説明します。
- アジア通貨危機とは、1997年の機関投資家からの攻撃から起こった通貨危機のこと
- 機関投資家から狙われたのは、タイが、実体経済の成長が滞る一方、ドルペッグ制で為替レートを固定しており、バーツ安に誘導することで利益が得られたため
2章:アジア通貨危機の経緯
アジア通貨危機はタイからはじまりました。ここではタイを中心に東南アジアと韓国の経緯を説明します。
2-1:タイから東南アジア・韓国への波及
タイは以下の構造的な問題を抱えていました。
- 輸出を通じて得られるドルより、輸入によって海外に流れるドルの方が大きかった(経常収支の赤字)
- しかし、海外からの投資によるドルの蓄積が、輸入で海外に流れるドルを上回っていた
- 上記の理由から、タイは海外からの投資による資本(ドル)の流入に依存する構造だった
タイにおける不動産への投資の失敗が明らかになった1997年、タイの通貨バーツは急激に売られました。それは、先にも説明した理由から投資家は「空売り」によって、バーツの暴落で利益を得ることができるからです。
投資家によってバーツが売られても、タイ政府はドルペッグ制を維持するためにバーツを買い、為替相場を変動させないように買い支えしようとしました。また、バーツ売りに対してシンガポール、マレーシア、香港と協調介入やタイの非居住者に対するバーツへの資本流出規制などの防衛策を実施しました。
しかし、タイ政府がバーツを買い支えられるのは、政府が持っているドルの量が上限です。
つまり、タイ政府が保有するドルがなくなると、バーツを買い支えられなくなってバーツはドルペッグ制を維持できなくなり、暴落してしまうのです。
投資家は、実際そうなるだろうと考えてバーツを売り浴びせ、
- タイ政府は耐えられずに変動相場制に移行(1997年7月2日)
- 1ドル=24.5バーツで固定されていたレートは、1ドル=29バーツまで下落
- さらに半年後には1ドル=50バーツまで暴落
という結果になりました。つまり投資家が勝ったのです。
バーツの暴落はタイと深い経済関係にあったアジアの各国に影響しました。具体的には、フィリピン、マレーシア、インドネシア、韓国です。たとえば以下のようなことが起こりました。
- インドネシア
7月以降通貨ルピアが売られ、10月には7月よりも約32%もルピア安になった。インドネシアは経常収支の赤字が拡大し、海外からの借り入れ返済が不安視されていたことから、通貨売りが発生した。 - マレーシア
通貨リンギ売りが発生したが、当初は政府の介入によって10%程度の切り下げにとどまった。しかし、その後の政策から海外の投資家の不安をあおることになり、リンギ・株価がともに下落。 - 韓国
大企業の倒産、格付け機関による国家の信用の格付けの引き下げなど。
アジア通貨危機の各国への細かい影響について、詳しく知ることは重要ではありません。重要なのは全体の流れや要点を押さえることです。
要点を整理すると、以下のようになります。
- 機関投資家による通貨への攻撃
- 政府介入で為替レートの安定をはかる
- 限界がきて通貨暴落
- アジアに投資していた海外投資家が資金を引き揚げる
- 各国の国内企業が借金を返済できず倒産など経済的ダメージ発生
大事なのは、アジア通貨危機への国際社会からの対応が、アジア経済にとって厳しいものだった点です。
2-2:IMFが必要とされた理由
「結局、アジア通貨危機の何がダメージとなったの?」と疑問かもしれません。
結論を言えば、海外の投資家が資金を引き揚げたことで、アジア各国の企業が債務(借金)を返還しなければならなくなったことがダメージになりました。なぜなら、アジア各国の債務(借金)は「ドル建て」だったからです。
※ドル建てとは、ドルで借り入れをするということです。逆に日本企業が日本円で借金する場合などは「円建て」と言います。
ドル建ての債務を返済しようとすれば、その国の中央銀行(日本なら日銀)が持つ「ドル準備」が返済できる上限になります。つまり、債務を返済するのに国内通貨をドルに交換しなければならないため、その準備がなくなれば当然ドルに交換できず、返済もできなくなるということです。
ドル準備が底をついた各国政府は、どこからかドルを借りてこなければなりません。
そこで、IMF(国際通貨基金)に救済を求めました。
IMF(国際通貨基金)とは世界の為替相場を安定させることを役割とする国際機関で、財政危機に陥った国に、条件付きでお金を融資してくれます。
IMFに求められたのは、アジア各国が債務を返済できるだけのドルを融資し、アジア経済を危機から救うことでした。しかし、結論から言えばIMFの政策は失敗し、アジアから強く批判されることになります。
それは、IMFが単に融資するだけでなく、融資の条件として構造改革(コンディショナリティー)を求めたからです。→こちらの記事でも解説しています。
2-3:IMFが求めた構造改革
IMFがアジア各国に求めたのは以下のものです。
- 支出の抑制
- 高金利政策
- 緊縮財政
簡単に言えば、支出の抑制とともに、高金利政策でお金の貸し出しを減らし、さらに政府の財政支出を減らす(緊縮財政)ことで、収支を健全化しなさいということです。
2-3-1:タイの変動相場制への移行
IMFの構造改革はある意味で間違ったものでした。なぜなら、アジア各国の問題は単に「ドルが足りない」ことであり、通貨危機が起こるまで十分に成長しており、返済能力に問題があったわけではなかったからです。
実際、タイは融資の条件として支援パッケージを受け入れ、変動相場制に移行しました。しかし、変動相場制に移行したことでバーツが売りたたかれるきっけけを作った面もあったのです。
その理由について、当時大蔵省(現在の財務省)の官僚だった榊原英資は、以下のように論じています。
市場参加者から見れば、外貨準備が底を突き始めたと思われる時点での遅すぎた為替レートの調整は、タイ通貨当局の敗北宣言以外の何物でもなかった2榊原英資『日本と世界が震えた日−サイバー資本主義の成立−』2005年。
2-3-2:インドネシアの構造改革
IMFが最も強く構造改革を要求したのがインドネシアです。IMFは以下のプログラムを要求したとされます。
- 森林再生
- 国民車計画
- 自動車のローカルコンテント政策
- サトウキビの強制的な植え付け
- 中小企業のためのミクロ金融導入
など
インドネシア政府は、強い構造改革要求に抵抗しました。そのため、「98年の経済成長率がマイナス14%」「インドネシアルピアの通貨が6分の1に暴落」などの経済危機に陥りました。
こうしたIMFの構造改革要求は、欧米的な市場主義・資本主義を押しつけるものであるという批判もなされています。
2-3-2:構造改革の根拠:縁故資本主義
これほど強い構造改革の要求には、改革を必要とする根拠が必要です。
その根拠とされたのが、「アジア特有の商習慣・経済の仕組みに危機の原因がある」という考えです。
当時IMFを通じて支援策を主導したアメリカの財務長官ルービンは、IMFはアジアの危機の原因が「縁故資本主義(クローニーキャピタリズム)」であると指摘しました。
縁故資本主義(クローニーキャピタリズム)とは、政治家や官僚らと民間企業が「縁故」的なつながりを持った資本主義の仕組みを揶揄する言葉です。
市場原理主義が貫かれている(と考えられた)欧米の国際機関からすると、アジアの資本主義は市場主義的ではなく、人のつながりが介入する歪なものと考えられました。そのため、IMFを通じた改革によってアジア経済の仕組みを健全なものにしようとされたのです。
その結果は、先ほども触れたようにアジア経済に逆にダメージを与えるものでした。
アジア各国は、欧米の機関投資らから攻撃された被害者であるのに、さらに欧米中心に動く国際機関の支援策でダメージを与えられることになったといえます。
そのため、アジア各国は「欧米に頼ってられない」「アジアで連帯しなければならない」という危機感を持つようになりました。
それが、現在まで続くアジアの協調的な外交や構想につながっています。
- タイのバーツはIMFの支援策を受け入れ変動相場制にしたことで暴落した
- IMFの構造改革は厳しいもので、各国の反発を招き、また成果も逆効果だった
3章:アジア通貨危機に対する地域協力と日本の対応
アジア通貨危機に対して「アジアで何とかしよう」という機運が生まれました。そこでアジアでの協調的な支援策の提供や、日本政府が主導する支援策が実践された経緯があります。
アジアにおける政治的な連帯は、アジア通貨危機がきっかけになったのです。
3-1:アジアの協調的政策
東南アジアと日本が中心となり、いち早く救済策が実施されました。最初のものがタイ支援国会合(1997年)で、その後もASEAN+3首脳会議や日本政府による支援が行われました。
3-1-1:タイ支援国会合
1997年8月15日、日本政府はIMFと協議しタイをアジア諸国で支援するための会合を東京で開きました。
前述の財務官僚(当時)の榊原によると、その場では「アジアの連帯感」とも言える熱気があったそうです。
この会合では、
- 日本政府による40億ドルの支援
- インドネエシア、マレーシア、世界銀国、アジア開発銀行、シンガポール、香港、韓国による支援
が決まりました。
3-1-2:ASEAN+3首脳会議
さらに、1997年の12月にはASEAN創設三十周年を記念してASEANと日中韓による首脳会議が行われ、危機への支援の枠組みができました。
ASEANは通貨危機からの脱出に支援が必要であり、上述のように東アジア域内で地域連帯の空気が生まれていたことから、97年12月14日から16日まで行われたASEAN首脳会議に、日中韓の3カ国を招待しました。そこで、ASEAN+3の13カ国ではじめての首脳会議が行われたのです。
これが、その後の東アジア地域協力の発端となる枠組みとなりました。
その後のアジアにおける地域主義的構想の進展について、詳しくは以下の記事をご覧ください。
3-2:日本政府の構想・支援策
日本は、アジアにおいて影響力を強めたいという思いと巨額のドルを保有していたことから、アジアにより積極的な支援を行うための構想もしました。
それがこれから紹介するAMF構想です。
3-2-1:AMF構想
日本は巨額の外貨を保有していたため、それをアジアの救済に使えば有効ではないか、という考えからAMF(アジア通貨基金)を構想しました。
AMF構想は以下のような構想でした。
- 日本の外貨準備をアジア救済のための基金として活用する構想
- 東アジア域内での「連帯感」の流れを利用し、97年9月23日、24日の香港でのIMF・世銀総会で一気にAMFを設立しようという計画
- 中国、香港、日本、韓国、オーストラリア、インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、フィリピンの10カ国をメンバー国として想定
AMF構想は日本が独自にアジアに秩序を生み出すという意味で、戦後の日本にとって挑戦的な試みでした。なぜなら、日本は戦時の「大東亜共栄圏」の失敗がある上、日米関係を重視した外交を一貫して行ってきたからです。
結果的には、アメリカは日本政府のAMF設立への動きに強く反発し、結局構想は失敗に終わりました。
日本がアジアのリーダーになることをアメリカは許さなかったのです。
この経緯を、経済学者伊藤隆敏は「経済外交敗戦」と表現しています3『外交フォーラム』1999年2月号「経済外交の視点 アジア経済危機とわが国の役割」。
3-2-2:新宮澤構想
AMF失敗から、1997年には日本はアジア支援に影響力を持つことができず、非難されましたが、1998年には以下のように現実的な支援を行いました。
- 東南アジア経済安定化等のための緊急対策(1998年2月)
- 総合経済対策(1998年4月)
- 新宮澤構想(1998年10月)
- 緊急経済対策(1998年11月)
- 新宮澤構想第2ステージ(1999年5月)
特に、1998年10月のIMF・世界銀行の年次総会で発表された「新宮澤構想」は、上記支援策の中でも最大規模のものでした。
新宮澤構想とは、
- アジア諸国の経済再建のため中長期の支援金150億ドル
- 短期的資金需要の支援として150億ドル
の計300億ドルを準備しアジア諸国を支援したものです4参考:財務省「アジア通貨危機支援に関する新構想(新宮沢構想)関連」最終閲覧日2019年12月25日。
こうした経緯でアジアの連帯が高まり、その後にアジアにおけるさまざまな協調的政策が打ち出されていくことになりました。
アジアの協調的な空気から、日本は貿易協定をアジア諸国を中心に締結していくFTA政策を採用するようになりました。詳しくは以下の記事で説明しています。
【自由貿易協定(FTA)とは】EPAとの違いからわかりやすく解説
日本のアジア外交は戦後一貫して行われてきたものです。代表的なものがAPECにつながるアジア太平洋外交です。
4章:アジア通貨危機に関するおすすめ本
アジア通貨危機はIMFが「欧米の理想の押し付け」であると批判された点や、アジア連帯のきっかけになったことなどから、現代史上の大きな出来事だったと言えます。
アジア通貨危機に関連した書籍として、以下の本がおすすめです。
榊原英資『日本と世界が震えた日-サイバー資本主義の成立-』(角川文庫ソフィア)
この記事でも紹介したように榊原は1997年当時財務官僚(財務官)で、危機の対応に実際に関わった人物です。アジア通貨危機に、当事者として関わった著者にしか書けない臨場感たっぷりの内容です。
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竹森俊平『1997年-世界を変えた金融危機』(朝日新書)
この本は経済学者の竹森が、アジア通貨危機(とそれに関連した金融危機)について解説した本です。危機の詳しい経緯よりもIMFの対応や経済学的面からの説明がコンパクトにまとまっています。
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ロバート・ギルピン『グローバル資本主義-危機か繁栄か-』(東洋経済新報社)
世界的に著名な国際政治経済学の学者であるギルピンのテキストです。アジア通貨危機の原因についても解説されています。この本を読む上では、欧米の学者から見たアジアの危機である、という点が重要です。
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一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
最初の1冊は無料でもらえますので、まずは1度試してみてください。
また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
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などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。
まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- アジア通貨危機とは、タイ・バーツが機関投資家から攻撃されて暴落し、その影響がアジア各国に広がった通貨・金融危機
- IMFの支援策が厳しい構造改革を求めるものだったため、アジア各国から反発を招いた
- 日本はAMFという地域的枠組みを作ろうとしたがアメリカに反対され、新宮澤構想などの別のスキームで支援した
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