レーガノミクス(Reaganomics)とは共和党から立候補し、米国の第40代大統領に就任したロナルド・レーガン(Ronald Reagan)の政権で、実施された経済政策の総称のことです。
レーガノミクスは新自由主義的な政策としてとても有名です。しかし、レーガノミクスが実施された背景や結果に関してどのような評価がされているのかは知られていないかもしれません。
そこで、この記事では、
- レーガノミクスの背景
- レーガノミクスの政策
- レーガノミクスの結果
をそれぞれ解説していきます。
あなたの関心に沿って読み進めてください。
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1章:レーガノミクスとは
1章ではレーガノミクスを「定義」と「背景」から簡潔に概観します。
レーガノミクスの具体的な政策は2章で解説しますので、あなたの関心に合わせて読み進めてください。
1-1: レーガノミクスの定義
まず、冒頭の確認となりますが、
レーガノミクスとは米国の第40代大統領に就任したロナルド・レーガン(Ronald Reagan)の政権で実施された経済政策の総称のこと
です。
レーガン大統領の在任期間はほぼ1980年代全般(在任期間:1981年1月20日から1989年1月20日)にわたり、この期間に実施された経済政策を「レーガノミクス」といいます。
「レーガン」と「エコノミックス」を合わせた造語を作り出したのは米国ABCテレビのキャスターであるポール・ハーベイと言われており、学問的には市場メカニズムを重視する新自由主義に基づいた政策が特徴です(政策については後述)。
1-2: レーガノミクスが実施された背景
具体的な政策に触れる前に、レーガノミクスが導入された背景を理解しましょう。そうすることで、レーガノミクスを深く理解することができます。
結論からいえば、レーガノミクスは主に「スタグフレーション」と「双子の赤字」といったアメリカ経済の状況に対して導入された政策です。それぞれ解説していきます。
1-2-1: スタグフレーション
そもそも、景気が拡大すると物価が上昇(インフレーション)するのは一般的なことですが、レーガンが就任する前の1970年代のアメリカ経済はこれとは異なっていました。
1965年にアメリカが本格的にベトナム戦争に介入し戦争が拡大すると、インフレ傾向が顕著となり、それ以降15年間にわたってインフレが続くことになります。
一方でアメリカの経済成長率は1979年から落ち込み始め、1980年にはマイナス成長になり経済不況が深刻化するようになっていきました。
つまり、当時のアメリカ経済は、
不況により雇用や賃金が減少する一方で物価は上がる、いわゆるスタグフレーションに直面していた
のです。
収入が減り今まで所有していた貨幣や預貯金の価値がインフレにより目減りする中、国民の生活は苦しいものになっていきました。
レーガン就任時の経済指標をみると、インフレ率12%、失業率7.5%、金利(3カ月債権)20.2%であったことがわかります。
1-2-2: 双子の赤字
加えて、レーガンが大統領に就任したとき、アメリカはすでに「財政赤字」と「貿易赤字」の「双子の赤字」を抱えていました。
財政赤字・・・国家を運営・管理する資金が足りなくて、借金をしている状況のこと
貿易赤字・・・自国の輸出額に対して、他国からの輸入の方が多い状態のこと
つまり、当時のアメリカ経済は適切な政策を打たないと、財政赤字も貿易赤字も拡大していくことが予想されていたのです。
1970年代から国際競争力の低下によりアメリカの輸出産業は低迷していましたし、ドル高にともない輸入額は拡大していったのです。
1-3: レーガノミクスとサプライサイド経済学
これらの問題に対して、レーガン政権は「強いアメリカ・小さな政府」を合言葉にいくつかの政策を打ち出していきました(目標とされたのは「スタグフレーションの克服」「アメリカ経済の活力の回復」「成長軌道の維持」)。
その際、レーガノミクスはよくサプライサイド経済学(Supply side economics)の理論に基づき実施されたと言われます。具体的な政策を紹介する前に、サプライサイド経済学の基本的な考え方を紹介していきます。
1-3-1: サプライサイド経済学とは
そもそも、サプライサイド経済学とは、
1980年代アメリカのレーガンの(R.Reagan)政策を支えたラッファー(A.B.Laffer)の理論で有名になったもので、税率を引き下げ、働く意欲を増し、供給サイドの増加を重視すべきであるという主張
と定義さます1引用:伊藤光春(編)『岩波 現代経済学辞典』(岩波書店)315頁。
これだけではわかりにくいと思いますので、1929年の大恐慌時に実施されたケインズ理論に基づく、フランクリン・ルーズベルトのニューディール(New Deal)と対比しながら説明していきます。
1-3-2: ケインズ理論とサプライサイド経済学の対比
まず、ニューディール政策の基礎となったケインズの経済理論です。
端的にいえば、ケインズの経済理論では、
- 市場経済は放っておくと不安定な状態になる
- だから不況時には政府が積極的に財政出動して、供給側の生産能力に見合う需要を創出すべきである(=有効需要の創出の必要性を重視)
と考えます。
たとえば、ニューディール政策ではアメリカ政府が大規模な公共事業を行い、市場に需要を提供しました。政治的な言葉で表現すると、政府がイニシアティブを取り、それに伴う行政サービス費用がかかる「やや大きな政府」の政策でした。
一方、サプライサイド経済学の考え方では、
供給側の活動を活発にすることで、経済成長を達成できる
考えます。
言い換えると、供給力創出の必要性を訴えた経済学と言えます。
たとえば、レーガノミクスでは政府介入を最小限に抑え、民間が自発的に市場への参加機会を増やし、供給量を増やすことで経済回復を目指しました。レーガン大統領が主張した「小さな政府」とはこのことです。
つまり、両者の考えをまとめると、
- ニューディール政策実施時には公共投資をすれば民間投資も個人消費も増え、相乗効果で国民所得も増加するため、財源を確保するために多くの国債を発行しても問題がないと考える
- レーガノミクスでは長年続くインフレを抑え込むためには、通貨発行量を絞り、政策金利を大幅に上げる必要に直面した
といえます。
レーガンの「小さな政府」を目指す政策は後に新自由主義的政策であった、と主張されるようになりました。新自由主義とは、市場に対する国家の介入を最小限にするために、構造改革や規制緩和等を行うことです。
新自由主義について、詳しくは以下の記事で解説しています。
【新自由主義とは】定義・問題点・生まれた背景をわかりやすく解説
また、同時代に行われた新自由主義的政策として、イギリスのサッチャーが行ったサッチャリズムもあります。合わせて読んでみてください。
- レーガノミクスとは米国の第40代大統領に就任したロナルド・レーガン(Ronald Reagan)の政権で、実施された経済政策の総称のこと
- レーガノミクスは主に「スタグフレーション」と「双子の赤字」といったアメリカ経済の状況に対して導入された政策
- レーガノミクスはサプライサイド経済学(Supply side economics)の理論に基づき実施されたとされる
2章:レーガノミクスの政策
では、2章ではレーガノミクスの個別の政策を見ていきましょう。
2-1: 税制改革(減税)
まず、レーガノミクスでは「税制改革」がおこなわれました。
レーガノミクスにおける税制改革とは、
法人や個人の税率を引き下げることで、勤労意欲や消費、貯蓄意欲を引き出すことを狙ったもの
です。
端的にいえば、レーガン大統領は大幅減税を実施しました。
具体的には、以下のような減税がありました。
- 個人の所得税・・・所得水準に関わらず、一律10%を最低基準とした減税を3年間にわたって実施する
- 最高税率が課せられる層に対する減税・・・70%から50%まで税金を引き下げた
- 企業減税・・・設備投資を実施した企業には「加速度償却制度」(Accelerated Cost Recovery System)を導入し投資を促した
最後の「企業減税」を詳しくいうと、機械や工場などの償却期間を短縮し不足分を政府が負うことを意味します。
企業は生産設備更新が容易に実施できるようになり、生産性は上昇し、国が減収分を早く回収できることを目的にしたものです。
2-2: 政府支出の削減
次に、レーガノミクスでは「政府支出の削減」がおこなわれました。それはこのままの状態で進むと、アメリカは将来的に財政破綻することが明らかな状況があったことに起因します。
個人でもそうですが、借金が積み重なっていくと、使うお金を減らすことを考えます。アメリカも同様に支出を減らす方法を検討する必要がありました。その矛先は社会保障制度に向かいます。
具体的に、それに以下のような過程がありました。
- 1929年の大恐慌以降、少しずつ福祉制度を充実させてきたアメリカだったが、1970年代半ばからインフレがすすむのに対して、賃金は増えず、中産階級の人々の経済生活は悪化した
- 支払う税金が重く感じられ、国の予算の多くを占める社会保障制度費用を削減すべきであるという世論が拡がった
- その結果、レーガン政府は今まで国家が担ってきた福祉や社会保障制度の権限と責任を各州や民間機関に移譲し、国の支出を減らす計画を立案した
つまり、貧困者に対する援助の考え方や社会保障法、医療に関する法律などの改正を目指したのです。具体的には、低所得者への食券受給資格の見直し、学校給食を値上げし、医療年金の増額、失業時の給付金の見直しが検討されました。
2-3: 規制緩和
そして、レーガノミクスでは「民間の規制緩和」も実施されています。
それは今までの政府の規制が民間の自発的で活発な活動を規制してきたことで、生産性のアップや新たな分野への取り組みなどの意欲を削いできたと考えられたためです。
具体的には、「賃金・物価委員会のガイドラインの廃止」「国産原油価格の統制解除」が実施されました。
その他にも、規制緩和のために新たに設立した機関もあります。たとえば、「政府規制緩和作業部会」の設立です。当部会では当時のブッシュ副大統領を議長にし、積極的に規制を緩和していきました。
その結果、自動車の環境・安全規制や鉄鋼業の大気汚染規制が緩和され、金利が自由化され、預金許可など銀行業務の拡大も促進していきました。
2-4: 金融政策
また、15年も上昇し続けているインフレ率を抑えるために、アメリカ政府は以下のような施策を実施しています。
- 市場への通貨供給量(マネーサプライ)の増加率を1980年の半分程度まで引き下げることを目標とした
- 金融引き締めのために、FRB(連邦準備理事会)は政策金利を上げる政策も実施した
しかし、この通貨供給量の抑制と政策金利を上げたことで企業の投資意欲は下がり、1981年から1982年にかけて景気は後退し、失業率は10%を超えてしまいます。
1982年の米国企業の倒産件数は2万4千件を超え、過剰すぎる設備の中で鉄鋼業や自動車産業では極端に稼働率が下がり、工場閉鎖や賃金カットなどの状況を引き起こしました。
米国内や海外も含めて経済的に深刻な状態に陥った政府は、1982年から貨幣供給量を増やす政策に切り替え、金融緩和の方向に転換しました。
- 税制改革とは法人や個人の税率を引き下げることで、勤労意欲や消費、貯蓄意欲を引き出すことを狙ったもの
- レーガン政府は今まで国家が担ってきた福祉や社会保障制度の権限と責任を各州や民間機関に移譲し、国の支出を減らす計画を立案した
- 自動車の環境・安全規制や鉄鋼業の大気汚染規制が緩和され、金利が自由化され、預金許可など銀行業務の拡大も促進
- レーガノミクスでは通貨供給量の抑制と政策金利を上げられた
3章:レーガノミクスの評価
では一体、レーガノミクスはどのように評価されたのでしょうか?レーガノミクスで「期待されたこと」と「レーガノミクスの結果」から解説していきます。
3-1: レーガノミクスで期待されたこと
まず、レーガノミクスで期待されたことを簡潔に概観します。端的にいえば、以下のようなことがレーガノミクスでは期待されていました。
- 大幅に個人の所得税を減税することで、特に高額所得者の可処分所得(税金や社会保険料を差し引いた手取りで自由に使える所得)が増え、貯蓄率が高くなる
- 政府支出の削減により、財政赤字が減り、1984年には、財政赤字解消、1985年~1986年ごろには、黒字化できる。(国の借金が減り、貯蓄もできる)
- 規制を緩和させることで、民間の自発的で活発な経済行動を刺激し、また他分野や新しく参入する企業が増え、競争が高まって生産性が向上し、経済が活性化する。
- 市場への通貨供給量の増加率を絞り、流通する通貨が少なくなることで、物価上昇率を抑えることができ、インフレを抑制することができる
3-2: レーガノミクスの結果
これらの期待に対して、レーガノミクスはどの程度効果があったのでしょうか?
結論からいえば、レーガノミクスは成功した点も失敗した点も含む政策だったといえます。概説は以下の通りです。
3-2-1: レーガノミクスの結果:財政赤字
まず、財政赤字は減らせる計画でしたが、財政赤字と累積債務はレーガン政権時代に逆に増加してしまいました。
累積債務
- レーガン大統領就任時・・・9090億4100万ドル
- ジョージ・ブッシュが大統領就任時(8年後)・・・2兆6011億400万ドル
累積赤字
- レーガン大統領就任時・・・国内総生産(GDP)のおよそ3割(33.4%)
- ジョージ・ブッシュが大統領就任時・・・国内総生産の5割(51.9%)
どちらの数字も悪化していることがわかると思います。
3-2-2: レーガノミクスの結果:失業率
レーガン就任1年後の1982年には失業率が9.7%に増大しましたが、就任7年後の1988年には5.5%に減少しました。
3-2-3: レーガノミクスの結果:インフレ率
市場への通貨供給量(マネーサプライ)を減らし、FRB議長のポール・ボルカーが政策金利を11%から20%まであげて、金融引き締めをおこなった結果、10%を超えていたインフレ率は3.2%まで下がりました。
3-2-4: レーガノミクスの結果:実質経済成長率
実質経済成長率は81年から86年を平均の見通しを3.9%にしていましたが、実績では経済成長率が3.3%とわずかに届きませんでした。
3-2-5: レーガノミクスの結果
これらの結果、経済学者たちは今日もレーガノミクスの効果について議論を重ねています。
否定的な人々は「ブードゥー経済」だったと非難し、支持者たちは「自由市場経済」を実施したと評価しています。
具体的な成功点として、以下の項目が挙げられます。
- 金融引き締めにより金利を上昇させたことでインフレを抑制した
- 所得税減税により、労働者の勤労意欲が高まり、起業活動や研究開発投資なども活発になった
- レーガン政権下で80年初頭から90年代の終わりにかけて、アメリカの主要株式指数であるダウ工業株30種平均は、14回にわたる上昇トレンドに入り、4千万の新しい事業が生まれた
- 現在の最高所得税率は今でこそ37%であるものの、レーガン政権が誕生する1981年まで、所得税率の最高税率は70%であった
- 1940年代から1960年代前半までは最高税率が90%であった時代もあり、一概に数値だけを見て税率が高い安いという判断はできないが、レーガンの登場とともに1980年代後半から最高所得税は40%を下回り安定するようになった
一方で失敗した点として、財政赤字を増やしてしまったことを挙げることができます。
具体的には、
- 減税によって米国政府の歳入が減っただけでなく、縮小させるはずであった社会保障費用も思うように削減できなかった
- インフレ抑制のためにとった金融引き締め政策により金利が上昇し、高金利に伴いアメリカドルへの投資意欲が高まりアメリカドルは他通貨に対して顕著なドル高をもたらした
- 米国製品は価格競争力を失い輸入量が増え、貿易赤字も増えていった
といった点が指摘されています。
このようにみるとレーガノミクスは成功した点も失敗した点も含む政策でした。しかし、その後の経済成長の復活の火付け役になったことは成功点として評価されてもいいかもしれません。
4章:レーガノミクスを学ぶ本
どうでしょう?レーガノミクスの概観を掴むことはできましたか?
最後に参照した書物を提示します。ここで書かれた内容をさらに深掘りするために、ぜひ以下の書物を当たってみてください。
中本 悟・宮崎礼二(編)『現代アメリカ経済分析-理念・歴史・政策』(日本評論社)
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萩原伸次郎『新自由主義と金融覇権 現代アメリカ経済政策史』(大月書店)
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中臣久『現代アメリカ経済論 アメリカにおける資本主義の精神』(日本評論社)
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地主敏樹・村山裕三・加藤一誠(編)『現代アメリカ経済論』(ミネルヴァ書房)
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山田敏夫(著)『ベーシック経済政策』(同文館出版)
「レーガノミクス vs トランポノミクス:国際金融トピックス」(国際通貨研究所、2017-02-11)https://www.iima.or.jp/docs/international/2017/295_j.pdf
「トランポノミクスとレーガノミクス、財政赤字拡大への類似性」(ジャパン・タックス・インスティチュート)http://www.japantax.jp/iken/file/20170301_2.pdf
一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
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などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。
まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- レーガノミクスとは米国の第40代大統領に就任したロナルド・レーガン(Ronald Reagan)の政権で、実施された経済政策の総称のこと
- レーガノミクスは主に「スタグフレーション」と「双子の赤字」といったアメリカ経済の状況に対して導入された政策
- レーガノミクスは成功した点も失敗した点も含む政策だった
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