マニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)とは、1840年代のアメリカの対外領土獲得を正当化するスローガンとして登場し、それ以降、西部への膨張主義を推進する国家のイデオロギーとなった思想です。
上記のような説明はマニフェスト・デスティニーの概要を示していますが、ここでストップするともったいないです。この思想は宗教的な観念と結びつきながら、アメリカ史における多様な出来事と関わってきたからです。
つまり、上記の概要からもう一歩理解を深めると、アメリカという国家の全体像をつかむきっかけになります。
そこで、この記事では、
- マニフェスト・デスティニーの起源
- マニフェスト・デスティニーの特徴
- マニフェスト・デスティニーの影響や問題点
をそれぞれを解説します。
興味のある箇所から読んで、あなたの学びに活用してください。
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1章:マニフェスト・デスティニーとは
1章ではマニフェスト・デスティニーの意味・起源・特徴を解説します。マニフェスト・デスティニーの実際の影響や問題点について知りたい方は2章から読み進めてください。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1: マニフェスト・デスティニーの意味
さて、冒頭の確認となりますが、マニフェスト・デスティニーとは、
1840年代のアメリカの対外領土獲得を正当化するスローガンとして登場し、それ以降、西部への膨張主義を推進する国家のイデオロギーとなった思想
です。
どの国家も国外に拡張を広げる場合、支持を国民から獲得するためのスローガンや対外領土の獲得の正当化をするイデオロギーを必要としていきました。
日本も例外ではありません。たとえば、19世紀末から20世紀初頭に現れた日本の帝国主義やアジアの植民地化を正当化する「アジア主義」は、国民から積極的な支持をめざしかつ、支配を正当化するイデオロギーだったと言えるでしょう。
アジア主義に関しては、次の記事で詳しく解説してます。日本の事例ですので、より理解しやすいと思います。
1-1-1: ジョン・オサリヴァン
そして、アメリカが西部への拡張をもくろむ1840年代、膨張主義者によって説かれたのが「マニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)」でした。「マニフェスト・デスティニー」は日本語でしばしば「明白な運命」といわれたりします。
「マニフェスト・デスティニー」を初めて説いたのは、ジョン・オサリヴァン(John L. O’Sullivan 1813年 – 1895年)です。彼は1845年の『デモクラティック・レビュー』において、以下のような主張をしました。
- アメリカの西部拡大は、神に与えられた使命である
- 神によって与えられた土地を拡大し、自由と連邦制に基づく統治をする必要がある
- つまり、民主主義を拡大することがアメリカ人に与えられた使命である
「マニフェスト・デスティニー」を思想的な支柱としたアメリカは、テキサスの併合や米墨戦争を経て西部の広大な土地を獲得していきました。
1-2: マニフェスト・デスティニーの起源
さて、マニフェスト・デスティニーは1840年代に突如現れたものではなく、似たような表現が歴史的に使われてきました。特に、「アメリカ人は神によって卓越した国家を建設するという使命が与えられている」という思想は18世紀の後半から繰り返し説かれています。
そのようなマニフェスト・デスティニーの起源について、解説していきます。
1-2-1: 同一の表現
マニフェスト・デスティニーに似た表現は、歴史的にいくつかあります。たとえば、以下のものがあります。
- 1728年からアメリカに住んだイギリス人の牧師が述べた「Westaward the Course of Empire」
- オサリヴァンの「United States, the Nation of Futurity」
それぞれのスローガンは「マニフェスト・デスティニー」と同様のニュアンスを持つもので、アメリカ人の特殊性を示すものでした。
1-2-2: アメリカ人の使命
また、「アメリカ人は使命が与えられている」という信念は頻繁に説かれてきました。
- ジョン・ダムスは人類の啓蒙と解放とためにアメリカの植民の必要性を説く
- 1781年の連合規約にはカナダの領土的併合が規定されており、トーマス・ジェファーソンらは「自由のための帝国」や「大陸的帝国」という思想を提示した
このように、アメリカ人は神によって卓越した国家を建設する使命が与えられているという「マニフェスト・デスティニー」の観念は、18世紀の後半には登場していたのです。
1-2-3: 宗教的な観念:ピューリタリン
「マニフェスト・デスティニー」は神を引き合いに出して、運命が神によって決定されることを説きます。そのため、「マニフェスト・デスティニー」は本来宗教的な観念であるといえます。
そもそも、アメリカは「宗教市場の自由化(教会設立の自由や教会間の競争)」が求められた土地であり、この「宗教市場の自由化」がイギリスではできないと考えた人びと(ピューリタン)が移住して作った国でもあります。
この思想はピューリタリンによって設立された、ニューイングランド植民地において明確に表現されています。
ピューリタリンの思想の特徴
- ピューリタリン達はアメリカを教会と社会の改革の地として考えていた
- ピューリタリンは宗教的な迫害からの新世界へ逃走したのではなく、模範的なキリスト社会を作るための事業と考えていた
- つまり、神の導きのもとに新世界を開拓し、その事業は神の恩寵を拡大するものとピューリタリンは自覚していた
このように、ピューリタリン思想の根底にはマニフェスト・デスティニーと同じ宗教的な観念の存在をみることができます。
しかし、ピューリタリンの思想は短絡的にマニフェスト・デスティニーと繋がるわけではありません。それは自由と独立を求めた独立戦争を経て、ピューリタリンの思想はより世俗的に変容したからです。
詳細な内容にはここで触れませんが、ピューリタリンの宗教的自覚にはマニフェスト・デスティニーの芽生えを見出すことができることを覚えておきましょう。
「プロテスタントとピューリタリンの関係」や「清教徒革命(ピューリタリン革命)の歴史」について知りたい方は、次の記事を参照ください。
1-3: マニフェスト・デスティニーの特徴
1章の最後に、オサリヴァンによって提唱されたマニフェスト・デスティニーの4つの特徴をまとめて提示します。
再度述べますが、オサリヴァンは「マニフェスト・デスティニー」を初めて提示した人物です。オサリヴァンの主張は「アメリカ人の使命」がより世俗化されたものであり、次のような構成要素によって成り立っています。
マニフェスト・デスティニーは上のような構成要素から、膨張主義的感情を駆り立てる役割を担いました。
政治的にいえば、「アメリカの民主党」と密接な関係をもった思想であったといえます。事実、マニフェスト・デスティニーの実現に民主党大統領のポークの存在は不可欠でした。
ちなみに、これまでの内容は『アメリカ膨張主義の展開―マニフェスト・デスティニーと大陸帝国』(1995)を参照し書かれています。ここで紹介できなかった内容が多くありますので、詳細な議論を知りたい方はぜひ読んでみてください。
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これまでの内容をまとめます。
- マニフェスト・デスティニーとは、1840年代のアメリカの対外領土獲得を正当化するスローガンとして登場し、それ以降、西部への膨張主義を推進する国家のイデオロギーとなった思想である
- マニフェスト・デスティニーは本来宗教的な観念である
- マニフェスト・デスティニーは「共和主義の拡大」「連邦制の採用」「民主主義」「アングロサクソン主義」という特徴がある
2章:マニフェスト・デスティニーの影響と具体例
マニフェスト・デスティニーを国家イデオロギーとして展開されたのは、「テキサス併合」や「米墨戦争」でした。これらの出来事について詳しく解説します。
ちなみに、これらの出来事から誕生するのは「チカーノ」と呼ばれるメキシコ系アメリカ人集団です。合わせて読むと、理解が深まるはずです。
2-1: 影響①テキサス併合
アメリカ人の領土拡張の熱の矛先は1830年代テキサス、1845年以降はさらに西へと広がっていきます2牛島 万 1998「アメリカ膨張主義とメキシコの対応–米墨戦争 (1846年-1848年)の性格をめぐる 論争を中心に–」『ラテンアメリカ研究年報』(18) : 49-76。「マニフェスト・ディスティニーと米墨戦争」『アメリカのヒスパニック=ラティーノ社会を知るための55章』牛島万、大泉光一(編)pp.38-57。。
ここでは、テキサス併合の流れを説明します。
テキサスが併合される歴史的な展開
- 1821年スペインから独立したメキシコは、現在のアメリカ南西部を自国の領土とする
- メキシコ政府は1820年代から条件付き(カトリックへの改宗、メキシコ憲法と法令の遵守、国境付近への入植禁止)で、アメリカ人入植者を受け入れ始める
- しかしアメリカ人入植者はメキシコ政府との取り決めを無視し、対立を生んでいった
- 1830年までにアメリカ人の移民が禁止されるが、入植者数は急増し、1835年にはアメリカ人人口約3万人に対して、メキシコ人人口約7800人となる
- 入植したアメリカ人はテキサスを強行的に独立させようという運動が高まり、1835年に一方的にテキサスの独立を宣言した
一方的なテキサスの独立宣言に対して、メキシコ政府のサンタアナ大統領は軍を率いてテキサスを襲撃します。これは「アラモの砦」での闘いです。
「アラモの砦」は1899年の米西戦争の原因となった「メイン号爆破事件」、太平洋戦争のきっかけとなった「真珠湾攻撃」とあわせて、アメリカ史史上の三大屈辱事件として有名です。
3つの事件に共通するのは、①アメリカ領土内で戦争が起こりアメリカ人が死傷したこと、②この理由からアメリカ政府が報復攻撃を正当化したことです。
結論からいえば、テキサス独立派がサンタアナ大統領を捕虜として確保すると、1836年テキサス共和国と独立をします。そして、1845年にアメリカに併合され、28番目の州となりました。
しかし、これはアメリカの膨張主義のきっかけにすぎませんでした。
2-2: 影響②米墨戦争
テキサスの併合後、アメリカは米墨戦争によって現在のカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミングの各州を獲得します。
アングロ系のアメリカ人が獲得を目指した土地の大部分は、メキシコに領有権があり、インディアンやメキシコ人が少数ですが居住していました。これらの土地は人口が少なくメキシコ政府の統治力が弱かったため、領土拡大の標的とされたのです3「マニフェスト・ディスティニーと米墨戦争」『アメリカのヒスパニック=ラティーノ社会を知るための55章』牛島万、大泉光一(編)pp.38-57。
米墨戦争の展開は以下の通りです。
米墨戦争の展開
- 1846年、南西部の獲得を試みるアメリカ軍はメキシコとの係争地域であるヌエセス川とリオグランデに突如進出をする
- メキシコ軍は自衛のため戦争を余儀なくされ、アメリカ軍に対する攻撃を加える
- 14人の死者と7人の負傷者が出たこと理由にアメリカは宣戦布告をおこない、米墨戦争が開始された
- 1847年までにメキシコ政府は内政が混乱に陥ったこともあり、不政府状態となり戦争の続行は不可能となったが、多くの領土獲得を狙うアメリカ合衆国は戦争を継続、1848年に米墨戦争の結果としてようやくグアダルーペ・イダルゴ条約が締結された
- メキシコは領土の50%以上を奪われた上に、譲渡される土地に居住したメキシコ人の土地所有権は認められず、さらに米墨戦争後の混乱が重なり、メキシコの政治的不安定は恒常的なものになった
社会学者の牛島がいうように、米墨戦争は「メキシコ人をはじめ米国内外から侵略戦争とレッテルを貼られている米国史上の汚点」とされた戦争です。
このように、領土拡大はアメリカ合衆国の帝国主義的な姿勢を象徴する出来事でした。
テキサス併合と米墨戦争について、またはその影響について詳しく知りたい方は、まず明石書店の「知るためのシリーズ」を読んでみてください。
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3章:マニフェスト・デスティニーの学び方
どうでしょう?マニフェスト・デスティニーの概要をつかむことはできましたか?
最後に、マニフェスト・デスティニーを深く理解するための書籍を紹介します。
山岸 義夫『アメリカ膨張主義の展開―マニフェスト・デスティニーと大陸帝国』勁草書房
アメリカの膨張主義を扱った数少ない著作です。マニフェスト・デスティニーを邦語文献としても貴重です。
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Gonzalez, Juan 『Harvest of Empire: A History of Latinos in America』 Penguin Books
マニフェスト・デスティニーを思想的背景に、ラテンアメリカ諸国も領土拡大の対象となりました。多様なラティーノ集団の歴史とともに、学ぶと理解が深まります。
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まとめ
この記事の内容をまとめます。
- マニフェスト・デスティニーとは、1840年代のアメリカの対外領土獲得を正当化するスローガンとして登場し、それ以降、西部への膨張主義を推進する国家のイデオロギーとなった思想である
- マニフェスト・デスティニーは本来宗教的な観念である
- マニフェスト・デスティニーは「共和主義の拡大」「連邦制の採用」「民主主義」「アングロサクソン主義」という特徴がある
このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。
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