チカーノ(Chicano)とは、広義にメキシコ系アメリカ人を指し、1960年代の公民権運動に深いつながりをもつ人びとです。
21世紀のうちにアメリカ合衆国の白人人口は、チカーノを中心としたマイノリティによって抜かれるといわれています。日々存在感が増していくチカーノに触れずに、アメリカ合衆国を語ることはできなくなっています。
言い換えると、チカーノを理解することで「アメリカ合衆国を理解する鍵」を掴むことができます。
そこで、この記事では、
- チカーノとは誰か?
- チカーノの歴史
- チカーノの代表的な文化
をわかりやすく解説します。
興味関心のある箇所だけでも構いませんので、チカーノについて理解を深めるきっかけになれば幸いです。
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1章:チカーノとは誰か?
それでは、さっそくチカーノの定義、人口、歴史、文化を解説してきます。チカーノ壁画に興味のある方は、2章から読んでいただいて構いません。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1: チカーノとは?
冒頭の確認となりますが、チカーノとは、
メキシコ系アメリカ人(メキシコにルーツをもち、アメリカ合衆国に居住する人びとのこと)
を指します。
それでは「メキシコ系アメリカ人となにが違うの?」と疑問があると思います。簡単にいえば、違いは以下のとおりです2加藤薫. 1993. 「チカーノ・アートの現在」(『国際経営論集』4号、1 月)、 153-188 ページ。 ———. 2002. 『21 世紀のアメリカ美術 チカーノ・アート―抹消された “魂”の復活』明石書店。。
- 「メキシコ系アメリカ人」・・・主に政治経済・人口の調査で使用される
- 「チカーノ」・・・主に政治運動や彼らの文化・アイデンティティを説明する際に使用される
ちなみに、チカーノ(Chicano)は男性名詞形、 チカーナ(Chicana)は女性名詞形です。両者を含む場合は、チカーノと表記されます。
「なぜそんなややこしいことするんだ?」という意見はごもっともです。しかし、「メキシコ系アメリカ人」と「チカーノ」の相違はアメリカ史を理解することで、はっきりします。
チカーノの歴史を簡潔に学べる書物として、加藤薫の『21 世紀のアメリカ美術 チカーノ・アート―抹消された “魂”の復活』が非常におすすめです。
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1-2: アメリカ合衆国におけるチカーノの人口
ここでは、2010年のアメリカ国勢調査をみてましょう(国勢調査なので、一時的に「メキシコ系」という言葉使います)。
メキシコ系を含めた、ラテンアメリカ諸国にルーツをもつ人びとを「ヒスパニック」といいます。ヒスパニックは、黒人を抜きアメリカ合衆国で最大のマイノリティ集団です。
ヒスパニックは、以下のような特徴があります。
- アメリカ合衆国の総人口の16.3%
- ヒスパニックの大半はメキシコ系
- ヒスパニックの構成:メキシコ系(63%)、プエルトリコ系(9.2%)、キューバ系(3.5%)、その他中南米にルーツをもつの人々(24.3%)
- メキシコ系の85%、グアテマラ系の86.2%、サルバドール系の79.8%はアメリカ合衆国南西部に暮らす
- ドミニカ系の78%、プエルトリコ系の52.8%はアメリカ合衆国北東部に暮らす
このように、ヒスパニックは多様な集団で構成されて、地域的な特徴があります。そして、メキシコ系はヒスパニックを構成する最大の集団です。
ヒスパニック全体の見取り図がつかめたと思いますので、ここからはチカーノの具体的な歴史について解説します。
1-3: チカーノの歴史:公民権運動を中心に
それでは、チカーノの歴史について解説してきます。端的にいえば、「チカーノ」という言葉や人びとは、1960年代の公民権運動で誕生しました。
「チカーノ運動」と呼ばれた公民権運動は、歴史的に抑圧されたメキシコ系アメリカ人が社会経済的権利を主張するものでした。そして、チカーノ運動は、以下の運動の総体を指します3黒田悦子. 2000. 『メキシコ系アメリカ人―越境した生活者』国立民族学 博物館。。
- カリフォルニアでの労働組合運動
- コロラドでの青年の教育・覚醒
- 米墨戦争で失った土地の返還運動
- 反ベトナム戦争運動
- 平等な教育機会を求める学生運動
このように、チカーノ運動では、ほとんどすべての社会経済的権利を求めていました。
1-3-1:「チカーノ」という言葉の転回
実は、公民権運動以前にも「チカーノ」という言葉は使われていました。しかし、「チカーノ」という言葉は労働者階級の人びとを蔑称するために「チカーノ」は使用されていたのです。
しかし、1960年代の公民権運動の「チカーノ」は政治的に目覚めたメキシコ系アメリカ人を指し、肯定的な意味に読み替えられます。具体的に、以下のような理由から「チカーノ」を肯定的に読み替えました。
- 自らをアストランの「子孫」として、アイデンティティの再定義した
- アストランとは、14世紀前半から1521年にスペインに滅ぼされるまで存在した都市
- アストランは、アメリカ南西部からメキシコ北西部にかけて存在したとされる
- 白人の方が後から来た人びとで、カリフォルニア住民として正当な権利をもつのは「チカーノ」である
このように、アストランに起源をもつ、カリフォルニア先住民としてチカーノは自らを規定したのです。
つまり、「チカーノ」は自らアイデンティティを肯定的に示す言葉に生まれ変わったのです。ここまでくれば、政治経済・人口の調査に使用される「メキシコ系アメリカ人」とは、異なる意味があるとわかると思います。
1-3-2:カリフォルニア州の歴史
さて、チカーノの主張は、一見何の根拠もない主張と思われますが、アメリカ史を振り返るとあながち間違いでないことがわかります。
ここで少し間、アメリカ史を振り返ってみましょう。1846年から1848年までアメリカ合衆国とメキシコと間でおこなわれた戦争は米墨戦争、とよばれます。この戦争に敗北したメキシコは、現在のアメリカ合衆国の各州の領土を奪われました。
- カリフォルニア
- ネバダ
- ユタ
- アリゾナ
- ニューメキシコ
- ワイオミング
米墨戦争はメキシコ人をはじめ米国内外から侵略戦争とレッテルを貼られるアメリカの汚点といわれる戦争です。そのため、チカーノは当時のメキシコ領の50%以上をアメリカに「盗まれた」と主張します。
そのため、チカーノがカリフォルニア住民として正当な権利をもつと主張するのは米墨戦争の歴史に由来しています。
■ チカーノは「アメリカ人」になってしまった人びと
1960年代の公民権運動で生まれたスローガンは、チカーノの歴史をうまく説明しています。
「われわれが国境を超えたのではない、国境がわれわれを分断したのだ(We didn’t cross the borders, the borders crossed us)」
つまり、チカーノはアメリカ合衆国の帝国主義に巻き込まれた存在ということです。アメリカ合衆国の侵略で国境が勝手に変更されたのに、現在そこを移動する人びとを不法移民と呼べきなんでしょうか?
この複雑な歴史を学ぶためには、たとえば、村田勝幸の『“アメリカ人”の境界とラティーノ・エスニシティ―「非合法移民問題」の社会文化史』が良いです。
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1-4: チカーノ文化の紹介
続いて、代表的なチカーノ文化を紹介します。チカーノについてご存じの方は、チカーノ文化と聞いて何を想像しますか?
十人十色の答えが返ってくると思いますが、チカーノ文化として有名なものは、
- ローライダー
- チカーノ音楽(ラップやロック)
- チカーノファッション(一時期、日本でも流行)
- チカーノ文学
- チカーノ壁画
といったものでしょうか。
チカーノ文化の特徴を一言で説明するのは非常に難しいですが、チカーノ文化の特徴は、「アメリカ」と「メキシコ」に挟まされた二重性、といえるでしょう。完全な「アメリカ人」でも「メキシコ人」でもないチカーノの二重性は、文学や壁画の節々に出てきます。
2019年4月に公開された映画「HOMIE KEI チカーノになった日本人」では、チカーノギャングの家族愛に触れた、KEIさんの実話が紹介されているそうです。
- チカーノとは、広義にメキシコ系アメリカ人を指し、1960年代の公民権運動に深いつながりをもつ人びとである
- チカーノはアメリカ合衆国の帝国主義に巻き込まれた存在である
2章:チカーノ壁画の紹介
ではさっそく、チカーノ壁画を紹介していきます。皆さん、「壁画」と聞くと、古代壁画をイメージしませんか?
チカーノ壁画は非常にカラフルで、何度も訪れてその芸術を楽しみたい魅力をもっています。
2-1: チカーノ壁画の写真集
まずはとにかく、チカーノ壁画をみてもらいましょう。
■ サンフランシスコ編
建物にぎっしりと描かれた壁画は圧巻そのものです。
ガレージに描かれた壁画。政治的な作品も多くあります。
軽自動車一台通れるぐらいの小道に、思い思い壁画が描かれています。
サンフランシスコを訪れた際には、ミッション地区(Mission District)の壁画群へ足を運んでみてはいかがでしょう?
■ ロサンゼルス編
冒頭の画像です。カリフォルニアの労働組合運動を率いた、セザール・チャベスが中央にいます。チカーノといえば、セザール・チャベスといえるアイコン的存在です。
皆さんは壁画から何を感じますか?解釈は皆さん次第です。心を白紙にして、芸術を楽しみましょう。
それでは最後に「そもそも、なぜチカーノは壁画を描き始めたのか?」という疑問に答えていきます。その疑問に答えるとき、チカーノについて理解度が増すはずです。
2-2: チカーノ壁画の歴史と社会的意義を解説
ここでは、チカーノ壁画の歴史とその社会的意義を解説します。
まず、チカーノ壁画の歴史を解説します。
チカーノ壁画のルーツは、
- 1922年から展開されたメキシコでの壁画運動
- メキシコ壁画運動は、メキシコ人としてのアイデンティティを啓蒙する目的
- 壁画運動の中心は、デイビッ ド・アルファロ・シケイロス(David Alfaro Siqueiros)、ディエゴ・リベラ(Diego Rivera)、 ホセ・クレメンテ・オロスコ(José Clemente Orozco)
にあります。
「メキシコで起きた壁画運動がアメリカのチカーノとどう関係をもつんだ?」と意見があるでしょう。その疑問は「1960年代の公民権運動」と答えることができます。
1960年代の公民権運動で、チカーノは経済政治的な公平性の獲得だけでなく、アメリカ合衆国社会から疎外を経験するとき、自己を疎外するチカーノ自身の解放も運動の目的、としていました。
そして自己解放のための芸術として、積極的な評価を受けたのが壁画という芸術だったのです。
そのため、
チカーノ壁画とは、メキシコ壁画運動の成果を、アメリカでの公民権運動で自己解放する手段として評価を受けた芸術
といえるでしょう。
公民権運動はチカーノを自己肯定的に承認する契機とだったことが理解できると思います。
いかがでしたか?壁画という芸術をとおして、チカーノについてより理解できたと思います。
3章:チカーノを知るための書籍リスト
最後に、「チカーノについてもっと知りたい!」という方のために、簡単に学べる書籍リストを紹介します。ここで紹介する書籍をもとに、この記事は書かれています。
『アメリカのヒスパニック=ラティーノ社会を知るための55章』(大泉光一・牛島万(編)(明石書店)
チカーノについて知るために欠かせない本です。明石書店の「知るためシリーズ」は手軽に読めます。さまざまなチカーノ文化にも言及があり、初学者におすすめ。
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『21世紀のアメリカ芸術チカーノ・アート』(明石書店)
チカーノアートに興味のある方におすすめです。チカーノの歴史も学べて、一石二鳥です。
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一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
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まとめ
最後に、この記事の要点をまとめます。
- チカーノとは、国境が変更されて「アメリカ人」になってしまった過去がある人びと
- 「チカーノ」という言葉には、自己肯定する意味がある
- 「チカーノ」という言葉や意味の誕生に、1960年代の公民権運動はきわめて重要
- チカーノ壁画や文化は、チカーノを内側から知るための第一歩
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