正義(justice)とは、一般的に道徳的・倫理的に正しいことを指す言葉です。
ただし、西洋哲学・政治哲学では、特定の文化、民族、価値観などを超えて社会のメンバーが合意できる規範のことで、「権利」に近い意味を持ちます。
つまり、日本語の正義と英語(特に哲学における)正義では、意味が異なるのです。
そのため、日本語の正義と英語の正義をイコールで考えていては、書籍や論文、映画、会話などの中でさまざまな支障が出てしまいます。
そこでこの記事では、
- 正義の意味
- 正義に関する議論や論者
- 正義に関するさまざまな思想
などについて詳しく解説します。
正義というあいまいで抽象的な概念を理解できれば、あなたの人生選択にも役立つはずです。
ぜひ読みたいところから読んでみてください。
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1章:正義とは
もう一度正義の意味を確認しましょう。
正義(justice)とは、
- 道徳的・倫理的に正しいこと
- その社会において絶対的に正しいと考えられている価値観やそれを実現すること(正義の味方など)
- 弱者救済、他者への貢献など「義」という東洋的な観念
- 特定の文化、民族、価値観などを超えて社会のすべてのメンバーが合意できる規範(≒権利)
など複数の意味を持つ言葉です。
ところで、「何が正義なのか」という問いは、あなたも一度は考えたことがあるかもしれません。ヒーロー者の映画や漫画でも、ヒーローが「正義」について悩むシーンは多くありますよね。
そのような問いについて、とことん考えて答えを出してきたのが、西洋的な哲学・政治哲学における正義論と言われる学問分野です。
そこでは、主に④の意味で正義について議論されてきました。
特に近年は、マイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」や『これから正義の話をしよう』などで「正義」について論じられることも増え、④の正義について知りたい人も増えているのではないかと思います。
そこで、この記事では主に④の正義について解説しています。
それでは、まずは政治哲学における正義の意味から確認していきましょう。
1-1:正義の意味
正義について理解するには、語源から知ると分かりやすいです。
1-1-1:正義とは権利、法と不可分の概念
正義とは英語で「justice」ですが、「jus」はラテン語の「jus」から来ていて、これは「法」や「権利」を意味する言葉だったようです。
ラテン語が使われていた古代ギリシャでは、法や権利、そして正義の意味は繋がっていたのです。
そして正義とは、個人が持つ権利がしっかり保護され、争いになっても法のもとで正しく解決されることを意味しました。
「正義の味方」のイメージや、日本の「義」に力点が置かれた正義のイメージとは、だいぶ違いますよね。
西洋哲学における正義には、
- 感情ではなく、作られた法・ルールによって問題を解決すること
- 法・ルールによって権利を保護し、違法なことをすれば罰すること
という意味が込められているのです。
そのため、不正義とは法・ルールを守らない逸脱のことを指すことになります。
政治学者の小林正弥は、このような語源から「正義」は日本語では「法義」と言っても良い、と論じています。(参考:『サンデルの政治哲学』)
1-1-2:正義は特定の社会でのメンバー間で合意される規範
また、西洋哲学や政治哲学における「正義」とは、絶対的に存在する規範ではありません。
日本での正義のイメージは、絶対的に存在するものではないでしょうか?誰かが主張し、社会のメンバーで合意したものではなく、ゆるがないもの、唯一無二の規範。誰に聞いても「こういうものが正義だよ」と言えるようなもの。このようなイメージではないでしょうか。
それに対して、西洋哲学や政治哲学における「正義」は、合意によって作られるものです。
整理すると、
- 社会は、社会のメンバーによって契約によって作られるもの
- その契約の前提として、メンバー間で合意できる規範が正義
- それは、それぞれの人々が持つ価値観を超えて合意できるもの
というのが正義の特徴です。
※ただし、この正義についての理解は論者によって異なりますので、詳しくは2章で説明します。
1-2:正義と関連する「善」とは
正義の議論について学ぼうとすると、それが「善(the good)」という概念と深く関わっていることに気づくはずです。
この「善」という概念も、私たち日本人にとって混乱しがちなものです。
1-2-1:善とは個人・社会にとって善いとされるもの
西洋哲学や政治哲学における「善」とは、特定の個人や社会で「善い」とされるもののことです。
特定の個人、社会にとって、
- 自分の人生の目的を追求する上で有用なもの
- 自分を幸福にしてくれるもの(あるいは幸福な状態)
というものが「善」とされます。
そしてこれは、世の中に絶対的な「善=善いこと」があるのではなく、個人や社会がそれぞれ持っているものです。
「まだ抽象的でわからない、、」と思われるかもしれません。
もう少し具体的に説明します。
私たちは、生きる上で意識的、無意識的に何かに価値を置いて行動します。
例えば、「社会に貢献したい」「自由に生きたい」「人助けがしたい」などさまざまなものがあるでしょう。
そして、その価値観に基づいて人生選択をしていくと思います。
この価値観が、「善」の概念に近いものです。
1-2-2:正義と善の関係
まだ正義と善について混乱している方もいるかもしれません。
整理すると、まず、私たち個人はそれぞれが独自の「善(価値観)」を持っています。そして、その善の構想に基づいて、自分の生き方を決めているのです。
しかし、私たちは集団で暮らしている以上、それぞれが100%自由に「善」を実現するために行動するわけにはいきません。なぜなら、それが可能なら殺人や窃盗など人の自由や財産を奪う行為も可能になってしまうからです。
そのため、社会では何らかの法・ルールを作らなければならないのですが、法・ルールを作るためには、その社会のメンバーが合意できる規範が必要になります。
ここでの規範とは、「こういうことはダメ、こういうことは良い」ということについて、共有できる考え方のことです。
これが「正義」です。
そして、この正義と善の関係について、政治哲学の中でも以下のように立場が分かれています。
- リベラリズム・リバタリアニズム…個人的な善と、普遍的な正義は区別できる。だから、法・ルールは正義だけに限定しよう。
- コミュニタリアニズム(共同体主義)…個人的な善は、共同体における善に規定されている。そのため、共同体の枠を超えた普遍的な正義を定義することはできない。共同体ごとの正義を規定しよう。
政治哲学における「正義」や「善」について、理解できたでしょうか?
ここまでの説明は、これまでの議論をまとめたものにすぎません。実際には、論者によってさまざまな立場があります。
そこで2章では、さまざまな「正義」に関する立場を紹介します。
「正義」や「善」などの政治哲学の頻出ワードが難しければ、以下の本を手元に置いておくと便利です。哲学用語が詳しく解説されています。
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- 政治哲学における「正義」とは、個人の権利が保護され、法・ルールに基づいて問題が解決されることを指す(法義)
- 正義は特定の社会の中で合意されるものだが、善は個人がそれぞれ持つ価値観
- リベラリズムは、法・ルールは個人の善を制限しないようにすべきなので、法・ルールは正義の領域のみに制限すべきと考える
- コミュニタリアニズムは、個人の善は共同体の善(共通善)に規定されるもので不可分なので、正義も共同体ごとに規定するべき
2章:正義に関するさまざまな思想
「正義」そして「善」については、これまでさまざまな議論がなされてきました。
なぜなら、人間社会が生まれ、人間の自由、権利とそれを規制する国家の関係が生まれた時点から、「正義」「善」について人類は考えざるを得なくなっていったからです。
そこで、
- 古代ギリシャの正義
- 現代政治哲学の正義に関する論争
について説明します。
2-1:古代ギリシャの正義
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、『ニコマコス倫理学』で、自らの正義の哲学を明らかにしています。
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それは、都市国家(ポリス)における正義には以下の2種類があるということです。
- 分配的正義…各人が持つ諸価値に合わせて、ポリスの名誉や財産を分配する
→貴族や武将が大きな名誉や財産を得られ、それ以外の市民や女性、奴隷は名誉や財産をもらえない。
しかし、その人物の働きや実績に応じて名誉や財産が分配されることが、ポリスにおける正義の1つと考えられた。 - 是正的正義…各人が本来持っていた名誉、財産を回復する正義
→応報原理のような刑罰(目には目を歯には歯を)のような正義の考え方。
これを見ると分かるように、確かの古代ギリシャでも正義について論じられていますが、それは弱者救済の思想とは違うことが分かります。
①は格差を肯定する思想であり、②は社会秩序の安定のための思想でしかないと考えられるからです。
「正義」に弱者救済や平等、公正な社会の実現といったイメージができるのは、宗教革命以降の社会の近代化を待たなければなりませんでした。
特にフランス革命以降、人類の普遍的な権利(自然権)が認められ、さらに経済的平等を求める思想も生まれ、ヨーロッパでは社会民主主義の伝統が生まれました。現代に近い正義の概念が生まれたのはそのころからだと考えられます。
民主主義については、次の記事を参照ください。
2-2:リベラリズムの正義
こうした過程で生まれたのが、リベラリズムです。
リベラリズムは大きく分けて、以下の3つに分けられます。
- 古典的自由主義…個人の所有権を中心とした権利を重視し、個人の権利に対する国家の介入を最小限にすべきと考える思想。
- 社会自由主義…平等・公正な社会を作るためには、国家が個人の活動や経済活動(市場)にある程度介入すべきと考える思想。
- 現代リベラリズム…社会自由主義を基盤とする福祉国家的政策は、少数の犠牲を認めてしまうため、より平等・公正な社会を作るための思想を生み出した。
※上記の思想はすべて「リベラリズム」と言われることがありますが、ここでは区別するために現代の政治哲学におけるリベラリズムを「現代リベラリズム」と呼びます。
ここで重要なのは、現代リベラリズムです。
現代リベラリズムは、ジョン・ロールズの『正義論』からはじまりました。
2-2-1:アメリカの戦後の福祉国家政策
アメリカを含む西側先進国では、戦後、平等・公正な社会を実現するためには国家がある程度社会に介入すべきとする「社会自由主義」「福祉国家」と言われる政策を取りました。
その結果、マイノリティの権利が保護され人権問題が改善されたり、経済格差の是正が実現されました。
しかし、ロールズはこのような戦後の福祉国家的政策を批判しました。
なぜなら、
- 福祉国家的政策は、古典的自由主義および功利主義における「最大多数の最大幸福」的な思想に基づいている
- そのため、社会の幸福の総量を増大させられるならば、少数の犠牲を認めることになってしまう
- これでは、本当の意味で平等・公正な社会を実現できない
と考えたからです。
2-2-2:ロールズの『正義論』
そこでロールズが『正義論』で主張したのが、「正義の二原理」に同意して社会を作ることです。
正義の二原理を含む『正義論』の主張について、簡単に説明すると、
- 言論、思想、財産などの基本的自由について、すべての人は平等であるべき
- どうしても存在してしまう不平等は、その社会におけるもっとも貧しい人に、もっとも大きな利益をもたらすものでなければならない
というものです。
※『正義論』について、詳しくは以下の記事で解説しています。
そして、こうした「正義の二原理」には、人々が自分や他人が生まれ持った条件についてまったくわからないという仮想状態(無知のヴェール)で、合意できると考えました。
ロールズは、「正義の二原理」的な正義を構想し、それに人々が同意することができる。そのような社会なら、経済的・社会的な不平等が最小限にできる。この「正義」に基づいて、社会の諸制度やルールを考えていくべきなのだ、と主張したのです。
ロールズの『正義論』は、結果的にアメリカの福祉国家的政策の理論的根拠になりました。
そしてそれだけでなく、『正義論』に対して、さまざまな立場から批判がなされ、政治哲学ブームのきっかけにもなったのです。
ロールズの『正義論』は今でも一読の価値がある本です。政治哲学を詳しく学びたい場合は、ぜひ読んでみてください。
2-3:リバタリアニズムの正義
リバタリアニズムとは、戦後に社会自由主義的な立場が「リベラリズム」と言われるようになったことから生まれた思想です。
2-3-1:リバタリアニズムとは
個人の権利や経済活動(市場)の自由をある程度規制しても平等を達成すべきと考える戦後リベラリズムに対して、「いやいや国家の介入は最小限にすべき」と主張したのがリバタリアニズムです。
リバタリアニズムには、以下のような立場がります。
- 無政府主義…国家はまったく必要ないと考える思想
- 最小国家論…暴力、窃盗、契約の正しい履行などの取り締まりのみを国家に任せる思想(夜警国家)
- 古典的自由主義…アダム・スミスが唱えたような、国防、治安維持、最小限の社会保障など部分的な国家の役割を認める思想
※リバタリアニズムについて詳しくは以下の記事で解説しています。
リバタリアニズムは論者によってさまざまな議論がありますが、もっとも有名なのがロバート・ノージックです。
2-3-2:ノージックの「正義」
ノージックは、個人が持つ権利(保有物の正義)について、以下のように主張しました。
- 自分の力で、自分によってはじめて獲得されたものは、自分のもの(獲得の正義)
→たとえば自分の労働で得た農産物や製造物は自分のもの。しかし、それが人の所有物を奪ったのなら、自分のものではない。 - あるものの所有権を持つ人から、権利を譲り受けたものは自分のもの(移転の正義)
→同意に基づいて譲り受けたものの権利は、自分のもの - 上記2つの条件以外に、認められる所有権はない(匡正の正義)
ノージックはこのような普遍的な正義の原理を主張しました。
この保有物の正義があることから、国家であってもそれを奪ったり、奪った上で他の人に配分するようなこと(つまり福祉国家的な再配分政策)は認められない。だから、国家の役割は、上記の権利を侵す行為を取り締まることのみに限られるべきだ、というのがノージックのリバタリアニズムです。
※ノージックの思想について、詳しくは以下の記事をご覧ください。
また、ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』はリバタリアニズムの思想において最も重要な書籍です。関心があれば読んでみてください。
ここまでのリベラリズム・リバタリアニズムに対して、批判したのがコミュニタリアニズムの立場です。
2-4:コミュニタリアニズムの正義
コミュニタリアニズムの立場の代表的人物と言われるのが、日本でも有名なマイケル・サンデルです。
※正確に言えば、サンデル自らコミュニタリアンを明確に自称しているわけではないのですが、ここでは分かりやすくするためにコミュニタリアンということで話を進めます。
2-4-1:ロールズ『正義論』が前提にした人間観
サンデルは、リベラリズム・リバタリアニズムが立つ哲学的な立場から批判します。
そもそも、ロールズを含むリベラリズムは、
- 個人が自由に自分の意思で「善(価値観)」を独自に持つことができる
- しかし、社会で法の範囲を広めると個人の「善」を侵害してしまうため、法はみんなが受け入れられる「正義」のみを規制すべき
このような立場に立っていました。
2-4-2:サンデルのロールズ批判における「正義」
これを批判し、「リベラル・コミュニタリアン論争」を起こすきっかけになったのが、サンデルの『リベラリズムと正義の限界』です。
この書籍でサンデルは、
- 「善」は個人が独自に持てるものではなく、所属する共同体に規定される
- そのため、その共同体の枠を超えた普遍的な正義を定義し、法・ルールの前提とすることはできない
と、このように主張しました。
つまり、リベラリズム・リバタリアニズムは、それぞれの個人が独自に善(価値観)を持つことを前提にしていて、それが法によって制限されてはいけないと考えます。
これを「価値中立性」と言います。
そのため、法を作るときは、個人の善(価値観)については棚上げして、みんなが合意できる「正義」に限定して法を作ろうよ、と考えるのです。
それに対して、サンデルは、個人は自由なようでも、実は自分が所属している共同体(国家、地域社会など)の持つ文化、言語、慣習などから影響されて善(価値観)を作っている。そのため、その「善」を棚上げして普遍的な「正義」だけを定義することはできないと考えるわけです。
なぜなら、妊娠中絶の合法化、ドラッグの使用、死刑の是非、臓器移植など、個人の「善(価値観)」が激しく対立する問題に対して、個人の善を棚上げして解決を図ることはできないからです。
そのため、サンデルのコミュニタリアニズム(共同体主義)の立場では、
- 共同体のそれぞれの「共通善(個人の善を規定している善)」を見つける
- 共同体ごとに「正義」を定義し、それを前提に法を作る
ということが主張されます。普遍的な正義ではなく、共同体ごとの正義を作ろうということです。
※コミュニタリアニズム(共同体主義)について、詳しくは以下の記事をご覧ください。
サンデルのロールズ批判は、以下の書籍でなされていますので興味があれば読んでみてください。
2-4-3:日本における正義の議論
ここまで説明したように、「正義」と「善」についてはさまざまな立場が存在します。
しかし、このような正義に関する議論は、日本ではアメリカの政治哲学界隈ほどの盛り上がりがありません。
それは、日本ではリベラリズム・リバタリアニズムの思想が支配的であり、それを批判するコミュニタリアニズム(共同体主義)的立場が弱いためです。
なぜかと言うと、
- 日本では、そもそも個人が共同体と結びついていて、自由になり切れていないため、リベラリズム的な思想が必要とされている
- 日本はそもそも共同体の価値観が強く、わざわざコミュニタリアニズム(共同体主義)的思想の必要性をあらためて論じる必要はない
などの理由が考えられます。
しかし、ここまで説明したようにサンデルらコミュニタリアンの「正義」の議論は、日本より先を行っていて、そして日本でも必要な議論です。
単なるリベラリズム・リバタリアニズムで社会が不安定になりつつある現代日本でこそ、こういった議論がなされるべきだと思います。
それでは、2章をまとめます。
- 弱者救済、平等の実現などの「正義」は、近代社会に生まれたもの
- ロールズは功利主義的思想を批判し、個人の権利の保護と平等・公正な社会が両立できるように「正義の二原理」を主張
- ノージックは、個人の所有物に関する正義を主張し、国家の役割を最小なものに限定することを主張
- サンデルは、リベラリズム・リバタリアニズムが前提とする人間観を批判し、正義は共同体ごとに見つけられるものと主張
3章:正義に関する思想の学び方
正義に関する議論を理解できましたか?
正義に関する政治哲学の議論は、抽象的で分かりにくいものですよね。
そのため、もっと詳しく理解したい場合は、具体的な事例や政策の構想についても詳しく書かれた書籍にあたることをおすすめします。
これから紹介する書籍は、初心者にもおすすめです。
ぜひ手に取って読んでみてください。
おすすめ度★★★神島裕子『正義とは何か‐現代政治哲学の6つの視点-』(中公新書)
この書籍では正義に関する政治哲学の立場について、分かりやすく網羅的に解説されています。この記事では登場していない、ナショナリズム、コスモポリタニズム、フェミニズムなどにも触れられていますので、ぜひ読んでみてください。
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おすすめ度★★マイケル・サンデル『これから「正義」の話をしよう』(ハヤカワノンフィクション文庫)
有名なサンデルの書籍です。ベストセラーになっただけあって一読の価値があります。ただし、サンデルの立場はあくまでコミュニタリアニズムという政治哲学の一流派にすぎない、という点に注意しておく必要があります。
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おすすめ度★★小林正弥『サンデルの政治哲学-〈正義〉とは何か‐』(平凡社新書)
こちらもサンデルの政治哲学が解説された本ですが、政治哲学の主要な議論を分かりやすく説明されているため、政治哲学の入門書としてもおすすめです。
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まとめ
この記事の内容をまとめます。
- 政治哲学における正義とは、権利を保護し法・ルールによって正しく問題解決されることであり、社会のメンバー全員で合意できる規範
- 現代リベラリズムの正義…功利主義的ではなく、平等・公正な社会を実現するために社会のメンバーで合意できるもの(正義の二原理)
- リバタリアニズムの正義…所有物の権利は獲得者にあるため、どのような理由があってもそれを国家は奪ったり移転させたりできない
- コミュニタリアニズムの正義…正義や善は共同体から独立して個人が持つことはできないため、共同体ごとの正義を定義するべき
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