第二波フェミニズム(Second Wave Feminism)とは、1960年代末から70年代初めにかけて「個人的なものは政治的である」をスローガンに、日常に潜む性差別を問題化し、社会的な抑圧全体を問い直した女性解放思想であり運動です。
ヨーロッパやアメリカだけでなく、日本でも展開された運動を歴史や背景から学ぶことで、第二波フェミニズムの本質が見えてきます。
この記事では、
- 第二波フェミニズムの背景・目的
- ウーマン・リブとの違い
- 第二波フェミニズムの具体的な運動
についてそれぞれ解説します。
好きな所から読んでみてください。
このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。
ぜひブックマーク&フォローしてこれからもご覧ください。→Twitterのフォローはこちら
1章:第二波フェミニズムとは
1章では第二波フェミニズムを「背景」「目的」「ウーマン・リブとの違い」から概説します。より具体的な運動・思想を知りたい場合は2章からお読みください。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1: 第二波フェミニズムの背景
1970年前後は学生運動や反体制運動が世界中で盛り上がった時代でした。とくに1960年代から70年代の初めにかけて、アメリカの公民権運動やベトナム反戦運動など国際平和やマイノリティの平等を求める運動がつぎつぎに現れ、先進諸国を席巻しました。
「ブラック・パワー」「スチューデント・パワー」などのアイデンティティを焦点化させた「新しい社会運動」とも呼ばれる世界的な潮流は、ロックやヒッピーなど支配的文化に対抗するカウンター・カルチャーを生み出しながら社会全体を大きく揺るがしました。
アイデンティティを焦点化させた政治運動に関しては、以下の記事を参照ください。
それは、第二次世界大戦後、高度に産業化された社会が行き詰まりを見せはじめた時期と重なります。資本主義国、社会主義国を問わず、近代産業社会を支えていた生産至上主義がさまざまなひずみを生み出していました。
そんななかで登場したのが新左翼運動です。伝統的なマルクス主義が唱える経済決定論を批判し、意識、文化の変革を主張し、あらゆる差別の撤廃を唱えました2江原由美子・金井淑子編 1997『ワードマップ フェミニズム』新曜社 20-21頁。
マルクス主義に関する一連の議論は、以下の記事でまとめています。ぜひ参照ください。
→【空想的社会主義とは】マルクス主義との違い・各思想家の議論をわかりやすく解説
→【科学的社会主義とは】マルクスの問題意識から理論までわかりやすく解説
そして、その流れの中から生まれたのが第二波フェミニズムです。平等を求める運動のなかでは、男性が前線で威勢よく闘う一方、女性たちは食事の準備をしたり、石運びをしたり、時には性的な相手になったりして「銃後」を守らされてきました。
つまり、
- 社会の改革を求めて立ち上がったはずなのに、運動の中にあったのは従来どおりの性差別にすぎなかった
- 平等を求める主体は男であって、女には男と同じ主体性を認めず、肉体的存在として蔑視されてきたのだという衝撃の事実に気づいた
のです。
その結果、女性たちは、つぎつぎに女性運動を組織し告発をはじめました3落合恵美子 1994=2004『21世紀家族へ――家族の戦後体制の見かた・超えかた』有斐閣 120−122頁;ヒラータ,ヘレナ他編,志賀亮一・杉村和子監訳 2000=2002『読む事典・女性学』藤原書店,322−323頁。
1-2: 第二波フェミニズムの目的
第一波フェミニズムが近代ヒューマニズムとともに生まれ、「男並み」の男女平等を求めたものだとしたら、第二波フェミニズムが問題にしたのは、男性を中心にした近代社会そのものでした。(→第一波フェミニズムに関してはこちら)
「個人的なことは政治的なこと」というスローガンに象徴されるように、日常的に女性たちをとりまく私的な領域に潜む性差別こそが社会全体をかたちづくっていると訴えたのです。
このことについて、思想としての第二波フェミニズムには、女性を抑圧するものとは何かについて、いくつか立場に違いあります。
- リベラル・フェミニズム・・・自由と平等、正義というリベラリズムの諸原理を継承し、性分業を撤廃し機会を均等にすることで公的領域における男女平等を目指す(→リベラル・フェミニズムに関して詳しくはこちら)
- ラディカル・フェミニズム・・・経済体制をこえて存在する性差別に注目し、家父長制のもとでの抑圧を第一義的な問題とする(→ラディカル・フェミニズムに関してはこちら)
- マルクス主義フェミニズム・・・資本主義社会のもとでの女性の抑圧を、家事労働を前提として維持される家父長的関係と資本主義的生産様式との特殊なむすびつきに求める(→マルクス主義フェミニズムに関しては詳しくはこちら)
第一波フェミニズムが問題化した「公的領域における男女間の権利の不平等は実は家庭という私的領域における性差別や無償の家事労働に起因するのだ」という第二波フェミニズムにおける理論的な枠組みは、社会問題や各専門領域を巻き込みながらつぎつぎに展開していきます。
60年代(日本では70年代後半)に女性学という学問の新ジャンルが生まれ、現代思想としてのフェミニズム、のちのジェンダー論が台頭してきます。こうして、以下のような新たな問題領域が百家争鳴に生み出されていくことになります。
- ポストモダン・フェミニズム
- ポスト・マルクス主義フェミニズム
- レズビアン・フェミニズム
- エコロジカルフェミニズム
- クィア理論
- ポストコロニアルフェミニズム
- 第3波フェミニズム
- ポストフェミニズム
- インターセクショナリティ研究
1-3: 第二波フェミニズムとウーマン・リブの違い
つぎに、運動面について見ていきましょう。第二波フェミニズムは「ウーマン・リブ」とも呼ばれますが、両者は「新しい女性解放運動」というほぼ同じ意味で使われることが多いです。
日本では和製英語で「ウーマン・リブ」と呼ばれ、論者によっては日本固有の運動様式を持っていたという主張もあります。
アメリカでは「ウィメンズ・リブ」と呼ばれています。この潮流のきっかけは、ベティ・フリーダンによる『新しい女性の創造』(1963)(原題:『女性たちの神話』)のベストセラー化にあったという見解はほぼ共通しています。
これらの運動を通して訴えられた最も重要なテーマは性差別撤廃です。具体的には、次のようなものでした。
- 私的領域における妊娠中絶の自由、レイプやセクシュアル・ハラスメントなどの性暴力
- 公的領域における労働の男女間平等
これらについては、2章でさらに詳しく見ていきたいと思います。
- 第二波フェミニズムとは、日常に潜む性差別を問題化し、社会的な抑圧全体を問い直した女性解放思想であり運動である
- 第二波フェミニズムの背景には、1970年前後の世界的な学生運動や反体制運動の盛り上がりがあった
- あらゆる差別の撤廃を求めていたはずの新左翼運動の内部でも、女性たちは男性の劣位に置かれ、男女の関係にこそ性差別があると告発した
2章:第二波フェミニズムの具体的な運動と概念
さて、2章では第二波フェミニズムの具体的な運動を「アメリカ」「日本」における地域から紹介していきます。
2-1: アメリカ
アメリカの第二波フェミニズムは公民権運動に強い影響を受けて登場しました。1964年、黒人やマイノリティに対する市民権を保障する公民権法に、人種や宗教とならんで「性」による差別の禁止が公に認められたのです。
ところが、権利はあっても、女性は解放されたかといえばそうとはいえない現実が広がっていました。どういうことでしょうか?
ちょうどその頃、上述のとおり第二波フェミニズムの火付け役となったベティ・フリーダンの『新しい女性の創造』(1963)(原題:『女性たちの神話』)が出版されます。そして、アメリカの郊外に住む裕福な高学歴主婦たちが日常生活の中で「得体のしれない悩み」を抱いているという内容が女性たちの共感の渦を巻き起こします。
フリーダン自身が主婦を経て記者になったのですが、インタビューを通し大勢の主婦たちが以下のような悩みを考えていることを発見しました。
主婦たちは自ら進んで理想的な家庭生活を営んでいるはずなのに、なぜこんなことで悩むのでしょうか?
この問いに対し、フリーダンはリベラル・フェミニストらしく、主婦たちが家庭の外で働きはじめれば「新しい女性像」に合致し、女性は解放されるはずだと本の中でひとつの答えを出しています。
ここで出された性別分業と性役割をめぐる議論は、現在も引きつづきフェミニズム理論の中心課題となっています。
その後、フリーダンは1966年に全米女性機構(NOW)を結成し、主流派フェミニズムとして男女同権を目指すリベラル・フェミニズムを強力に推し進めていきます。
- 雇用の男女平等、教育の機会均等を中心課題とした
- 各地で女性たちが小グループを結成し実施した意識改革運動(コンシャスネス・レイジング運動)など幅広く運動を展開していった8伊田 1997「ラディカル・フェミニズム」江原由美子・金井淑子編『ワードマップ フェミニズム』新曜社 21頁
1970年、アメリカ女性参政権獲得50周年を記念した大規模な集会やストライキでアメリカの第二派フェミニズムは最高潮を迎えます。そして、1975年の国際婦人年を機に次第に勢いを失っていったとされています9ヒラータ 同上 323頁、落合 同上 128頁。
2-1-1: 理論的側面
一方、理論面では、NOWの創設期メンバーでもあったケイト・ミレットが『性の政治学』(1970)を出版し、男性の女性に対する支配関係を「家父長制(patriarchy)」と名付けました。
そして、「家父長制」こそが階級以上に本質的な抑圧形態であると位置づけ、フェミニズムがとりくむべき最も中心的な課題としました。(※家父長制に関しては、2-3で詳しく解説します)
こうしてラディカル・フェミニズムが理論的に構築され、これまで「女の幸せ」と思い込まされていた主婦的生活における権力関係を、次々に暴いていくのです10伊田 同上 23頁。
さらに、ラディカル・フェミニストであるシュラミス・ファイアストーンは『性の弁証法』(1970)で「家父長制」による抑圧の起源を妊娠・出産という生物学的宿命であるとし、人工授精などの技術革新が進み「赤ちゃん工場」で出産をコントールできるようになれば、女性も子どもも支配関係から解放されると構想しました。
(2024/11/23 00:38:43時点 Amazon調べ-詳細)
その後、イギリス人のジュリエット・ミッチェルが『女性論』(1971)でマルクス主義フェミニズムを、ナンシー・チョドロウが『母親業の再生産』(1978)で性差、ジェンダー研究を展開し、第二波フェミニズムは論争をくりかえしながら次々に新しい理論的潮流を生んでいくことになります。
2-2: 日本
日本でウーマン・リブが生まれたのは1970年、国際反戦デーにおける女だけのデモでした。
この後、以下のようにウーマン・リブは一挙に広がっていきます。
- 同年11月のティーチイン「性差別への告発」
- 12月の「女は侵略へ向けて子供を産まない育てない」デモ
- 翌年8月の「リブ合宿」
- 1972年5月の「全国リブ大会」等々
ウーマン・リブの特徴は、その多様なコミュニケーション方法でした。自己語りやパフォーマンスを、ビラやポスターやチラシ、ミニコミなどをとおし自主的かつ積極的に発信していったのです。
言い換えれば、それまでの社会運動が組合や政党などの組織を代表して表現していたのとは対照的に、多くは個人か小さなグループからの独自の発信でした11井上輝子ほか 2006「ウーマンリブの思想と運動――関連資料の基礎的研究」『東西南北 : 和光大学総合文化研究所年報』134-135頁。
おそらくここでどんなに説明を尽くしても、当時の女性たちの言葉の力に敵うものはないと思うので、少し長いですが、リブの中心的な存在だった「ぐるーぷ闘う女」の田中美津による「便所からの解放」(1970)という宣言から、抜粋してみたいと思います。
男にとっては女は母性のやさしさ=母か、性欲処理機=便所か、という二つのイメージに分かれる存在としてある。(中略)男の母か、便所かという意識は、現実には結婚の対象か、遊びの対象かという風に表れる。結婚の対象として見られ、選択されるべくSEXに対し、見ざる、聞かざる、言わざるの清純なカワイコちゃんとして、女は、やさしさと自然な性欲を一体として持つ自らを裏切り抑圧していく。
やさしさの性と、官能の性を一体として持つ<女>は、支配階級の要請で作りあげられた男の分離した意識の前に解体され、部分として生きることを強要される。しかし、女を部分としてしか生かさない男はまた、そうすることによって、自らも部分としてしか生きることができず自らの性を抑圧しているのだ12田中美津 1972=2004『増補新装版 いのちの女たちへ――とり乱しウーマン・リブ論』パンドラ 338頁。
女の闘いは、情念の集団として、取り乱しつつ、取り乱しつつ、男と権力に迫り、叩きつけていく中で、<ここにいる女>の自らの解放がプロレタリアートの解放へ向けて開かれる。性器を感じさせない人間、性器を切り捨てたところで成り立つ論理の未熟さ、汚さ、空虚さを、女の性と生殖はすばらしい→非論理=ビューティフルを武器に、白日の下にその貧弱な正体をさらけださせようではないか!13田中 同上 347頁
このように、田中が女性は「便所」である、と大胆に言い切ったのは「主婦」と「娼婦」に分断された「女」の全体性を、その性を含めて回復したいという強い欲求でした。
女の解放のためには、女性を「部分」に切り刻む権力に迫り、あるがままの自己を受け入れ、「カッコワルサ」を認め「取り乱し」つつ愚鈍に闘っていくほかないじゃないか、という田中の叫びは、悩みを抱える女性たちに大きな勇気と励ましを与えたのでした。
ウーマン・リブは組織が主導した運動ではなく、全国に点在する小グループや個人の総称であり、100人いればその思想は100通りあると言われるほど多様性に満ちていました。
文芸評論家の斎藤美奈子は、ウーマン・リブの主張が画期的であった理由は主に3つあったと説明します14斎藤美奈子 2004「解題」田中美津『増補新装版 いのちの女たちへ――とり乱しウーマン・リブ論』パンドラ 373頁。
- 個人、すなわち「女であるわたし」の解放にこだわったこと。リブという言葉は運動の呼称であると同時に、自分の「生き方」を示す言葉でもあった
- 男らしさ、女らしさという性役割を徹底的に問いなおしたこと
- セクシュアリティの領域まで踏み込んで解放を模索したこと
このように、ウーマン・リブは社会的・精神的な抑圧のみならず、肉体的抑圧からの解放を目指したのです。
ウーマン・リブの活動は1972年の優生保護法改悪阻止運動でピークを迎え、1975年の国際婦人年をきっかけに伝統的な婦人運動団体との連携が進み、次第に前衛性や混沌とした魅力を失っていきます(田中も同年にメキシコに移住します)15上野千鶴子 2009「日本のリブ――その思想と背景」天野正子ほか編『新編 日本のフェミニズム1 リブとフェミニズム』13頁。
もちろん担い手層を増やしながら広く社会に浸透していくわけですが、一般的にウーマン・リブは1970年から1975年までの現象として把握されています。
そして、70年代後半には女性学という新しい学問のジャンルが日本で産声を上げ、フェミニズム、のちのジェンダー論が台頭していくことになります。
2-3: 家父長制概念とジェンダー概念
さて、第二波フェミニズムの問題意識の中で登場した重要な概念が「家父長制」と「ジェンダー」です。
2-3-1: 家父長制
家父長制は、もともとはキリスト教でノアの箱舟前後に生きていた家長を指す古い言葉でした。その後、19世紀に父権制という第二の意味が与えられます。
そして、ケイト・ミレットの『性の政治学』(1971)登場によって、父と夫の枠を広げて、男性たちによる支配という第三の意味が与えられます。
具体的に、第二波フェミニズムで家父長制は、
- 女性たちが闘うべき制度全体を示す用語として用いられた
- 女性たちをしばりつけるのは「家父長制か資本主義か」、それとも「家父長制と資本主義か」を論点に、ラディカル・フェミニズムやマルクス主義フェミニズムを中心に重要な論争がくり広げられた
のです。
2-3-2: ジェンダー
一方ジェンダーは、もともとは言語学の用語で文法上の性別をあらわす言葉でした。しかし、心理学者のストーラ―が『性と性別』(1968)で生物学的な性別をセックス、文化的性別をジェンダーと区別し、この用法が定着しました。
それまで男女は生物的なセックスが異なるから、能力も権利も異なって当然だという主張がまかり通っていたのですが、この概念の登場によって、性差は生物学的に決められたものではなく、社会的文化的に決められたものであると言えるようになった点です。
さらに「セックスはつねにすでにジェンダーなのだ」16Butler、Judith. 1990、GENDER TROUBLE :Feminism and the Subversion of Identity、Routledge.(=1999 竹村和子訳『ジェンダー・トラブル ―フェミニズムとアイデンティティの攪乱』青土社) 7頁と主張したジュディス・バトラーの登場によって、生物学的な性別カテゴリーそのものがホルモンや遺伝子などの科学的な衣をまといながら社会文化的に差異化・序列化された文化的構築物にすぎないという考え方が浸透していきます。
このようにジェンダーは、多義的な意味を持ちひとつに定まっておらず、家父長制という概念と競合しているようにも見えます。
これについてクリスティーヌ・デルフィは、
- 家父長制もジェンダーも、個人の関係ではなく、男性支配というひとつの全体的なシステムを示す概念という意味では共通している
- そのシステムこそが、集団や個人のふるまいを規定しているのだ
と述べています17ヒラータ,ヘレナ他編,志賀亮一・杉村和子監訳 2000=2002『読む事典・女性学』藤原書店 68頁。
つまり、家父長制もジェンダーも、男性支配システムを表現する概念であり理論であるととらえることができるでしょう。
この後、1990年代以降のグローバル化とポストモダンの進展のなかで、それまでのジェンダー研究が前提としてきた白人女性中心主義や異性愛主義、植民地主義が批判にさらされるようになります。
そのような議論の中からポストフェミニズムや第3波フェミニズムなど新たな問題領域がつぎつぎに発掘され、ジェンダー研究の射程は広がっていきます。
- 世界中で巻き起こる第二波フェミニズムの火付け役となったのが、ベティ・フリーダンによる『新しい女性の創造』の出版
- アメリカの郊外に住む裕福な高学歴主婦たちが日常生活の中で「得体のしれない悩み」を抱いているという内容が、女性たちの共感を呼んだ
- ウーマン・リブの女性たちは社会的・精神的な抑圧のみならず、肉体的抑圧からの解放を目指した
3章:第二波フェミニズムを学ぶためのおすすめ本
第二波フェミニズムについて理解できたでしょうか?
この記事で紹介した内容はあくまでもきっかけにすぎませんので、下記の書籍からさらに学びを深めてください。
オススメ度★★★ Friedan, Betty.1963 The Feminine Mystique. Curtis Brown. (日本語は三浦冨美子訳の『新しい女の創造』大和書房)
世界中に第二派フェミニズムを巻き起こした記念碑的一冊。アメリカの郊外に住む裕福な高学歴主婦たちが抱く悩みについて、インタビューを通して迫っています。
(2024/11/23 00:38:44時点 Amazon調べ-詳細)
オススメ度★★★ 田中美津 1972=2004『増補新装版 いのちの女たちへ――とり乱しウーマン・リブ論』(パンドラ)
日本のウーマン・リブのカリスマ的存在である田中美津による論考集。収録している「便所からの解放」は、ほぼ半世紀を経てもその輝きを失っていません。
(2024/11/23 00:38:45時点 Amazon調べ-詳細)
オススメ度★★★ 落合恵美子 1994=2004『21世紀家族へ――家族の戦後体制の見かた・超えかた』(有斐閣)
フェミニズムを知るためにまず手にとってほしい初学者向けの一冊。ウーマン・リブについても当時の資料を多用しながらページを費やして解説しています
一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
最初の1冊は無料でもらえますので、まずは1度試してみてください。
また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
Amazonプライムは、1ヶ月無料で利用することができますので非常に有益です。学生なら6ヶ月無料です。
数百冊の書物に加えて、
- 「映画見放題」
- 「お急ぎ便の送料無料」
- 「書籍のポイント還元最大10%(学生の場合)」
などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。
まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 第二波フェミニズムとは、日常に潜む性差別を問題化し、社会的な抑圧全体を問い直した女性解放思想であり運動である
- 第二波フェミニズムの背景には、1970年前後の世界的な学生運動や反体制運動の盛り上がりがあった
- 第二波フェミニズムは男性支配のシステムを問い直しながら、世界中に広がった
このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。
ぜひブックマーク&フォローしてこれからもご覧ください。→Twitterのフォローはこちら