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政治史

【ワシントン・コンセンサスとは】成立の背景から批判までわかりやすく解説

ワシントン・コンセンサスとは

ワシントン・コンセンサス(Washington consensus)とは、IMF(国際通貨基金)やアメリカ財務省が持つ市場主義・新自由主義的な政策に関する共通認識(コンセンサス)のことです。

アメリカの首都ワシントンには、アメリカ政府の財務省、世界銀行や国際通貨基金などの本部が置かれており、この共通認識のもとに国内の新自由主義的な政策や、対外的な政策(国際機関を通じた支援、援助)を行っていったことから、ワシントン・コンセンサスと呼ばれるようになりました。

ワシントン・コンセンサスは、市場原理主義的、新自由主義的な政策を押し付ける思想であり、世界の格差拡大や企業の奔放な活動に結びつき、金融危機などのきっかけにもなったと指摘されています。そのため、現代社会を読み解く上でも理解することが非常に大事です。

この記事では、

  • ワシントン・コンセンサス誕生の歴史
  • ワシントン・コンセンサスの特徴と具体的な政策
  • ワシントン・コンセンサスへの批判

などをそれぞれ解説します。

関心のある所から読んでみてください。

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1章:ワシントン・コンセンサスとは

1章では、ワシントン・コンセンサスを概説します。具体的な内容や批判から知りたい方は、2章から読み進めてください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1: ワシントン・コンセンサスの誕生

まず、ワシントン・コンセンサスが誕生する過程を確認していきましょう。

1-1-1: 新自由主義的政策の誕生まで

1930年代以降、アメリカの経済政策の主流は政府が経済的領域に積極介入する、「大きな政府」「福祉国家」「ケインズ主義的」と言われたものでした。

  • ケインズ経済学とは、20世紀前半のイギリスの経済学者ケインズ(John Maynard Keynes)が提唱した経済理論のこと
  • 簡単にいえば、「国家が有効需要を作り出す」つまり、国家が積極的に公共事業を行うことで景気回復や経済成長を達成しよう、という経済政策の思想を指す

アメリカが世界恐慌後に実施した公共事業はケインズ経済学に基づいたわけではありませんが、「大きな政府」が経済領域に積極介入する姿勢はどちらも共通するものでした。第二次世界大戦後もアメリカ政府は、公共事業を積極的に行い、税制政策を実施することで景気調整を行ってきました。(→ニューディール政策に関してはこちら

こうした政策は、本来の古典的な自由主義の伝統(国家が個人や企業の活動に介入するのは最小限)に反するものだったため、特にアメリカではニューリベラリズム、社会自由主義とも言われます。

自由主義の意味がニューディール政策以降転換したのです。

一方、こうした政策やケインズ経済学に対しては、以下のような批判的な考え方もありました。

ミルトン・フリードマンに代表されるケインズ批判者たちの主張2主に根井雅弘『市場主義のたそがれ』(中公新書)など

  • 政府による調整ではなく、アメリカの中央銀行が積極的に公定歩合を下げることが必要である
  • それによって、市場に出回る通貨量を増やすことがニューディール期に採るべき手段であった
  • 国家は最小限の役割のみを全うし、経済活動は市場メカニズムに任せるべきである

そして、1970年代にアメリカはインフレと不景気を経験します。同時期に、世界各国でも財政赤字の問題が顕在化していき、政府介入を減らし世界的にも貿易の自由化と資本市場の自由化を実現すべきであるという機運が高まっていきました。

これを政治学等の分野では「政府の失敗」と言うことがあります。つまり、国家の介入によって市場がゆがめられた結果、さまざまな非効率が温存されることになり、それが不景気やインフレといった負の結果を生じさせているのだということです。

実際に、1979年に誕生したサッチャー政権は、イギリスの経済不振の原因のひとつは雇用や社会福祉問題に政府が過度に介入し財政支出が拡大したためであると主張しました。そして、サッチャーは民営化や福祉の縮小といった政策を実施していきました。
→サッチャーが実施した一連の政策に関してはこちら

アメリカでも、1980年代にレーガン政権が誕生すると、新自由主義の考え方に基づく経済政策へと転換していきました。
→レーガン大統領による政策はこちらの記事へ

こうして1980年代ごろから世界で新自由主義的政策が行われるようになったのです。

しかし、これだけでは「国内の経済問題に対処する思想が新自由主義ってこと?」と思われると思います。それも間違いないのですが、アメリカはその思想をさらに対外的にも拡大しようとしていったのです。

それが、ワシントン・コンセンサスです。

1-1-2: きっかけとしてのラテンアメリカの債務危機

ワシントン・コンセンサスという言葉は、アメリカ政府と国際機関(IMFなど)が主導したラテンアメリカへの支援策から生まれたものです。その経緯を説明します。

前述のように、1980年代までにアメリカやイギリスなどの先進国は経済の停滞に陥り経済政策を転換していきましたが、ラテンアメリカ諸国でも似通った問題を抱えていました。そして1980年代になると、メキシコがデフォルト(財政破綻)を宣言しました。

  • 1982年8月、メキシコ政府は財政問題から債務返済の一時停止を宣言
  • 他の国家からの借り入れも大きく、ラテンアメリカ諸国の返済能力に国際的な不安が強まる(アメリカの民間銀行もメキシコに貸し出していたため、もしメキシコから返済されなければ最悪の場合倒産の危機すらあった)
  • メキシコの財政問題は、メキシコ一国の問題ではなく国際的な問題であった

ところで、IMF(国際通貨基金)と世界銀行は戦後設立された国際機関であり、その大きな役割の1つが債務危機に陥った国家に融資を支援することでした。そこで、IMF・世界銀行を通じてを通じて融資(お金を貸すこと)を行うことで、メキシコの債務危機を救済することが決められたのです。

ただし、IMF・世界銀行はお金の貸し手であり、融資する上で条件を付けました。非常に簡単に言えば、「債務危機に陥ったのは間違った経済政策を行っているからだ。この条件に従って国内を改革し、今後債務危機に陥らないようにしてくれ。」というわけです。

1-1-3:ワシントン・コンセンサスの登場

こうした背景から、国際経済学者のジョン・ウイリアムソンは1989年、ラテンアメリカ諸国における次のような問題を改善するべきだと主張します。

  • 累積債務の改善
  • 各国の市場開放
  • 内部腐敗の改善

そして、貿易の自由化と資本市場の自由化を実現させていく必要があることを主張したのです。

このジョン・ウイリアムソンの考え方に同意したのが、アメリカ政府や国際通貨基金、世界銀行などワシントンD.Cに本部を置く国際機関でした。そのため、ウイリアムソンの考え方に基づき、中南米や世界各国に対してこの政策を展開していくことを決定しました。

このIMFが融資する上でつける条件を構造調整計画(SAP)と言います。また、報道や論文では単に「コンディショナリティ(条件)」と言われることも多いです。

政策の実施を決済した国際機関がワシントンに本部を置いていたことから、後にこの考え方や政策は「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれるようになったのです。

ワシントン・コンセンサスはこれまでも説明してきたように、アメリカ・IMF・世界銀行などが財政危機を起こした国への支援や途上国の開発援助の中で、相手国に求める条件の背景にある「合意」として論じられることが多いです。

しかし、ワシントン・コンセンサスはもともとアメリカ国内の政策を通じて形成された思想から生まれたと言ってよく3猪木武徳『戦後世界経済史』、アメリカを中心に各国の国内における新自由主義的な政策にもつながっています。そのため、下記記事とあわせて読んでみるとより理解が深まるでしょう。

→新自由主義に関してはこちらの記事へ

さらに言えば、日本に対しては日米貿易摩擦でのアメリカからのさまざまな要求(市場開放、規制撤廃)にもつながっており、これらは一連の現象として理解することが大事です。

下記の本などから学んでみてください。



1-2: ワシントン・コンセンサスの特徴と具体的な政策

国際通貨基金と世界銀行が実施することになった各々の構造調整計画はウイリアムソンによってまとめられました。

簡潔に列挙すれば、下記の10項目がベースになっています。

ワシントン・コンセンサスの10項目
  1. 厳格な財政規律・・・財政赤字についてはGDPの10%を超えてはいけない
  2. 公共支出に関する優先順位の変更(歳出削減)・・・教育サービスや衛生管理の分野への支出の促進
  3. 税制におけるフラットな限界税率と課税ベースの拡大・・・所得の課税対象額(課税標準)が水準から増大したときに水準を超えた部分に課税する税制を適用
  4. 利子率の自由化と正の実質利子率・・・計画的な優遇利子率を廃止し、市場の動向に添って税率を決定する
  5. 輸出促進的な競争力のある為替レート・・・「変動相場制」を適用。外国為替市場の需要と供給により自由に変動させる制度を適用
  6. 貿易自由化、特に輸入への規制除去・・・保護措置のひとつであった輸入数量制限を廃止し、関税化の方向へ転換
  7. 海外直接投資の自由化・・・外国企業に対する参入障壁の撤廃
  8. 公営企業の民営化政府によって経営される企業や、公共サービスの一部を民間企業にすることで、市場原理から効率化を図る
  9. 規制緩和・・・政府による競争制限規制の撤廃
  10. 財産権の保障・・・法制度整備を促進し、所有権を保証する

ワシントン・コンセンサスの全体像を理解することはできましたか?さらに2章ではワシントン・コンセンサスの問題点・批判について解説していきます。

1章のまとめ
  • ワシントン・コンセンサスとは、世界経済を動かしていたアメリカ政府や国際機関が目指していた方向性の共通認識(コンセンサス)のことである
  • 1989年に国際経済学者のジョン・ウイリアムソンによって、貿易の自由化と資本市場の自由化を実現させていく必要があることが主張された

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2章:ワシントン・コンセンサスの問題点・批判

ワシントン・コンセンサスは、現代では批判される文脈で使われることが多いです。

それはワシントン・コンセンサス的な国内の改革や開発援助の条件は、対象となる国家が持つ独自の社会を、英米的な思想のもとに作り替えるものであり、また、市場主義的政策は、かえって混乱をもたらす場合もあるからです。

そこで2章ではワシントン・コンセンサスの問題点を解説します。

2-1:ワシントン・コンセンサスに基づいた改革の中身

1-2で説明したように、IMFや世界銀行からの支援や開発援助の条件(コンディショナリティ)には、大きく「財政上の問題の改善を求めるもの」と「自由化、市場開放、規制撤廃を求めるもの」がありました。

■財政上の問題の改善を求めるもの

まず、IMF・世界銀行のコンディショナリティでは、国家財政を改善するための歳出の削減(行政サービスや福祉の縮小)と歳入の向上(増税)が求められています。これは、債務危機に陥った以上、財政を改善しなさいということです。

しかし、行政サービスや福祉の縮小、増税といった政策は国民の生活を圧迫する可能性が高い点に問題があります。

■自由化、市場開放、規制撤廃を求めるもの

また、それだけでなく、貿易や金融面で規制を撤廃し自由化・開放を進めることや、民営化や規制緩和によって市場原理にもとづいて経済活動を活発にさせることも求められています。

その背景には、政府が経済活動に介入することは非効率や腐敗を生む(政府の失敗)ため、改革によって民間企業が活動する領域を拡大すること、市場取引・競争原理を活用した方が経済成長につながるのだ、という新自由主義的な思想があることが分かります。

こうしたワシントン・コンセンサスに基づくコンディショナリティには、下記のような問題があるのです。

  • コンディショナリティに基づいた改革を通じて対象の国の市場を開放させることは、競争力を持つ先進国のグローバル企業にチャンスを与えるものである
  • コンディショナリティは、固有の歴史、文化を背景に作られてきたその国の社会に変革を求めることになる(アメリカ的な社会になることが求められる)

事例を通じてもう少し具体的に説明します。

2-2:アジア通貨危機

1997年7月、タイの通貨バーツが暴落したことからアジア諸国で連鎖的に通過が下落し、複数の国家が金融危機に陥ったアジア通貨危機が発生しました。影響を受けたのはインドネシア、マレーシア、フィリピン、韓国などで、これらの国では、

  • 通貨が暴落
  • 海外投資家が資金を引き揚げる
  • その結果、国内企業が債務(借金)を返済できず倒産などの経済的ダメージを受ける

ということになったのです。

詳しくはこちらの記事(→アジア通貨危機とは?)で解説していますが、ここで重要なのはアジア通貨危機が起こったきっかけと、アジア諸国にIMFが突き付けたコンディショナリティの問題です。

そもそも、アジア通貨危機が起こった原因は、アメリカ政府や国際機関は各国の国内に問題があったと指摘していました。しかし、直接のきっかけとなったのは欧米先進国のヘッジファンド(富裕層から集めた資金で積極的な投資をする機関投資家)でした。

そのため、そもそもこうした金融機関の過激な投資を規制しない、「自由」な金融市場を作ることをけん引してきたアメリカやIMFに危機の原因があるのではないか?という批判もなされたのです。

さらに、危機に陥ったアジア諸国は、IMFから融資の条件に、

  • 支出の抑制
  • 高金利政策
  • 緊縮財政

といったコンディショナリティを求められました。国内に厳しい改革を求めるものだったため、これもIMFのコンディショナリティ、ひいてはその背景にあるワシントン・コンセンサスが批判されるきっかけになったのです。

アジア通貨危機の経緯とIMFへの批判、経済学者らの議論について、下記の本に詳しいです。

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2-3: その後の変化

1997年のアジアの通貨危機を経験した後の国際経済においては、ワシントン・コンセンサスの考え方を「維持しようとする動き」「新しい政策を取り入れる動き」との両方が見られます。

たとえば、2010年代前半には、ギリシャの財政問題が引き金となり債務危機が南ヨーロッパから欧州全体へと連鎖していき欧州債務危機(ユーロ危機)を引き起こしました。この危機に対する欧米諸国や国際機関の対応は、ワシントン・コンセンサスにもとづいたものでした。

欧州委員会、国際通貨基金、欧州中央銀行が赤字に陥ったギリシャやポルトガルに要求したのは、「緊縮財政」「規制緩和」「民営化」であった

しかし一方で、ワシントン・コンセンサスの考え方は持続的な成長維持の効果には疑問があるとして、貧困層の底上げをはかることで持続的な安定経済を実現しようとする開発経済も広がっています。

たとえば、近年では持続可能な開発が積極的に掲げられて実践されようとしています。
→持続可能な開発について詳しくはこちら

2章のまとめ
  • ワシントン・コンセンサスに基づいた改革は、財政上の問題を解決する要求だけでなく自由化、市場開放、規制撤廃まで求めるものであった
  • アジア通貨危機やギリシャの財政問題時にも同様の改革が求められ、批判を招いた
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3章:ワシントン・コンセンサスを学ぶのにおすすめの本

ワシントン・コンセンサスについてさらに深く学びたい場合は、下記の本を参考にしてみてください。

オススメ本

オススメ度★★★ 稲葉振一郎『新自由主義の妖怪ー資本主義論の試み』(亜紀書房)

「ワシントン・コンセンサス」の考え方はアメリカ政府や国際機関が世界経済を安定させるために自信を持って世界に提案した経済プログラムでもありました。このプログラムの根底にある新自由主義の考え方と過去の経済学の考え方を比較して理解するのに最適な1冊です。

オススメ度★★★ 竹森俊平『1997年――世界を変えた金融危機』(朝日新聞出版)

「ワシントンコンセンサス」の経済プログラムの実施は、1990年代の後半、アジア通貨危機へと結びついていきます。この政策の問題点と通貨危機が起きた原因がわかりやく記載されたお勧めの1冊です。

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まとめ

この記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • ワシントン・コンセンサスとは、IMFやアメリカ財務省が持つ市場主義的政策に関する共通認識のことで、特に対外的にそのような政策を求めるものである
  • ワシントン・コンセンサスはアメリカで生まれた「合意」であったが、IMF・世界銀行を通じて、特に財政危機に陥った国家への支援や途上国の開発援助時の「条件」として要求された
  • ワシントン・コンセンサスにもとづくコンディショナリティは、対象国の国民の負担の増加や社会の変容を求めるもので、批判もある

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