考古学

【古墳とは】日本列島に古墳が築かれた理由と意味について解説

古墳とは

古墳とは、およそ3世紀中ごろから7世紀ごろにかけての日本(=古墳時代)で、土や石を盛って築かれたお墓のことです。

一口に「古墳」と言っても、その内実は多種多様です。日本には大仙陵古墳(大阪府堺市)のような巨大前方後円墳から、直径10mほどの円墳まで、さまざまな種類の古墳が存在します。これらを全て合わせると、古墳時代約400年間で日本列島に築かれた古墳の数はおよそ16万基を超えると考えられてきました。

もちろん、規模や形だけでなく、外表施設(周濠・葺石・埴輪など)や副葬品(お供え物)に格差・地域差はあったようです。それでも、古墳時代は全国の広い範囲で共通の墓制=古墳が採用された時代であると評価できます。これは、日本史上はじめての出来事でした。

そこで、この記事では、

  • 古墳が造られた目的と意味
  • 古墳を構成する各要素の意味
  • 古墳時代の歴史的展開と社会の文脈から見た「古墳」の意義

をそれぞれ解説していきます。

好きな箇所から読み進めてください。

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1章:古墳が造られた意味とは

まず1章では、日本列島に古墳が築かれた意味を紹介するうえで基礎となる要素を解説していきます。古墳築造の具体的な目的・意味については2章で詳しく解説しておりますので、好きな章から読み進めてください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:古墳とはなにか

古墳の中でも特に有名なのが、近年世界遺産にも登録された大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」ではないでしょうか。百舌鳥・古市古墳群には、日本最大の古墳である「大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)」をはじめ、数多くの巨大前方後円墳が立ち並んでいます。

このように近畿地方には数多くの巨大古墳が存在しており、これは当時の近畿地方の「ヤマト王権」が強大な権力をもっていたことがうかがえるものです。

大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)

古墳には、百舌鳥・古市古墳群で見られる巨大なものから小さなものまでさまざまな種類が認められています。それらは全て、古い時代のお墓です。

ただし、古い時代のお墓であれば全てが古墳であるわけではありません。学術的には、3世紀中ごろから7世紀までの、いわゆる「古墳時代」に築かれた墳丘をもつお墓について「古墳」の名称を付しています。

※このような定義が存在する理由の一つは、古墳時代の一つ手前にあたる弥生時代にも「墳丘をもつお墓」が築造されていたためです。

また、古墳時代の人間が誰しも古墳に葬られたのかといえば、そうではありません。直径10mの円墳にしろ、超巨大な前方後円墳にしろ、工事にはそれなりの人手と技術が必要になります。

つまり、自分自身または家族(先祖)のお墓を造営するにあたって大勢の人員を投入できるだけの権力をもった人物しか古墳を築くことはできなかったのです。

もちろん、当時でも古墳を築くことができた/できなかった理由を権力の有無だけで考えるのはいささか乱暴です。

  • 古墳とは地形・資源不足による制約や、ヤマト王権による連携・規制の有無など、種々の要素を乗り越えた先に築かれるものと考えられている
  • また、古墳時代でも後半に入るとそれまでと比べて幅広い層の人々が古墳を築くようになった(たとえば、以下の群集墳)

群集墳のなかの一基(大阪府河南町一須賀古墳群)群集墳のなかの一基(大阪府河南町一須賀古墳群)

それでも、ある地域の古墳を一つみたときに、その古墳がその地域を統べるような有力者のお墓として築かれたこと自体はほぼ確定的といえます。つまり、古墳とは「有力者の墓」なのです。



1-2:古墳を構成する要素

そんな古墳は、土や石を盛っただけではなくさまざまな要素から構成されています。ここでは、古墳の形状から埴輪・葺石・石室といった古墳の構成要素について、主なものを解説していきます。

1-2-1: 古墳の形状

古墳の形状として最も有名なのが、鍵穴の形をした「前方後円墳」です。畿内地域を中心に全国各地に分布する前方後円墳は全国に約5200基で、全長200mを超える古墳は全て前方後円墳とされています。古墳時代のはじまりを告げるのも前方後円墳で、古墳時代後期まで築かれました。似た形の古墳として「前方後方墳」があります。

しかし、実は古墳の中で最多なのは丸い形をした「円墳」です。

円墳の特徴

  • 円墳は古墳時代前期から前方後円墳が築かれなくなった古墳時代終末期まで絶え間なく作り続けた
  • 古墳時代後期以降の群集墳(古墳が一つの地域にまとまって築かれる)もほとんどが円墳である

また、古墳時代後期以降に注目されるのが「方墳」です。

方墳の特徴

  • 前方後円墳が大王墓として採用されなくなってから、かの有名な蘇我氏とつながりをもつ大王の陵墓は方墳に変わった
  • また、その後蘇我氏の勢力が衰えるにつれて大王墓は八角形の「八角墳」に変わる

このほかにも、双円墳・上円下方墳など、古墳の形状については枚挙に暇がありません。

古墳の形状このように、日本国内では古墳時代のうちにさまざまな形状の古墳がさまざまな規模・内容をもって築かれました。墳丘をもつ墓自体は世界の各国・各地域で作られている一方で、共通の「古墳」という枠組みの中で多様な墳丘形状が認められるのは日本がほぼ唯一の事例です。

1-2-2: 埴輪・葺石(外表施設)

埴輪・葺石はそれぞれ意味合いが異なるものの、古墳の表面に置かれる点で共通しています。いわば、墳丘を彩る外表施設です。

埴輪は弥生時代末の墳丘墓に設置された特殊器台・特殊壺といった土器から発展したもので、大きく分けて円筒埴輪と形象埴輪が存在しています。

埴輪

前者の円筒埴輪は墳丘の端を取り囲む列状(埴輪列)に、後者の形象埴輪は何らかの意味をもって墳丘の特定の箇所に並べられました。また、形象埴輪には「馬」「鳥」「人物」「家」「大刀・剣」「力士」といった変わり種も見つかっています。

葺石は、墳丘斜面に並べられた拳大の石材のことです。墳丘を荘厳に見せる視覚的な効果と、墳丘表面の土砂の流出を防ぐ効果の2つの機能があったと考えられています。

兵庫県神戸市五色塚古墳墳丘に埴輪と葺石が復元されている兵庫県神戸市五色塚古墳

1-2-3: 埋葬施設

古墳のなかでも、死者を葬る設備は「埋葬施設」と呼ばれています。埋葬施設は時期に応じて「竪穴系」から「横穴系」へと変化しました。

埋葬施設

前者の「竪穴系」は古墳時代前期・中期にみられるもので、上から穴を掘ったような形状の埋葬施設です。

  • 竪穴系の代表例である「竪穴式石室」の場合は、石材を重ねてつくった石の部屋に遺骸を納めた棺を置き、上からさらに石材と土で密閉する
  • 内部に収めた遺体と副葬品と再び対面することや、あとから別の遺体や副葬品を追加することはできない

後者の「横穴系」は横に入り口があるタイプの埋葬施設です。出入り口を設ける形で石材を積み上げてつくるため、「横穴式石室」と呼ばれます。

  • 横穴式石室の最大の特徴は遺体を納めたあとでも石室への出入りが可能であること、そのため新たに遺体・副葬品を追加できること(追葬)である
  • 古墳時代後期には埋葬施設として横穴式石室が採用される場合が多く、群集墳の形成に伴って全国に普及した

これら以外にも古墳を構成する要素はまだまだ存在します。ただし、これ以上立ち入ると内容が専門的かつ煩雑になるために、本記事では省略させていただきます。詳しく知りたい方は、泉森皎(編)『日本考古学を学ぶ人のために』(世界思想社)などがおすすめです。

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1章のまとめ
  • 古墳とは、およそ3世紀中ごろから7世紀ごろにかけての日本(=古墳時代)で、土や石を盛って築かれたお墓のことである
  • 自分自身または家族(先祖)のお墓を造営するにあたって大勢の人員を投入できるだけの権力をもった人物しか古墳を築くことはできなかった
  • 古墳は、土や石を盛っただけではなくさまざまな要素から構成されている

 

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2章:古墳の意味・役割を明らかにした学術的研究

古墳が築造された意味については、大きく分けて3つが検討されています。

  1. 死者を葬り祀るため
  2. 権力を誇示するため
  3. ヤマト王権との連携を示すため

2章では、これらの諸要素について、考古学の研究成果を紹介しながら解説していきます。

2-1:死者を葬る場所として

古墳はお墓であるため、古墳を築く重たる目的は「死者を葬ること」です。しかしながら、古墳に使者を葬るにあたっての宗教的思想・心理的要因についてはあまり研究が進んできませんでした。古墳を研究するにあたって最適な学問である考古学は物証を第一とするため、人の内面にはなかなか踏み込めないのです。

このように学問的に不利な状況ではあるものの、古墳に据え付けられた埴輪や埋葬施設(≒石室・棺など)を通して、古墳の「死者を葬る場所」としての内実に迫る研究も行われています。

たとえば、古墳における葬送儀礼を雄弁に物語る器物として、埴輪はこれまでもよく取り上げられてきました。埴輪研究の第一人者・高橋克壽は、古墳に据えられた形象埴輪の性格と展開を以下のようにまとめています2高橋克壽「器財埴輪の編年と古墳祭祀」『史林』第71巻第2号 98-100頁

器財埴輪の意義を考えるにあたっては、まず最古の器財埴輪の一群を検討しなければならないだろう。…(中略)…被葬者の眠る墳頂の聖域を守護するということが、器財埴輪の創出されたもっとも妥当な意義として考えられるのである。

…(中略)…(その後、)外部からは見えにくいところに、被葬者を守護することだけを目的として樹てられたものが、見る者を強く意識して前面に出てくることは、それが墳頂を厳めしい武器や武具の埴輪で豪壮に飾り立て、亡き首長の権威を外に強く訴えるためのものへと質的に変化してきたことを物語っている。

大阪府高槻市今城塚古墳では埴輪祭祀区が見つかっている大阪府高槻市今城塚古墳では埴輪祭祀区が見つかっている

このように、高橋は器財埴輪が「死者を守護する機能」→「死者の権力を誇示する機能」へと展開していくことを説いています。

これらの埴輪研究を踏まえつつ、埋葬施設・副葬品などを中心に据えて古墳の葬送儀礼と精神世界に踏み込んだ考古学者の和田晴吾は、次のように述べました3和田晴吾「古墳の他界観」『国立歴史民俗博物館研究報告』第152集 265頁

前・中期の古墳を,遺体を密封する墓としての性格と,遺体の埋納が終わってから葺石を施し埴輪を樹立して仕上げられた「他界の擬えもの」としての性格の,二面から捉えようと試みた。古墳を構成する諸要素は,このとらえ方に適合的である。

この段階(前・中期)では,人は死ぬと魂(魂気)は船に乗って他界へと赴くと考えられていたが,遺体(形魄)は棺・槨のなかに密封され,そこでは生前のような日常的な生活を送るとは考えられてはいなかった。

和田は、前期・中期の古墳の埋葬施設(竪穴式石室や粘土槨など)の築造方法、副葬品の構成・並べ方から「密封する墓」としての性格を、埴輪・葺石からは「世界の再現」の性格を読み取ったのです。

一方で、和田は後期古墳になると地域性が現れ、「密閉空間×世界再現の畿内の古墳」と「死者の生活空間をつくった九州の古墳」に分断されるとの様相を看取しました。

九州系横穴式石室の内部九州系横穴式石室の内部。密閉型の石棺は設置されない。

少し長いですが、引用します4和田晴吾「古墳の他界観」『国立歴史民俗博物館研究報告』第152集 266頁

後期に横穴式石室が定着し普及した畿内やその周辺では,横穴式石室は「閉ざされた棺」を納める「閉ざされた石室」で,遺体は,前代と変わらず,棺内に密封され,玄室内は死者の空間とはならなかった。墳丘に人が登らなくなり,舞台装置や道具立ては形骸化しだすとはいえ,古墳は一つの「他界の擬えもの」として存続し,石室内には前代の墳丘上で行われた食物供献や追葬が加わったが,密封を基本とする「槨」的な性格はそのまま受け継がれた。

一方,中期初頭に横穴式石室が採用されはじめる九州北・中部では,横穴式石室は「開かれた棺」を備える「開かれた石室」で,そこは死者が死後においても生前と同じような日常生活を続ける空間となった。



2-2:権力を誇示する装置として

器財埴輪の性格の面でも少し触れた通り、古墳は権力を誇示する舞台装置としても機能していたと考えられています。考古学者の広瀬和雄は、古墳時代史を再構築する試みのなかで、次のような考えを述べました5広瀬和雄「古墳時代像再構築のための考察-前方後円墳時代は律令国家の前史か-」『国立歴史民俗博物館研究報告』第150集 103頁

日本列島で, 3世紀中ごろから7世紀初めごろにかけて約5200基つくられた前方後円(方)墳の本質は,見る/見せる墳墓というところにあった。それらはけっして人里離れた,人跡未踏の地につくられたわけではない。大部分は生活空間を見下ろす丘陵や交通の要衝に立地していた。そして,葺石や段築や円筒埴輪列などで墳丘を装飾し,前期のものは正面観を見せていた。たとえば,奈良県西殿塚古墳は平野側だけ一段多く墳丘を築成しているし,京都府蛭子山古墳も平野側だけ3段築成に仕上げられている,などである。さらに,一人や二人の埋葬空間には大きすぎる墳丘をもつという特性をもっている。

広瀬和雄「古墳時代像再構築のための考察-前方後円墳時代は律令国家の前史か-」『国立歴史民俗博物館研究報告』第150集p.77より引用

広瀬和雄「古墳時代像再構築のための考察-前方後円墳時代は律令国家の前史か-」『国立歴史民俗博物館研究報告』第150集 77頁より引用

こうした文脈で捉えると、百舌鳥・古市古墳群の巨大前方後円墳が大阪湾岸沿いおよび河川沿いに並んでいる理由もよくわかります。

すなわち、百舌鳥・古市古墳群は大王のための荘厳な墓であるだけでなく、瀬戸内海を通ってやってきた国内外の人々が巨大な前方後円墳を見てヤマト王権の権力を実感できるような仕掛けにもなっているのです。



2-3:政治的なつながりを示す場所として

古墳は単に死者を葬る場所であるだけでなく、中央と地方の政治的なつながりを示すモニュメントとして築かれた側面も強いと考えられています。

日本の古墳のなかでも、特に注目すべきは「前方後円墳」です。その特徴を以下にまとめています。

  • 「前方後円墳」が約300年間の間に列島各地で築かれる
  • その300年間には前方後円墳だけでなく「前方後方墳」「円墳」「方墳」などさまざまな形の古墳が築かれた
  • 同じ時期の古墳の大きさや副葬品の内容などをみると、前方後円墳がその他の形状の古墳と比べて最も優位である
  • 前方後円墳のなかでも時期や地域によって規模や内容などに差異が存在する
  • (一部の例外を除いて)畿内の前方後円墳がその時代の最大規模を誇る古墳である
  • 形状だけでなく、副葬品が畿内と地方とで共通している場合もある

上記の内容の通り、古墳時代前期~後期(終末期を除く)には畿内の巨大前方後円墳を頂点にさまざまな形状・内容の古墳が全国各地に築かれました。

日本最初の前方後円墳とされる奈良県桜井市箸墓古墳日本最初の前方後円墳とされる奈良県桜井市箸墓古墳(側面)

これらの特徴に対し、考古学界では「前方後円墳を頂点とする墓制は畿内のヤマト王権の主導のもとで全国に広まったモノであり、いわば政治的な結びつきの証である」との考え方が主流となっています。

古墳時代は、日本における古代国家形成期として極めて重要な時期である。筆者は、この時代を律令国家に先行する初期国家段階と把握する。また、前方後円墳を頂点とする政治的身分秩序が、この時代の権力関係を特徴づけることから、この政治秩序を前方後円墳体制と呼ぶことを提唱した6都出比呂志「前方後円墳体制と民族形成」『待兼山論叢』史学篇第26巻大阪大学文学研究科 1頁

…(前略)…前方後円墳祭祀を共有することをとおして階層的序列を表現するような国家,前方後円墳を頂点とした多彩な古墳様式が政治秩序を表象した国家,それが前方後円墳国家であった7広瀬和雄「古墳時代像再構築のための考察-前方後円墳時代は律令国家の前史か-」『国立歴史民俗博物館研究報告』第150集 132頁

古墳時代終末期に入ると前方後円墳の時代は終焉を迎え、ヤマト王権の大王家や畿内の有力豪族の人々も方墳・八角墳・円墳などの小規模な古墳に葬られるようになりました。

しかし、前方後円墳に代表される形状の共通性が失われてもなお、古墳の副葬品などをもって中央-地方または地方-地方の政治的なつながりがみえてきます。「前方後円墳体制」のような共通の墓制に則らずとも、古墳のもつ政治性までは消えなかったのです。

これまで解説してきたように、古墳はその誕生当初から終焉に至るまで権力・政治と強い関係性を有するお墓でした。今日の我々が巨大古墳をみて当時に想いを馳せることができるのも、権力を誇示する舞台装置・政治的な結びつきの表象としての古墳の「意味」が現代まで生き残っているからかもしれません。

2章のまとめ
  • 古墳に据え付けられた埴輪や埋葬施設(≒石室・棺など)を通して、古墳の「死者を葬る場所」としての内実に迫る研究も行われている
  • 古墳は権力を誇示する舞台装置としても機能していたと考えられている
  • 考古学では「前方後円墳を頂点とする墓制は畿内のヤマト王権の主導のもとで全国に広まったモノであり、いわば政治的な結びつきの証である」との考え方が主流である

 

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3章:古墳が造られた意味についてわかるおすすめの本

古墳について理解が深まりましたか?

さらに深く知りたいという方は、以下のような本をご覧ください。

おすすめ書籍

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 古墳とは、およそ3世紀中ごろから7世紀ごろにかけての日本(=古墳時代)で、土や石を盛って築かれたお墓のことである
  • 自分自身または家族(先祖)のお墓を造営するにあたって大勢の人員を投入できるだけの権力をもった人物しか古墳を築くことはできなかった
  • 古墳に据え付けられた埴輪や埋葬施設(≒石室・棺など)を通して、古墳の「死者を葬る場所」としての内実に迫る研究も行われている

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