考古学

【韓国の前方後円墳とは】朝鮮半島南西部に築かれた十数基の古墳について解説

韓国の前方後円墳とは

韓国の前方後円墳とは、朝鮮半島南西部・栄山江流域を中心に分布する、日本と共通の墳丘形態を有する古墳のことです。

3世紀半ばから7世紀にかけて、日本列島では約16万基ともいわれる大量の古墳が築かれました。そのなかでも特に有名なのが、円形の後円部と方形の前方部からなる前方後円墳です。

前方後円墳は日本独自の形態であり、当時の列島の政治的秩序をあらわす。以上のような理解は、細かな見解の違いこそあれ、日本の考古学界における通有の理解です。

しかしながら、こうした状況を揺るがしかねない発見が90年代以降に相次いで起こりました。なんと、日本独自であるはずの前方後円墳が朝鮮半島で相次いで発見され始めたのです。

現在までに十数基ほど発見されている韓国の前方後円墳に対して、日本列島内と同様の政治的秩序を読み取ってもよいものか、さまざまな説が飛び交っています。

そこで、この記事では、

  • 韓国の前方後円墳の特徴
  • 日本と韓国の「前方後円墳」における共通点と差異
  • 韓国の前方後円墳に葬られた人物とは

などを中心にご紹介します。お好きな箇所からお読みください。

近年の日韓関係をめぐる状況から、朝鮮半島の前方後円墳が学術的な理解を離れて極端な政治的主張に利用されることも少なくありません。本記事では、過度に政治的な問題には立ち入らず、学術的にわかっていることを中心にご紹介します。ご理解ください。

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1章:韓国の前方後円墳の特徴とは

まず1章では、朝鮮半島の前方後円墳について、現在までに判明している考古学的な成果を解説します。古墳に葬られた人物=被葬者や韓国に前方後円墳が築かれた理由については2章以降で解説しますので、ご興味のあるところからお読みください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:韓国の前方後円墳の時期と分布

日本列島の古墳時代当時の朝鮮半島は、北方の高句麗、東方の新羅、西方の百済(以上をまとめて「三国」と呼ぶ)、南方の伽耶諸国からなっており、地域ごとに国が分立している状況でした。

前方後円墳が集中する半島南西部・栄山江流域社会は位置的に百済の影響を強く受けていた地域です。朝鮮半島では、現在までに13基の前方後円墳が確認されています。詳しくは以下のリストと地図をご覧ください。

古墳名 所在地 発掘調査 規模 埋葬施設 葺石 埴輪
長鼓峰古墳 海南半島 76m 九州系横穴式石室
龍頭里古墳 41.2m 九州系横穴式石室
チャラボン古墳 37m 竪穴系横口式石室 × ×
明花洞古墳 栄山江流域 33m 横穴式石室 ×
月桂洞1号墳 45.3m 九州系横穴式石室 ×
月桂洞2号墳 33m 横穴式石室 ×
月田古墳 47.5m 横穴式石室 ×
月城山1号墳 24m 不明
新徳1号墳 51.4m 九州系横穴式石室 ×
杓山1号墳 46m 九州系横穴式石室 ×
長鼓山古墳 68m 九州系横穴式石室
月桂古墳 蘆嶺山脈以北 × 41.2m 不明
七岩里古墳 56m 不明
七岩里2号墳 × 52.8m 不明
旺村里2号墳 14m~16.6m 全壊 ×

朝鮮半島南西部における前方後円墳の分布朝鮮半島南西部における前方後円墳の分布2崔 榮柱「韓半島の栄山江流域における古墳展開と前方後円形古墳の出現過程」『立命館文学』632巻 158頁

繰り返しになりますが、リストと地図をみると韓国の前方後円墳は朝鮮半島南西部・(広義の)栄山江流域と呼ばれる地域に集中していることが明らかです。

また、その築造時期は5世紀後半~6世紀前半(※研究者によっては6世紀前半に限られるとの説も)に集中しているようです。



1-2:前方後円墳の起源

韓国で前方後円形の古墳が発見され始めた当初は、「日本の前方後円墳のルーツが朝鮮半島にあった!」などの見解がまことしやかに囁かれていました。しかし、現在ではそのような見解はほぼ否定されています。それは以下の理由からです。

1-2-1:時代

1つは、日本における前方後円墳の成立が3世紀中ごろまでさかのぼるのに対し、韓国の前方後円墳はどんなに古く見積もっても5世紀後半に築かれたもので、時代が合わないからです。

一般的に、日本の前方後円墳は弥生時代の円形のお墓に設けられた方形の通路が祭壇化し、一体的に大型化を果たしたことで誕生したといわれています(諸説あり)。

この説を採る限り、国内の発展だけで説明がつくため、朝鮮半島から前方後円形の思想が入り込んだとは考えにくいのです。

1-2-2:数と規模

また、前方後円墳の数や規模でも日本が大幅に上回っています。

  • たとえば、日本最大の前方後円墳は5世紀前半代に築かれた大仙陵古墳(大阪府堺市)で、現存長486mを測る世界でも有数の墳墓である
  • また、日本最初の大型前方後円墳と呼ばれる、3世紀中ごろに築かれた箸墓古墳(奈良県桜井市)は全長約286mを測る

一方で、韓国の前方後円墳で最大のものは全羅南道の長鼓峰古墳で、全長76mにとどまっています。

日本で2番目の規模を誇る誉田御廟山古墳426m日本で2番目の規模を誇る誉田御廟山古墳426m(筆者撮影)

韓国で2番目の規模を誇る長鼓山古墳68m韓国で2番目の規模を誇る長鼓山古墳68m(フリー画像)

このように、前方後円墳のルーツを朝鮮半島に求めるには、時期や大きさの面でつじつまが合わないと言わざるを得ません。裏を返せば、朝鮮半島南西部・栄山江流域に存在する前方後円墳は日本列島からもたらされた形であるといえます。



1-3:日本と韓国の「前方後円墳」の共通点と差異

朝鮮半島の前方後円墳が日本列島からもたらされたとするならば、当然、日本列島の前方後円墳との共通点や差異が見受けられるはずです。

先に触れた通り、発生時期は日本列島の前方後円墳が古く、規模も日本列島の前方後円墳が圧倒的に大きい点などは、両者の間の明確な差異といえます。

一方で、数多くの共通点があるのも事実です。

1-3-1:墳丘構造と石室

まずは、墳丘構造が挙げられます。半島の前方後円墳のなかには墳丘の盛り土の上に石を並べる「葺石(ふきいし)」を採用する古墳も存在するのです。

葺石とは

  • 土砂の流出を防ぎ、なおかつ墳丘を荘厳に魅せるための工法であり、日本列島では古墳時代のごく初期からみられる
  • 前方後円墳であるだけでなく、墳丘の構築方法まで似ていることから、日本列島と朝鮮半島・栄山江流域で設計図の共有や墳丘構築の職人の派遣も想定されてきた

また、近年では朝鮮半島の前方後円墳の墳丘上にも日本の古墳と同様「埴輪」が並べられていたことがわかってきました(韓国では「円筒形土製品」と呼ばれています)。

しかしながら、韓国でみられる埴輪は日本の古墳のものとよく似たものもあれば全く似ないものもあるため、日本列島から受けた情報をもとに現地の土器製作者が埴輪生産に携わったと考えられています。

朝鮮半島の埴輪朝鮮半島の埴輪3高田貫太『「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳』角川書店 223頁

次に紹介するのが、埋葬施設=古墳内部の死者を納める空間の構造における共通性です。朝鮮半島・栄山江流域の前方後円墳の多くが日本の北部九州地域でみられるものとよく似た構造の横穴式石室を採用しています。

当初、日本列島の古墳では死者を密閉する竪穴系の埋葬施設が主流でした。その後、朝鮮半島から出入り口をもつ構造の石室=横穴式石室の構造・構築技術・思想がもたらされ、5世紀末から6世紀にかけて広く日本列島に横穴式石室が普及するのです。

  • つまり、朝鮮半島の前方後円墳にみられる北部九州系の横穴式石室は、いわば「逆輸入」のような形であるといえる
  • また、単に構造が類似しているだけでなく、石室全面が朱で赤く塗られる点や、副葬品や土器の配置など、いわば思想的・祭祀的な面も半島の前方後円墳と北部九州の横穴式石室とで似ていた

昨年度調査された長鼓山古墳の北部九州系石室昨年度調査された長鼓山古墳の北部九州系石室4ハンギョレ通信日本語版20210321「朝鮮半島最大の古代の墓、開けた直後に閉じた理由は」http://japan.hani.co.kr/arti/culture/39476.html より引用

以上2点を踏まえると、朝鮮半島の前方後円墳は、日本列島の中でもとくに北部九州地域の強い影響のもとで築造されたと考えるのが妥当といえます。

ところが、栄山江流域社会は百済の影響も強かった地域であることも見過ごせません。構造の面で日本列島の前方後円墳に似ているとはいえ、その内容は異なります。

たとえば、死者に捧げる宝物=副葬品には、倭からもたらされたものと百済からもたらされたものとが混在しているのです。この点は栄山江流域の伝統的な古墳と同じであることも付記しておきます。



1-3-2:古墳の多様性

もう1つ、日本列島と朝鮮半島の前方後円墳を語る上で外せないのが、「その他の形状の古墳の存在」です。

日本の古墳時代には、前方後円墳だけでなく前方後方墳・方墳・円墳などさまざまな形状の古墳が築かれていました。

なかでも前方後円墳が突出して規模や内容(副葬品など)に恵まれていることなどから、大阪大学の考古学者・都出比呂志は、前方後円墳を頂点とする葬制の定型化を想定し、「前方後円墳体制」を提唱しています5都出比呂志「前方後円墳体制と民族形成」『待兼山論叢』史学篇 27 1頁

古墳時代は、日本における古代国家形成期として極めて重要な時期である。筆者は、この時代を律令国家に先行する初期国家段階と把握する。また、前方後円墳を頂点とする政治的身分秩序が、この時代の権力関係を特徴づけることから、この政治秩序を前方後円墳体制と呼ぶことを提唱した。

前方後円墳体制の概念図前方後円墳体制の概念図6都出比呂志2005『前方後円墳と社会』塙書房より引用

簡単にまとめると、日本各地の古墳の形状や規模は、被葬者の階層や政治的立場によって決まっているというのです。

諸外国を探しても、日本の古墳時代のように多種多様な墳丘形態が一定期間にわたって併存していた例は少なく、「前方後円墳体制」的な墳墓づくりのありかたはある意味で日本列島の特徴と考えられてきました。

他方、朝鮮半島・栄山江流域に目を向けると、前方後円墳が築かれた5世紀後半~6世紀前半にかけての短期間については、栄山江流域社会の伝統的な形状の古墳と日本列島・北部九州の影響を受けた前方後円墳が併存していることがわかっています。

すなわち、当時の栄山江流域社会もまた、日本の古墳時代と同様に多種多様な形態の墓を造営していたのです。

栄山江流域の在地系古墳栄山江流域の在地系古墳7高田貫太「5,6世紀朝鮮半島西南部における「倭系古墳」の造営背景」『国立歴史民俗博物館研究報告第211集』499頁

ただし、栄山江流域における在地系の古墳(≒もとから存在した形態の古墳)と前方後円墳との間に存在する差異も見過ごせません。前者は基本的に何世代にもわたる共同墓地として築かれたのに対し、後者の前方後円墳は有力者1~2人の単数埋葬が基本とされています。

また、前方後円墳と在地の古墳の間に優劣はなかったようです。つまり、複数の墳丘形態が併存する点は同じでも、詳細な内容は日本列島と朝鮮半島でそれぞれ異なっていたと考えられるのです。

前方後円墳に関してこれから学びたいと考える方には、都出比呂の『王陵の考古学』という新書がおすすめです。

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1章のまとめ
  • 韓国の前方後円墳とは、朝鮮半島南西部・栄山江流域を中心に分布する、日本と共通の墳丘形態を有する古墳のことである
  • 朝鮮半島の前方後円墳は、日本列島の中でもとくに北部九州地域の強い影響のもとで築造されたと考えるのが妥当である

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2章:韓国の前方後円墳に葬られた人物像

2章では、韓国に所在する十数基の前方後円墳に葬られた人物にはどのような特徴と背景があるのか、そのルーツについての学説を紹介します。

2-1:日本列島と朝鮮半島の交流

古墳時代は日本列島と朝鮮半島の交流が非常に活発な時代でした。実際、日本の古墳時代の遺跡から朝鮮半島系のモノが見つかることや、逆に朝鮮半島で日本列島製品がみられる点はこうした日朝交流の証左の1つです。

こうした両地域の遺跡や遺物にかんする考古学的な研究成果によって、当時の日朝関係の背景としては、以下の点などが想定されてきました。

  • 当時日本に製鉄技術が発達していなかったため、鉄素材を朝鮮半島から入手しなければならなかった
  • そのほかにも、須恵器・馬匹・酒造など、朝鮮半島の先進文化を受容することで国内の発展が図られていた

また、「倭の五王」の記事で紹介した通り、ヤマト政権の大王が朝鮮半島諸国との交流を優位に進めようとした事実が、中国の歴史書『宋書』倭国伝にも記載されています。→倭の五王についてはこちらの記事

加えて、日本最古の歴史書でなおかつ日本神話の原典でもある『古事記』や『日本書紀』(以下『記紀』)にも、海を渡った倭人(当時の日本列島は「倭国」と呼ばれていた)や、朝鮮半島からの渡来人に関する記載が多数みられます。

  • 『記紀』には「任那日本府」のように倭国が朝鮮半島の一部地域に支配拠点を置いていたような記載も存在する
  • しかし、大量の倭人が一か所に集住していたような遺跡が未発見であることや、倭国(日本)と朝鮮半島諸国との間に支配―被支配の関係が成立していた積極的な証拠は存在しないことから、その真偽は不明である(多くの研究者が懐疑的な立場をとっています)

近年は、倭国と朝鮮半島諸国との国家的な交流の存在を認めつつも、それと並行して日本列島と朝鮮半島の豪族どうし、もっと言えば民衆どうしのローレベルな交流の姿にも注目が集まっています。

実は、巨大前方後円墳がひしめく近畿地方以外でも、朝鮮半島との交流の証拠が続々とみつかっているのです。



2-2:韓国の前方後円墳の被葬者は何人?

1990年代に栄山江流域で続々と前方後円墳が発見され始めた際、その被葬者がどんなアイデンティティをもつ人物であるのかに注目が集まっていました。

日韓の考古学界だけでなく、政治的な問題も絡んで「被葬者は倭人か? 朝鮮人か?」の論争が沸き起こったのです。本記事では、政治的なバイアスをなるべく排除したうえでさまざまな視点から現在の学説を提示します。

  • 大前提として、日本の考古学界では「前方後円墳が存在するところ、すなわちヤマト政権と関係をもったところ(≒勢力下)である」との見解が主流である
  • ところが、この見解が朝鮮半島の前方後円墳にもあてはまるかどうかについては研究者間で見解の相違があり、意見の一致をみていない
  • すなわち、韓国に前方後円墳が存在するからと言って当時の朝鮮半島南西部がヤマト政権の支配下であったとは断言できないのが現在の学術的な状況といえる

また、もう1つ前提として、当時の朝鮮半島情勢を把握することも必要です。栄山江流域に前方後円墳が築かれたのは、北方の高句麗・東方の新羅の煽りを受け、百済が南下政策をとっていた時期でした。

すなわち、百済の南方に広がる栄山江流域にも影響が及んでいたのです。

2-2-1:倭人説・倭系官僚説

栄山江流域の前方後円墳が日本列島(特に北部九州)の前方後円墳と高い類似性がみられることを根拠に、被葬者を北部九州系の倭人とみる説です。

しかしながら、詳しくみていくと、

  1. 北部九州出身で、栄山江流域をはじめとする朝鮮半島各地との交流を担った人物
  2. 百済王権から栄山江流域に派遣された倭国出身の官僚

といった形で評価は分かれています(さらに細分化可能)。

どの説も、前方後円墳を「倭国のアイデンティティを象徴する形態の墳墓」とする点ではおおむね同様です。ただし、被葬者が普段はどこに住んでいたのか、どのような役割を負っていたのかについては見解が異なっているのも事実です。

たとえば、考古学者の土田純子は、栄山江流域の前方後円墳が北部九州のそれとよく似ていることを前提として、「北部九州の在地勢力に属する倭人を中心とした交易者集団」を被葬者に想定しました8土田純子「湖南地域の倭系資料と前方後円墳」『文化財』51巻第2号、国立文化財研究所 170頁

一方で、②を唱える研究としては、大阪大学の考古学者・福永伸哉の研究が知られています9福永伸哉「考古学から見た継体大王の外交戦略」『つどい』第327号、豊中歴史同好会 7頁

継体大王は(中略)13基の前方後円墳被葬者となった倭人有力層の渡航を促すことによって、六世紀の百済南下政策を支援したという状況を考えてみたいのである。

継体大王の墓とみられる大阪府今城塚古墳継体大王の墓とみられる大阪府今城塚古墳(筆者撮影)

倭系百済官僚説では、栄山江流域の前方後円墳をめぐる状況のうち、日本列島との類似性に加え、百済系の副葬品がみられることに注目します。

すなわち、倭国と百済の両方と密接に関係をもっていた人物を被葬者に想定しつつ、百済の南下政策や当時の倭国と百済の友好関係のなかで理解しようとする見解です。

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2-2-2:在地首長説

次に紹介するのは、在地の首長=栄山江流域社会の有力者が前方後円墳に葬られたとする説です。

現在、日韓交流史研究を考古学の立場からリードする国立歴史民俗博物館の高田貫太は、栄山江流域の前方後円墳と在地系の古墳がともに「交通の要衝」に築造されていることから、次のような被葬者像を想定します10高田貫太『「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳』角川書店 253頁

考古学的に想定できる被葬者の姿は、あくまでも栄山江流域を政治・経済的な活動の舞台とした集団の首長層、ということである。その中には、倭や百済で生まれて対外活動にたずさわる中で栄山江流域に定着し、現地集団と「雑居」する中で首長層にまで成長したような人物が含まれていた可能性は十分にある。

栄山江流域の交通ルート栄山江流域の交通ルート11高田貫太『「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳』角川書店 245頁

高田をはじめ、栄山江流域の前方後円墳に在地首長の姿を想定する説の多くは、前方後円墳に日本列島と被葬者との強い結びつきを表示する機能があったとしています。

つまり、百済の南下政策等に対して、「自分は倭と密接に結びついているんだぞ!」とアピールしけん制する狙いがあったとするのです。

2-3:被葬者論をめぐる現状

以上で紹介したように、朝鮮半島南西部・栄山江流域に存在する前方後円墳の被葬者を倭人とする説でも朝鮮人とする説でも、「当時の日本列島と朝鮮半島の間には密接な交流が存在した」との見解は一致しています。

また、朝鮮半島に前方後円墳が存在するのと同じように、当時の日本列島にも明らかに渡来人が築いた古墳や渡来人と強い関係を有していた豪族が築いた古墳が数多く存在するのも事実です。

つまり、飛行機で数時間もかからないうちに海を渡ることのできる現在と違って、両地域の間は恐ろしく遠かったにもかかわらず、異常なほど密接な交流を行っていたといえます。

近年では、栄山江流域に前方後円墳が築かれた6世紀前半の時期に起こる土器の形態変化が日本列島と栄山江流域で共通していることもわかってきました。

密な交流にかんする以上のような見解は、日本および韓国でどれほど発掘調査が進もうと動かなそうです。

2章のまとめ
  • 日韓の考古学界だけでなく、政治的な問題も絡んで「被葬者は倭人か? 朝鮮人か?」の論争が沸き起こった
  • 朝鮮半島南西部・栄山江流域に存在する前方後円墳の被葬者を倭人とする説と、朝鮮人とする説がある

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3章:韓国の前方後円墳について学べるおすすめの本

韓国の前方後円墳について理解が深まりましたか?

さらに深く知りたいという方は、以下のような本をご覧ください。

おすすめ書籍

高田貫太『「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳』(角川書店)

日韓交流の歴史を考古学の立場から研究する高田貫太による、朝鮮半島の前方後円墳解説書です。韓国に所在するすべての前方後円墳を訪問した筆者が、現在の研究状況と前方後円墳築造前後の歴史を丁寧に解説しています。

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都出比呂志『王陵の考古学』(岩波書店)

日本・アジア・ヨーロッパ・エジプト……といった、世界のあらゆる地域の王墓について整理を行いながら、日本の前方後円墳の特質に迫った一冊です。前方後円墳の成立・発展や、その背後にある東アジア各国との関係性についても触れられています。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 韓国の前方後円墳とは、朝鮮半島南西部・栄山江流域を中心に分布する、日本と共通の墳丘形態を有する古墳のことである
  • 朝鮮半島の前方後円墳は、日本列島の中でもとくに北部九州地域の強い影響のもとで築造されたと考えるのが妥当である
  • 朝鮮半島南西部・栄山江流域に存在する前方後円墳の被葬者を倭人とする説と、朝鮮人とする説がある

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