イヌイットの食事(Inuit cuisine)とは、アザラシの生肉といった伝統的なものが有名です。しかし現在では外部社会への依存が強まり、ジャンクフードなどによる健康問題が明白となっています。
「イヌイットはどのような食事をしているのだろう?」と考えたことはありませんか?
一般的にアザラシの生肉が広く知られていますが、実際は多様な動植物資源を活用した食事をしています。
そこで、この記事では、
- イヌイットの伝統的な食事
- イヌイットの現在の食事と問題
をそれぞれ解説します。
関心のあるところから読んでみてください。
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1章:イヌイットの食事とは
1章ではイヌイットの伝統的な食事について紹介し、現在における食事と問題は2章で解説します。
ちなみに、この記事はイヌイットの代表的研究者である岸上伸啓の報告を参照し書かれています。詳しい内容を知りたい方はぜひ手に取ってみてください。
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1-1: イヌイットの食事の前史
さて、イヌイットの伝統的な食事を紹介する前に、イヌイット文化の前史に簡単に触れます。それによって、イヌイットの食文化をより深く理解できるはずです。
そもそも、「イヌイット」と「エスキモー」の違いって何だっけ?と思う方は、まず次の記事を参照ください。
まず、現在のイヌイットが極北地域で生活を始めたのは、紀元10世紀ごろといわれています。その時期に発展した文化は「チューレ文化」と呼ばれます。
チューレ文化の特徴
- ボートや狩猟用具を用いてホッキョククジラを生業とした文化
- ホッキョククジラの皮部、脂肪、肉などが人間の主食であった
- この文化はアラスカで発生したと考えられており、わずが200-300年の間にロシアのチュコト半島からグリーンランドまで広がったとされる
しかし、12世紀ごろから地球の寒冷化がおこり、多くの海域が氷結するようになります。その結果、ホッキョククジラの頭数は減少し、イヌイットは他の食料に頼る必要が出てきました。
このような環境の変化が、伝統的なイヌイット食文化を形成することになります。
1-2: イヌイットの伝統的な食事
結論からいえば、イヌイットの食事には、
- 海獣…ワモンアザラシ、アゴヒゲアザラシ、セイウチ、シロイルカ、ホッキョクグマなど
- 陸獣…カリブー、ジャコウウシなど
- 魚…ホッキョクイワナ、ホワイトフィッシュなど
- 鳥…カナダガン、ハクガン、ライチョウなど
- しょう果類…ブルーベリーなど
があります。
ヨーロッパ人と接触をもつ以前、基本的には「生食」「煮る」「発酵」「乾燥」「冷凍」という調理法が主流でした。塩・コショウは存在しなかったため、調味料として「動物の血」や「脂肪」が用いられていました。
そして、伝統的な食事の特徴として、次の2点を挙げることができます。
- 極寒のなかで生き残るためには、肉を中心とした食事から体内でエネルギーを燃焼させる必要があった。そのため、タンパク質と高カロリーな脂身の摂取量が多い
- 植物類からのビタミン摂取が極めて少ない。そのため、動物の血や脂身に含まれるビタミン類やミネラル類から間接的に摂取していた
どうでしょう?伝統的な食事の概要を理解することはできたでしょうか?ここではさらに、「冬」と「夏」からイヌイットの食事を紹介してきます。
1-2-1: 冬
基本的に、冬の季節には次のような食事がされました。
- 海氷上に雪の家を建てて、呼吸穴にくるアザラシを銛で捕獲する
- 主な食料は捕獲されたアザラシと、夏のあいだに捕獲し保存していたセイウチやカリブーの肉
アザラシの肉、脂肪、小腸はイヌイットの食料となり、内臓は犬の餌として使われました。
アザラシやセイウチ肉の調理法ですが、生のままか煮られるかのどちらかだったそうです。(生肉を食べるときは、液化したアザラシの脂に浸して食べると美味らしいです。アザラシの脂液は日本人の醤油のようなもの)
また、ハンター達は仕留めた獲物を独り占めにすることはありません。必ず肉を仲間と分配します。そうすることで、厳しい冬を集団で乗り越えてきたのです。
ちなみに、分配の慣習は「文化相対主義」という思想に大きな影響を与えたといわれています。
- 文化人類学の父であるフランツ・ボアズは、1880年代におこなったフィールドワークでイヌイットの分配の慣習を知り、それを苦楽をともにする素晴らしい慣習と考えた
- その結果、西洋社会が「未開」といわれる社会を見下す権利は全くないと主張するようになる
より詳しくは、こちらの記事を参照ください。
1-2-2: 夏
そして氷塊がなくなった夏には、次のような狩猟と採集がされます。
- カヤックを用いたアザラシ猟、シロイルカ猟がされる(地域によってはセイウチ猟も)
- その他にも、鳥の卵、孵化した鳥、ブルーベリーの採集がされる
夏になると、冬には食べられてなかったしょう果類が登場することがわかります。しょう果類は生で食べられることが多く、海獣などは生肉か水で煮て食べられていました。
そして、余剰の肉や脂身は石で積んだ貯蔵穴に保存されて冬に備えられたといいます。
基本的に、イヌイットは動植物資源が豊富な地域に季節ごとに移動する傾向があります。そのため、イヌイットの食事を深く知るためには極北地域における季節性を同時に理解しなければなりません。
そのため、ここでは限定的ながら、「冬」と「夏」の食事を紹介しました。いったんこれまでの内容をまとめます。
- 12世紀ごろから地球の寒冷化が起こった結果、ホッキョククジラの頭数は減少し、イヌイットは他の食料に頼る必要がでてきた
- 肉を中心とした食事から体内でエネルギーを燃焼させる必要があったため、タンパク質と高カロリーな脂身の摂取量が多い
- 動物の血や脂身に含まれるビタミン類やミネラル類から間接的に摂取していた
2章:イヌイットの食事:現在
1950年代後半からカナダ政府は極北地域における行政管理を促進することを目的に、「イヌイットの定住化政策」をおこないました。
その結果、季節ごとに移動生活を送っていたイヌイットは住居をかまえて村のなかに定住するようになりました。1950年代に起きたこの変化は、イヌイットの食事にも大きな変化を迫ります。
2-1: 現在のイヌイットの食事
ここでは「社会環境の変化」「食事の変化」の順番でみていきましょう。
大事なのは、本質主義的なイヌイット像を想定しないことです(本質主義的とは「太古から続く生活を現在でも営むイヌイット像」を意味します→本質主義に関して詳しくはこちら)。
なぜならば、
- 本質主義的なイヌイット像を想定した瞬間、現在私たちと同時間を生きるイヌイット達や、さまざまな社会変化に対応してきたイヌイットが見えなくなる
- 言い換えると、本質主義的なイヌイットを想定した場合、太古的な生活をしていないイヌイットはイヌイットではないという結論に帰着してしまう
からです。
先住民の現在を理解するためには必ず必要な視点ですので、ぜひ学んでみてください。世界的に有名な歴史家のジェームズ・クリフォードの議論がオススメです。
2-1-1: 社会環境の変化
さて、先ほど述べた1950年代後半からのイヌイット定住化の結果、イヌイットを取り巻く社会環境は大きく変化しました。その変化は以下のようにまとめることができます。
社会環境の変化
- 社会福祉サービスの充実(学校教育、保健所等)
- インフラの整備(重油を利用した発電と配電)
- 通信手段の発達(テレビ、ラジオ、電話の普及)
- アクセスの発達(定期便の就航、貨物船輸送の発達)
- イヌイット以外の人口増(連邦政府機関や学校で働く人々)
食事との観点で大事なのは、イヌイットがグローバル市場経済に組み込まれたことです。
それは現金やクレジットカードを利用して、生協・小型スーパーで南から運搬された食材を手にできるようになったからです。たとえば、メキシコ産のアボカド、フロリダ産のオレンジといった食材を村内のスーパーで購入することができるようになりました。
当然ですが、それらの食材はイヌイットの「伝統的な」食材ではありません。
2-1-2: 食事の変化
その他にも、上述した社会環境の変化はイヌイットの食事に大きな変化をもらしました。
たとえば、次のような変化がありました。
- ライフルやスノーモービルによって、冬でもカリブーの捕獲が可能になった
- 冷凍庫や冷蔵庫の普及により、さまざまな食材の長期保存が可能になった
- その一方で、乾燥保存や発酵保存といった伝統的な保存法が廃れていった
- 調理法は電子レンジの普及で伝統的なものから幅が広がった
加えて、カレー味の香辛料や食塩、胡椒などが食卓でみられるようになり、食べ物の味が多様化したといいます(他にもマヨネーズ、ケチャップが頻繁に使われる)。
とはいえど、上述した岸上の報告によると、現在でも生肉は頻繁にみられる食べ方の一つだそうです。また発酵される料理も、少なくなったものの依然としてポピュラーな食べ方の一つだそうです。
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2-2: イヌイットの食事の問題
最後に、イヌイットの食事の問題を「糖質・高脂肪・高塩分」と「環境問題」から紹介します。それぞれ解説していきます。
2-2-1: 糖質・高脂肪・高塩分
イヌイットがグローバル市場経済に組み込まれて以降、村のスーパーで食料品を手にすることが可能になりました。
その結果、世代や個人の差異があるものの、
- 地元で取れる魚や肉を食べる割合が減少
- 現在のイヌイットのカロリー摂取量の70%が外来食品に依存
といった変化が生まれました。
特に、若者はピザ、スパゲッティ、フライドチキンなどのジャンクフードを好んで食べる傾向があり、セイウチの肉を食べない者も多くいるといいます。
一般化が許されるならば、大量の砂糖、塩分、糖質を摂取する人々が増加する一方で、地元産のタンパク質の得る割合が低下しているといえるでしょう。
そのため、イヌイットの肥満や糖尿病という健康問題を考えるとき、外部社会の影響を抜きに検討することができない理由は明白です。
暖房のきいた住宅で暮らし、野外活動が低下してきたにもかかわらず、高カロリーの食事を続けることは健康問題を引き起こす理由の一つです。
2-2-2: 環境問題
加えて、イヌイットが食する海獣や陸獣の内臓に摂取許容量を超えた重金属類が蓄積されているという環境問題もあります。
それらの重金属類は、
- 大気中を上昇して、気流にのって北極圏まで運ばれる
- カナダ、アメリカ、ロシアの工業地帯から海や河川を通って運ばれる
と考えられています。
環境汚染問題はイヌイットの生存を脅かすものであり、即急の解決が求められるものです。より医学的、栄養学的な分析は次の書物を参照してください。
- 大事なのは、本質主義的なイヌイット像を想定しないこと
- 1950年代の定住化以降、イヌイットがグローバル市場経済に組み込まれ、食生活にさまざまな変化が起きた
- イヌイットの食事には「糖質・高脂肪・高塩分」と「環境問題」といった問題がある
3章:イヌイットの食事に関するおすすめ本
イヌイットの食事について理解を深めることができたでしょうか?
最後にイヌイットの食事をより深く理解するための書籍を紹介します。イヌイット研究の第一人者である岸上の書籍は、イヌイットの食生活を知る上で極めて有益です。
岸上 伸啓『イヌイット―「極北の狩猟民」のいま』 (中公新書)
イヌイットに興味をもっているすべての人にお勧めできる本です。イヌイットの歴史、衣食住、現在を確かなフィールドワークから紹介しています。
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岸上 伸啓『カナダ・イヌイットの食文化と社会変化』 (世界思想社)
イヌイットの食生活に関する学術書的な本です。カナダ首相出版賞を受賞した作品でもあります。「世界システム論」や「互酬性」に関する議論があるため、事前に勉強した方が読みやすいです。
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一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- イヌイットの食事(Inuit cuisine)とは、アザラシの生肉といった伝統的なものが有名
- しかし1950年代の定住化以降、イヌイットがグローバル市場経済に組み込まれ、食生活にさまざまな変化が起きた
- 現在は「糖質・高脂肪・高塩分」と「環境問題」といった問題がある
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