イヌイットの家(house of Inuit)とは、移動生活に適した形態が特徴です。たとえば、イグルーと呼ばれるドーム型の雪の家はとても有名です。しかし、1950年代に国民化政策がおこなわれてからは、定住化したイヌイットがほとんどです。
イヌイットの生活を伺い知る上で、「衣食住」は重要なキーワードとなります。
雪の家がイヌイットのイメージとして広く知れ渡る一方で、そのような家が現在ほとんど存在しないことはあまり知られていないのではないでしょうか。
そこで、この記事では、
- 伝統的なイヌイットの家(冬・夏)
- 定住化政策の歴史
- 現在のイヌイットの家
をそれぞれ解説していきます。
関心のあるところから読んでみてください。
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1章:イヌイットの家とは
まず繰り返しとなりますが、
- 伝統的なイヌイットの家は移動生活に適した形態のもの
- 特に、「イグルー(igloo)」と呼ばれる雪の家が有名
です。
1章では「極北地域における自然環境」や「イヌイットの家の特徴」を説明します。現在におけるイヌイットの家に関心のある方は、2章から読み進めてください。
そもそも、「イヌイット」と「エスキモー」の違いから確認したいという方は、次の記事を参照してください
1-1: 自然環境の特徴
ここでは、極北地域における自然環境に簡潔に触れます。この地域における自然環境はイヌイットの家の形態に大きな影響を与えていたため、より深く理解するために必要な知識となります。
まずなんと言っても、イヌイットが生活を営む自然環境は地球上でもっとも厳しいものの一つです。「イヌイットは森林限界以北で暮らしている」ということから、その厳しさが伝われるのではないでしょうか。
イヌイット研究の第一人者である岸上は『イヌイット』(中公新書)で、このような自然環境の特徴を以下のようにまとめています1岸上『イヌイット』(中公新書)。
極北地域における自然環境の特徴
- 季節…冬は長い、暗い、寒い。一方で夏は短く、涼しく、明るい。基本的に11月〜5月まで海上も内陸も氷雪に覆われる。11月〜2月まで気温はー25度以下がほとんど。もっとも暖かい7月も10度以上にはならない
- 低湿…降水量が極めて少ない。地理学的にいえば、砂漠と似た気候。乾燥しているため、風がなければ、低温でも寒いと感じにくい。
- ツンドラ地帯…地面は数メートルから数百メートルまで一年中凍結している。土地は滋養に乏しく、植生を生み出すことはない
- 動物…植物には乏しいが、海獣(アザラシ類やイルカ等の大型動物)や陸獣(カリブーやキツネ)は豊富に存在する
このような自然環境に適応するべく、イヌイットは季節ごとに居住地を変えて暮らしてきました。それがイヌイットの家の特徴に繋がります。
イヌイットの食事に関しては次の記事を参照ください
1-2: イヌイットの家の特徴
基本的に、イヌイットは、
- 冬…海氷上に表れるアザラシを捕る
- 夏…沿岸部でホッキョクイワナやシロイルカを捕る(秋には内陸部でカリブーの狩猟をする)
といった移動生活をしてきました。
そのような生活は、特徴的な住居を生み出します。ここでは大まかに「冬」と「夏」からみていきましょう。
1-2-1: 冬
伝統的なイヌイットの住居として、とても有名なのは「イルグー」(雪の家)です(写真1)。
(写真1)
冬にはー30度に達する極寒の地で暮らすためには、それなりの住居が必要です。そこで、イヌイットは氷雪の板を切り出して、らせん状に積み上げたドーム型の家を作りました。
イグルー内部でアザラシの脂肪に火をともせば、室内気温が0度以上に保つことができたそうです。また、イグルーは密封性に優れているため、外は厳しい環境でも、快適に過ごすことができたといいます。
1-2-2: 夏
夏になると、動物の皮のテントを脇に立てて住居を補助しました。
アラスカのマッケンジー川近郊では森林があったため、木造の家屋が存在したといいます。それ以外にも、内陸部では石の家やクジラの骨を組んだ住居もあったそうです。
それらの住居は、やはり狩猟採集を中心とした移動生活に適した形態のものだったといえるでしょう。
1-3: イヌイットの集落
さて、基本的に家族単位で移動生活をしていたイヌイットですから、伝統的には固定的な集落社会が存在しなかったといえます。
複数の家族がしばしば同じ箇所にキャンプを張ることがありましたが、それは一時的なものであり、集落社会を形成するに至る出来事ではなかったそうです。
ちなみに、ここでいう家族とは「拡大家族(親族を含む)」を意味します。そのため、複数の家族が同じ場所にキャンプをした場合、60人-100人の共住集団となりました。
そして、基本的に家庭生活は、
- 父親がハンターとして拡大家族(おば、おじ、いとこ、はとこを含める)を養う
- 結婚相手は男の一方的な決定に依存するか、幼いうちに親に決定された相手
- 移動時における女性の仕事が多いため、妻を2人以上もつこともあった(*現代では存在しない慣習)
- 子どもは8歳ぐらいになると、親の猟や衣服の作りを手伝う
といったものでした。
このようなイヌイットの伝統的な生活は、2000年制作の映画『氷海の伝説』から伺い知ることができます。ぜひ鑑賞してみてください。
いったん、これまでの内容をまとめてます。
- イヌイットの家は、移動生活に適した形態が特徴的である
- 厳しい自然環境に適応するべく、イヌイットは季節ごとに居住地を変えて暮らしてきた
- イグルーとは、氷雪の板を切り出して、らせん状に積み上げたドーム型の家である
2章:イヌイットの家:現在
さて、冒頭でも説明したように、
- 1950年代後半からカナダ連邦政府は極北地域における行政管理を促進することを目的に「イヌイットの定住化政策」を実施した
- その結果、季節ごとに移動生活を送っていたイヌイットは住居をかまえて村のなかに定住するようになった
という変化があります。
2章ではそのような変化を詳しく解説していきます。
2-1: イヌイットの定住化
より詳細にいえば、カナダ連邦政府は第二次世界大戦以来、極北地域における支配権を強めようと伺っていました。それは極北地域の領土を国際的に確立するといった理由からでした。
そのような思惑をもつカナダ連邦政府は、イヌイットの「国民化」を試みます。具体的に、カナダ連邦政府の主導の下、以下のような政策がおこなわれていきました。
- 英語による初等教育の実施
- 医療や福祉サービスの提供
- 極北地域における行政施設の建設
- 定住化の促進
イヌイットを専門とする研究者の大村は、これを「イヌイットの国民化政策」と呼びます2(たとえば、大村『カナダ・イヌイトの民族誌』(大阪大学出版会, 28頁)。
お気づきのように、カナダ連邦政府の政策はイヌイットへの同化政策であり、そのような政策は必ずしもイヌイットの意志を尊重したものではありませんでした(似たような出来事をアメリカ合衆国のネイティブ・アメリカンも経験している→詳しくはこちら)。
たとえば、長谷川は連邦政府の定住化政策を次のように報告しています3長谷川瑞穂 『先住・少数民族の言語保持と教育』(明石書店, 40頁)。
1940年代から、徐々にイヌイットの定住化政策が進められてきたが、必ずしもイヌイットの意志に沿ったものではなく、ときには強制移住というかたちで定住化が推し進められた。
さらに悪いことに、米ソ冷戦に備えるために、北部国境地域に米加共同で軍事レーダーが建設されたりもしました。その結果、多くの政府や民間機関の白人がイヌイットの土地へと流入することになります。
つまり、このようなカナダ連邦政府の政策を経て、
といった変化が起きました。
2-2: イヌイットの現在の家
上述してきた状況を経験したイヌイットは、同様に大きな生活の変化を経験しました。
イヌイットの住居の観点からいえば、全てのイヌイットがイグルーやテントではなく、電化されたセントラル・ヒーティング完備の家に暮らすようになりました。
事実、1960年代前半にはまだ見られたイグルーは、上述した岸上が『イヌイット』において、「冬季に雪の家に住む生活はいまではもう見られない」4岸上『イヌイット』i頁と嘆いています。
さらに残念なことに、イヌイットの家は連邦政府からの借家が多く、その施設の状態は良くありません。その一方で、政府関係者の仕事をもつ白人の家の多くは綺麗な木造家屋に住み、南部と変わらない生活を送っています。
また、定住地域における生活は、イヌイットのさまざまな活動に影響を与えていきました。
イヌイットの生活の変化
- イヌゾリやカヤック、銛や弓矢を用いた狩猟ではなく、スノーモービルや高性能ライフルが主流となった
- 専業のハンターではなく、季節労働者兼ハンターの者が多くなった(機械化された生業活動をするためには、機械や燃料を買う現金が必要となったため)
- 毛皮や手工芸品などの販売や賃金労働をとおして、資本主義経済の世界システムにますます依存するようになった
このような生活を送るイヌイットが大地で過ごす時間はますます少なくなっており、野生動物を見たことのない若者が増加してるといいます。
そもそも、かつてイヌイットの生活の基盤であった大地は、今や国有地や国立公園となっており、イヌイットの知らないところで管理・開発されているのです。
このような状況をみると、イヌイットがカナダ国民になることは、欧米社会の全ての側面で従属的な役割を担うことを意味したといえるでしょう。
ここまでくると、「かつての伝統的な生活をしていないならば、現代においてイヌイットはいないの?」と疑問をもつ方がいるかもしれません。
イヌイットの食事に関する記事でも述べましたが、ここで大事なのは、
- 本質主義的なイヌイット像を想定しないこと(→本質主義に関して詳しくはこちら)
- つまり、太古から続く生活を現在でも営むイヌイット像を想定しないこと
です。
なぜならば、
- 本質主義的なイヌイット像を想定した瞬間、現在私たちと同時間を生きるイヌイット達や、さまざまな社会変化に対応してきたイヌイットの歴史が見えなくなる
- 言い換えると、21世紀において「イヌイットになること」は決して太古の生活に戻ることを意味しない
からです。
「真正な」イヌイット像ではない、別の物語を私たちは語る必要があるのです。そのような物語を発見する契機として、たとえば、ジェームズ・クリフォードの『文化の窮状』はとても有益です。
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このサイト内でいえば、次の記事がそのような視点を提供しています。
→【ネイティブアメリカンの現在】統計情報や文化の問題をわかりやすく解説
- イヌイットの国民化政策によって、イヌイットの生活は激変した
- 現在では、全てのイヌイットがイグルーやテントではなく、電化されたセントラル・ヒーティング完備の家に暮らすようになった
3章:イヌイットの家に関するおすすめ本
イヌイットの家について理解を深めることができたでしょうか?
イヌイット研究の第一人者である岸上の書籍は、イヌイットの生活全般を知る上で極めて有益です。「衣食住」は相互に関係しあっているため、同時に学ぶと有益です。
岸上 伸啓『イヌイット―「極北の狩猟民」のいま』 (中公新書)
イヌイットに興味をもっているすべての人にお勧めできる本です。イヌイットの歴史、衣食住、現在を確かなフィールドワークから紹介しています。
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岸上 伸啓『カナダ・イヌイットの食文化と社会変化』 (世界思想社)
イヌイットの食生活に関する学術書的な本です。カナダ首相出版賞を受賞した作品でもあります。「世界システム論」や「互酬性」に関する議論があるため、事前に勉強した方が読みやすいです。
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浅井 晃『カナダ先住民の世界』(彩流社)
イヌイットに限らず、カナダ先住民に関して知ることができます。文体も非常に読みやすいので、初学者におすすめです。
一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
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などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。
まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- イヌイットの家は、移動生活に適した形態が特徴的である
- イグルーとは、氷雪の板を切り出して、らせん状に積み上げたドーム型の家である
- 現在では、全てのイヌイットがイグルーやテントではなく、電化されたセントラル・ヒーティング完備の家に暮らすようになった
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