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【アボリジニアートとは】都市・辺境におけるアートの歴史や政策を解説

アボリジニアートとは

アボリジニアート(Aboriginal Art)とは、辺境地域における先住民による「伝統的」な絵画から、都市部における現代的なアートまで幅広いものが存在します。これらのアートはアボリジニの社会的地位の向上に大きく寄与してきました。

アボリジニアートは日本でも大変人気があるため、目にしたことのある方が多いと思います。

しかし、長年、アボリジニの作品は「芸術」として扱いを受けなかったことは知っていますか?「芸術」として評価されるまでには、政策や社会運動などのさまざまな歴史がありました。

そこで、この記事では、

  • アボリジニアートの歴史
  • アボリジニアートの意味
  • アボリジニアートの政策

をそれぞれ解説していきます。

あなたの関心に沿って読み進めてください。

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1章:アボリジニアートとは

まず、1章ではアボリジニアートの「歴史」「意味」「現代アボリジニアート」から概観します。

2章ではアボリジニアートを政策の観点から紹介しますので、あなたの関心に沿って読み進めください。

なお、この記事はアボリジニアートを研究する窪田幸子の議論を主に参照しています。詳しい内容を知りたい方は、以下の書物を読んでみてください。

1-1: アボリジニアートの歴史

今日ではアボリジニアートが「芸術」として評価されていますが、アボリジニアートが流通し売買されるのは、1980年以降のことです。

当たり前かもしれませんが、それはアボリジニアートが「芸術」として評価されることがなかったからです。

「芸術」ではなかった理由はさまざまですが、ここではアボリジニアートが「芸術」と評価されるまでの歴史を簡潔にみていきましょう。

1-1-1: プリミティブアートまたは民族資料

そもそも、今日、アボリジニアートと称される「芸術作品」は、

  • 儀礼の道具、生活のための道具、アボリジニ同士の交換財であった
  • つまり、アボリジニ社会の内部で固有の意味をもち、機能するもの

でした。

しかし、白人入植以降、アボリジニの生活と密着した道具は「プリミティブアート」または「民族資料」として西洋社会に収集されていきます。このような価値のシステムを、歴史家のジェームズ・クリフォードは以下の図で示しました。

芸術=文化のシステム クリフォードによる芸術=文化システム(『文化の窮状』を基に筆者作成)

より簡単にいえば、非西洋から集められてきた品々は(科学的)文化的器物として、あるいは(審美的)芸術作品として二つの範疇へと分類されたことを指しています。

(学術的にいえば、前者が文化人類学、後者が美術史という領域になります)

非西洋の品々に関するクリフォードの議論を続けると脱線しますので、より詳しくは『文化の窮状』を参照ください。

1-1-2: 芸術作品としてのアボリジニアート

しかし、アボリジニの社会政治的立場の向上と西洋における「芸術」の考え方の変化に伴い、「芸術」としてアボリジニアートが評価されるようになります。

はじめに注目されたのは、伝統的な「樹皮画」と「アクリル点描画」です。

  • 樹皮画とは、樹の皮をはがして精霊などの画が描かれたもの
  • アクリル点描画とは、点(ドット)によって表現されたもの。キャンバス地にアクリル絵の具で描かれる

両者ともに、当初は「みやげもの」や過去に属する「プリミティブアート」と考えられてきました。しかし、1980年以降は美術館やギャラリーに収蔵されるようになり、「芸術」としての価値が認められるようになります。



1-2: アボリジニアートの意味

ところで、アボリジニアートと一言でいっても、オーストラリア全体で大きな地域差があります。つまり、上述した樹皮画とアクリル点描画などの辺境におけるアボリジニの作品と、都市のアボリジニのそれとは大きく異なるのです

それは端的にいえば、

  • 辺境…遠隔地におけるアボリジニのコミュニティでの経験
  • 都市…周縁化され、混血の進んだアボリジニの経験

が大きく異なることに由来します。

ここではそれぞれの特徴を簡潔に紹介します。

1-2-1: 辺境

窪田によると、「芸術」として評価を受けた後の辺境では、西洋のモダニズムなどから影響を受けて多様な表現が展開がされていきました。(窪田 2011「オーストラリア、都市アボリジニのアート–アイデンティティの闘争と抵抗、そして交渉」『北方民族文化シンポジウム報告書』25, 37-42を参照 )

しかし、表現は変わったものの、アボリジニアートの本質は変わらないといいます。たとえば、

  • 依然として、氏族集団の神話や土地の結びつきがテーマであり続けていること
  • 個人的なアートではなく、外部社会に対して自己文化の独自性を伝えるために表現をしていること

が表現の根底にあるからです。

1-2-2: 都市

一方で、都市におけるアボリジニはオーストラリア主流社会との関係で捉える必要があります(※辺境ではその関係を無視していいというわけではない)。

具体的に、都市におけるアボリジニは、

  • 混血が進み英語しか話さない人も多い。また生活様式はイギリス系の人々と変わらない
  • そのため、彼らは「本物のアボリジニ」ではないなどの差別経験を受けてきた
  • この経験が芸術作品の制作に大きな影響を与えている

といった特徴があります。

そして、辺境のアボリジニとの決定的な違いとして、主流社会の人々と同様に、美術学校において高等教育を受けてきたことが挙げられます。

都市のアボリジニは現代アートと西洋社会でのアートを学び、その技法から独自の現代的なアボリジニアートを生み出してきました。そうした作品が評価され始めるのは、1980年代のことです。



1-3: 現代アボリジニアートの誕生

アボリジニの作品が芸術として1980年代までに評価されると、「現代アボリジニアート」という分野が誕生したと窪田は指摘します(同書, 39頁)。

ここでは、オーストラリア国内外における展覧会を紹介します。

  • 1981年…国内巡回展であるアボリジナル・オーストラリア・アート展で、アクリル点描画が含まれる
  • 1988-89年…アメリカでドリーミング展という巡回展が開催される。このときから、都市アボリジニの作品が含まれるようになる
  • 1992年…日本で「Crossroads」展が開催される
  • 1993年…ヨーロッパで「Aratjara」展が開催される

このように、国内外での展覧会を通して、アボリジニアートが世界的に評価されていく過程がわかると思います。

また、当初は「伝統的」な作品ばかり評価されていましたが、次第に都市アボリジニの作品も「芸術」の領域に含まれていきました。

1章のまとめ
  • アボリジニアートが流通し売買されるのは、1980年以降のこと
  • 当初は「プリミティブアート」または「民族資料」として西洋社会に収集されるものでしかなかった
  • 1980年以降は、辺境と都市のアボリジニアートは芸術としてアボリジニアートが世界的に評価されている
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2章:アボリジニアートと政策

これまでアボリジニアートが評価される過程を紹介しましたが、この背景にはアボリジニに対する政策の変化がありました。

2章ではアボリジニ政策の観点から、アートを紹介してきます。

2-1: アボリジニに対する政策の変化

そもそも、アボリジニが他の国民と同様の市民権を獲得するのは、1967年まで待たなければなりません。

この時期はこれまでの同化政策を廃止し、アボリジニの「自己決定(self-determination)」的な政策が推進された時期でした。

簡単にいえば、「自己決定」とは以下のようなものです。

政治参加と社会的主体性の承認を重視するか、経済的自立を重視するか、政策上の重心に振れはあるものの、あくまでも主流社会の政治制度の下で先住民が政策決定過程に参加することによって、行政に彼らの意志を反映させ、効率よくサービスを提供することを目的としていた

鎌田「国家と先住民−権利回復のプロセス」『オーストラリア先住民と日本』(御茶ノ水書房, 15頁)

このような社会的変化に影響されて、政府はアートを通じたアボリジニの社会経済的な平等に乗り出しました。たとえば、次のような機関が組織されていきます。

  • 1971年…「アボリジニアート・クラフト会社(Aboriginal Arts and Crafts Pty Ltd)」
  • 1973年…「アボリジニアート委員会(Aboriginal Arts Board)」

特に、重要だったのはアボリジニアート委員会の活動です。以下の詳細に説明していきます。

アボリジニに対する政策の歴史を詳しく知りたい方は、次の記事を参照ください。白豪主義とともにどうぞ。

2-2: アボリジニアート委員会の役割

アボリジニアート委員会の役割は大きく「制作の活性化と流通」「国内外の市場拡大」です。それぞれを解説していきます。

2-2-1: 制作の活性化と流通

まず、アボリジニアート委員会の役割の一つである制作の活性化と流通では、

  • アートアドバイザーを雇用して、遠隔地に派遣する
  • アートアドバイザーは、作品制作の促進や展覧会の企画運営、プロモーションなどの総合的な仕事する人物
  • 品目開発にも携わり、儀礼などで使われていた品々を商品化していった

といったことが行われました。

特に重要だったのは、アートアドバイザーがアボリジニの世界観を深く理解したことでした。彼らの精神世界を理解したからこそ、その魅力を外部に発信することができ、仲介者としての役割を全うできたからです。

しかし、問題がなかったわけではありません。たとえば、神話に基づく絵画は秘密性が高く、それの商品化にはトラブルがつきまといました。そのような問題を解決する役割もアドバイザーが担っていたのです。



2-2-2: 国内外の市場拡大

またアボリジニアート委員会は、国内外の市場拡大にも大きな役割を果たしました。

たとえば、上述したように1981年には国内巡回展としてアボリジナル・オーストラリア・アート展が開催されました。ここで初めてアクリル点描画が含まれますが、これは委員会による働きかけが大きく影響しています。

しかし、国内では「芸術」として認められることが少なかったため、アボリジニアート委員会は海外での活動にも尽力を注ぎました。

具体的に、1980年代までに世界40カ国で展覧会を開催したアボリジニアート委員会は、展覧会終了後にアボリジニアートを寄付して、彼らのアートに対する理解を広げようと試みました。

その結果、今日ではアボリジニアート、特にアクリル点描画が「現代アート」として認められていますが、これにはアボリジニアート委員会による巡回展が大きな役割を果たしたといわれています(窪田「アボリジニの困難と現代アボリジニアートの希望」『オーストラリア先住民と日本』(御茶ノ水書房, 251頁)を参照)。

2章のまとめ
  • オーストラリアの社会的変化に影響されて、政府はアートを通じたアボリジニの社会経済的な平等を目指した
  • そのなかでも政府によって組織されたアボリジニアート委員会は、「制作の活性化と流通」と「国内外の市場拡大」の役割を担った
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3章:アボリジニアートを学ぶためのおすすめ本

アボリジニアートの概観をつかむことはできましたか?

今回はアボリジニアートの歴史を中心に、学術的な議論を紹介しました。「純粋にアートを楽しみたい」と思う方もいたかもしれませんが、アボリジニの作品が「芸術」になる過程を知るのも大事です。

最後に、参照した本を含めてアボリジニを深く理解する参考書物を紹介します。

おすすめ本

オススメ度★★★ 山内由理子(編)『オーストラリア先住民と日本』(御茶の水書房)

窪田は第12章の「アボリジニの困難と現代アボリジニアートの希望」を担当しています。アボリジニアートと社会の関係を知る上ではとても有益な章ですから、ぜひ読んでみてください。

オススメ度★★★ 藤川降男(編)『オーストラリアの歴史』(有斐閣)

オーストラリア史が簡潔にまとめられた書物です。アボリジニアートを深く理解するには、オーストラリア史の前提知識が必要ですから、この書物から学んでみてください。

オススメ度★★ 窪田 2011「オーストラリア、都市アボリジニのアート–アイデンティティの闘争と抵抗、そして交渉」『北方民族文化シンポジウム報告書』25, 37-42頁

こちらはアボリジニアートに関する論文です。この論文では、アボリジニアートだけでなく、都市アボリジニ芸術家の苦悩が記載されています。リアルな言葉を聞くことは貴重ですから、アボリジニアートに関心のある方はぜひ読みたい論文です。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • アボリジニアート(Aboriginal Art)とは、辺境地域における先住民による「伝統的」な絵画から、都市部における現代的なアートまで幅広いものが存在する
  • アボリジニアートが「芸術」として流通し売買されるのは、1980年以降のことである
  • 当初は「プリミティブアート」または「民族資料」として西洋社会に収集されるものでしかなかった

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