倫理学

【環境倫理学とは】自然環境保護の思想と代表的議論をわかりやすく解説

環境倫理とは
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環境倫理学(environmental ethics)とは、自然環境への配慮、保護はどこまで認められるのか、認められるのはなぜなのか倫理学的に追及する分野です。

「自然を大事にしよう」「地球にやさしく」とはよく言われますし、賛同する人は多いと思います。

しかし、なぜ自然を守らなければならないのでしょうか?自然を守ることが人間のためにもなるからでしょうか?

最近では、2019年9月の国連サミットでグレタ・トゥーンベリさんが激しいスピーチを行い、世界中で賛否両論の議論が巻き起こりました。彼女のスピーチの内容はともかく、環境問題について、私たちが当事者意識を持って考えなければならないことは間違いありません。

そこでこの記事では、

  • 環境倫理学の問題や歴史
  • 環境倫理学の代表的な議論

を詳しく説明します。

関心のあるところから読んでみてください。

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1章:環境倫理学とは

環境倫理学とは、自然環境保護について「なぜ」「どのように」「どこまで」行うべきなのか議論する応用倫理学の一分野です。

1章では、環境倫理が問題とするものや環境倫理学の歴史、環境倫理学が批判する「人間中心主義」について説明します。

1-1:環境倫理の問題

私たちの身近には、どのような環境問題が起こっているでしょうか?

2019年には、巨大な台風や記録的な大雨による被害が相次ぎ、気候変動の影響が日本でも明らかに出ていますよね。

あなたも、私たち人間が快適に暮らし続けるために「自然環境を大事にするべき」という意見には同意するのではないでしょうか?

自然環境について、日本の法律も「大事にしよう」と言っています。具体的には、「自然環境保護法」の第一条に以下のように書かれています。

第一条 この法律は、自然公園法(昭和三十二年法律第百六十一号)その他の自然環境の保全を目的とする法律と相まつて、自然環境を保全することが特に必要な区域等の生物の多様性の確保その他の自然環境の適正な保全を総合的に推進することにより、広く国民が自然環境の恵沢を享受するとともに、将来の国民にこれを継承できるようにし、もつて現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与することを目的とする。

引用:環境省HP:自然環境保護法

「自然環境保護法」は、生物の多様性の確保、自然環境の保全によって、

  • 国民が自然から恩恵を受けられる
  • 自然からの恩恵を将来に継承する
  • それらによって、健康で文化的な生活を確保する

ということを目的としていることが明記されています。

ここだけを読むと、自然保護をうたっている一方で、それは「国民のため」とされていることが分かります。

これは後に述べるように、「人間中心主義」の立場からの自然環境保護だと言えるでしょう。

1-2:環境倫理の歴史

日本で「自然環境保護法」が公布されたのは1972年です。では、そもそもいつから自然環境保護が議論されるようになったのでしょうか?

結論を言えば、環境倫理、つまり環境問題への指摘や人間の環境破壊への反省について議論されるようになったのは、1940年代ごろからです。

1949年、アメリカの生態学者アルド・レオポルドは『野生のうたが聞こえる』という著作を発表しました。

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この著作では、

  • 人間による自然の改変は、人間の生存のために必要なことではある
  • しかし、人間は自然を開発する権利を主張しつつも自然に配慮する義務を負わなかった
  • 人間のために自然を開発する以上、人間中心的な土地開発は倫理的に正しくない(土地倫理)

ということが主張されています。

レオポルドの主張は、その後の環境倫理の議論に大きな影響を与えました。

さらに、環境倫理の著作としておそらく世界で最も有名なのが、1962年にレイチェル・カーソンが発表した『沈黙の春』です。『沈黙の春』は、その後の環境問題の議論を活発にしました。

『沈黙の春』とは、DDT(農薬)による汚染、土壌や水質の汚染の生物への影響などを厳しく指摘した書籍です。

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1967年にはリン・ホワイト・Jrの「環境危機の歴史的起源」という論文が発表され、人間が自然を利用する態度はキリスト教的の教義による影響であると指摘されました。

さらに1968年には、アメリカの生物学者ギャレット・ハーディンが「コモンズの悲劇(共有地の悲劇)」(Tragedy of the Commons)という論文で、

  • 自分の農地なら牛が牧草を食べつくさないように調整する
  • しかし、共有地なら少しでも多くの牛を育てようと考え、多くの牛を放牧する
  • その結果、共有地は荒廃し、結果的にすべての人が被害を受ける

という議論をしました。

つまり、こうした個々人の利己的な行動が、地球環境を破壊していくのだと指摘したのです。

このように20世紀の半ばごろには環境倫理の議論が活発になり、これから紹介する非人間中心主義な権利論などの立場に展開していくことになりました。

現代の自然環境保護の運動や議論も、この大きな流れの中で生まれてきたものです。

1-3:環境倫理が問題とする人間中心主義

リン・ホワイト・Jrが「環境危機の歴史的起源」で主張したように、環境倫理学は近代以降の社会が持ってきた「人間中心主義」を批判します。

人間中心主義(anthropocentrism)とは、人間の利益や幸福のためなら、自然に対してどのような扱いをしても倫理的な問題がないと考える態度のことです。

人間中心主義は、ユダヤ教やキリスト教、古代ギリシャ哲学にその起源があります。これらの思想の中では、「神は人間に自然を支配する権利を与えた」「自然は人間のために存在する」と考えられました。

これらの宗教、哲学の影響を受けながら展開したヨーロッパ社会では、人間は自己の目的のために自然を利用し、改変しても問題ないと考えられたのです。

近代社会における自然環境の改変、破壊の根っこにこうした「人間中心主義」があったと考えられたため、それが環境倫理の論者から批判され、そこから環境倫理の議論が展開しました。

詳しい議論は2章で説明します。いったんここまでを整理します。

1章のまとめ
  • 環境倫理学は、1940年代ごろからはじまった自然環境への人間中心主義的な態度への批判から展開した分野
  • 人間中心主義とは、人間は特別だから自然を支配し、自己の目的のために改変しても構わないと考える姿勢
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2章:環境倫理学の議論

環境倫理学は、人間は特別で自然を改変しても問題ないと考えてきた「人間中心主義」を批判することからスタートしました。

それから、非人間中心主義が発展し、さらに「人間中心主義」「非人間中心主義」という対立にとどまらない議論も登場します。代表的な議論を紹介します。

2-1:自然の権利論(非人間中心主義)

人間中心主義への批判として、「自然には『内在的価値』があるため配慮、保護されるべき権利がある」と主張する自然の権利論の議論が起こりました。

人間は他者から自由な行動、選択を阻害されたり、生命や財産を奪われることがないように、法によって保護されています。たとえば、不当に他者に暴力を働いた場合は、法によって処罰されますよね。

それと同じように、土地や樹木、河川、海などの自然も、人間と同じように権利を持っているのだから、その権利を侵害してはならないのだ、というのが自然の権利論の主張です。

この立場から考えれば、汚染など明らかに自然にダメージを与えることはもちろんのこと、

  • 農地や宅地を作るための開拓
  • 防災のための土木工事
  • 資源開発

なども否定されることになります。

こうした権利論は、「動物にも人間と同じように権利が認められるべき」という動物倫理の議論から影響を受けて展開したものです。

動物倫理について、詳しくは以下の記事で説明しています。環境倫理、自然の権利論について理解するために知っておくことが大事です。

→【動物倫理】についてはこちら

2-1-1:アルネ・ネスの議論

ノルウェーの哲学者アルネ・ネス(Arne Næss/1912年~2009年)は、「ディープ・エコロジー(Deep ecology)」という概念を提唱しました。

ディープ・エコロジーとは、人間の利益を考慮せず自然の価値の保護を徹底する姿勢のことです。これに対し、それまでの中途半端な環境保護の姿勢を「シャローエコロジー(Shallow ecology)」と批判しました。

アルネ・ネスの主張は、

  • 自然には人間と同じ価値がある
  • 人間と同じ生命固有の価値があるのだから、それを人間が侵害することは許されない
  • 産業面の(企業レベルの)環境保全への自覚を超えて、個々人が環境保全の意識に目覚めるべき

というものでした。

アルネ・ネスの主張は、その後の環境倫理の議論に大きな影響を与えました。



2-1-2:クリストファー・ストーンの議論

アメリカの法哲学者クリストファー・ストーン(Christopher D. Stone)は、「樹木の当事者適格」という論文で、自然が持つ権利をより明確に定義しました。

「当事者適格」というのは、訴訟を提起できる権利のことです。つまり「樹木の当事者適格」というのは、樹木が訴訟を提起できる可能性について論じた論文なのです。

ストーンは、

  • これまで権利を持つ主体の対象は拡張されてきた(王から貴族、富裕層、労働者へ、男性から女性へというように)
  • この流れから、人間以外の存在である自然まで権利が拡張されることもあり得る
  • 人間の利益のために自然を保全するのではなく、自然が権利を持っているために、人間が自然の代わりに訴訟を提起して権利を主張することもできるはず

と主張しました。

かなりラディカルな主張にも見えますが、彼の主張は日本にも影響しました。

■アマミノクロウサギ処分取消請求事件

奄美の自然の権利の保全を主張するため、人間と共にアマミノクロウサギを原告として、奄美大島のゴルフ場開発の許可取り消しを訴えた事件がありました。

自然の権利は認められなかったものの、自然の権利を実際の訴訟主張し、環境倫理の視点を多くの人に知らしめたと言えるでしょう。

2-1-3:ポール・テイラーの生命中心主義

アメリカの倫理学者ポール・テイラー(Paul W. Taylor)は、「生命中心主義(life centerd theory)という立場を主張しました。

テイラーの生命中心主義とは、

  • 自然を含むすべての生命体は、人間の手段や利益に関係なく、それ自体として善いもので道徳的価値を持つ
  • したがって、そのような存在に対して、人間は道徳的に配慮する「一応の義務」を持つ
  • 人間は、すべての生命に対して「無危害」「非干渉」「忠実」「矯正的正義」という義務を持つ

という理論です。

これは、倫理学についてある程度学んだ方なら、規範倫理学における義務論の立場からの環境倫理の議論であることが分かると思います。

義務論とは、特定の義務に従った行為が道徳的に正しい行為であると考える理論です。詳しくは以下の記事で説明しています。

→【義務論】について詳しくはこちら

このように、環境倫理学の議論は、当初権利論や義務論のように抽象的、哲学的な領域で議論されました。



2-1-4:自然の権利論の問題点

環境倫理における自然の権利論には、以下のようにいくつかの問題点が考えられます。

  • 自然の権利論は、人間にとって利益になるからではなく、自然が固有の価値を持つからこそ権利を持ち得ると考えるが、その価値とは一体何なのか
  • ストーンは人間が自然の権利の代弁者となることを主張したが、なぜ人間が代弁できるのか、それは人間自身の価値に従った行動ではないのか

非人間中心主義は、人間中心主義に対して自然を中心に考え、自然の保全の責任を人間側に一方的に押し付ける形になってしまいます。

また、これほど厳しい立場では、世界の多数派から支持を得ることは難しいと思われます。

こうした立場に対して、ノートンの議論は人間中心主義の立場から環境保全を訴えるもので、現実的なものです。

2-2:ノートンの収束仮説

ブライアン・ノートン(Brian Norton)は、人間中心主義と非人間中心主義を対立的に配置するのではなく、新しい立場を取りました。

そもそも、それまでの環境倫理の議論は人間中心主義を批判してきましたが、それは環境破壊をいとわない人間中心主義への批判であったはずです。しかし、やがて「人間中心主義そのものへ」の批判に代わってきたことが問題点であるとノートンは考えました。

なぜなら、人間が人間中心に考えること自体は問題がないはずで、問題は「人間中心主義が結果的に環境破壊という行動に繋がっている点」にあるはずだからです。

人間中心主義それ自体が批判の対象になったことから、非人間中心主義のようなラディカルな議論が登場しましたが、ノートンはやや現実的な立場(環境プラグマティズム)から議論をはじめます。

それが「収束仮説」です。

収束仮説とは、人間たちがそれぞれ異なる価値観を持っていたとしても、自然環境に関する科学的知識を共有していれば、環境問題への対処法について一致できると考えるものです。

収束仮説の前提に立つことで、

  • 人間は、自分たちの行動・選択について、それが本当に正しいものか判断することができる(熟慮による選好)
  • こうした判断によって、自然環境を保護することができる

とノートンは主張します。

しかし、たとえば自然環境に関する科学や政策について対立があった場合は、共通の理解にいたることができない問題点もあります。



2-3:調和的自然主義

環境倫理学における議論は、おおまかには上記のように行われてきました。

それに対し、日本の哲学者である中村隆文は、『正しさの理由-「なぜそうすべきなのか?」を考えるための倫理学入門-』(2018)で「調和的自然主義」という立場も整理しています。

中村の『正しさの理由』の整理をもとに調和的自然主義について説明します。

調和的自然主義とは、「自然と調和して共に生きることこそが人間本来の在り方である」(前掲書,p.128)と考える立場のことです。

そもそもの問題として、環境を保護すべきというのは、人間にとって自然にできることではなく、意識して行わなければならない「義務」であると考えられます。そして、義務であるなら、それは人間にとってどういう意味を持つものなのか明らかにすべきです。

この問いに対して、調和的自然主義の立場から考えると、以下のようになります。

  • 欲望をコントロールできないと、環境を破壊してしまうような人間中心主義に陥る
  • 自己の欲望をコントロールせずにひたすら追求してしまう態度では、人間自身にとって幸福を実現することができないと考えられる
  • したがって、人間は自身の幸福のためにも「実践知(フロネーシス)」を持って自然に配慮して行動することが大事である

このように、自然の権利を直接論じるわけではなく、またノートンのようなプラグマティズムとも異なる、徳倫理学をベースにした議論が調和的自然主義の特徴です。

徳倫理学とは、倫理学において徳を持った人が行う行為が道徳的に正しい行為である、と考える立場のことです。

→【徳倫理学】について詳しくはこちら

このように環境倫理学ではさまざまな立場から議論がなされていますが、いまだ多くの課題を残したままです。

とはいえ、どの立場でも「人間だけが特別なのではない」「自然環境を大事にすること必要性は間違いなく存在する」という点では共通しています。

つまり、議論が分かれるのは「どこまで」「どのように」「なぜ」自然環境を守るべきなのか、という点です。

したがって、環境倫理について考える上で大事なのは、細かい最新の議論を追うことではありません。それよりも、これらの問いについて当事者意識を持って個々人が考え、議論することが大事なのです。

2章のまとめ
  • 非人間主義の立場は、自然は固有の価値を持つためそれを侵害することは許されない。そのため人間は環境保全の活動をするべきと主張。
  • ノートンは、非人間主義の立場は人間中心主義そのものを批判している点に問題がある。環境に関する知識が共有できれば、おのずと行うべき政策について合意できると主張。
  • 調和的自然主義は、徳倫理学的立場から、自然を破壊するほどの欲望追及的な態度では幸福になれない。「実践知」を持って環境と調和的に活動することが大事と主張。
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3章:環境倫理学の学び方・オススメ書籍

環境倫理学について理解を深めることはできましたか?

自然環境の問題はすべての人類にとって責任があるとともに、協力して行動しなければ何も変わらない難しい課題です。私たちが当事者意識を持って活動するためにも、これから紹介する本から知識を身に付けていくことが大事です。

オススメ書籍

オススメ度★★★加藤尚武(編)『環境と倫理-自然と人間の共生を求めて‐』(有斐閣)

環境倫理という分野について、初学者向けに網羅的に解説された本です。多くの議論や課題に触れられていますので、前提知識ゼロからでも十分な知識が身に付きます。

オススメ度★★加藤尚武(著)『新・環境倫理学のすすめ』(丸善)

上記と同じ著者による環境倫理学に関する書籍です。最新の議論までふまえられています。また、何が環境倫理における根本的な問題なのか明確ですので、上記の本と合わせてでも、こちら単体でも読むことをおすすめします。

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まとめ

この記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 環境倫理学とは、1940年代以降に展開した自然環境保護を支持する応用倫理学の分野のこと
  • 非人間中心主義とは、自然の持つ内在的価値を認め、自然の権利を人間が保護することを主張する立場
  • 収束仮説とは、環境に対する科学的知識を共有していれば価値観が対立していても、政策に合意できるという仮説
  • 認知的自然主義とは、徳倫理学の立場から自然と調和して生きる生き方を主張する立場

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