一般的に文系とは「人文社会科学系」学問のことで、理系とは「自然科学系(理工医学)」学問のことです。そして、文系と理系は「学問対象」や「研究手法」によって区別されます。
日本の教育制度では、中学や高校で早くも「文系」「理系」のどちらに進学するか意識させられ、選択させられるのが一般的です。しかし、実は何を持って「文系」「理系」を区別するのか、誰もが同意する基準があるわけではありません。
そのため、自分の興味や進学する上での選択を「文系」「理系」という軸に絞ってしまうのは、問題があります。
しかし一方で、「文系・理系という区別は日本特有のもので、意味がないもの」という議論もありますが、これもあまり正しくはありません。海外にも、近い分類があるからです。
そこでこの記事では、
- 文系・理系の一般的な定義、違いや海外の区別
- 現代社会における文系・理系の区別や教育制度との関係
- 文系・理系という区別が生まれた歴史
について詳しく解説します。
関心のあるところから読んでください。
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1章:文系・理系の違いとは
繰り返しになりますが、一般的な区別としては、
- 文系…人文社会科学系の学問
- 理系…自然科学系(もしくは理工医学系)の学問
とされています。
しかし実は、いわゆる文系と理系の区別は曖昧なものです。これから複数の区別を紹介します。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:日本学術振興会による文系・理系に関する区別
高校や大学では、理系は「数学や理科系の教科が得意な人が行くもの」、文系は「国語、英語、社会系教科が得意な人や、数学や理科系の教科が不得意な人が行くもの」という観念もあるかもしれません。
一般的な区別に従えば、文系・理系は人文社会科学系と自然科学系の学問の区別となりますので、参考となる区別の基準から説明します。
文部科学省の管轄である、学術研究の助成を中心とした活動を行う独立行政法人である「日本学術振興会」は、科学研究費助成のため、国内の学問を以下の4つに分類していました。
「総合系」「人文社会系」「理工系」「生物系」
※平成30年度からは別の区分になりましたが、平成29年度までの区分の方が分かりやすいのでここで紹介します。
「総合系」は文系、理系のくくりに入らない新しい学問の分類で、「人文社会系」がいわゆる文系、「理工系」「生物系」が理系と言えるでしょう。
より具体的には、以下のように学問が分類されています。
- 総合系
情報学、環境学、複合領域(デザイン学、生活学、地理学、科学教育、健康スポーツ、子ども学、脳科学など) - 人文社会系
総合人文社会(地域研究、ジェンダー、観光学)、人文学(哲学、芸術学、文学、言語学、史学、人文地理学、文化人類学)、社会科学(法学、政治学、経済学、経営学、社会学、心理学、教育学) - 理工系
総合理工(応用物理学、計算科学など)、数物系科学(数学、天文学、物理学、地球惑星科学、プラズマ科学)、化学(基礎化学、複合化学、材料化学)、工学(機械工学、電子工学、土木工学、建築学、材料工学など) - 生物系
総合生物(神経科学、実験動物学、ゲノム科学など)、生物学(生物化学、基礎生物学、人類学)、農学(生産環境農学、農業工学、動物生命科学など)、医歯薬学(薬学、基礎医学、内科系臨床医学、外科系臨床医学、歯学、看護学など)2参考:日本学術振興会「科学研究費助成事業 平成29年度系・分野・分科・細目表」最終閲覧日2020年2月25日
各学問が、文系・理系のそれぞれにどのように分類されるのかは、これを見れば明らかです。
「なぜこのように学問が分類されるの?」と疑問かもしれませんので、簡単に説明します。
1-2:自然科学・人文科学・社会科学の区別
上記の分類は、数ある学問分類の一つに過ぎませんが、学問の分類は一般的に言って「その学問が何を対象とした学問なのか」もしくは「どういう手段で行われる学問なのか」で分類されてきました。
話を単純にするために、「何を対象とするのか」という分類で説明しますが、
- 人間の社会活動が介入しない自然領域(自然現象、生物、医療など)を対象としている「理工系」「生物系」が自然科学であり、いわゆる「理系」学問
- それに対し、自然と区別される人間の活動そのものを対象とした学問領域が人文科学(人文学)と言われるもので、いわゆる「文系」の一部
- さらに人間活動の中でも、人間と「社会」をある程度区別し、社会そのものを研究対象とするのが社会科学で、いわゆる「文系」の一部
ということが言えます。
こうした学問対象の区別は、研究手法の区別とも強く関連しています。
自然科学系の学問は、人間の活動と一定以上独立した自然社会、生物などを対象としているため、一般的・普遍的な法則を作りやすいです。
たとえば、力学的な法則は地表のどこでも、同じ条件で実験すれば同じ結果が得られるはずです。
ゆえに、自然科学や工学の分野には、定量的な研究・数学的な手法を用いた研究が可能な領域が多いです。
一方、人文科学や社会科学の領域は、複雑で多様な人間の活動そのものが関わるため、自然科学のような一般的な法則化・理論化や定量的な分析、諸条件を整えた実験などが困難です。
たとえば、社会を対象にすると同じ条件をそろえて実験することは困難です(たとえば経済学の研究のために意図的に不況を起こすことはできません)。
また、同じ条件で起こる事象は存在しません(たとえば「明治維新」も「フランス革命」も二度と起こりません)。
ゆえに、定量的・数学的な手法だけで明快な答えを出すことができないことが多いです。
そのため、人文・社会科学の研究は、定量的・数学的手法と併せて、歴史的資料の分析やインタビューといったさまざまな手法を組み合わせて研究することが一般的です。
つまり、自然科学系の学問は数学的手法で一貫させられる分野が多いために「理系」、人文社会科学系の学問は、数学的手法で一貫させることが難しいために、「文系」と区別される、と分けて考えることも可能です。
もちろん自然科学系の分野でも、数学的手法が活用できない分野もあります。また、経済学や社会学の一部のように、社会科学系の分野の一部には数学的手法を積極的に用いる分野もあります。「文系」「理系」という区別は、あくまで大まかなものと考えてください。
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1-3:文系学問の価値と理系学問の価値
このように書くと、「数学的手法で明らかにできないということは、客観的に正しい答えが導き出せないのでは?」「客観的に正しい答えが出せない文系学問には、意味があるの?」と思われるかもしれません。
これは、「文系・理系学問のそれぞれの役割って何?」という問いにも置き換えられます。
こうした疑問に対し、著名な社会学者吉見俊哉は『「文系学部廃止」の衝撃』で以下のように整理しています。
- 理系(目的遂行型)・・・目的がすでに設定されていて、その目的を実現するために役に立つ(東京ー大阪間を最も速く行くにはどのような技術が必要か?)
- 文系(価値創造型)・・・その目的自体を支える価値観を再考したり、創造したりする実践(東京ー大阪間を最も速く行く「目的」は、そもそもなぜ必要なのか?)
理系は特定の目的に対して、合理的に最短で問題解決を目指す学問です。そのため、自然や生物の世界にある未知を明らかにすること、技術開発をすることなどは理系学問の強みです。
したがって、社会において短期的に役に立つのが理系的な「目的遂行型」学問の強みと言えます。
しかし、社会の目的や目的を決める価値観が変わったとき、合理的なアプローチは役に立たなくなります。そして、社会の目的や価値観が常に変化していくことは、歴史を見ることで明らかです。
したがって、既存の価値観を自明視せず、一定の距離を保ちながら批判していくことが必要なのです。そこから生まれる多元的な価値観こそが、文系の「役に立つ」強みなのです。
また、一般的に「文系学問は役に立たない」と言われることもありますが、吉見俊哉は同著で、下記のように主張しています。
- 「文系学問は役に立たない」と言われるが、それに対して「文系学問は役に立たないが、それ以外の価値がある」と擁護する声がある(たとえば、この人がやらないと誰も研究しない、といった説明)
- しかし、実際には「役に立たないが価値がある」のではなく「文系学問も役に立つ」が正しい
- 理系学問は、目的が明らかな社会において「短期的に役に立つ」
- それに対し、文系学問は目的や価値観のそもそもを明らかにするため、「長期的に役に立つ」のだ
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1-4:海外の文系・理系の区別
実は、海外でも文系・理系に近い区別があります。
代表的なものが、
- 人文社会学(Humanities and Social science=HSS)
- 理工医学(Science, Technology and Medicine=STEM)
という区別です。これを見ると、日本の文系・理系の区別とほぼ同じ違いとなっていることが分かると思います。
隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたか』によると、上記のような文系・理系の区別は、フランス語圏や英語圏で1960年代以降、使用頻度は増えているそうです3隠岐、前掲書72頁。
したがって、「文系・理系という区別は日本だけのもので、独特のものなのだ」という議論には問題があります。
海外の学問区分ということに関連した議論として、イノベーションを可能にする人材を育成するための「STEAM教育」も注目を浴びました。
「STEAM教育(ステム教育)」とは、
- S…Science(科学)
- T…Technology(技術)
- E…Engineering(工学)
- A…Art(芸術)
- M…Mathematics(数学)
という5つの分野を特に重視した教育手法のことです。
もともと「STEM」教育と言われ理系学問に特化した教育と考えられていました。しかし、イノベーションのためには芸術的感性も必要であることから、Art(芸術、もしくは人文学)も加えられたのです。
STEAM教育は、短期的に社会に役に立つこと(イノベーション人材の育成)を強調する側面もあり文系の視点から考えると、問題もあります。
ただし、海外にも国内にもあるこうした文系・理系学問の違いは、STEAM教育や学際領域の増加からも分かるように、その区別に当てはまらない領域も増えてきています。
したがって、文系・理系という区別にこだわらず、専門を深める中で自分なりに自分の専門を位置づけていく力が必要になります。
ここでは蛇足的ですが、そのような自分の専門を相対的に位置づける力が、リベラルアーツ・教養と言われる学習であるとも言えます。
では、そもそもなぜ「文系=人文社会科学」と「理系=自然科学・理工医系」の学問は区別されるようになったのでしょうか?このような区別は、歴史上どの時点でなされたのでしょうか?文系より理系を重視する風潮は、いつからあるのでしょうか?
こうした疑問を答えるには、学問の歴史を見ていくことが大事です。
2章では文系・理系の違いが生まれた歴史を解説しますので、まずはここまでをいったんまとめます。
- 一般的には、文系とは人文社会科学系学問で、理系とは理工医学系の学問
- 理工医学系の学問は数学的手法で一貫させやすく、一般的法則を作りやすいが、文系の学問は数学的手法で一貫できず、一般的法則を作りにくい
- 理系は目的遂行型、文系は価値重創造型
2章:文系・理系の成立の歴史
そもそも、学問は長い間、「文系」「理系」の区別はなされずに発展してきました。
とはいえ、歴史の流れの中で重視された学問分野には偏りがありましたので、学問の歴史を振り返りながら「文系」「理系」という区分がどのように生まれたのか解説していきます。
2-1:古代~中世初期の学問の区別
古代から中世初期(ルネサンス以前)までは、学問は一体として研究され、特に哲学的分野が重視されていました。一方で、技術的・職業的分野は軽視される伝統もありました。
2-1-1:古代ギリシャにおける学問区分
そもそも、学問が誕生したのは古代ギリシャであったことは周知のとおりです。
端的に言えば、古代ギリシャにおける哲学的知見を前提に、ソクラテスープラトンーアリストテレスの系譜で哲学が体系化されました。そして、体系化された学問はその後個別に分化していき、各学問分野になっていったのです。
この古代ギリシャにおいて、実はすでに学問分野に区別が成されていました。
大まかに言えば、「職人らが学ぶ技術的、職業的な知識」と「生産活動から解放された市民が学ぶ、リベラルアーツ『パイデイア(paideia)』」とが区別されていたのです4安酸敏眞『人文学概論 増補改訂版』33頁など。
古代ギリシャは奴隷制によって支えられ、生産活動から解放された「市民」が政治や文化、学問をする社会でした。そのため、こうしたエリート階層である「市民」が学ぶ共通知識が、職業的・技術的知識と区別されたのです。
ただし、技術的知識と区別された学問領域の中では、文系・理系という区分はありませんでした。
古代ギリシャの学者(哲学者)は、基本的には素朴に自然を見て論じた自然哲学や、人間自身や国家について論じた哲学などを、区別せず一体として研究していました。つまり、○○学者という人はおらず、みながただ「学者(哲学者)」だったのです。
ただし、こうした素朴な学問は時代の発展と共に少しずつ専門分化され、区別されていきます。
2-1-2:初期中世における学問区分
古代ギリシャ時代学問の発展は頂点を極め、ローマの時代には実学的な知識(ローマ法や国の制度)が社会で必要とされ、その後ヨーロッパの学問は衰退していきました。
ヨーロッパで学問が再び発展するのは、12世紀ごろからです。12世紀、ヨーロッパでは、
- 十字軍の遠征に伴う人の移動の増大、商業の発達、イスラムに保存された古代ギリシャの学問の逆輸入
- 権力からある程度独立した自治都市の発展
- ヨーロッパ社会におけるカトリック教会の社会的、文化的な影響の増大
といった出来事から教師と生徒の組合的組織として、大学が誕生しました。
大学の歴史について詳しくは下記の記事で解説しています。
大学の誕生と同時に、大学の中では学ばれる学問分野の区分が生まれていきました。
■初期の大学の学部
- 上級学部:神学、医学、法学
- 下級学部:文法、修辞学、論理学の「三学(trivium)」と算術、幾何学、天文学、音楽の「四科(quadrivium)」
「下級学部」の内容が、「自由七科(seven liberal arts)」と言われました。これはリベラルアーツという教養教育の起源です。
上級学部で学ばれたのは、神学、医学、法学といった職業と結びついた知識だったのですが、下級学部では主に言葉に関する学問と、数学に関する学問が学ばれました。
現在より学問分野は少ないですが、大まかには文系的なもの、理系的なものが分けて学ばれていたことが分かります。とはいえ、この時代はまだ学問は一体として学ばれ、研究される伝統がありました。
特に古代ギリシャの哲学はアリストテレスの論理学によって体系化されていたため、中世でもアリストテレスの学が非常に重視されるようになります。
中世は、アリストテレスの学を中心とした学問が、キリスト教と強く結びついて学ばれ「スコラ哲学」と言われました。
ここまでを整理すると、
- 古代ギリシャにおける学問分類は、職業的・技術的なものと、言語や数学に関するリベラルアーツだった
- 中世では古代ギリシャの学問分類が継承され、キリスト教と結びつき知的エリートの共通知識として学ばれた
- 文系的学問と理系的学問は、分化していたとはいいがたい
というものだったと言えます。
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2-2:ルネサンス期に生まれた文系・理系の学問
文系的学問、理系的学問という区別がはっきり生まれ出すのが、15世紀以降のルネサンスと言われる時代です。
ルネサンスとは、キリスト教的な世界観から脱し古典古代の文化(ギリシャ・ローマの文化)を復興させようとする、芸術、学問を中心とした運動です。
まず、ルネサンスの思想的特徴から人文学が生まれました。
ルネサンスは芸術分野でも大きな変化を起こしました。詳しくは下記の記事をご覧ください。
2-2-1:人文学の成立
ルネサンスは「人文主義」という思想的特徴を持っていました。
ルネサンス期の人文主義とは、
- キリスト教的な世界観に対する人間中心主義
- 抽象的な神学、スコラ哲学やそのベースにあったアリストテレス学への反発
- 人間性育成のための実践的知識の重視
という特徴を持つものです。
そして、「自由七科」の中でも「三学(文法、修辞学、論理学)」を重視し、しかも抽象的な学問より実践的な知識を重視しました。
学問分類は、大きく「自然科学」「社会科学」「人文学(人文科学)」に分けられますが、その一つである「人文学」はこの時代に明確に立ち現れたのです(ただし、人文学の源はこの時期にあったのですが、人文学が一つの学問として意識されるようになるのは、19世紀ごろからです)。
具体的には、
- 文献学…ルネサンス期の人文主義者は古代の文献を読み比べる中で、正確な翻訳や考証を研究するようになり、文献学という人文学の中核的な学問が発展
- 歴史学…歴史の交渉と共に、過去の歴史を研究し正しく整理、記録しようとする歴史学が発展
といった学問が発展しました。
また、印刷技術の革命によって出版による知識の世界が発展し、自由に言論活動をする人々が生まれ、啓蒙思想が生まれました。
こうして生まれたルネサンスの人文学的伝統は、その中からやがて「社会」について専門的に考える分野を独立させ、「人文学」と「社会科学」に分化していったと説明できます。
人文学がどのような学問なのか知る上で、下記の本はとてもおすすめです。ぜひ読んでみてください。
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2-2-2:社会科学の誕生
この時期に人文学という領域が生まれたのは、当時の人々がようやく、社会を「神が作った秩序」としてみなすのではなく、人間が作ったものとしてみなすように変わっていったからです。
そのような社会に対する認識の変化から、社会科学的な領域が発達しました。
■政治学の成立
まず発達したのは、政治学的領域です。
ここでは要点のみ絞って紹介しますが、フーゴ―・グロティウス(1583年-1645年)は
世界には「自然法」という神にも変更できない法が存在する、という自然法思想を展開しました。
また、トマス・ホッブズ(1588年-1679年)、ジョン・ロック(1632年-1704年)、ジャン・ジャック・ルソー(1712年-1778年)らは社会契約思想を形成しました。
社会契約思想とは、君主が神から権力を付与されたとする「王権神授説」に対して、君主の権力は社会を構成するメンバーらによる「契約」によるものなのだ、と主張したものです。
こうして16世紀、17世紀ごろからようやく社会の秩序や権力について、神の力ではなく個人の存在から論じることができるようになったのです。
■経済学の成立
現代では社会科学の中でも中心的な学問である経済学ですが、成立したのは意外と遅く18世紀後半です。
経済学の誕生を簡単に説明すると、
- 16世紀から18世紀ごろ、イギリスでは「貿易を通じた貴金属の蓄積こそ国家の繁栄である」という重商主義が経済思想だった
- それに対し、重商主義は間違った思想であり、農業の振興が経済にプラスになるし、そのために国家は経済活動を自由にしなければならないとする「重農主義」が18世紀後半に成立
- 重農主義の影響を受け、自由な市場を重視するアダム・スミスの経済思想が誕生した(『国富論』は1776年に出版)
というものでした。ここで重要なのが、経済学は自然を合理的に説明する自然科学の影響を受けていたという点です。
重農主義、重商主義、スミスの『国富論』について詳しくはそれぞれ下記の記事で説明しています。
こうしてこの時代、政治学や経済学という社会科学の中心的な学問が発展していったのでした。
また、隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたか』によると、「社会科学」という区分もこの18世紀後半ごろに誕生したと言います。この時代の社会科学はより多様な学問内容を指したようですが、この時代は社会に関する学問が、他の学問と少しずつ区別されて成立していった時代だと言えるでしょう5隠岐さや香、前掲書50頁。
つまり、ルネサンスから18世紀ごろにかけて、一体としての学問の研究から、徐々に「人文学」が、そして「社会科学」が成立し、他の学問と区別されるようになったようです。
さらにヨーロッパ社会では相次ぐ市民革命や産業革命といった社会の大変革を経験する中で、社会学や心理学、人類学などその他の社会科学系学問も成立していきました。
2-2-2:自然科学の成立
ルネサンス期の16世紀から17世紀ごろ、自然科学も発展し、いわゆる「理系」の分野も、専門化が進みました。
それは主に、以下のような出来事が起こったからです。
- 職人的技術や伝統に興味を持ち、彼らの仕事を研究する知識人(ガリレオ、ニュートンなど)が登場(中山茂『パラダイムと科学革命の歴史』125頁)
- 16世紀以降、コペルニクスの地動説やガリレオの天文学的発見などが起こった
- この時代、ようやく自然は数学によって解明できる、という観念が広まった
こうして、アリストテレスの学問をベースとしたスコラ哲学とは異なる、理系的な学問が展開していくことになったのです。
ここで注意が必要なのは、こういった自然科学系分野は当初、大学で研究されていたわけではないということです。
- 大学はまだスコラ哲学を学ぶ場であった
- 観察や実験を伴う自然科学の研究は職人的領域で、大学とは関係がないものと考えられた
などの事情から、自然科学は大学の外である私的な研究会のような場で発達し、研究の場として「アカデミー(学会)」が発達したのです。
ちなみに、
- フランスの「アカデミー・フランセーズ」(1635年設立)
- ロンドンの「ロイヤル・ソサエティ」(1662年設立)
- フランスの「パリ王立アカデミー」(1666年設立)
がこの時代に生まれ、様々な学会のモデルになりました。
また、グーテンベルグ以降の出版革命によって、それより圧倒的に安価かつ手軽に印刷物を流通させることができるようになりました。したがって、生み出された知識は雑誌として共有されるようになり、学会誌や雑誌論文もこのころに生まれました。
アカデミーにおける研究も、当初は自然科学とその他の学問が混在していましたが、徐々に専門化されていきます。
このころ設立された学会では、ロイヤル・ソサエティに所属したニュートンをはじめとして著名な自然科学者が属しており、自然科学の専門化を進めました。
ただし、ルネサンスが中世的なカトリック教会の支配を打ち出す思想的特徴を持っていたとは言え、自然科学的な研究も、現代的な「科学」とは異なるものでした。なぜなら、自然科学は「神が作った自然を正確に理解すること」を目的に、研究された側面があったためです。
つまり、科学や宗教の影響から完全に独立していたわけではないのです。
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2-2-3:工学の発展
現代の理系の学問には、自然科学と工学が含まれます(医学にはまた深い歴史があるため、この記事では触れません)。端的に言えば、「理系」の学問の歴史の中で、ルネサンス期に最初に発達したのは自然科学で、その後に工学が発展しました。
自然科学は、前述の経緯で少しずつ大学の外で研究され、学会という組織になり、さらに国家権力を結びついて影響力を持つようになりました。
しかし、工学のような「技術」の領域は、前述したように職人的領域と考えられ、学問としての研究は遅れたのです。
工学的な領域は、
- 産業革命の中心となったイギリスにおいてまず「土木技術協会」が誕生(1771年)
- 学会が衰退したフランスにおいて、公共事業や軍事技術のための人材を育成する「エコールポリテクニーク」という学校が誕生(1794年設立、95年改称)
といった形で18世紀末になってようやく制度化していきました。
こうして、産業革命や権力の中央集権化に伴い、国家が技術者の育成を求めるようになったことで、ようやく工学という領域が学問として発達するようになったのでした。
文系的な学問と理系的な学問は、ルネサンスを一つのきっかけとして分化を深め、専門的に研究されるようになったのです。
こうした経緯から専門分化していった学問は、やがて資本主義社会が発展・拡大し、社会における産業技術の役割が大きくなるにつれて、実用的な分野が重視されるようになり、非実用的な分野は軽視されがちになっていきます。
特に現代の日本においては、その傾向が大きいです。
「文系」「理系」を論じる議論には、「文系の役割とは?」「実用的な学問を学ぶべきでは?」という意見がつきものですが、その前提としてこうした歴史があったことを頭に入れておくことが大事です。
文系・理系の歴史をまとめます。
- 学問が分化していくきっかけとなったのはルネサンス
- ルネサンス期に、古代の文献を研究するために文献学、歴史学といった人文学の領域が発達
- 社会の成り立ちを宗教からではなく、人間中心に考え始め、政治学が誕生し、産業革命と共に経済学が生まれ、社会科学的領域が発展
- ルネサンス期、主に大学の外のアカデミーなどで自然科学の研究が進み、自然科学的領域も発展
- 学問として学ばれることが遅れた工学は、18世紀後半以降になって権力側から制度化され、技術者育成の場となった
3章:文系・理系の違いが分かるおすすめ本
文系・理系の違いや意義、歴史について理解を深めることができたでしょうか。
文系・理系をめぐる論点にはさまざまなものがあり、学者たちもさまざまな議論をしています。そのため、より深く学ぶためにこれから紹介する本をぜひ読んでみてください。
隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』(星海社)
この本は文系と理系の違いや歴史について分かりやすくまとまっており、また産業やジェンダーなど文系、理系に関わる様々なテーマを解説しています。文系、理系についてより深く学びたいなら必読です。
吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書)
社会学者の吉見俊哉が、2015年に起こった「文系学部廃止」の報道や議論を軸に、現代における文系学問の意義やリベラルアーツ、教養といった教育について、分かりやすく論じた本です。現代における議論が良くわかるはずです。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 文系は人文社会科学系の学問で、理系は理工医学系の学問
- 文系は数学的手法を一貫させにくく、理系は数学的手法を一貫させやすい
- 人文社会科学系の学問は、ルネサンス期の人文主義を大きなきっかけに発展
- 自然科学系の学問も、ルネサンスをきっかけに発展し、さらに産業革命の影響から技術的学問は工学として発展
- 資本主義社会の拡大や社会における産業技術の発展から、実用的学問がより重視されるようになっている
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