アボリジニ(Aborigine)とは、オーストラリア大陸における先住民を指します。現在のオーストラリアでは「アボリジニ」が差別的であるとして、公文書などは使用されてなくなってきています。研究者は「アボリジナルズ」という表記を選ぶ人も多いです。
アボリジニに関する知識や情報においては、「自然とともに暮らす先住民」というイメージが強調されがちなのかもしれません。
しかし、アボリジニは極めて多様な集団であり、一枚岩的に理解することは大変危険です。
そこで、この記事では、
- アボリジニの文化・アート・ブーメラン・楽器・言語
- アボリジニの歴史・現在
をわかりやすく解説していきます。
あなたの関心に沿って読み進めてください。
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1章:アボリジニとは
まず、1章ではアボリジニを「文化」「アート」「ブーメラン」「楽器」「言語」から概観します。
2章ではアボリジニの「歴史」と「現在」を紹介しますので、読みたい箇所から読み進めてください。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1: アボリジニの文化
さて、アボリジニにはどのような文化的特徴があるかご存じですか?もっとも有名で特徴的なのは「ドリーミング」です。
簡潔にいえば、ドリーミングとは、
- アボリジニの世界観を表す、神話に基づいた概念である
- 具体的に、創世時代における先祖の精霊の行為を意味する言葉で、先祖が創造した土地と、動植物や人間のつながりが表されている
ものです。
たとえば、あるアボリジニがカンガルーをドリーミングだという場合、以下の3つの意味が付与されています。
- 神話に登場する精霊が創造した人であり動物でもあるカンガルーの精霊を意味する
- その精霊の永遠の生命と力を継承する自分自身を意味する
- 人とともに同じ土地で同じ時間を生きるカンガルーを意味する
そのため、カンガルーの絵が描かれた場合、それは先祖の土地とその力を象徴するものとして捉える必要があるのです。
このようにみると、ドリーミングが神話に基礎を置いているといっても、アボリジニの哲学や世界観を表す生きた現実そのものだということがわかるはずです。
他にも、トーテムや食文化、文化にまつわる問題を以下の記事で解説していますので、ぜひ参照ください。
1-2: アボリジニの楽器
さて、アボリジニを知ったきっかけに楽器、特にディジュリドゥー(Didjeridu)を挙げる人が多いかもしれません。
後に紹介しますがアボリジニに共通言語はありまあせんから、この楽器の全国共通の呼称はありません。
そのため、土地によって以下のような異なる呼称があります。
- アーネムランド東部のヨロング(Yolongu)・・・イダキ(Yidaki)
- 中央部のジナン(Djinang)・・・ウインバル(Wuyimbal)
「それじゃ、なぜ「ディジュリドゥー」と呼ばれるの?」と思う方もいるかもしれません。
それは、ディジュリドゥーという名称はこの楽器の音の響きに由来した英語で、当時のヨーロッパ人にはそのように聞こえていたからです。
そして、構造に関していえば、以下のような特徴があります。
- アーネムランドユーカリの仲間であるストリンギーバーク (Eucalyptus tetradonta)が素材である
- シロアリによって中空になった幹が、ほとんどそのまま使用される
- リードがないため、吹き口に蜜蝋を塗られる
- 長さ1メールから1.5メートル、直径5センチ、中を直径3センチほどのパイプ状の吹奏楽器
とてもシンプルな構造だとわかると思います。(→ディジュリドゥーに関してより詳しくはこちら)
その他の楽器として、トレス海峡から伝播した太鼓がありましたが、それは極めて限られた地域おいてのみ使用されていました。
そのため、太鼓を除けば、
- 乾燥した木の実や貝殻でつくるマラカス様の楽器
- リズム楽器としての拍子木(しばしば、ブーメランで代用される)
しか存在しなかったそうです2松山利夫 2016「ディジュリドゥ : アボリジナル楽器の世界化への軌跡」『平安女学院大学研究年報』(16): 1-7頁を参照。
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1-3: アボリジニのブーメラン
ディジュリドゥー以外では、「ブーメラン」からアボリジニを知った方が多いのではないでしょうか?
まず、アボリジニのブーメランには、
- 「く」の字型のリターンタイプ(狩猟用具)
- 「7」の字型のノンリターンタイプ(狩猟用具)
- さまざまな形状の儀礼用
の3種類があります。
それぞれの特徴は次の記事で詳しく解説したので繰り返しませんが、重要なのは「く」の字型のブーメランはごく一部の地域で使われていたにすぎないことです。(→それぞれの特徴はこちら)
具体的に、
- オーストラリア大陸の東部、東南部、西南部の非常に狭い地域でのみ、「く」の字型のブーメランは使用されていた
- 他の地域にもブーメランは存在したが、それらの地域ではノンリターン・ブーメランしかない。しかも、殴打用の武器として主に使用されていた
に過ぎません。
ブーメランの投げ方から詳細な記述に関心のある方は、中野の『アボリジニーの国』(中公新書)がおすすめです。
1-4: アボリジニのアート
そして、アボリジニは非常に魅力的な芸術作品を生み出しています。基本的に、アボリジニのアートには、辺境地域における先住民による伝統的な絵画から、都市部における現代的なアートまで幅広いものが存在します。
アボリジニのアートの歴史を簡単に振り返ると、
- 当初は「プリミティブアート」または「民族資料」として西洋社会に収集されるものでしかなかった
- しかし1980年以降は、辺境と都市のアボリジニアートは芸術としてアボリジニアートが世界的に評価されている
といえます。
世界的に評価される背景には、1970年代以降、オーストラリア政府がアートを通じたアボリジニの社会経済的な平等に乗り出したことがあります。
具体的に、
- 1971年・・・「アボリジニアート・クラフト会社(Aboriginal Arts and Crafts Pty Ltd)」
- 1973年・・・「アボリジニアート委員会(Aboriginal Arts Board)」
といった組織が中心的な役割を担って、アボリジ二の作品を世界に広めていきました。
特に、アボリジニアート委員会は「制作の活性化と流通」と「国内外の市場拡大」に大きく貢献したことが研究から明らかなになっています。(たとえば、窪田 2014「アボリジニの困難と現代アボリジニアートの希望」『オーストラリア先住民と日本』(御茶ノ水書房)など)
日本でも大変人気があるアボリジニアートがいかに「芸術」として評価されていったのかは、次の記事で解説していますのでぜひ参照ください。
→【アボリジニアートとは】都市・辺境におけるアートの歴史や政策を解説
1-5: アボリジニの言語
言語の観点からいえば、アボリジニの言語は次の大きく二つに分類されます。
- 大陸の大部分におけるパマ・ニュンガン語群
- 北西部のアーネムランドとキンバリー地方における非パマ・ニュンガン語群
これだけではわかかりにくと思いますので、以下の図を確認してみてください。
(藤川(編)『オーストラリアの歴史』有斐閣, 18頁より引用)
この図から大陸の大部分がパマ・ニュンガン語群で占められており、北西部の一部の地域で異なる言語が使用されることがわかると思います。
さらに、ここから語派によって詳細な分類が可能です(→詳しくはこちら)。言語の一覧表を覚える必要はありませんが、アボリジニは驚くべき言語的多様性があることを感じてみてください。
また、白人入植時は500ほどの言語グループに分かれていたアボリジニですが、悲劇的な歴史の結果、多くの言語が消滅しています。
- アボリジニ文化の本質はドリーミング
- アボリジニの楽器はディジュリドゥーが有名
- アボリジニといえば、ブーメランと思い浮かべる人も多い
- アボリジニのアートは辺境地と都市で異なる傾向がある
- アボリジニの言語には、驚くべき多様性がある
2章:アボリジニの歴史と現在
では一体、アボリジニはどのような歴史をもち、現在どうような生活をしてる人々なのでしょうか?それぞれ解説していきます。
2-1: アボリジニの歴史
アボリジニの歴史を振り返る上で、やはり無視できないのは「植民地主義の歴史」です。
植民地主義の歴史をすべて語ることはできませんので、アボリジニに対して実施された政策の観点から歴史を概観していきましょう。
その前に、白人入植以前のアボリジニ社会の特徴に触れましょう。簡単にまとめると以下のようになります。
- オーストラリアがニューギニア島と陸続きだった時期に、アジアから入ってきた人々がアボリジニであると想定されている
- 考古学的研究によると、アボリジニの起源は4万年前とも5万年前ともいわれている
- 白人入植当時の人口は約30万人〜100万人(決定的な判断は困難)で、500ほどの言語グループに分かれていた
- 親族を基盤とした集団を形成し、狩猟採集しながら生活を営んでいた
アボリジニがこのような生活を営んでいた大陸に、ヨーロッパ人の探検家がやってくるのは16世紀半ばからです。
ヨーロッパ人探検家による開拓史は省略しますが、イギリスによる植民地化は同時に、アボリジニの悲劇の歴史が始まったことを意味していました。
入植時期には地域差があるため一概には言えませんが、アボリジ二への政策は大きく次の3つ過程に分類することができます。
- 保護と隔離(1860年代〜1920年代)・・・「混血」と「純血」のアボリジニを分離して、混血のアボリジニを白人社会に吸収し、先住民を生物学的に抹消しようとするもの
- 同化と統合(1930年代〜1960年代)・・・アボリジニの生活環境を白人市民と近づけることを目的として積極的な介入をした政策。有名な政策として、親から子どもを強制的に引き離す政策がある。この政策によって成長した世代は、「盗まれた世代」といわれる
- 自己決定(1970年代〜)・・・主流社会の政治制度の下で先住民が政策決定過程に参加することが認められて、極めて限定的なかたちで、アボリジニの自治が可能になった
入植者による虐殺の結果、白人入植当時最大100万人といわれたアボリジニの人口は、20世紀初頭までに約9万人と激減しました。
被害は人口減だけでなく、「入植」という行為自体にもありました。「入植」は「無主の土地(terra nullius)」(先住民の土地所有を認めないこと)を前提としており、土地との強い絆をもつアボリジニの精神世界も奪われていったのです。
ここで提示した歴史は極めて限定的ですので、より詳しくは次の記事を参照ください。
2-2: アボリジニの現在
このようにみると、
「伝統的な生活をするアボリジニはもう存在しないの?」
と思う方もいるかもしれません。
たしかに、植民地以前の自然共同体を「伝統的」というならば、そのようなアボリジニはもういないかもしれません。
しかし、大事なのは本質主義的な先住民像を想定しないことです。なぜならば、本質主義的に先住民を想定していると、「現在アボリジニはいない」という結論に帰着してしまうからです。(本質主義的とは「太古から続く生活を現在でも営む先住民像」を意味する→本質主義に関して詳しくはこちら)
ここで、現在のアボリジニの「人口」と「都市における生活」を紹介します。
2-2-1: アボリジニの人口
まず、オーストラリアにおいてアボリジニは現在どの程度いるのでしょうか?オーストラリア統計局が2016年に実施した調査から紹介していきます3「Estimates of Aboriginal and Torres Strait Islander Australians, June 2016」https://www.abs.gov.au/ausstats/abs@.nsf/mf/3238.0.55.001(最終閲覧日2020/2/5))。
まず、オーストラリア統計局によると、
- オーストラリアの先住民(アボリジニとトレス海峡諸島人)は798,400人で、オーストラリア全人口の3.3%にあたる
- 2011年の調査における先住民人口は669,900人だったので、5年の間に19%上昇したことになる
といった結果がでています。
ちなみに、先住民のうちの91%がアボリジニのみ、5%がトレス海峡諸島人のみ、残りの4%が両者を含むルーツをもつと回答しています。
年齢別でみると、先住民は非先住民に比べて若年中心であることや平均寿命が短いことがわかります。
また、先住民の平均年齢は23歳である一方で、非先住民の平均年齢は37.8歳であることが統計局の調査では示されています。
2-2-2: 都市における生活
では一体、アボリジニはどこでどのような生活をしているのでしょうか?
結論からいえば、現在オーストラリアにおいて先住民の70%は開発の進んだ都市で暮らしています。それは仕事、教育、医療等の理由で都市が先住民を引きつけてきたからです。
都市におけるアボリジニの特徴としては、
- 混血が進み英語しか話さない人も多い
- 生活様式はイギリス系の人々と変わらない
- そのため、彼らは「本物のアボリジニ」ではないなどの差別経験を受けてきた
といったことが挙げられます。
そのような都市における差別の経験は、さまざまな活動に影響を与えました。たとえば、都市におけるアボリジニのアートには、以下のような特徴があります。
- 辺境のアボリジニとの決定的な違いとして、主流社会の人々と同様に、美術学校において高等教育を受けることができた
- つまり、都市のアボリジニは西洋社会でのアートを学ぶことで、その技法から独自の現代的なアボリジニアートを生み出していった
このようなダイナミズムから生み出される新たなアボリジニの形態こそが、都市のアボリジニの特徴でしょう(→アボリジニアートに関して詳しくはこちら)。
『地球の歩き方』などの観光ブックではアボリジニの記述が北部などの辺境地に偏りがちですが、都市におけるダイナミズムを無視してアボリジニを語ることができないのは明らかです。
いずれにせよ、本質主義的にではなく、主流社会との関係からダイナミックに21世紀の先住民のあり方を想像していくことが大事だとわかると思います。
- アボリジニの歴史において「植民地主義」が社会変化の契機となっている
- 21世紀において、本質主義的な先住民を想定しないことが大事
3章:アボリジニを学ぶためのおすすめ本
アボリジニの概観をつかむことはできましたか?
今回はアボリジニという先住民を概観しました。最後に、参照した本を含めてアボリジニを深く理解する参考書物を紹介します。
青山晴美『アボリジニで読むオーストラリア』(明石書店)
この書物では非常にわかりやすくアボリジニ文化・社会が紹介されています。「です・ます調」で解説されるため、初学者にもとても読みやすい書物です。
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山内由理子(編)『オーストラリア先住民と日本』(御茶の水書房)
オーストラリア先住民に関する多様な情報だけでなく、日本人が研究することの意義を学ぶことができます。こちらも初学者向けです。
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藤川降男(編)『オーストラリアの歴史』(有斐閣)
オーストラリア史が簡潔にまとめられた書物です。アボリジニアートを深く理解するには、オーストラリア史の前提知識が必要ですから、この書物から学んでみてください。
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一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
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などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。
まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- アボリジニ(Aborigine)とは、オーストラリア大陸における先住民を指す
- アボリジニを「文化」「アート」「ブーメラン」「楽器」「言語」から概観すると、特徴的な世界観や多様性を垣間見ることができる
- アボリジニの歴史において、植民地主義による断絶があるが、21世紀において、本質主義的な先住民を想定しないことが大事である
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