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【アボリジニの歴史とは】アボリジニに対する政策や差別を簡単に解説

アボリジニの歴史とは

アボリジニの歴史はイギリス人入植者による虐殺や伝染病による人口減少、対先住民政策をとおした同化や統合、先住民主権を回復するための社会運動などに特徴づけられます。

あなたがオーストラリアという国家に対して抱くイメージはどのようなものでしょうか?個々人によって多様なイメージがあると思いますが、「アボリジニ」を忘れるべきではないでしょう。

それはアボリジニこそがオーストラリアにおける「先住の民」だからです。歴史の勝者によって書かれる歴史だけでなく、歴史の隅に追いやられた人々の視点からみた歴史にもぜひ触れてください。

そこで、この記事では、

  • ヨーロッパ人接触以前と以後
  • アボリジニに対する政策の歴史
  • アボリジニに対する差別ロジック

をそれぞれ解説していきます。

あなたの関心のある箇所から読み進めてください。

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1章:アボリジニの歴史とは

まず1章では、アボリジニの歴史を簡潔に概観します。「歴史的な差別がなぜ起きたのか?」という疑問に関心のある方は、2章から読み進めてください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1: ヨーロッパ人接触以前と以後

オーストラリアはイギリス人入植者が中心となって形成された近代国家ですが、イギリス人が入植するはるか前から「アボリジニ(Aborigine)」が住んでいました。

簡潔にいえば、ヨーロッパ人接触以前のアボリジニは次のような歴史と社会の特徴がありました。

  • オーストラリアがニューギニア島と陸続きだった時期に、アジアから入ってきたと想定されている
  • 考古学的研究によると、アボリジニの起源は4万年前とも5万年前ともいわれている
  • 白人入植当時の人口は約30万人〜100万人(決定的な判断は困難)で、500ほどの言語グループに分かれていた
  • 親族を基盤とした集団を形成し、狩猟採集しながら生活を営んでいた

アボリジニがこのような生活を営んでいた大陸に、ヨーロッパ人の探検家がやってくるのは16世紀半ばからです。

ここでは個別のヨーロッパ人探検家による開拓史は省略しますが、

  • ポルトガル人やオランダ人にとって、オーストラリアは「不毛な土地」と捉えられたこと
  • 「フランスとの覇権争い」と「1776年のアメリカ独立」という国際情勢が、イギリスのオーストラリア植民地化へと加速させたこと
  • 1788年にイギリス人のアー サー・フィリップ(Arthur Phillip)初代総督によって、大陸東部全土の領有が宣言されたこと

を覚えておいてください。

このような歴史的経緯を経て、イギリスによるオーストラリアの植民地化がなされました。イギリスによる植民地化は同時に、アボリジニの悲劇の歴史が始まったことを意味していました。



1-2: アボリジニの歴史:政策を中心に

ここでは、オーストラリア研究の鎌田真弓による「国家と先住民−権利回復のプロセス」で概観されたアボリジニの歴史を中心に紹介していきます2山内(編)『オーストラリア先住民と日本』(御茶ノ水書房)の第1章

詳しい内容を知りたい方は、ぜひ手に取ってみてください。

鎌田が指摘するように、アボリジニに対する政策に関して注意してほしい点は、

  • アボリジニを管理下におく目的の先住民政策は、アジア系などに対する移民政策とは質が異なること
  • 1967年の憲法改正まで、先住民政策の立法権は州政府にあったこと
  • アボリジニと入植者が接触する時期は地域差があるため、より詳細に知るためには各州における政策を学ぶ必要があること

です。

これらの制限がありますが、以下の内容からアボリジニの歴史の全体像をつかめるはずです。

1-2-1: 保護と隔離(1860年代〜1920年代)

まず、アボリジニに対する植民地政府の政策は「保護」「隔離」というキーワードから説明できます。

イギリス人が入植した当初は、決して抑圧的な政策を企画したわけではありませんでした。たとえば、上述したフィリップ初代総督は「アボリジニとの友好を保つように」と指令を受けていたそうです。

しかしながら、以下のように現実は「友好」などという甘いものではありませんでした。

  • そもそも、「入植」という行為は「無主の土地(terra nullius)」(先住民の土地所有を認めないこと)を前提としていたこと
  • 入植者たちは、火器を用いてアボリジニを虐殺したり、女性を略奪したりしてアボリジニ社会を崩壊させていったこと
  • アボリジニの補縛を試みるが3たとえば、ブラックライン計画と呼ばれるもの、結局は多くを殺害しただけに終わったこと

これらの虐殺の結果、白人入植当時約75万人といわれたアボリジニの人口は、20世紀初頭までに約9万人と激減しました。

この暴力的な排除に同情的だった人々やキリスト教各派がアボリジニの「保護」に乗り出し、教育や教化をおこないました。

そして、最終的には植民地政府もアボリジニの「保護」政策を開始します。たとえば、ヴィクトリア植民地では1869年に「アボリジニ保護法(Aborigines Protection Act)」を成立させて、植民地政府の管理下に先住民を置きました。

「保護」という言葉は聞き覚えがいいですが、多くの場合、保護政策は隔離政策と「表裏一体」であったそうです。

事実、「保護と隔離」政策では「混血」と「純血」のアボリジニを分離して、混血のアボリジニを白人社会に吸収し、先住民を生物学的に抹消しようとするものだったからです。



1-2-2: 同化と統合(1930年代〜1960年代)

しかし、実際にはアボリジニが生物学的に消滅することはなく、1930年代までに混血のアボリジニが増加していきました。

そこで、連邦政府や州政府が「混血のアボリジニ問題」を解決するための施策として同化政策を推進してきます。

簡潔にいえば、同化政策とは以下のようなものでした。

  • アボリジニの生活環境を白人市民と近づけることを目的として積極的な介入をした政策
  • 一見進歩的な政策にみえるが、アボリジニの意見や彼らの独自性が尊重されることはなかったし、先住民文化と西洋文化が共存するというビジョンもなかった
  • 有名な政策として、親から子どもを強制的に引き離す政策がある。この政策によって成長した世代は、「盗まれた世代」といわれる

アボリジニの子どもを親から拉致まがいで引き離す非人道的な政策は、1950年から1960年になると、「同化」の名のもとに以前にも増しておこなわれてきました。

そのような政策は映画『裸足の1500マイル』で描かれているので、ぜひ観てみてください。

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アボリジニ独自の生活や文化を放棄してのみ社会に参加できるという同化政策は、次第に批判に晒されることになります。そして、同化にかわって登場するのが「統合」です。

具体的に、統合政策では、

  • 連邦政府による先住民福祉予算の拡大
  • 先住民による自主的なコミュニティの形成・運営

などがされていきました。

そのようなアボリジニの権利を認める背景には、アメリカの黒人による公民権運動の影響が強いです。

アメリカの公民権運動は、世界の先住民に影響をもたらしました。そのような歴史は以下の記事で紹介しています。

1-2-3: 自己決定(1970年代〜)

上述の歴史を経過して、1970年代ごろになると、アボリジニの「自己決定(self-determination)」が提起され始めます。

この「自己決定権」とは、鎌田の説明によると以下のようなものを指します4鎌田「国家と先住民−権利回復のプロセス」『オーストラリア先住民と日本』(御茶ノ水書房, 15頁)

政治参加と社会的主体性の承認を重視するか、経済的自立を重視するか、政策上の重心に振れはあるものの、あくまでも主流社会の政治制度の下で先住民が政策決定過程に参加することによって、行政に彼らの意志を反映させ、効率よくサービスを提供することを目的としていた

連邦政府のプロジェクトをうまく利用して生活水準を引き上げることができた共同体もあれば、逆にインフラ整備に失敗して赤字を抱えた共同体もあるそうです。

いずれにせよ、極めて限定的なかたちで、アボリジニの自治が可能になったのはこの時期からです。



1-3: アボリジニによる社会運動の歴史

1967年に始めてアボリジニの市民権が公的に認められると、アボリジニ自身による社会的な権利回復運動が展開されました。

たとえば、そのような運動には土地権回復運動があります。オーストラリア社会を研究する関根によると、

  • 1970年代半ばより連邦政府直轄地域の土地を回復され始めた
  • そして、1992年にはマボウ判決によって「無主の土地」という前提が覆った
  • これは文化人類学の研究によって西洋的な土地所有の概念ではなく、共同体としての土地所有のアボリジニ的な概念が認められたことが影響している
  • 1994年には土地審判所が設置され、土地返還、それが出来なければ補償することになった

という大まかなの展開があります。

土地権回復運動は代表的なものですからここで触れましたが、実際には沿岸海域に関する権利や市民権が複雑なかたちで争われてきました。

より詳しく知りたい方には上述した鎌田の議論か、藤川(編)の『オーストラリアの歴史』(有斐閣)がおすすめです。アボリジニに関しての記述も多く、主流社会との関係から学ぶことができます。

いったん、これまでの内容をまとめます。

1章のまとめ
  • ヨーロッパ人接触以前のアボリジニは、親族を基盤とした集団を形成し、狩猟採集しながら生活を営んでいた
  • オーストラリアが植民地化されて以降、さまざまな政策によってアボリジニは抑圧されてきた

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2章:アボリジニの歴史と差別

では一体、なぜアボリジニはこれほどまでの差別を受けてきたのでしょうか?ここでは、白人のアボリジニに対する眼差しから解説します。

2-1: 野蛮人としてのアボリジニ

まず、簡単にいえば、入植当時のヨーロッパ人独自の世界観が差別に大きな要因にあります。

オーストラリア研究の青木は以下の書物で、当時のヨーロッパ人の世界観をわかりやすく説明しています。

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青木によれば、ヨーロッパ人の独自の世界観とは、

  • 「文明」と「自然」との関係が極めて特徴的である
  • 具体的に、文明とは衣服や武器などの物質の所有ではかられる尺度で、自然とは人間によって征服され繁栄のために開発されるものであった
  • そして、文明人の条件として「産業社会に生きる人間」で「キリスト教徒であること」が重要であった

というものでした。

上述したように、入植当時のアボリジニ社会は狩猟採集社会でしたから、文明の尺度の一つである寺院や都市といった物質所有はありませんでした。

つまり、「豊かさの基準=物質所有」といった独自の世界観をもつヨーロッパ人にとって、アボリジニ社会は貧しさそのものだったのです。

教養のある思想家のなかには「高貴な野蛮人」というロマン主義的な見方も存在しましたが、多くの囚人や開拓者にとってアボリジニを「高貴な野蛮人」と捉えることは不可能だったといいます。

その結果、アボリジニは上述したような激しい人種差別にさらされたのです。



2-2:「科学的」な人種差別

そして、そのような人種差別を正当化した背景には「」付きの科学的な根拠がありました。ここでは「社会進化論」「科学的な人種」を紹介します。

2-2-1: 社会進化論

社会進化論とは、

  • 人間の社会が単一的に発展していくと考える思想
  • 社会の発展段階は宗教、生業形態、婚姻制度、経済制度などで決定される

という思想です。

当然ですが、すべての社会が同じ歴史段階を経て直接的に発展することを断定することは間違いで現在では全否定される考え方です。

しかし、オーストラリア社会においては19世紀後半から1940年代まで、社会進化論が支配的な考え方であり、学術誌にも一般書にも頻繁に登場したそうです。

社会進化論に関してより詳しくは、次の記事を参照ください。

→【社会進化論とは】スペンサーの議論や問題点をわかりやすく解説

2-2-2: 「科学的」な人種

そして、「科学的」な人種差別を正当化しました。

ここでいう「科学的」とは、白人種を優等性と有色人種の劣等性をエセ的な科学で証明しようとするものを指します。

現在の研究成果では、人種に生物学的な根拠がないことが証明されています。つまり、「人種」という言葉に対応する生物学的な実体は存在しません。

より詳しくはこちら→【人種とはなにか】分類の歴史・生物学の研究からその意味を解説

このような「」付きの科学によると、

  • アボリジニは人種ランクの最低に位置づけられ、頭蓋骨はオランウータンに最も近い
  • アボリジニの脳は、人間のなかで一番小さく、それはオランウータンと変わらない

と結論づけられたのです。

21世紀的なスタンダーでは考えられない主張ですが、人種差別的な研究結果からアボリジニが文明化するのは不可能であるという考えが「真実」となっていたのです。

2章のまとめ
  • 「豊かさの基準=物質所有」といった独自の世界観をもつヨーロッパ人にとって、アボリジニ社会は貧しさそのものだった
  • 人種差別的な研究結果からアボリジニが文明化するのは不可能であるという考えが「真実」となっていた

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3章:アボリジニの歴史を学ぶためのおすすめ本

アボリジニの歴史の概観をつかむことはできましたか?

歴史は全般にいえることですが、細かく勉強しようとすると「どこまでも」勉強できます。言い換えば、この記事ではそのような歴史の一部を紹介したにすぎません。

そのため、以下の書物を参考にあなたの学びを深めていってください。

おすすめ本

青山晴美『アボリジニで読むオーストラリア』(明石書店)

「です・ます調」で初学者向けにアボリジニからみたオーストラリア史が描かれています。アボリジニの歴史に興味を持った方には、ぜひ読んでもらいたい本です。

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藤川降男(編)『オーストラリアの歴史』(有斐閣)

オーストラリア史が簡潔にまとめられた書物です。アボリジニの歴史を知るには、オーストラリア史の前提知識が必要ですから、この書物から学んでみてください。アボリジニに関する記述も多くあります。

山内由理子 (編)『オーストラリア先住民と日本』(御茶ノ水書房)

上述の2冊に比べると、学術的な議論がおこなわれています。そのため、初学者向けではないですが、細かい歴史を知りたい方にはおすすめです。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • ヨーロッパ人接触以前のアボリジニは、親族を基盤とした集団を形成し、狩猟採集しながら生活を営んでいた
  • オーストラリアが植民地化されて以降、さまざまな政策によってアボリジニは抑圧されてきた
  • アボリジニに対する差別は、①ヨーロッパ独自の世界観、②エセ科学的な人種主義があった

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