『万延元年のフットボール』とは、1967年に刊行された大江健三郎の長編小説です。現在でも大江の代表作のひとつに数えられており、村上春樹など現代の作家たちに多大な影響を与えた作品といわれています。
1994年、ノーベル文学賞を川端康成に次ぎ、日本人として史上二人目に受賞したのは大江健三郎です。
ノーベル文学賞を受賞した際、スウェーデン・アカデミーは受賞理由として五つの作品に言及しました1『個人的な体験』、『万延元年のフットボール』、『M/Tと森のフシギ物語』、『懐かしい年への手紙』、『燃えあがる緑の木』。そのなかでも特に評価が高ったのが、『万延元年のフットボール』です。
この記事では、
- 『万延元年のフットボール』のあらすじ
- 『万延元年のフットボール』の成立と背景
- 『万延元年のフットボール』の文学的評価
をそれぞれ解説していきます。
あなたの関心に沿って読んでみてください。
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1章:万延元年のフットボールのあらすじ
1章では、講談社が2018年より精力的に刊行している『大江健三郎全小説』に沿って、『万延元年のフットボール』を梗概します。
2章では時代背景から、3章では文学的評価から『万延元年のフットボール』を解説しますので、あなたの関心に沿って読み進めてください。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注2ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1: 万延元年のフットボールの作者紹介
まず、あらすじを紹介する前に、簡単に作者の紹介をしましょう。
1-1-1: 大江健三郎とは
端的にいえば、大江健三郎とは以下のような人物です。
交友関係に関していえば、実に多くの学者や文化人と交流をもっていました。
- 東大時代の師匠であるフランス文学者の渡辺一夫や文化人類学者の山口昌男
- エドワード・サイード、ガヤトリ・C・スピヴァク(ポストコロニアル理論)
- 武満徹(作曲家)、伊丹十三(伊丹の妹が大江健三郎の妻)
事実、この記事で紹介する『万年元年のフットボール』のなかでも、民俗学の柳田國男や折口信夫の議論が援用されています。
このような経歴をみると、大江が小説のみならず『ヒロシマ・ノート』(1965年)や『沖縄ノート』(1970年)といった論考・エッセイ等を数多く執筆していることは驚きではないでしょう。
1-1-2: 万延元年のフットボールまでの流れ
ただ本人も語っているように、初期の作品は「青春小説」としての位置付けの濃いものでした。
初期の作品の特徴
- 戦後、ある種の喪失感を持ち、戦争という「希望」や「期待」をなくした大学生ぐらいの青年を語り手とした物語が大半である
- 初期の作品には『芽むしり仔撃ち』(1958年)『われらの時代』(1959年)『セブンティーン』(1961年)などがある
そうした「青春小説」を書く作家としての大江健三郎が大きく飛躍するきっかけとなったのが、『万延元年のフットボール』という作品です。
同作は1967年1月~7月まで雑誌『群像』で連載された後、同年9月に単行本として出版されたものです。そして、この作品で第三回谷崎潤一郎賞を受賞し、飛躍のきっかけとなりました。
大江自身はこの作品を書くために多くの時間と準備を要し、苦慮の末に生み出したため、同作が作家として「ひとつの乗越え点」になったと語っています3大江健三郎「著者から読者へ 乗越え点として」(『万延元年のフットボール』(講談社文芸文庫、1988年)。
1-2: 万延元年のフットボールのあらすじ
前置きはここまでにして、『万延元年のフットボール』のあらすじを紹介しましょう。以下のあらすじは文芸評論家である尾崎真理子の「ノーベル文学賞はいかにもたらされたか」を一部抜粋し、編集したものです4『大江健三郎全小説』7, 講談社, 2018年を参照。
(*以下の()は引用者による補足です。)
物語の語り手である「僕」、根所蜜三郎は東京に住む二十七歳の元大学講師
- 現在は翻訳を仕事とし、翻訳料を生活の糧としている
- ある時、小学生から石を投げられ、彼の右目は失明した。妻の菜採子との間にできた赤ん坊は深刻な障害を持って生まれ、施設に預けている
- 苦しい思いを抱える夫婦はお互いに心を閉ざし、菜採子はアルコールに浸る
- 少し前、蜜三郎の翻訳仲間でただひとりの友人は、頭部を朱く塗り、素裸で肛門に胡瓜を差しこんで縊死(=首を括って死ぬ事)していた
根所蜜三郎の弟、鷹四
- 一九六〇年の安保紛争後、演劇団に加わって(アメリカでの)公演旅行を続けていた鷹四は、内向的な兄と違って行動的で、新生活を始めるために一緒に(彼らの故郷である)四国の山の中の村へ帰ろうと兄夫婦を誘う
- (根所家の次男である)「S兄さん」は敗戦の混乱の中、朝鮮人集落を村人らが襲撃した際、殴り殺された。兄弟のわずかに知恵の遅れていた妹も(ある日)自殺(しており、残る肉親は蜜三郎と鷹四の二人だけであった)
物語の導入
- 兄弟は一族の菩提寺に残る資料から、百年前に一帯を揺るがした農民一揆に曾祖父とその弟が果たした役割と末路に関心を寄せる。蜜三郎は一揆の昂揚のみを青年らに喧伝する鷹四の饒舌を危ぶむ。しかし(彼は)弟と衝突する気概はない。
- 正月を前に雪が降り始め、(村は)雪に閉ざされ、駐在する警官も不在になると、鷹四は百年前の一揆を追体験する「想像力の暴動」だとして、若者らと村のスーパー・マーケットで略奪を始める。彼らを鼓舞するのは村独特の風習「念仏踊り」に倣った太鼓や銅鑼の音。
- 鷹四はいつしか(蜜三郎の妻である)菜採子と公然と関係を持ち、さらに村の娘を強姦し殺したと訴えられる。真偽は不明のまま、血を浴びて屋敷に戻った鷹四は、(強姦は自分がやったことだと主張し、鷹四と自殺する直前まで同居していた)妹との間に起こった「本当の事」を蜜三郎に告白する。
- 蜜三郎は「いつも抜け道を用意しておく人間だ」と、厳しく弟を糾弾する。直後、鷹四は猟銃で自殺する。
- 正月が終わり、鷹四の葬儀が終わると「スーパー・マーケットの天皇」が村に姿を現し、倉屋敷の解体に取りかかる。と、(一揆後の)曾祖父とその弟をめぐる真相が、剥がされた床下の地下倉から思いがけず発見される。……
どうでしょう?大まかに物語の展開をつかむことはできたでしょうか?
- 『万年元年のフットボール』のなかでも、民俗学の柳田國男や折口信夫の議論が援用される
- 「青春小説」を書く作家としての大江健三郎が大きく飛躍するきっかけとなったのが、『万延元年のフットボール』という作品
2章:万延元年のフットボールの背景
それでは、『万延元年のフットボール』の成立に関して時代背景を参照しながら説明していきます。
要点は「安保闘争」と「戦後における生活の変化」です。それぞれ解説していきます。
2-1: 安保闘争
『万延元年のフットボール』発表当時、日本は1960年の安保闘争後の余韻と1970年の安保改正を控えて二度目の闘争に向けた模索が始まっていた時期でした。大江自身、同作の成立の背景にある出来事として、多くのところで安保闘争をあげています。
たとえば、「北欧で日本文化を語る」において大江は、
- 「日本の近代化の始まる直前、封建幕府がはじめてアメリカに使節の乗る船を送った年、一八六〇年と、それから百年後の一九六〇年というふたつの象徴的な年号に関わる物語です」
- 「一九六〇年には、太平洋戦争に敗れた後、日本がアメリカと結んだ安全保障条約の改定をめぐって、それに反対し条約の廃棄をもとめる民衆運動が起こりました。そして民衆の側が敗北した。その際の運動参加者の学生が、この小説の主人公のひとりです」
と語っています5『あいまいな日本の私』, 岩波書店, 1995年より参照。
2-2: 戦後における生活の変化
さらに作品中では、高度経済成長の影響などが克明に映し出されています。そのような社会の変化が同作の動機になった、と大江はのちに語っています。
たとえば、以下のような場面で村の生活が刻々と変化していく様子が描かれています。
- 正月には村人みなでテレビをつけて「紅白歌合戦」を見る風景
- 当時では登場したばかりで地方では珍しいスーパー・マーケットの地方進出
- 村の朝鮮人部落の影響から村の郷土料理であるチマキにこれまで入っていなかった朝鮮由来のニンニクが入っていること
社会の変化に関して、大江は以下のように言及しています6「北欧で日本文化を語る」『あいまいな日本の私』, 岩波書店, 1995年より参照。
- 「この小説を私に書かせたもっとも大きな動機は、私が東京中心の日本文化とは違う、地方の、周縁の文化ということをしだいに意識していたということでした。私は実際に、この小説の舞台の四国の森のなかの村に生まれた人間です」
- 「私が東京の大学に進むために村を出たのには、太平洋戦争の敗戦と市民生活の再建への大きい変動期のなかで、日本全体が、そのような小さな村にいたるまで新しい動きを起こしていた、という背景がありました」
つまり、百年を往還する構造や、当時の世相を映し出しつつも、同時代的な枠組みだけに縛られない多様な読みを許す作品、それが『万延元年のフットボール』なのです。
そういった意味で、『万延元年のフットボール』は大江文学の中心であり、また彼の文学の主要テーマを浮き上がらせ、大江自身にとって「すべての起点になった」作品なのです。
- 『万延元年のフットボール』の成立には「安保闘争」と「戦後における生活の変化」という時代背景が大きく影響している
- 『万延元年のフットボール』は百年を往還する構造や、当時の世相を映し出しつつも、同時代的な枠組みだけに縛られない多様な読みを許す作品である
3章:万延元年のフットボールの文学的な評価
「乗越え点」として重要な画期となった同作を、大江文学のなかで重要な作品として位置付けるのは作者自身だけでなく、読者や研究者によってもそうです。
そのため、多くの批評家や研究者が『万延元年のフットボール』について論じています。多くの場合は、
- 大江文学全体を「前期」と「後期」という二つの時期に分ける
- そして、その区分における『万延元年のフットボール』の位置を論じる
という傾向があります。
ここではすべてを紹介できないため、文芸評論家の加藤典洋の論考を取り上げ、紹介していきたいと思います7以下は、「解説」(『万延元年のフットボール』(講談社文庫版、1988年)参照。
結論からいえば、加藤典洋は、
- 『万延元年のフットボール』に「『二つの異なった次元』の結合」というモチーフをみる
- 大江自身が同作について語ったエッセイ(「同時代性のフットボール」)などを参照しつつ、大江文学全体を「前期」と「後期」に分ける
- そして、それぞれにある特定のモチーフが貫かれている
と指摘します。
具体的に、加藤は前期小説群には「人間像の提示」というモチーフ、後期長編小説群には「世界像の提示」というモチーフがあると主張します。
それぞれモチーフを、加藤は以下のように説明してます。
大江文学の前期小説群:「人間像の提示」というモチーフ
- 小説内の世界観は「何か新鮮な、まるで異邦人の眼のフィルターを通してみられた西欧的ともいうべき世界」である
- その世界観は「ある種のエキゾチスムさえ湛えて主人公のひりつくようなよるべなさを際立たせ、その個人としての輪郭を鮮明にする効果」を持っている
- そこで示されるのは、レヴィ=ストロースが『野生の思考』で言及した言葉を借りるならば、「世界の拡大模型を利用した人間の相対的な縮減模型化の企て」である
大江文学の後期長編小説群:「世界像の提示」というモチーフ
- 世界造型は、「世界の縮減模型化による世界像(世界モデル)の提示によって特徴づけられる」
- 「森に囲まれた四国の谷間の村を主要な舞台としたいわゆる彼の「神話的世界」は、レヴィ=ストロースのいう世界の「縮減模型」にほかならない」ものである
このように、加藤は前期と後期を区分を設けた後、それらを架橋する役割も果たしている作品として『万延元年のフットボール』を評価しています。
つまり、『万延元年のフットボール』とは、次のように評価されるのです。
- 大江文学の前期と後期の境目であり、尚且つ両者を繋ぐ作品である
- 前期の「人間像の提示」というモチーフが示されなくなり、後期の「世界像の提示」というモチーフが同作から現れる
- また、両者をつなげるものとしての動態が示されるだけでなく、「戦後の経験と明治以降の百年の経験、都会的なものと土着的なもの、西欧的なものとアジア的なもの」といった「二つのものの角逐」を小説の動態とする作品である
- 多くの研究者は、大江文学全体を「前期」と「後期」という二つの時期に分ける。そして、両者をつなぐ作品として『万延元年のフットボール』を評価する
- 前期小説群には「人間像の提示」というモチーフが、後期長編小説群には「世界像の提示」というモチーフがある
4章:万延元年のフットボールを学ぶための書籍
どうでしょう?『万延元年のフットボール』に関して理解を深めることはできましたか?
ぜひ、この記事をきっかけに原著に挑戦してみてください。
大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社文芸文庫、1988年)
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作者のあとがきに加え、巻末の解説や作者紹介が充実しています。手軽に持ち運びもできる文庫版はとてもおすすめです。
大江健三郎『大江健三郎全小説』第7巻(講談社、2018年)
『万延元年のフットボール』と『洪水はわが魂に及び』を収録し、そのほか、関連論文を収録したものです。本格的に大江の世界に触れたい読者におすすめです。
- 最近の大江文学をめぐる動向として、2018年7月より始まった『大江健三郎全小説』(講談社)全15巻の刊行が2019年9月に完結しました。これにより文学関係者を中心として大江文学への関心がさらに高まってきています
- 大江文学は単なる娯楽としての小説にとどまらず、構造主義など勉強を進めていくに従って、多くの発見をすることができます。難解だといわれる作品も多いですが、皆さんもぜひ挑戦してみてください
一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
最初の1冊は無料でもらえますので、まずは1度試してみてください。
また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
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などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。
まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 「青春小説」を書く作家としての大江健三郎が大きく飛躍するきっかけとなったのが、『万延元年のフットボール』という作品
- 『万延元年のフットボール』の成立には「安保闘争」と「戦後における生活の変化」という時代背景が大きく影響している
- 多くの研究者は、大江文学全体を「前期」と「後期」という二つの時期に分ける。そして、両者をつなぐ作品として『万延元年のフットボール』を評価する
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