パーソン論(Person theory)とは、応用倫理学において「どのような主体に各種の権利(生存権など)を認めるのか」ということを論じる理論のことです。
パーソン論が重要なのは、「動物や自然の保護はなぜ、どこまで、どのように行うべきか」「人工妊娠中絶は認めるべきか」といった倫理学的問題において、権利主体の範囲が大事なポイントになるためです。
パーソン論は、多くの倫理学者が論じ、現在でもさまざまな応用倫理学の分野で前提にされている議論です。
そのため、倫理学について関心のある方は大づかみにでも知っておくことが大事です。
そこでこの記事では、
- パーソン論が課題とすること
- パーソン論の代表的議論
について詳しく説明します。
関心のある所から読んでみてください。
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1章:パーソン論とは
繰り返しになりますが、パーソン論とは「どのような主体に権利を認めるのか」という応用倫理学における議論のことです。
なぜ、権利の対象を明らかにする必要があるのでしょうか?それを説明するために、まずは応用倫理学における問題を整理し、パーソン論における「パーソン」を説明します。パーソン論の代表的議論は2章で説明します。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:応用倫理学における問題
応用倫理学とは、さまざまな具体的なテーマにおいて倫理学的な議論が行われます。
代表的なものが以下のような議論です。
- 動物倫理…動物実験やペット、工場畜産などが動物の権利を侵害しているのではないか、人間と同じように権利を認めて配慮すべきではないのかと考える分野
- 環境倫理…環境汚染、自然破壊などの人間の利益追求行動による自然の改変を批判し、自然の権利や自然への配慮を議論する分野
- 世代間倫理…環境問題など将来世代にリスクを負わせるような問題について、将来世代と現在の世代の間にある倫理的問題を議論する分野
- 生命倫理・医療倫理…安楽死、人工妊娠中絶、ES細胞、iPS細胞などの研究、臓器移植や人工臓器などの医療技術などに関する倫理的問題を議論する分野
これらについて共通するのが、「どのような主体が権利を持つのか」「その権利に対して、どこまでの配慮が必要なのか」ということです。
たとえば、自然や動物の権利を認めるためには、それらがなぜ権利を持つのか明らかにしなければなりません。また、人工妊娠中絶を是認するなら、おなかの中の赤ちゃんの生命を奪っていいのはなぜなのか(おなかの赤ちゃんが権利を持たないのはなぜなのか)を明らかにしなければなりません。
こうした応用倫理学における「どこまでを権利主体として認めるのか」という問題について論じるのがパーソン論なのです。
1-2:パーソン論の意義
「なぜ、そんなことを議論しなければならないの?」という素朴な疑問もあるかもしれません。
そもそも、私たち人間は自分たちのために自然環境や動物を利用し、文明を発達させてきた歴史があります。つまり、人間という存在を特別扱いしてきたのです。
しかし、近代社会では「差別」への関心も高まり、何らかの存在への「特別扱い」が問題化しました。
たとえば、「白人を特別扱いする」「王や貴族、富裕層を特別扱いする」「男性を特別扱いする」といった主張は、時代の中で「差別」と考えられ、矯正されてきたことはあなたも知る通りです。
人種を基準にした差別について、詳しくは下記の記事で説明しています。
性差別から生まれたジェンダー論については、下記のページに一覧がありますので、ぜひ読んでみてください。
こうした差別問題の議論が進む中で、自然や動物に対して「なぜ人間だけを特別扱いして良いのか?」ということにも関心が向けられるようになり、それが倫理学の中で議論されるようになったのです。
そして、人間が人間を特別扱いすることはある意味やめられないものです(たとえば、地球環境のために人類を絶滅させようと考える人はいませんよね)。そこで、人間を特別扱いして良いのはなぜか?という問いに答えようとしたのが、パーソン論であると言えるでしょう。
また、医療技術の発達の中で、
- 母体の安全のために胎児を人工妊娠中絶すること
- 人工臓器を作るための、胚を利用した研究
- 死ぬほどの苦しみを持ち続けている難病患者の安楽死
といったことが可能になり、人間はどこまで人間の生命をコントロールして良いのか?ということも問題になりました。
別の言い方をすれば、上記のような特別なケースで人の生命をコントロールして良い理由は何なのか?といった問いです。
これらの理由から、生存の権利を持つ主体=パーソンを明確にする必要があり議論がなされたのです。
1-3:パーソンとは
「パーソン論の『パーソン』って人間のことではないの?」
と思われたかもしれません。結論を言えば、パーソン論における「パーソン」とは、生命に関する権利を持つ主体のことであり、それはイコール人間ということではありません2中村隆文『「正しさ」の理由』ナカニシヤ出版146頁。
たとえば、動物開放論者からすれば、「パーソン」には一部の動物が含まれるでしょう。また、環境保護を強く主張し樹木が持つ権利すら主張したクリストファー・ストーンのような立場から考えれば、「パーソン」には自然すら含まるでしょう。
逆に、たとえば現代の日本の法律では、妊娠21週までは人工妊娠中絶が条件付きで認められています。また、そもそも日本の法律では「胎児」と「人間」を区別しており、出産によって母体の外に出た瞬間に胎児は人間になり、人権が認められます。
ここから、日本の法では、そもそも胎児をパーソンとして認めていないか、少なくとも妊娠21週までの胎児は「パーソン」ではないと考えられている、と言えるでしょう。
日本の現在の法律では、22週を超えた胎児を人工妊娠中絶しても、「堕胎罪」という罪にはなっても「殺人罪」にはなりません。
このように、パーソン論は論者によって幅のある定義がなされているのです。詳しくは2章で説明します。
いったんここまでをまとめます。
- パーソン論とは、生存権を中心とした権利を持つ主体の範囲(パーソン)について論じる議論
- パーソン論は、動物や自然環境に関する倫理的問題や、医療・生命に関する倫理的問題において、権利の主体を明確にする必要性から生まれた議論
2章:パーソン論の代表的議論
パーソン論、つまり倫理学における権利主体の対象について論じている倫理学者は多くいます。なぜなら、権利の主体を定義しなければ、具体的な応用倫理学的テーマに答えることができないからです。
そこでここでは、代表的なパーソン論をピックアップして紹介します。
2-1:シンガーの功利主義的パーソン論
動物の解放や人工妊娠中絶の容認で有名な、倫理学者のピーター・シンガー(Peter Singer/1946年~)は、動物の権利を論じるにあたって権利主体(パーソン)に該当する範囲を定義しました。
2-1-1:パーソンのレベル分け
シンガーは、功利主義の立場から、
- 動物にも人間と同じように「快楽の感受能力」がある
- したがって、動物に苦痛を与えることは悪であり「種差別」である
と主張しました。
つまり、人間と同じように快楽の感受能力を持つ主体がパーソンであるという主張です3中村、前掲書147頁。
しかし、現実問題として「動物に人間とまったく同じ権利を認めるなら、ラディカルな法改正や政策が必要になり現実的ではないのでは?」という疑問が出てくると思います。
シンガーの議論は、このような問いに対して、「より『パーソン』としての特徴を多く持っている生物の方が、より多く配慮されるべき」と考えました。
パーソンとしての特徴とは、
- 快楽の感受能力
- 未来志向的であること
- 自己意識を持っていること
などを主張しています。
つまり、おそらく上記の特徴を多く持っていないと思われる爬虫類や両生類、ネズミなどよりも、犬や猫、クジラ、サル、そして人間の方が配慮されるべきと考えられます。
いうなれば、シンガーは生存の権利を持つ「パーソン」について、生物ごとにレベル・階層を認めたのです。その結果、たとえば動物と人間の権利が対立したときに、人間の権利を優先することができるようになります。
2-1-2:シンガー事件・シンガーへの批判
しかし、シンガーの主張は大きな問題をはらんでいます。それは、生存の権利を持つ「パーソン」に優劣をつけているのではないか?という問題です。
シンガーは、「パーソン」としての条件に快楽の感受能力があることを主張しました。
では、快楽を感じないと思われる胎児や脳死状態の人は「パーソン」ではないのでしょうか?具体的な問題として考えるならば、たとえば「妊娠中に胎児が重い障害を持っていることが分かった場合、人工妊娠中絶は認められる」ということを、倫理的に認めて良いのでしょうか?
事実、シンガーは重い障害を持って生まれてきた新生児の安楽死について擁護しています。
しかし、このような主張は多くの人にとって過激であり、特にドイツ語圏の人々から強い批判が浴びせられました。その結果、シンガーのシンポジウムは抗議運動で中止に追い込まれたほどです4土屋貴志「「シンガー事件」と反生命倫理学運動」『生命倫理』 4(2), 125-129, 1994。これをシンガー事件と言います。
このように、功利主義の立場から考えるパーソン論も超えるべき課題があることが分かります。
動物倫理、環境倫理についてそれぞれ以下の記事で詳しく解説しています。
2-2:マイケル・トゥーリーのパーソン論
次に、パーソン論として代表的なマイケル・トゥーリ(Michael tooley)の議論を紹介します。
トゥーリは「どのような主体が人格を持つ権利主体だと認められるか」ということを問題提起し、それに対して以下の条件を満たすのが、権利主体を持つ人格(パーソン)であると主張しました5中村、前掲書146頁。
- 長期的な自己意識、記憶、自己同一性
- 意識や合理的な思考能力
- 権利の対象を欲していること
この定義に従うと、多くの動物がパーソンになるのに対し、胎児や乳幼児、脳死患者、無知な人々はパーソンの定義を満たさないことになってしまいます。
そのため、トゥーリは「人間だから」といってすべての主体にパーソンとしての権利を認めるのではありません。
トゥーリは、人間の胚や胎児、新生児はパーソンではないため、そうしなければならない場合は殺すことも認められると主張しています。
このようにシンガーやトゥーリは重い障害を持つ胎児や新生児の安楽死等を認める発言をしていますが、これがパーソン論全体の特徴ではありません。パーソン論は多くの倫理学者が議論していますので、ぜひその他にどのような議論があるのか調べてみてください。
その他の議論も含めると、多くの場合で知性・理性の有無や自己意識を持つ主体が、パーソンであるというような議論をしています。逆に言えば、知性、理性、自己意識といった「意識」の領域の違いしか、パーソンとそれ以外を分ける基準はないというのが、パーソン論の共通点であると言えるでしょう。
- シンガーは、快楽の感受能力を持つ主体はパーソンであり、動物も含まれる一方で胎児や新生児は含まれないと考えた
- トゥーリは、自己同一性の意識や合理的思考能力などの知性を持つ主体がパーソンであり、胎児や新生児はパーソンではないと考えた
- シンガーやトゥーリのパーソン論は一例であり、すべてのパーソン論が同じように考えるわけではない
3章:パーソン論の学び方・オススメ書籍
パーソン論について理解することはできましたか?
繰り返しになりますが、代表的議論としてよく紹介されるシンガーやトゥーリの議論は一例にすぎず、どの議論も胎児や新生児の安楽死を認めているわけではありませんし、動物の権利を認めているわけでもありません。
パーソン論や応用倫理学における権利主体の問題について理解を深めたいなら、多様な議論に触れることが大事です。
関心があれば、これから紹介する本をぜひ手に取ってみてください。
小林亜津子『はじめて学ぶ生命倫理-「いのち」は誰が決めるのか‐』 (ちくまプリマー新書)
この本は生命倫理の入門書としてとても分かりやすいです。パーソン論的議論が具体的な生命の問題の中で説明されており、イメージしやすいと思います。入門書としてオススメです。
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生命倫理についてマンガで説明されており、初心者にはとてもやさしいです。上記の本と合わせて読んでみると生命倫理、パーソン論に関する知識を網羅的に得られるでしょう。
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『生命倫理の教科書‐何が問題なのか‐』(ミネルヴァ書房)
生命倫理のテキストとして網羅的な内容が解説されています。上記で紹介した入門書を読んだ後に読むと、より深い知識が得られます。
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書物を電子版で読むこともオススメします。
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まとめ
この記事の内容をまとめます。
- パーソン論とは、生存権を中心とした権利を持つ主体の範囲についての議論
- パーソン論は、人間を特別扱いして良い理由や、人間の生命をどこまでコントロールして良いのか?という議論をする上での前提を作る
- シンガーやトゥーリは知性や自己意識をパーソンの条件とし、胎児や新生児などの主体はパーソンに含めない議論をした
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