フランス革命(英語:French Revolution/仏語:Révolution française)とは、1789年から1799年の間に行われた、フランス絶対王政が倒され「封建制廃止」「人権宣言による万民の平等」などが謳われた革命です。
わずか10年間の出来事に過ぎませんが、身分制を打倒し自由で平等な社会を作ろうとし、その一部を実現させたという意味で世界史・政治史上のとても重要な出来事です。
そこでこの記事では、
- フランス革命の背景や要点
- フランス革命の歴史
について詳しく解説します。
関心のある所から読んでみてください。
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1章:フランス革命とは
フランス革命(French Revolution)とは、
- フランス絶対王政の崩壊
- 身分制の撤廃
- 封建制の廃止
- 人権宣言の採択
といったさまざまな歴史的意義のあることを成し遂げた革命です。
まずはその背景にあったことやフランス革命の要点について理解しましょう。歴史から知りたい場合は2章をお読みください。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:フランス革命の背景
フランス革命の背景には、社会的・思想的なさまざまな出来事がありました。
1-1-1:啓蒙主義的思想
啓蒙主義とは、中世的な思想のしがらみから理性によって解放されようと考える、18世紀ヨーロッパで支配的になった思想のことです。啓蒙主義から出た主な思想には「社会契約説」「自然権」など、中世的な社会を打破し近代化を推し進めようとするさまざまなものがありました。
たとえば、社会契約説は、王の権力の正当性を『聖書』に求める「王権神授説」に対し、社会は社会の成員である人々の平等な立場での同意によって成立したのだ、という思想です。詳しくは以下の記事で解説しています。
【社会契約説とは】ホッブズ・ロック・ルソーの違いからわかりやすく解説
また、ジョン・ロックに代表的な「自然権」の思想とは、人々はみな生まれながら権利を持っており、いかなる権力もその権利を侵害することは許されないと考える思想です。詳しくは以下の記事で解説しています。
このように、先進的な思想家たちによって社会は平等なものであるべき、という観念が広まりつつある時代でした。一方で、フランスは君主によって支配されていたため、そのギャップが革命運動に影響を与えました。
※啓蒙思想について詳しくは以下の記事をご覧ください。
1-1-2:身分制への反発
2章で詳しく説明しますが、フランス革命以前のフランスは、聖職者、貴族という特権的身分と、特権を持たない平民の身分が明確に分かれていました。特権身分は免税特権を持っていたため、平民は自分たちが働いて稼いだお金の一部を税金として徴収され、それが聖職者、貴族、王政のために使われていることに不満を感じていました。
これが、後の革命の原動力になっていったのです。
1-1-3:フランス王室の財政赤字
フランスの王室は慢性的な財政赤字で、代々積み重なった赤字は国家の歳入の9倍ほどであったと言われています。
財政赤字を減らすには、歳出を減らすか歳入を増やすか、のどちらかしかありません。フランス王室は歳入を増やすために国民への徴税を強め、国民の負担は非常に大きなものになっていました。これも、フランス革命の大きな要因になっていきました。
1-2:フランス革命の要約
こうした背景から起こったフランス革命を要約すると、以下の通りです。
- 身分制の中で「社団」のような権力を持つ集団が生まれていたことや、ブルジョワジーが勃興して力をつけている背景があった
- フランス王室による新たな徴税の要求から、議会と国王が対立
- 国王の身勝手な行動に国民が反発し、「全国三部会」を招集して平民の意見も取り入れられる採択法を採用することを要求
- 国王がこれを拒んだため、第三身分(平民)はコミューンを結成
- 王室が平民の行動に反発したため、平民たちはバスチーユ牢獄を襲撃
- それをきっかけに封建制が廃止、人権宣言が採択され封建的な徴税制度やカトリック教会の特権、行政制度などが刷新される
- ヴァレンヌ逃亡事件によって王の権威が崩れ、革命政府によって処刑
- ロベスピエールをリーダーとする革命政府は恐怖政治を行う一方で、国民統合のためのさまざなな政策を行う
- 恐怖政治が終わり、ロベスピエールが処刑され、フランス革命が終了2安達正勝『物語フランス革命』を参考
これから詳しく解説していきますが、参考書としてこちらの本がおすすめです。ぜひ手に取ってみてください。
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1-3:フランス革命とイギリス革命の違い
歴史上の代表的な革命にはイギリス革命もあり以下のような違いがあります。
イギリス革命 | フランス革命 | |
時代 | 1642-1689年 | 1789年-1799年 |
原因 | 英国王の絶対王政への議会の不満、イングランド国教会とそれ以外の宗派の対立、中産階級の台頭 | ブルジョアジーの台頭、君主や貴族の特権への第三身分の不満 |
達成されたこと | 立憲君主制など | 人権宣言、封建制の廃止 |
どちらも絶対王政による対抗で、革命後に王政復古した点は共通しています。どちらも社会の近代化の過程で旧来の体制に限界がきていたことが最も根本的な原因です。
とはいえ、フランス革命はより急進的で、理性によって推し進められたもので、担い手が平民だった点もイギリス革命との大きな違いです。
※イギリス革命について詳しくは以下の記事をご覧ください。
フランス革命の要点がなんとなく理解できましたか?
まずはここまでをまとめ、2章で詳しく説明していきます。
- フランス革命は、啓蒙思想の台頭、王室の財政赤字やフランスの身分制への不満などを背景に起こった市民革命
- フランス革命は短期間で行われた、急進的な革命だった
2章:フランス革命の歴史
それでは2章では、フランス革命の歴史を時系列で解説します。
要点に絞って説明しますので、より詳しい歴史を知りたい場合はぜひ書籍にあたって学んでみてください。
2-1:アンシャンレジーム
アンシャンレジーム(仏語:Ancien régime)とは、旧体制、つまり「古い体制」ということです。フランス革命は、アンシャンレジーム(古い体制)を崩すことを必要としたため、革命期にこのような言葉が生み出されたのです。
では、なぜフランス革命を実践した人々は、アンシャンレジームを崩し新しい体制を作る必要があると考えたのでしょうか?それは、アンシャンレジームでは、国王や聖職者、貴族、平民らの間にそれぞれ大きな格差があったからです。
2-1-1:アンシャンレジームの身分制
アンシャンレジームは、
- 第一身分:聖職者
- 第二身分:貴族
- 第三身分:平民
というように明確に身分が区別された身分制で、第一身分(聖職者)と第二身分(貴族)は特権階級で、平民は特権を持たない階級でした。
第一身分、第二身分が持っていた特権とは、免税特権(税金を支払わなくていい)や政治に関与できる権利です。
第三身分の平民も「三部会」という議会に議員を送ることが制度上は可能でしたが、実際には三部会が開かれることはほとんどなかったため、政治に関与することもできませんでした。
さらに、この身分制の上に絶対的に存在するのが国王であり、国王と貴族階級の間にも格差が存在しました。
2-1-2:アンシャンレジームの支配秩序
アンシャンレジームでは、社会が階層化された多様な団体によって支配されていました。
もちろんトップにいるのは国王ですが、国王は貴族や聖職者、官職などの集まりである団体を「社団」として、特権を認めていました。
社団は民間組織ですが、王によって役割や権利が認められており、その代わりに彼らは間接的に王が社会を支配する秩序の一翼を担っていたわけです。
また、フランス絶対王政は、カトリック的な教義に基づいた儀礼や、王の権威を象徴する版画、印刷物などの文化的な枠組みによって支えられていました。フランス革命後期においてはこの文化的枠組みが徹底的に破壊されることになります3松浦義弘『フランス革命の社会史』15頁。
2-1-3:アンシャンレジームの財政面の仕組み
アンシャンレジームでは、国王はいくつかの資金調達の手段を持っており、それが絶対王政の支配を弱めることになりました。
- 社団
→戦費調達のために、社団に公債(借金のこと)を発行し、その見返りに社団の特権が拡大された。 - 官職
→官職が売却されそれが国庫の収入源にされた。官職を持つと貴族になることができたため、後に社団を形成した。
これらの結果、社団は権力を拡大し、官職を買った新貴族が力をつけ旧貴族と対立したりすることになりました。
こうしてフランス絶対王政が財政難に陥るほど、貴族らの権力が強まり王への抵抗勢力として育つという流れが生まれたのです。
2-1-4:ブルジョワジーの勃興
さらに、18世紀のフランスでは、農業や商工業が発展してブルジョワジー(資本家)という新たな階級を生みました。
彼らは蓄積した資本を教育・文化に投資し、サロン、カフェ、読書クラブなどの知的文化を育て、市民階級として政治的発言力を高めていきます4松浦、前掲書17-18頁。
ブルジョワジーは政治問題を論じ「世論」を形成するようになり、民衆はただ国王の支配を無批判に受け入れるだけの存在ではなくなっていきます。
彼らはフランス革命以前から、堕落したフランス絶対王政を批判するビラやパンフレットを作るようになっていました。
フランス革命以前から、すでに王の権威は失われつつあったのです。
まとめると、
- アンシャンレジームの権力構造は、権力を拡大しようとするほど貴族らの権力を強める矛盾をはらんでいた
- 農業や商工業の発展によってブルジョワジーが台頭し、王の権威が失われつつあった
という前提があり、その上で起こったのがフランス革命だったのです。
2-2:封建制廃止と人権宣言
フランス革命の最大の成果は「封建制の廃止」と「人権宣言」です。
この2つの出来事にいたる経緯を説明します。
2-2-1:きっかけは徴税問題
まず、2-1でも触れたようにフランスの国家の財政は、18世紀末の当時破産状態でした。
そこで、国王が新税の導入を求めたことで下記のように国民の反発を招いてしまいます。
- フランス財務総監(財務大臣のような立場)のカロンヌは、貴族中心である「名士議会」で、新税の導入を求めた(1787年)
- 名士議会派これに反発し、パリ高等法院(最高司法機関)も新税の登録を拒否、全国三部会を招集して国民の意見を集める
※あらゆる法令はパリ高等法院に登録し発行してもらう必要がある - 国王が高等法院の持つ登録権を奪った(1788年)ことで国民が各地で反発、国王は国民に譲歩して、全国三部会を招集することを決めた
※全国三部会とは、3つの身分の人々が集まって議論する議会のこと
こうして国王が国民に譲歩したのですが、全国三部会を招集するにあたって、今度は「貴族VS平民」という形で対立が生まれます5安達、前掲書40-49頁。
なぜなら、三部会で議論する上では、身分別に討議すること、頭数では採決しないことなどを貴族たちが主張したからです。
つまりは、第三身分(平民)の意見が政治力を持たないように制限しようとしたのです。
もちろんこれに平民たちは反発し、
- ブルジョワジーと自由主義的な貴族が「愛国派」を形成し、第三身分の発言力を高めることを要求
- 王権はこうした要求に一部譲歩
- さらに司教代理シエイエスが『第三身分とは何か』(1789年)というパンフレットで、第三身分は単独で国民議会を結成すべきと主張
といった行動を取りました。
こうして、新税の導入からはじまった議論が身分に関する深刻な対立に繋がっていったのです。
2-2-2:第三身分(平民)による国民議会の結成
こうして第三身分を中心とした勢力は、身分の統合、つまり身分制をなくして国民が皆、平等な立場になることを求めました。
こうした背景の上に全国三部会が開催されたのですが、第三身分(平民)の人々が、身分制を崩すために大きく行動しました。
- ルイ16世は身分別の採択で、「財政問題に限定して議論しよう」と主張するも、これは身分制を前提とした採択であるため第三身分が反発
- 第三身分は「コミューン」を自称して王権に対抗し、独自に議院審査を開始し、一部の聖職者はコミューンに合流
- コミューンは自らを「国民議会」と自称
「国民議会」とは言うまでもなく、身分制を廃して国民がみな平等な立場に立つことを前提にした議会です。
こうした第三身分(平民)とそれを支持した貴族、聖職者たちの行動から、国王は第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)に国民議会に合流することを求めました。
こうして国民議会は「憲法制定国民議会」と改称し、憲法を起草していくことになります。
その中で起こったのが、フランス革命を代表する出来事である「バスチーユ牢獄襲撃」という事件です。
2-2-3:バスチーユ牢獄襲撃
国民に押し切られる形で政府は国民議会を認めましたが、一方で、政府内も一枚岩であったわけではなく、王妃マリーアントワネットや王弟アルトワらは民衆に対して強硬派で、独断で兵を集めて財務総監ジャック・ネッケル(Jacques Necker)を罷免します。
平民の支持を得ていたネッケルを罷免したことは、平民やブルジョワジーらを怒らせ、バスチーユ牢獄を襲撃することになったのです。
バスチーユ牢獄が狙われたのは、バスチーユ牢獄がアンシャンレジーム・専制政治の象徴であったためとも、単に武器庫だったからだとも言われています。
バスチーユ牢獄襲撃の影響から、各地では農民反乱も起こり、国内は混乱を極めることになりました。
2-2-4:身分制の崩壊
こうした背景から、
- 自由主義貴族(つまり身分制廃止を支持していた貴族)のノワイユ子爵、エギヨン公爵が自ら領主権を放棄
- 彼らの領主権放棄をきっかけに、封建制廃止決議が行われる(1789年)
こうして、まずは封建制度が崩壊したのです。
封建制廃止決議によって、平民にかかる隷属的な権利や封建的な税金が廃止され、公職が解放され、税金の負担は国民みな平等であるとされました。さらに、これに続いて「人間および市民の権利の宣言(人権宣言)」が採択され、すべての人々は平等であると宣言されたのです。
「人権宣言」によって、具体的には下記のようなことが行われました。
- 教会財産の国有化
- 世襲貴族が廃止
- 聖職者が公務員になる
- 直接税中心の平等な徴税制度が制度化
- 行政区分が刷新され、地方の官僚や判事が公選で選ばれるようになる
- 経済活動の自由化、規制撤廃
2-3:フランス絶対王政の崩壊
こうして身分制が崩されフランス人はみな平等な「国民」とされたのですが、この時はまだ王権は維持されたままでした。
しかし、「ヴァレンヌ逃亡事件」をきっかけに王権も崩されることになります。
ヴァレンヌ事件とは、1791年6月に国王であるルイ16世一家が宮殿から脱出して逃亡し、フランス国境付近(ヴァレンヌ)で逮捕されてパリに送り返された事件です。
この事件によって、
- 反革命派の貴族や聖職者は外国人とともに、陰謀を企てている
- 国王は国を捨てて逃亡する裏切者である
と考えられるようになり、国民の王権や貴族への感情が著しく悪化しました。
その後貴族は数千人単位で亡命し、国境を越えてフランス国民に武力行使しようと準備を進め、国王も貴族側の陣営であると考えられたため、国王と議会は対立を深めます。
さらに国王の廃位を求めるたくさんの請願書が寄せられ、パリの国民衛兵が宮殿を占拠し、王権が停止されました(1792年)。
そして王政と共和政、国王と市民を両立させることはできないと議会で議決され、ルイ16世は死刑されフランス絶対王政が完全に崩壊します(1793年)。
2-4:恐怖政治
こうして王権が倒され、革命政府によって統治されるようになります。
ただし革命政府も一枚岩ではなく、議会の中では常に勢力争いが成されていました。
簡単に経緯を説明すると、
- 王権崩壊後も国内では混乱が続き、下層の市民が食料危機に陥るも、議会のジロンド派は積極的な政策を取らなかった
- これに反発した下層市民の支持によるジャコバン派が議会からジロンド派を追放し、統治を主導
- ジャコバン派は恐怖政治を行い、反対派を次々に処刑、自由主義的な政策を行い、奴隷制も廃止(1794年)
- 山岳派リーダーのロベスピエールは自滅的に行動し、国民公会の議員によって処刑
といったことが行われます。
ロベスピエールは当時としては過激なほど自由主義的・革新的な政策を強行したため倒されてしまいましたが、一方で奴隷制の廃止を宣言したり、格差是正の政策を行うなど、革命を大きく進行させもしました。
フランス革命時の議会では、革新的な立場が左側(左翼)、保守的な立場が右側(右翼)に座るという伝統が生まれ、これが後の右翼(右派・保守)と左翼(左派・革新)という言葉のもとになりました。
詳しくは以下の記事をご覧ください。
2-5:国民統合・ナショナリズム
こうしてアンシャンレジーム、フランス絶対王政が崩壊したのですが、フランスの新たな課題は、これまでにフランス国民を一体化させていた制度や文化が崩壊した後に、どのようにして国民を統合していくのか?という問題です。
2-5-1:アンシャンレジームと結びついた制度・文化の破壊
まったく新しい政治制度、文化の上に「われわれ意識」を醸成するために、さまざまな文化的な取り組みが行われることになります。
特定の民族が「われわれ意識」を醸成していく思想・運動を「ナショナリズム」と言いますが、まさにこのナショナリズムの実践が成されたのです。
具体的には、
- ロベスピエールによる「最高存在の祭典」の開催(1794年)
- 革命の理念である「自由」「平等」「博愛」を象徴する版画や儀礼の創造
- 教会での教育を禁止
- キリスト教に関連したグレゴリウス暦から、共和暦(革命暦)へ変更
- メートル法の採用
- 絶対王政やカトリックをイメージさせるような市町村や道路、広場などの名称の変更
- 方言の撲滅とフランス語への統一
- 反キリスト教化運動(教会の破壊、聖職者への聖職の放棄の強制、教義を踏みにじるようなさまざまな行為)の流行
- フランス革命のシンボルであるマリアンヌ(自由の女神像)の彫像をあらゆるところに設置
といったことが行われました6松浦、前掲書48-62頁。
つまり、アンシャンレジーム・絶対王政と結びついた制度、文化などが一掃され、まったく新しく再編されていったのです。
ナショナリズムは政治や政治学を理解する上でとても重要な概念です。詳しくは以下の記事で説明しています。
2-5-2:統合への反発
国民統合はすべてが順調に進んだわけではありません。
国民統合は急速に「われわれ意識」を醸成しようとするものだったため、理念を共有できない人々を疎外することになったり、異質な人々を排除することに繋がりました。
- 貴族
バスチーユ襲撃以降にたくさんの貴族が亡命したことは前述した通りですが、こうして貴族は国民統合から排除されます。 - 聖職者
聖職者は議会から国民・国王・法に従うことを誓約することが求められ、それを拒んだ約半数の聖職者は「宣誓拒否司祭」として、反革命派として厳しい処罰を受けました。 - 外国人
ヴァレンヌ逃亡事件以降、外国人が陰謀に関わっているといううわさが広まり、外国人は監視下に置かれました。 - 農民
フランス革命では市民に対して徴兵が科せられましたが、この徴兵を拒む地方の人々が反乱しました(ヴァンデの反乱)。反乱に関わった農民たちは自律的に行動しただけだったのですが、彼らも陰謀と関わっていることが疑われて処刑されました。
このようにフランス革命は国民統合を急進的に進めようとするあまり、多くの人々「われわれ」の一部に入れることを拒まれ、排除されていった歴史もあるのです。
その後のフランスは、革命によって樹立された政府は解散され、ナポレオンの独裁を経て再び王政に戻りブルボン王朝が成立する、という歴史をたどりました。
- アンシャンレジームには、王室が財政赤字の補填のために権力を切り売りする側面があり、革命前からフランス絶対王政は弱体化していた
- フランス革命は、王室の新税導入をめぐる議論がきっかけになったが、議論は身分制の問題に飛び火し第三身分(平民)の反発が強力な革命のエネルギーとなった
- 第三身分(平民)が新しい議会(国民議会)を招集し、国民議会が新たな統治を主導したことで、封建制廃止、人権宣言の採択がなされた
- 革命後は、アンシャンレジームなき社会で国民統合するために、さまざまな文化的、政治的、教育的な取り組みがなされた
3章:フランス革命の学び方・オススメ書籍・映画
フランス革命について理解することはできましたか?
フランス革命は政治史上とても重要な出来事ですので、興味があればもっと深く学んでみることをおすすめします。
また、フランス革命は熱狂的でさまざまな芸術作品の題材にもなりましたので、映画などを通して理解を深めることもおすすめします。
安達正勝『物語 フランス革命―バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで』(中公新書)
フランス革命について書かれた、もっとも分かりやすい本です。新書なのですぐに読めますのでおすすめです。
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松浦義弘『フランス革命の社会史』(山川出版社)
フランス革命の中でアンシャンレジームの文化が破壊され、新しい文化が創造されていった過程について分かりやすく書かれた本です。つまり政治史というよりも「社会史」の側面が書かれています。すぐに読める分量なので、こちらもあわせて読んでみてください。
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ヴィクトル・ユーゴ―『レ・ミゼラブル』(角川文庫)
ユーゴ―のロマン主義フランス文学であり、世界的名著が『レ・ミゼラブル』です。演劇や映画などさまざまな芸術作品の題材にもされています。作中のメインの時代はフランス革命後の時代ですが、フランス革命と関わるシーンやその後のフランスの時代背景も詳しいです。当時の時代の雰囲気を味わうことができます。
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レ・ミゼラブルはヒュージャックマン主演の映画も名作ですので、ぜひ観てみてください。
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一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
最初の1冊は無料でもらえますので、まずは1度試してみてください。
また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
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などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。
まとめ
この記事の内容をまとめます。
- フランス革命の背景には、王室の財政赤字、ブルジョワジーの勃興、身分制への不満などがあった
- フランス革命の直接のきっかけは、王室が新税を議会に要求したこと
- フランス革命は、第三身分(平民)が主導し、身分制の撤廃、封建制廃止、人権宣言の採択などの成果を出した
- フランス革命では、アンシャンレジームを否定して新たな国民統合を成し遂げるために、さまざまな文化的、教育的、政治的な取り組みがなされた
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