4大財閥とは、戦前に日本経済に大きな影響力を持った4つの巨大財閥である「三井財閥」「三菱財閥」「住友財閥」「安田財閥」を指す言葉です。
第二次世界大戦敗戦後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策により、当時の日本国内の主要な財閥は解体され、その存在は日本経済という表舞台から姿を消しました。
しかし現代の我々が普段の暮らしを送るなかで「三井」「三菱」「住友」といった名を有する企業の製品やサービスを利用する機会は多く、姿を消したはずの財閥の名前を聞くことはごく自然なこととなっています。
この記事では、
- そもそも、財閥とは
- 4大財閥の歴史
をそれぞれ解説していきます。
この記事を読むことで、いまなお現代に名前の残る財閥がどのような歴史を歩み、現代につながっているのかを理解できるでしょう。
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1章:4大財閥とは
1章では4大財閥を概説します。歴史に関心のある方は、2章から読み進めてください。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:財閥とは
さて、「財閥」は明確な定義は定まっておらず、その範囲についてはさまざまな学説が混在しています。
たとえば、『日本の15大財閥』(平凡社)の著者である菊池(2009)は、「財閥」という用語の歴史を以下のように説明してます2菊池浩之(2009)『日本の15大財閥』平凡社 18頁。
- 「財閥」という言葉が初めて使われたのは明治時代中期に活躍した「甲州財閥」だとされている
- 甲州出身の事業家たちが結託して、経済界を席巻したことが「財閥」の起源である
- その後、「財閥」という言葉は、次第に「三井財閥」や「三菱財閥」のような、同一家族が経営する巨大企業の連合体に限定して使われるようになった
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そんな起源を持つ財閥ですが、日本経営史研究の第一人者である森川英治は「富豪の家族・同族の封鎖的な所有・支配下に成り立つ多角的事業体」3菊池浩之(2009)『日本の15大財閥』平凡社 18頁と財閥を表現しています。この定義が財閥を理解するうえで、最も違和感なく受け入れられるものであると思われます。
財閥が勃興したのは、明治維新後の近代以降になってからです。のちの4大財閥のなかにも江戸時代から豪商であった「三井」と「住友」と、明治維新直後の動乱の中、類稀なる商才をもってわずか一代で巨万の富を築いた「三菱」と「安田」が存在します。
また財閥の最たる特徴は、同一の事業者が業種・業態の異なる複数の事業を運営する「多角的事業体」の形態をとることです(→多角化経営に関してはこちらの記事)。
特に「三井」「三菱」「住友」は、明治維新直後から金融を中心に幅広い産業に影響力を持ったことから「総合財閥」とも呼ばれています。また、この3つの財閥のみを指す「3大財閥」と呼ばれることもあります。
1-2:4大財閥とは
では、4つの巨大財閥である「三井財閥」「三菱財閥」「住友財閥」「安田財閥」を個別にみていきましょう。
1-2-1:三井財閥
三井財閥は、
三井高利(1622-1694)によって開かれた呉服店「越後屋三井八郎衛門(以下、越後屋)」(1673年頃創業)を起源とする財閥
です。
越後屋は、「現金掛け値なし(現金で定価販売)」と言われた当時革新的であった商売手法により江戸と京都で高い人気を博した呉服店でした。
当時の商売
- 商人と顧客が直接交渉して商品の値段を決め、その代金を「付け(後払い)」で支払うというのが一般的であった
- 商人は代金の貸し倒れ損失(顧客が支払うべき代金を支払わないこと)を恐れ、商品の価格を顧客の信用の差によって変動させた
- または、貸し倒れを見込んで商品に高めの金利を設定するような方法がとられた
しかし越後屋では、顧客に現金即日払いを徹底させる代わりに、商品の価格を大きく下げて定価販売を実施したことで爆発的な人気を得ました。その後、三井高利は呉服店で得た資金を元に江戸・京都・大阪の主要都市間で両替商を営み、巨万の富を築きました。
三井家が「三井財閥」へと成り変わる足がかりとなったのは、明治維新直後の銀行業への転換です。本業であった呉服店の業績が振わず、新たなビジネスを模索していたところ、明治政府の財政を担っていた井上薫の要望により銀行業への専念を渇望したのでした。
そこで三井家は「越後谷呉服店(現・三越)」を切り離し、1876年に私立銀行である三井銀行を設立しました。この私立銀行を足掛かりに三井家は巨大な「三井財閥」を形成していきます。
1-2-2:三菱財閥
三菱財閥は、
岩崎弥太郎(1834-1885)によって開かれた貿易・金融会社「三菱商会」(1873年創業)を起源とする財閥
です。
岩崎弥太郎自身は社会階級の最下層に位置する武士の出身でした。しかし、明治政府の重役から、その類稀なる商才と先見性を見出され、次々と巨大ビジネスを依頼されたことで、「三菱商会」を国内屈指の巨大企業へと成長させました。
その後、弥太郎の弟にあたる岩崎弥之助(1851-1908)が後を継ぐと、当時、中核であった海運事業を起点として、鉱山経営(のちの三菱鉱業であり、現在は三菱マテリアル)や石油販売(三菱石油を経て、現在は新日本石油)など関連事業への多角化を進めました。
その後、4代目社長となった岩崎小弥太(1879-1955)が「三菱商会」を「三菱合資会社」と会社形式を変えたのち、各部門を分離させ、相次いで直系企業しました。これがのちの「三菱財閥」としての形のはじまりであったと言われています。
1-2-3:住友財閥
住友財閥は、
戦国時代から続く武士の家系であった住友正友(1585-1652)が京都で創業した薬屋・出版業を営む「富士屋」を起源とする財閥
です。
「富士屋」はあくまで京都内でのひとつの商店に過ぎませんでしたが、銅商として巨万の富を築いていた蘇我理右衛門(1572-1636)が正友の姉婿として住友家の家督を継いだことによって、京都でも有数の豪商として住友家の名が知られることになりました。
その後は一時、所有していた銅山の経営が危機に瀕するなど不測の事態にも見舞われますが、経営者たちの手腕によって再三の危機を脱してきました。そして、1895年に銀行業に進出し、住友銀行を設立することで財閥としての道を歩むことになりました。
1-2-4:安田財閥
安田財閥は、
明治維新後に両替商と巨万の富を築いた安田善次郎(1838-1921)によって創立された財閥
です。
善次郎は明治維新後に政府が発行した太政官札(最初の紙幣)の取引で、一躍財を成したと言われています。
そして、当時の大蔵省にその実績を買われたことで、1876年には第三国立銀行を設立に携わることになります。1880年には条例が改正され民間会社でも銀行を設立できるようになったことで、営んでいた両替商を「安田銀行」と改称しました。
「安田財閥」は他の3大財閥とは異なり、祖業として両替商を営んでいたことに違いがあります。善次郎は日頃から「性格が臆病であるから銀行家になった」4菊池浩之(2009)『日本の15大財閥』平凡社 125頁と述べ、生涯、金融業に専念したとされています。
しかし、その後「安田銀行」を継いだ善次郎の長男にあたる2代目・善次郎(1879-1936)が銀行経営に近代的経営手法を次々と導入していったことによって、事業の多角化や優れた人材の獲得が進み、一躍「4大財閥」として名が知られることになりました。
- 4大財閥とは、戦前に日本経済に大きな影響力を持った4つの巨大財閥である「三井財閥」「三菱財閥」「住友財閥」「安田財閥」を指す言葉である
- 財閥の最たる特徴は、同一の事業者が業種・業態の異なる複数の事業を運営する「多角的事業体」の形態をとることである
2章:4大財閥の歴史
さて、2章では財閥の歴史を詳しく解説していきます。
2-1: 4大財閥の解体
銀行業を中心に積極的な多角化を進め、日本経済に大きな影響力をもつようになった4大財閥ですが、太平洋戦争終結後は、戦時中における日本軍への軍事物資の供給や経済的支援の責任を問われ、主要な財閥はGHQの手によって解体されることになります。
財閥解体において、具体的に実施されたことには次の3つがありました5菊池浩之(2009)『日本の15大財閥』平凡社 26-27頁。
2-1-1: 持株会社の解体とその所有株式の分散
財閥では、創業者一族が持株会社の株式を保有し、その持株会社が財閥直系企業の株式を保有していました。さらに子会社、孫会社への続いていくことで垂直的な巨大集団を構築していました。
そこでGHQは「財閥家族」と「持株会社」を大戦の戦犯として名指しで指定し、財閥家族の所有する株式を強制的に取り上げ、財閥の最上位に位置した持株会社を解散させました。
そして、取り上げた株式を市場に放出することによって財閥家族による支配構造を解消しました。
2-1-2: 戦時における役員の公職からの排除
GHQは、1946年に公職追放令を発し、軍人をはじめ直接的・間接的問わず戦争に加担した公職者を政界から追放しました。そして、その翌年には財閥経営者に対しても戦争に協力した責任として、財界を追放する命令を下しました。
これによって戦前からの財閥の重役は一掃され、経営陣は大幅に刷新されたことで、財閥家族ではない専門経営者や生え抜き経営者が戦後の財閥企業の運営を担うことになりました。
2-1-3: 財産税の強化による大資産家の解体
巨大な財閥企業集団を背景に莫大な富を築いた財閥家族は、終戦後の動乱期にその全財産が凍結され、財閥家族にとっては不遇の時代を迎えます。
特に、財閥のなかでも影響力の大きかった三井財閥では所有する財産の9割を財産税として没収され、資産の大部分を占める株式も一方的に処分されました。
その上、すべての企業役員からも追放されてしまったため、三井家の財閥家族は長らく無収入状態が続き、その財産力は想像を絶するほど低下したと言われています。江戸元三井不動産社長は自著の中で、「その取り扱いの無慈悲で過酷なことは戦犯以上であった」と書き残しています。
※より詳しくは、三井広報委員会「三井財閥最後の日」(最終閲覧日2020年8月31日)
2-2: 財閥の復興
2-1で述べた施策に加え、1949年には財閥称号・商標の使用禁止が通達されたことで、財閥は一時的に日本経済の表舞台から姿を消すことになります。
ところが、苛烈を極めた財閥解体は、その後緩和の方向に転換します。そのきっかけとなったのは、
- 1950年に勃発した「朝鮮戦争」
- 1952年に発効した「サンフランシスコ講和条約」
でした。
朝鮮戦争において日本は、米国の補給基地として重要な役割を担いました。そこで軍需物資の調達や補給で存在感を見せつけたのが旧財閥に属した企業群でした。
日本の物資支援は、朝鮮戦争休戦協定が結ばれる1953年まで続きました。その後、アメリカは休戦後のアジア情勢を考慮して、日本を北朝鮮や中国といった共産主義国に対する東の「反共の防波堤」として機能させるために健全な資本主義国として発展させることを決断したと言われています。
この転換が戦後の日本を高度経済成長のひとつのきっかけであったと考えられています。
そして、1952年に発効したサンフランシスコ講和条約により、公職追放や財閥商号・商標の使用禁止などの財閥解体施策は失効し、これにより、財閥企業の経営者は徐々に経済界に復帰し、社名に変更した企業の多くは旧称に戻していきました。
2-3: 財閥の再編
サンフランシスコ講和条約の発効により旧財閥系企業の再集結が相次ぎ、1950年中盤には「財閥の復活」とも言われるほどの転換期となりました。しかし、それは完全な復活と呼べるほどのものではありませんでした。
なぜなら、GHQによって財産を没収されていた財閥家族の財力は想像以上に低下しており、解体された財閥本社を復興させるほどの余力はなかったからです。
ゆえに、サンフランシスコ講和条約の発効以後も財閥が本格的に復興されることはありませんでした。代わりに、旧財閥系企業群は市場に放出された株式を持ち合って、互いに株主となることで、新たな「企業集団」を形成していきました。
企業集団には特定の親会社や持株会社は存在せず、複数の企業からなる水平的な連合体であったことから、この企業集団の形成を持って、財閥は日本経済の表舞台から姿を消すことになります6菊池浩之(2017)『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』KADOKAWA 24-25頁。
その後、財閥を起源とする企業集団は戦後復興期から高度経済成長期にかけて日本経済の中枢企業群として戦後景気を支えていく存在となり、さまざまな製品やサービスを生み出しました。
確かに財閥解体によって、財閥は日本経済の表舞台からは姿を消すことになりましたが、いまなおその名前が残っているのは財閥の影響が広く日本国内に浸透し、いまの日本経済を作り上げてきたから存在であるからと言えるでしょう。
- 太平洋戦争終結後は、主要な財閥はGHQの手によって解体されることになった
- 財閥解体は、「朝鮮戦争」と「サンフランシスコ講和条約」を経て、緩和の方向に転換した
- 旧財閥系企業群は市場に放出された株式を持ち合って、互いに株主となることで、新たな「企業集団」を形成していった
3章:4大財閥について学べるおすすめ本
4大財閥に関して理解を深めることはできましたか?
以下の書物は4大財閥の理解を深めるために、必ず役立つものです。ぜひ読んでみてください。
オススメ度★★★ 菊池浩之『日本の15大財閥』(平凡社)
日本の主要な15 大財閥についてわかりやすくまとめられた1冊です。今回取り上げなかった財閥の歴史や成り立ちについても書かれていますので、財閥についてさらに知りたい方にはおすすめの1冊です。
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オススメ度★★★ 菊池浩之『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)
日本の主要な財閥の簡単な歴史からその後の企業集団形成に至るまでのプロセスが書かれた1冊です。財閥といまの企業集団の繋がりを理解する上ではおすすめの著書です。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 4大財閥とは、戦前に日本経済に大きな影響力を持った4つの巨大財閥である「三井財閥」「三菱財閥」「住友財閥」「安田財閥」を指す言葉である
- 財閥の最たる特徴は、同一の事業者が業種・業態の異なる複数の事業を運営する「多角的事業体」の形態をとることである
- 旧財閥系企業群は市場に放出された株式を持ち合って、互いに株主となることで、新たな「企業集団」を形成していった
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