ドストエフスキーの『悪霊』とは、長編五大作品のうちの一つで、『カラマーゾフの兄弟』(1879〜80年)と並んで、ドストエフスキーの思想的・文学的探究の頂点に位置する作品です。ニーチェの思想形成に影響を与えるなど、思想史上としても重要な作品です。
『悪霊』ではある登場人物を描くことで、ドストエフスキーにとっての重大な問題提起を行い、その問題の探究を行ったものとして知られています。
では、ドストエフスキーが探究を行った時代的背景とは何だったのでしょうか?
この記事では、
- 『悪霊』の背景とあらすじ
- 『悪霊』の学術的考察
をそれぞれ解説しています。
好きな所から読み進めてください。
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1章:ドストエフスキー『悪霊』のあらすじ
1章では『悪霊』を「背景」と「あらすじ」から概観し、2章では『悪霊』に関する文学的な考察を解説します。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:ドストエフスキーの『悪霊』の背景
『悪霊』はドストエフスキーの代表作として知られる作品のうちの一つで、1871年から1872年にかけて発表されました。冒頭で指摘したように、『カラマーゾフの兄弟』(1879〜80年)と並んで、ドストエフスキーの思想的・文学的探究の頂点に位置する作品です。
『悪霊』の特徴としては、以下のような多義的な作品であることです。
- ツルゲーネフ『父と子』で示されたような父と子世代の対立を描いているかと思えば、無神論、有神論、社会主義、などがごちゃ混ぜになっていた当時のロシア社会の思想的状況が反映されている
- 加えて、ドストエフスキー自身の宗教観が現れている
ちなみに、ツルゲーネフ『父と子』(新潮社)とは、同時代的にもよく読まれており、19世紀のロシア文学を学ぶ上でも欠かすことができないものです。ここでは簡単に概要だけを提示します。
ツルゲーネフ『父と子』の概要
- 1861年の農奴解放令を取りまく社会的大変動が起きていたロシアの田舎を舞台としている
- 古い貴族的文化(1840年代を中心とした貴族的自由主義思想を背景とする世代)と新たな民主的文化(理性と論理の有用性のみを認めるニヒリストたちの世代)の対立が父世代と子世代の対立・葛藤として描かれている
- また、ニヒリストに関して、同作は必読書で、「ニヒリズム」という語を周知させるきっかけとなった作品である
- ちなみにドストエフスキー自身は、ツルゲーネフの作品に対してはある程度認めている部分はあるものの、その人物に対しては否定的・批判的であった。『悪霊』ではツルゲーネフをモデルとする人物・カルマジーノフが冷笑的に描かれている
このように、一つの作品でたくさんの意味を見出すことができる『悪霊』では、登場する人物たち一人一人の個性の強さがさらに多義性を醸し出しています。
それは『悪霊』はミハイル・バフチンが指摘した「ポリフォニー小説」の形態をとっており、登場人物の一人一人がそれぞれある世界観を抱き、イデオローグとして存在しているためです。
※ポリフォニー小説に関しては、ドストエフスキーの『罪と罰』の記事で詳しく解説しています。→【ドストエフスキーの『罪と罰』とは】あらすじ・学術的な考察をわかりやすく解説
具体的な登場人物たちでいえば、
- ニヒリストたち(ピョートル)
- フェイエルバッハの思想の流れを汲む人神論者(人間が神とする思想)=無神論者(キリーロフ)
- スラヴ主義的な人物(ステパン氏、シャートフ)
- 神を信仰する人々(チホン僧正)
などの多様な思想を持った人物たちが登場します。
こうした登場人物たちの中でも特に、『悪霊』の主人公の一人であるニコライ・スタヴローギンは、一人一人のイデオローグとして存在している登場人物たちへの思想形成に影響を与える存在として、一種独特な存在感を放っています。
こうした複雑な思想的背景を持った人物たちから、当時のロシアの思想的状況だけでなく、ドストエフスキー自身の複雑な宗教観等も垣間見られる作品が『悪霊』です。
1-2:あらすじ
さて、ドストエフスキー『悪霊』の大まかなあらすじを紹介します。以下のあらすじは、江川卓訳の『悪霊』(新潮文庫)を参照しています。
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かつてロシアの知識人として名を馳せたこともあり元大学教授であるステパン氏は、二度、妻に先立たれたこともあり、ロシア某県の地主・ワルワーラ夫人の息子ニコライ・スタヴローギンの家庭教師として雇われ、現在に至ります。
ニコライの人生
- ニコライはステパン氏の教育を受けた後、ペテルブルクの貴族学校に進学し、卒業後は母親の希望に沿って軍務についた
- しかしその頃からニコライが二度の決闘事件を起こして二人を死傷させるなど、問題を起こすようになる
- こうして彼は一度、母親のもとに帰ってきたが、そこでも度々不祥事を起こしてしまう
- しかしのちに、彼は精神疾患を抱えていたことが判明する
- 病状が落ち着いた後、ニコライは母親の勧めに従って、外国への旅行に出かけた
それから4年ほどの月日が流れたちょうどその頃、ステパン氏はワルワーラ夫人の思惑に従って、彼女の養女であるダーシャと結婚させられそうになっていました。
ステパン氏は彼の最初の妻との間の子であるピョートルに助けを求める手紙を出します。こうして父親のいる某県にピョートルは、ニコライを伴って現れました。
しかしその頃、町では、ピョートルが以下のようなことを企んでいました。
- 新たに就任したレンプケ県知事夫人ユリヤに取り入り、労働者たちを煽動して町に騒乱を起こそうと画策していた
- ユリヤ夫人はピョートルにまんまと騙されてしまう。ユリヤ夫人が主宰した祭りは掻き回され、そのさなかに放火による火事が起きるなど、街の雰囲気は異様なものとなる
これはすべて、ピョートルは秘密結社を組織し、ロシアを転覆させる計画を持っていたためです。ピョートルは以前からの知り合いであった容姿端麗で頭脳明晰なニコライに目をつけ、彼を頂点とし、偶像とする新たな政治体制をロシアに築こうと奔走していたのです。
しかし、彼の計画は頓挫します。ニコライはピョートルの計画に従わなかったのです。さらに、ピョートル自身は彼が計画した町の青年・シャートフ殺人事件などが原因となり、にわかに追われる身となりました。そして、ピョートルは逃亡し、二度とその県に戻ることはなかったです。
その頃、ステパン氏は自身の結婚問題以来、ワルワーラ夫人との関係が悪化して放浪の旅に出てしまいました。一方のニコライも、突如姿を消してしまいます。そうして、彼らは神にまつわるそれぞれの思想を抱えたまま、最後を迎えるのです。
- ドストエフスキーの『悪霊』とは、長編五大作品のうちの一つで、『カラマーゾフの兄弟』と並んで、ドストエフスキーの思想的・文学的探究の頂点に位置する作品である
- 『悪霊』では「ポリフォニー小説」の形態をとっており、登場人物の一人一人がそれぞれある世界観を抱き、イデオローグとして存在している
- 当時のロシアの思想的状況だけでなく、ドストエフスキー自身の複雑な宗教観等も垣間見られる作品が『悪霊』である
2章:ドストエフスキー『悪霊』の学術的考察
さて、2章ではドストエフスキー『悪霊』の学術的な議論を紹介していきます。2章の執筆にあたっては亀山郁夫、リュドミラ・サラスキナ『ドストエフスキー『悪霊』の衝撃』(光文社新書)を参照しています。
2-1:執筆の背景とドストエフスキーの探究
ドストエフスキーが作品の構想をしたのは1869年末から1870年初頭にかけてです。当時は、『無神論』などと題され、現在読まれている作品とは異なった作品を書こうとしていきたといいます。
具体的に、ニヒリストや西欧派(ロシア的な国粋主義を否定し、西ヨーロッパの文化的成果を取り入れて社会を変えようとする勢力)を批判するための「政治ビラ」のような作品を書こうとしていたとされています。
しかし、そのときある一つの事件が起きます。1869年11月にモスクワで起こった「ネチャーエフ事件」です。
ネチャーエフ事件の概要
- ペトロフスカヤ農業大学において秘密結社を作っていた学生たちが、そのグループを脱退しようとした一人の学生・イワーノフを殺害した事件である
- そこにはセルゲイ・ネチャーエフという人物が絡んでいたことがのちに判明した
- ネチャーエフは当時スイスにいた革命運動家ミハイル・バクーニンに取り入って、1870年2月までにロシアで大暴動を起こし、専制国家を転覆させよという「ジュネーヴ指令」を携え帰国していた青年革命家である
- 作中ではピョートルのモデルになったともいわれてもいる
ドストエフスキーはこの事件に着想をえて、小説の構想を練り直しました。しかし、作者にとって現実のネチャーエフ事件の学生たちは、あまり人間として面白くない人物たちであると見ていたといいます。
そのため、新たにニコライ・スタヴローギンという主人公を登場させることになりました。革命事件を背景としつつも、美男子で貴族出身であり、老若男女が魅了されるニコライ・スタヴローギンという主人公を作者は登場させることで、「政治ビラ」よりも広がりを持った新たに小説を執筆していったのです。
ただ、リュドミラ・サラスキナ(ロシア文学者)によれば、ニコライ・スタヴローギンを書くことによって、作者は単に小説としての面白さを追求したかったわけではないといいます。
ドストエフスキーはニコライを書くことで、自らにとっての重大な問題提起を行い、その問題の探究を行ったというのです。それは簡潔にいえば、以下の意味を指します。
- ニコライは少女陵辱を犯すなど問題の多い人物であるが、それと同時に、明晰な頭脳をもち、魅力的な人間であるという二つの側面が混在している
- こうした人物を中心とした物語に対し、作者は「偉大な罪人の生涯」と名付けたほどである
- この人物を通して、ドストエフスキーは自らの信仰の問題と絡めて、救済の問題を考えようとした
- つまり、こうした罪深いニコライのような人間が救われる、あるいは変容するにはどのような道を歩まねばならないか、ということを作品において探求したのである
- 実際に作中ではニコライは町を追われたあと、外国を遍歴し、帰国するとニヒリストたちなどと対峙し、自らの道を模索していることがうかがわれる
しかし、結局、ニコライは救われることがなかったです。彼は、キリスト教的にも最も醜悪なやり方、つまり首吊り自殺を遂げて、自らの命を絶ってしまうからです。
ドストエフスキーは最初からこのような結末を用意していたことが創作ノートから明らかになっています。なぜこのような結末に至ったのかについては、研究者のなかでも意見がさまざまであり、いまだにその謎についての議論が続いています。
2-2:『悪霊』の受容史——ソ連時代から現在まで
どこの国でもそうですが、いろいろな考え方の人がおり、『悪霊』に関する統一的な受けとめ方というものはどこにも存在しないことは念頭においておく必要があります。
ただ、歴史的な状況をふまえつつ、『悪霊』がロシアにおいてどのように迎えられてきたのかをまとめると、『悪霊』の受容史が提示することができます。それは、おおよそ以下のような流れから説明できます。
ソ連時代
- 検閲があり、それが許容する範囲でのみ、『悪霊』に関する評価が口にされた
- 革命に対する反動的な誹謗文書、あるいは「反逆の意味を持つ」というように受けとめられることがあったため、ほとんどの人は沈黙を守っている
- 1971年まではなかば禁書とみなされていた
1971年〜1980年代初頭
- 1971年にユネスコが「ドストエフスキー年」を宣言したことで、全世界でドストエフスキー生誕150周年が祝われた
- ソ連もその輪に加わり、その際『悪霊』は極左の過激主義、毛沢東主義、ポルポト派を批判する小説であるとの宣言が公的になされた
ペレストロイカ以降
- 1980年代末から1990年代初頭にかけてロシア社会の悲劇の物語として認知され、語られるようになる
- 現在でも多くのロシア作家がもっともよく頻繁に引用し、ドストエフスキーの造形したイメージを使って自らのアイデアを表現している
以上の歴史の流れをとおして、『悪霊』が21世紀においても受容されていることを知ると、読解に幅がでるかもしれません。
2-3:思想史における『悪霊』
さて、冒頭で述べたように、『悪霊』は思想史的にも重要な著作です。たとえば、『悪霊』をはじめとするドストエフスキーの著作は、フリードリヒ・ニーチェの思想形成において重要な役割を果たしたといわれています。
実際、ニーチェのノートには『悪霊』の登場人物たちの世界観が抜き書きされていたといいます。ロシア文学者の井桁貞義は、その影響関係の一端として、次のように『悪霊』とニーチェ『権力への意思(力への意志)』におけるニヒリズムとの関連を指摘しています。
- 『権力への意志』の最初の文章の一つに「ニヒリズムとは何を意味するのか? ——至高の諸価値がその価値を剥奪されるということ。目標が欠けている。『何のために?』への答えが欠けている」とある
- ニーチェは、『悪霊』のなかでの登場人物たちの振る舞い、彼ら一人一人の思想・価値観なんかに、「至高の諸価値がその価値を剥奪されるということ。目標が欠けている。『何のために?』への答えが欠けている」という感じが漂っている、というようなことを草稿ノートにメモしている
- ニーチェ は『悪霊』を読んだ時の感覚——あらゆる価値が剥奪されている感覚——を『権力の意志』で表現される「ニヒリズム」の意味内容として昇華させた
井桁は、『悪霊』から感じたこうした感覚が現在知られているニーチェの「ニヒリズム」の骨格となったことを指摘し、またニーチェが「至高の諸価値が……」といったことに対しても『悪霊』全体の雰囲気を言い当てるものとしても、注目に値する見解だと指摘しています。
より詳しくは、井桁貞義「ニーチェの『悪霊』からの抜き書きについて」『人と思想 82 ドストエフスキイ』(清水書院、2014年収録)をぜひ当たってみてください。
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また、1章でみたように、ピョートルを中心とした秘密結社によって殺人事件などが持ち上りますが、その際、彼らの思想にはニヒリズム的なものとともに、社会主義的な思想の影響が見え隠れしています。
ドストエフスキーの時代の社会主義は、サン・シモンやシャルル・フーリエらが唱える「空想的社会主義」といわれているもので、マルクスらの「科学的社会主義」が盛んに唱えられる以前の社会主義です。
※空想的社会主義と科学的社会主義に関しては、以下の記事を参照ください。
→【空想的社会主義とは】マルクス主義との違い・各思想家の議論をわかりやすく解説
→【科学的社会主義とは】マルクスの問題意識から理論までわかりやすく解説
ドストエフスキー自身は1840年代後半に空想的社会主義サークルに所属しており、それがもとでシベリア流刑となっています。
フリードリッヒ・エンゲルス『空想より科学へ』(岩波文庫)では「空想的社会主義思想」からマルクスらの唱える「科学的社会主義」への発展が簡潔にまとめられており、『悪霊』の読解に重要です。
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- ドストエフスキーはニコライを描くことで、自らの信仰の問題と絡めて、救済の問題を考えようとした
- ドストエフスキーの著作は、フリードリヒ・ニーチェの思想形成において重要な役割を果たした
3章:ドストエフスキー『悪霊』に関するおすすめ本
ドストエフスキー『悪霊』に関して理解を深めることはできましたか?ぜひ、この記事をきっかけに原著に挑戦してみてください。以下、参考となる書物です。
米川正夫訳『悪霊』上・下(岩波文庫、1989年)
江川卓訳『悪霊』上・下(新潮文庫、2004年)
亀山郁夫訳『悪霊』全3巻(光文社古典新訳文庫、2010年〜2011年)
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オススメ度★★★ 亀山郁夫『謎とき『悪霊』』(新潮社)
多数のドストエフスキー作品の翻訳を手掛けた亀山郁夫の『悪霊』研究の総決算ともいえる同著では、ロシア国内の研究などもふまえ詳細な解説が施されています。
オススメ度★★ 亀山郁夫、リュドミラ・サラスキナ『ドストエフスキー『悪霊』の衝撃』(光文社新書、2012年)
亀山郁夫とロシアのドストエフスキー研究者で『悪霊』研究の第一人者であるリュドミラ・サラスキナの対談だけでなく、亀山・リュドミラそれぞれ一本ずつの論文を収録しています。『悪霊』を読んでいなくても作品の深淵に触れることができます。
オススメ度★★★ ゲルツェン『ロシヤにおける革命思想の発達について』(岩波文庫)
ゲルツェンは、19世紀中盤を代表するロシアの社会主義思想家です。作中でも彼についての言及がある。本書はロシアの革命思想の発達について書かれています。
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一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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また、書籍を電子版で読むこともオススメします。
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- 「書籍のポイント還元最大10%(学生の場合)」
などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。
まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- ドストエフスキーの『悪霊』とは、長編五大作品のうちの一つで、『カラマーゾフの兄弟』と並んで、ドストエフスキーの思想的・文学的探究の頂点に位置する作品である
- 当時のロシアの思想的状況だけでなく、ドストエフスキー自身の複雑な宗教観等も垣間見られる作品が『悪霊』である
- ドストエフスキーはニコライを描くことで、自らの信仰の問題と絡めて、救済の問題を考えようとした
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