テクスト論(the theory of text)とは、書かれてある言葉に注目し、テクストを多様に解釈していこうという立場です。ある作品の作者にその答えがあるのではなく、読む側、つまり読者がその解釈の答えを握っているという考え方を指します。
「テクスト論」はしばしば「読者論」ともいわれる立場で、文学の一つの大きなパラダイムです。代表的な論者はフランス人文芸批評家のロラン・バルトです。
作者の意図を汲み取ろうと試みる「作品論」とは全く異なる立場ですから、「テクスト論」との違いを理解することが大事です。
そこで、この記事では、
- テクスト論の意味
- テクスト論と作品論との違い
- ロラン・バルトの議論
をそれぞれ解説します。
読みたい箇所からで構いませんので、ぜひ読んでみてください。
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1章:テクスト論とは?
1章では、テクスト論を概説します。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1: テクスト論の意味
まず、テクスト論の定義を確認しましょう。テクスト論とは、
書かれてある言葉に注目し、テクストを多様に解釈していこうという立場
を指します。
「テクスト論の考えなんて当たり前じゃない?」と感じる人もいると思いますが、日本の文学研究では1980年代ごろまで主流な考え方ではありませんでした。そこで、まずはテクスト論が何を意味するのかを簡単に説明します。
そもそも、文学の読み方はさまざまです。人によって同じ文章を読んだとしても感じ方が違ってくるのは当たり前です。
しかし、同じ文章を読むことですべての人が同じような感情を引き起こすというような「神話」を抱いてしまったりもします。意外にもそのような考え方は今なお強いといえるのではないでしょうか?
1-1-1: 日本の文学研究における作品論とテクスト論
文学を研究する人々の間では、ある作品を解釈する際に正しい解釈があるはずだ、という考え方が疑われない時代がありました。
それは「作品論・作家論」と呼ばれる立場を指します。この立場はある作品を生み出した作者が正しい解釈を握っているという考え方です。
しかし、日本では1980年代ごろになると大きなパラダイムチェンジが起きます。それが「作品論→テクスト論」という変化です。
テクスト論は、
- 作家の意図を汲み取ろうとあくせくしない
- 重要なのは「書かれてあること」に注目すべきである
と主張します。
1960年代に「作者の死」という重要な論文を発表し、のちのテクスト論を準備することになったのは、フランス人の文芸批評家のロラン・バルトです。
(*ロラン・バルトの「作者の死」については、2章で詳しく解説します)
1-2: テクスト論と作品論との違い
ここでは、「テクスト論」と「作品論」の違いを細かくみていきましょう。結論からいえば、テクスト論と作品論・作家論との違いとは、以下のとおりです。
- テクスト論は「書かれてあること」が重要である
- 作品論は「言葉よりも作者」が重要である
小説などの作品を読むときにどこに力点を置いているのかが全く異なってくるのです。
1-2-1: テクスト論の身近な事例
たとえば、テクスト論の立場では「言葉が一人歩きしてしまう状態」を重くみます。身近な事例で考えてみましょう。
テクスト論の身近な事例
- あたながLINEなどで友達に送った言葉が自分の意思に反して、変に相手に解釈されたりした経験はテクスト論的
- この経験は「言葉が一人歩きしてしまった一例」
- テクスト論ではその言葉の一人歩きという事実があることを積極的に肯定して、多様にテクストを解釈していこうとする立場
- 言葉に限界があると同時に、解釈の豊富さという可能性があると考える
つまり、テクスト論とは言葉の限界と開けた解釈を考慮に入れて、柔軟にテクストを読んでいこうとする立場なのです。
1-2-2: 文学におけるテクスト論
次に、テクスト論を文学で考えてみましょう。
文学におけるテクスト論
-
言葉というものが作者の全てを表象しているという幻想を打ち破り、テクストから何を読み取れるのか、ということを重要視
-
「この作者が書いたテクストだから、こうとしか読んではいけない」という考え方ではなくて、「書いている作者も自分では意識しているわけではないけれど、実はこのテクストはこういったように読めるのではないか」というように読書の可能性を広げる
文学におけるテクスト論を初めて提唱したとされるロラン・バルトの言葉を引用します。彼は、次のような言葉で「テクスト論」を示しています2ロラン・バルト『批評と真実』(1966年)(日本語訳は、石川美子『ロラン・バルト 言語を愛しおそれつづけた批評家』(中央公論新社、2015年)73頁より再引用。
ある作品が「永遠」なのは、さまざまな人に唯一の意味を強いるからではなく、ひとりの人間にさまざまな意味を示すからである。
どうでしょう?テクスト論とは作者のことを一旦忘れて、「書かれてあること=テクスト」に注目することで、テクストの味をもっと味わおうする行為なのです。
1-2-3: 日本文学におけるテクスト論
日本文学、特に漱石研究者として名高い石原千秋はテクスト論(読者論)に依拠して研究しています。まずは彼の言葉を聞いてみましょう3石原千秋『読者はどこにいるのか』(河出書房新社、2009年)33~34頁。
作家論パラダイムから小説テクストを読んで、たとえば「作者の悲哀」しか引き出せないような読み方をするのは、あまりに貧しいと考えるからである。そして、他者がそのようにいかにも容易に理解できてしまうと考えている点で、あまりにも安易だと考えるからである。
石原の嘆きを理解することはできましたか?
しかしいくら言葉に注目してみたとしても、作品論・作家論のパラダイムから読んでみた場合、「ある作者が書いた作品には、その作者の思想や生い立ちなどが反映されていないとは到底考えられない。作品を読むとき、作者を無視してもいいとまでは言えないのではないか」というような批判が聞こえてきそうです。
たしかに、ある作者が書いた作品にはその人の個性が表れるものです。その人にしか書けない物語、文体があることは間違いありません。テクスト論はそれ自体を否定してるわけではありません。
注意したい点は、
- 石原も同じ著書のなかで言っているように、テクスト論(読者論)とは一つの立場であって、絶対的なものない
- 自分がある作品を読んで「作家がこのように考えていたとしか考えられないではないか」というならば、その根拠を提示して他人を納得させられれば、それはそれでOK
だということです。
つまり、テクスト論は作品論・作家論的な考え方とは距離を取ろうとします。
「他者を理解しようとすることはもっと慎重になるべきだ」、「テクストを読んで簡単にある人のことをわかったと言ってしまうのは驕りでもあり、自惚れになってしまわないか」。そういうことを重要視する立場がテクスト論の立場であるといえるでしょう。
ちなみに、文学者石原千秋の著作『読者はどこにいるのか』は、テクスト論(読者論)に関する教科書的な存在です。興味のある方は参照してみてください。
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いったんこれまでの内容をまとめます。
- テクスト論とは、書かれてある言葉に注目し、テクストを多様に解釈していこうという立場。ある作品の作者にその答えがあるのではなく、読む側、つまり読者がその解釈の答えを握っているという考え方
- テクスト論とは作者のことを一旦忘れて、「書かれてあること=テクスト」に注目することで、テクストの味をもっと味わおうする行為
- 「作品を読むとき、作者を無視してもいい」と主張するわけではない
2章:テクスト論の提唱者:ロラン・バルト
1章ではテクスト論の概要を解説したため、テクスト論を提唱したロラン・バルトの議論を紹介することができませんでした。
テクスト論を深く理解するためにには、バルトの議論を理解することが一番です。ぜひ読み進めてください。
2-1: ロラン・バルトとは誰か
何度か言ったように、テクスト論のパラダイムはフランス人文芸批評家のロラン・バルト(1915年―1980年)が用意したと言われています。
バルトとは次の経歴をもつ人物です。
ロラン・バルトとはだれか
- 文学だけでなく、演劇やファッション、映画などにも造詣が深く、それらの分野で多大な成果
- またそれらを論じる際は、哲学、社会学、言語学などの諸理論を駆使し、難解でありながら、芸術的な文章でもって人々を魅了
- 彼が創造し、提唱した概念(たとえば、エクリチュール)がフランス語辞典に収録される
- 彼の影響は現在のフランス語文化圏にとどまらず、世界中の人々に大なり小なり及んでいる
文学にとどまらず、文系の学問やファッション批評においては必ずと言っていいほど参照され、いわば「知の巨人」として名高い人物がロラン・バルトです。
ちなみに、バルトは1960年代後半に幾度も日本を訪れており、日本に関する論考もいくつか書いています。
たとえば、1970年に出版された『表徴の帝国』(日本語訳は、ちくま学芸文庫(1996年)などがある)は、日本文化を論じる際にかかせない本であるともいわれ、今でも読み継がれています。
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2-2: ロラン・バルトと「作者の死」
さて、そんなバルトが1967年に発表したのが「作者の死」という論考です。「作者の死」は世界中の文学研究者に影響を与え、彼の存在を世界に知らしめました。
日本のロラン・バルト研究者の石川美子はバルトが「押しつけがましさや威圧的な表現」に批判的であったことを指摘しています。
バルトの思考の根底には次のような考え方があったからです。
バルトの思考の根底
- バルトは大学時代に演劇サークルを主宰していたこともあり、演劇において演者の押し付けがましく観客を巻き込もうとする演技を批判
- 観客が演技を「「認知する」ように」、言い換えると、観客が芝居の内容を意味づけていけるような、そのような演劇を求めていた
- 彼が日本に魅了されたのも、俳句などの日本の文化のなかに、押しつけがましさのないある種の含み、余韻を持たせるものがあったためだったかもしれないといわれる
このような思考をもとに、バルトは「作者の死」でテクスト論の土台となる議論を展開しました。「作者の死」では「読者」の存在を重要視しています。作者ではなく、読者こそが意味を構成する主体である、と。
ここでは、少し長いですが、バルトの言葉を引用します4ロラン・バルト「作者の死」(花輪光訳『物語の構造分析』(みすず書房、1979年)89頁。
読者とは、あるエクリチュールを構成するあらゆる引用が、一つも失われることなく記入される空間に他ならない。あるテクストの統一性は、テクストの起源ではなく、テクストの宛て先にある。しかし、この宛て先は、もはや個人的なものではありえない。読者とは、歴史も、伝記も、心理ももたない人間である。彼はただ、書かれたものを構成している痕跡のすべてを、同じ一つの場に集めておく、あの誰かにすぎない。
そしてバルトは言います。「読者の誕生は、「作者」の死によってあがなわなければならないのだ」、と。
つまり、バルトの主張とは、
- 「「作者」の死」は本当に実際の作者が死んでから読者が誕生するという意味ではない
- 「文学解釈のための唯一無二の存在としての「作者」の死」、つまり、「作者をテクスト解釈の唯一の源泉にしないこと」を意味する
- そのことによってはじめて読者へとその解釈のベクトルが開かれる
というものです。
2-2-1: バルトとフーコーの違い
ちなみに、バルトの「作者の死」が発表された同時期に哲学者のミシェル・フーコーも「作者とは何か」という講演を行なっています。
ただ、バルトとフーコーは全く同じように「作者」に関して考えていたわけではありません。石川美子はバルトとフーコーの違いを次のように指摘しています5ロラン・バルト『批評と真実』(1966年)(日本語訳は、石川美子『ロラン・バルト 言語を愛しおそれつづけた批評家』(中央公論新社、2015年)79頁より再引用。
バルトとフーコーの違い
- フーコー・・・「主体が言語を語る」ことから「言語が主体を確立する」ことへの移行が構造主義以降の考え方。言語をあやつる主体としての作者の消滅。
- バルト・・・主体の問題よりはむしろ、作品と作者と読者の関係のほうに重点をおいている。作品から「作者」を遠ざけるべきであり、そうすることによって作品の持つ意味の多様性をよみがえらせるべき
バルトの「作者の死」によって「読者」が誕生することで、新たな文学の読み方が心置きなく追求できるようになりました。
ちなみに、フーコーの「主体が言語を語る」ことから「言語が主体を確立する」はソシュールの言語学を用いて構造主義が主張した「言語論的転回」を意味します。
- テクスト論のパラダイムはフランス人文芸批評家のロラン・バルトによるもの
- 「作者の死」とは「読者」の存在を重要視するもの。作者ではなく、読者こそが意味を構成する主体であると主張した
3章:テクスト論を学ぶだめの書籍リスト
どうでしょう?テクスト論を理解することはできましたか?
この記事で紹介できた「テクスト論」はあくまで概要です。テクスト論をしっかり学ぶために、これから紹介する「テキストをテクスト」としてあなた自身で読んでみることをオススメします。
ぜひ手に取ってみてください。
石原千秋『読者はどこにいるのか』(河出書房新社)
日本の文学研究者が書いたテクスト論(読者論)に関する本です。初学者が読んでもわかりやすく、日本社会の問題と関連させながら文学、特に読者論の問題を扱っています。近代の日本の文学を取り上げて内容が進んでいきますが、それにとどまらず、外国語文学を味わうためにもおすすめの一冊です。
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石川美子『ロラン・バルト 言語を愛しおそれつづけた批評家』(中央公論新社)
フランスの「知の巨人」ロラン・バルトの生涯を綴りながら、彼の思想の変遷に触れることができる良書です。彼の思想が解説されているためわかりやすく、入門書としても、今後の読書案内としても活用できる本です。
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前田愛『増補 文学テクスト入門』(筑摩書房)
文学をこれから研究したい、本格的に学んでみたいという人にとっては必読の本です。見かけのページ数が少ない割には様々な文学理論を凝縮して濃密に解説しているため、読者は文学のおもしろさの深みについついひき込まれてしまいます。
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まとめ
最後に今回の内容をまとめます。
- テクスト論とは、書かれてある言葉に注目し、テクストを多様に解釈していこうという立場。ある作品の作者にその答えがあるのではなく、読む側、つまり読者がその解釈の答えを握っているという考え方
- 「作品を読むとき、作者を無視してもいい」と主張するわけではない
- 「作者の死」とは「読者」の存在を重要視するもの。作者ではなく、読者こそが意味を構成する主体であると主張
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