『歴史の終わり』(The End of History and the Last Man)とは、国際政治学者のフランシス・フクヤマ(Francis Yoshihiro Fukuyama)が1989年に発表した論文、および1992年に出版された書籍のことです。
『歴史の終わり』は、人間社会で歴史上続いてきたイデオロギー闘争が、自由民主主義の勝利によって終わるだろうと主張し、国際政治学の世界で議論を巻き起こしたことで有名な論文・書籍です。
フクヤマの『歴史の終わり』を、単に冷戦中に考えられたアメリカの一方的な政治観だと切り捨ててしまうのは間違いです。
フクヤマの議論は、自由民主主義に対抗できるイデオロギーが現代でも出てきていないことを考えると、いまだに説得力がある議論だからです。
また、『歴史の終わり』はその後の国際政治学に大きな議論を巻き起こしており、国際政治を学ぶ上では必ず知っておくべき思想です。
そこでこの記事では、
- 『歴史の終わり』が書かれた時代背景や問題意識
- 『歴史の終わり』の内容やなされた問題提起
- 『歴史の終わり』への批判やその後につながった議論
などについて詳しく解説します。
読みたいところから読んで、これからの学びに活用してください。
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1章:『歴史の終わり』とは?
それではさっそく、『歴史の終わり』について、書かれた時代背景や問題意識、ポイントから解説します。
詳しい内容から知りたい場合は、2章からお読みください。
「歴史の終わり」(The End of History and the Last Man)は、保守系の国際情報誌『ナショナルインタレスト』に1989年に投稿された、フランシス・フクヤマの論文です。
フランシス・フクヤマ(Francis Yoshihiro Fukuyama)は、国務省の政策企画局次長で、国際政治学者でした。アメリカの政策の中心におり、東西冷戦の末期の実感と分析から、「歴史の終わり」を書いたのです。
また、1992年には上記「歴史の終わり」の論文をさらに体系的に執筆した『歴史の終わり』を書籍として出版しました。
1-1:当時の時代背景
『歴史の終わり』をより深く理解するためには、当時の時代状況を把握しておくことが大事です。
フクヤマが『歴史の終わり』を書いたのは、東西冷戦が終結に向かっていた1980年代末期から1990年代初期です。
1980年代末期から1990年代初期は、
- 1989年から90年にかけて、東ドイツや東欧社会主義国が崩壊した
- 1991年にはソ連が消滅しロシア連邦が誕生
- 共産主義との闘いという大義名分を失い、アメリカの国際社会での軍事介入に新たな理由が必要とされた
という時代でした。
つまり、
「共産主義VS自由民主主義」
という長く続いたイデオロギー対立がソ連の崩壊によって終結し、結果的に自由民主主義がイデオロギー闘争に勝利した、という時代だったのです。
フクヤマが「歴史の終わり」の論文を発表したころは、まだ冷戦は終結していませんでした。しかし、「歴史の終わり」発表から少しの間に東欧で社会主義政権が崩壊していったため、冷静終結を予言したと話題になり、議論を巻き起こしたのです。
こうした時代背景から考えると、
「フクヤマはアメリカの自由民主主義の勝利を正当化しただけでしょ?」
と思われるかもしれません。
しかし、フクヤマはむしろ、自由民主主義が単一イデオロギーになった世界で起こる、新たな問題について言及しており、アメリカのイデオロギーの勝利を単に正当化したわけではないのです。
詳しくは2章で説明します。
民主主義については次の記事で詳しく解説しています。
1-2:『歴史の終わり』のポイント
『歴史の終わり』のポイントを端的に言うと、
- 自由民主主義が、共産主義を含む過去のあらゆるイデオロギーより優れており、最終的に勝利する
- 理想の世界をめぐって人類が行ってきたイデオロギー闘争は今後もうあらわれない(これが「歴史の終わり」の意味)
- 自由民主主義というイデオロギーは、永遠で普遍的、そして最良のものであり、これに代わるイデオロギーは今後登場しない
という内容です。
実際には、フクヤマはヘーゲルの歴史哲学や独自の人間観に触れながら、なぜ自由民主主義がイデオロギーとして最高なのか、なぜ永遠、普遍的なイデオロギーなのか、ということを詳しく説明しています。
これから内容を解説していきますが、より詳しくは『歴史の終わり』そのものを読むことをおすすめします。ぜひ手に取ってみてください。
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まずはここまでをまとめます。
- 『歴史の終わり』は、冷戦終結前後に書かれたもので、共産主義と自由民主主義のイデオロギー闘争に自由民主主義が勝利し、イデオロギー闘争が終わると主張された
- フクヤマは、自由民主主義は永遠で普遍的、最良のイデオロギーで、対抗できるイデオロギーは登場しないと考えた
2章:『歴史の終わり』の解説
ここまで読んで「自由民主主義が永遠で普遍的だなんて、アメリカの価値観の押し付けでは?」と思われたかもしれません。
フクヤマもこのような批判が起こることを見越して、なぜ自由民主主義が優れたイデオロギーなのか詳しく解説しています。
2-1:自由民主主義が永遠・普遍的である理由
フクヤマの議論の要点は、
- 自由民主主義は最良…自由民主主義に対抗できるイデオロギーは存在しない
- 自由民主主義は普遍的…あらゆる歴史、文化、文明を持った国家に適合する
- 自由民主主義は永遠…今後は自由民主主義が最高のイデオロギーとして一貫し、滅びることはない
ということです。
自由民主主義という単一のイデオロギーをここまで支持するのは、もちろん理由があります。
2-1-1:国内問題に柔軟に対処できる
ハンチントンによると、自由民主主義が優れている理由の一つは、国内で大きな政治問題があった場合に最も柔軟に対応できるのが、自由民主主義国家だからということです。
なぜなら、自由民主主義国家は、普通選挙によって問題のある政党を政権交代させることができるため、国家全体が破滅することがないからです。
例えば、全体主義国家(ナチスドイツや戦中日本)のように、民主主義が機能していない国家では、特定の政治集団によって独裁される危険性があります。
自由民主主義が機能していれば、特定の政党が権力を牛耳り、問題が大きくなる前に対処可能なのです。
2-1-2:全体主義に転化しない
「民主主義国家でも、特定の政治集団が権力を牛耳り全体主義に転化することもあるのでは?」
と思われるかもしれせん。
しかし、これも現実的にはあり得ないとフクヤマは考えました。
なぜなら、
- 全体主義は共産主義への対抗として起こったものであった
- そして、共産主義VS自由民主主義というイデオロギー闘争において共産主義は崩壊し、自由民主主義が唯一のイデオロギーになった
- そのため、自由民主主義国家が全体主義に転化するきっかけが消失した
という理由からです。
※全体主義について詳しくは以下の記事をご覧ください。
しかし、「それでも、共産主義に代わる別のイデオロギーが登場する可能性があるのでは?」
と思われるかもしれませんが、これもフクヤマはないと考えました。
なぜなら、イデオロギーは歴史上、その他のイデオロギーと対抗し、互いに吸収・止揚してきて、その最後のイデオロギー闘争だったのが「共産主義VS自由民主主義」だったからです。
※止揚というのは、対立する概念を取り入れてさらなる高いレベルの概念(イデオロギー)になるということです。
対立するイデオロギーの止揚を繰り返した結果、最後に残ったのが自由民主主義なのだから、今後対抗する概念が登場することはないのだ、とフクヤマは主張しました。
2-1-3:経済を発展させる
さらに、自由民主主義は他のイデオロギーに比べて経済発展に貢献すると考えました。
フクヤマは、シーモア・M・リプセット(Seymour Martin Lipset)の説に同意し、安定した民主主義と経済発展には強い相関関係があると考えました。
しかし、高度な経済発展は自由民主主義だけでなく、開発主義的な権威主義国家(国家が強く経済を統制し経済成長させるアジアに多く見られる体制)にも行き着く可能性があります。
これに対し、フクヤマは確かに短期的には開発主義国家が発展するが、長期的には結局自由民主主義国家の方が発展するのだと考えました。
なぜなら、権威主義的国家は利益団体が政治と癒着し、国家が非効率な産業を保護することにより、経済発展が遅れるようになるからです。
そのため、結局は自由な経済活動が認められ、国家が経済に介入しない、自由主義的な民主主義国家が優れている、というのがフクヤマの主張です。
2-2:フクヤマの歴史観
こうしたフクヤマの『歴史の終わり』の議論は、独自の人間観から導き出された、歴史の発展法則に基づいているものです。
2-2-1:「最後の人間」という人間観
フクヤマは、ヘーゲルの「最初の人間(他人に認められるために、命を脅かすような行動すら行う)」に対して、「最後の人間(何かを犠牲にする覚悟はないが、承認を求めて衝動的に行動する)」という人間観を主張しました。
ヘーゲルが唱えた「最初の人間」は、名誉のために生存本能に反した闘争を行い、その勝敗が階級社会を生んだ(それが「歴史の始まり」だった)という議論です。
これに対して、フクヤマの「最後の人間」は、ニーチェ哲学の概念で、
最初の人間のような名誉を求めて闘争するような勇気は持たないし、命を懸けて行動するような覚悟もない。しかし、承認を求めて衝動的に行動してしまうのだ
と考えました。
例えば、現代においても天安門事件やタハリール広場、またテロ活動のように、命を投げ出して行動する人々がいます。これを認知を求める闘争と言います。
自由民主主義が優れているのは、この「認知を求める闘争」に寛容だからです。
共産主義は、この個人への認知を与えず、人々を画一的に扱います。そのため、共産主義は政治を動かすエネルギーを失い、崩壊してしまったのだ、とフクヤマは主張します。
2-2-2:歴史の原動力
フクヤマは、このような人間観に基づいて、歴史を、
- 人間の「認知を求める闘争」であり、イデオロギー闘争である
- 多様なイデオロギーが自由民主主義に向かって弁証法的に発展していったものである
と考えました。
よく考えてみてください。
なぜ戦争は、何百万人も殺戮し国土を灰にしてしまうほど苛烈になってしまうのでしょうか?また、冷戦期のように地球を何度も滅ぼせるような兵器を作ってしまうのはなぜでしょうか?それほどのエネルギーがあるのであれば、産業の発展に投資して経済成長させた方がいいとは思いませんか?
しかし、このように合理的に行動できないのが人間の本性なのだ、とフクヤマは考えました。
フクヤマは、それが人間の本性である「認知を求める闘争」だと考えます。人間は、「自分のことを知って欲しい!」という「認知」をモチベーションにして行動し、その結果として歴史が発展するということです。
この人間本性があるからこそ、人間は時に非合理的な行動をとりそれが歴史を動かしていくのです。
つまり、合理的選択ではなく、精神的なもの(=イデオロギー)が歴史を発展させ政治を動かすということです。
2-2-3:フクヤマの歴史哲学
このように、フクヤマは歴史をイデオロギーの闘争としてとらえたのですが、さらに歴史を「自由民主主義に向かって弁証法的に発展する」ものだとも考えました。
このように言うと、
「ヘーゲルやマルクスが行った古い議論では?」
「アメリカの価値観を最高のものと考える自民族中心主義では?」
と思われるかもしれません。
しかし、フクヤマの考えはそうではありません。
2-1で解説したような理由から、自由民主主義は他のイデオロギーに対して客観的に優れたものだと考えられるし、事実、自由民主主義体制の国家は増えている。アメリカが太平洋戦争における日本や、冷戦におけるソ連に勝利できたのは、自由民主主義という普遍的なイデオロギーを持っていて、国民の支持を得ることができたからだ、とフクヤマは考えました。
そのため、イデオロギー闘争は自由民主主義の勝利によって終結し、イデオロギー闘争という歴史は終わったのだ、と主張したのです。
2-3:自由民主主義の勝利がもたらす問題
しかし、フクヤマは自由民主主義の勝利によって生まれる問題点も指摘しました。
それが以下のものです。
- 歴史が終わることで人々は闘争する理由を失い、歴史を発展させるエネルギーを失ってしまう
- 自由民主主義の浸透によって共同体的な価値観が崩れ、「人間の尊厳は何によって構成されているのか?」ということについて合意できなくなる
■フクヤマの議論への批判と意義
こうした『歴史の終わり』において行われたフクヤマの議論は、その後批判されるようになりました。
冷戦終結によって、確かに自由民主主義がイデオロギーとして勝利しましたが、その後大きく経済発展したのは、中国をはじめとする開発主義的・権威主義的体制のアジアの国家だったからです。
アメリカより統制的な経済体制であったり、そもそも民主主義でもない国家が大きく成長したのです。
また、『歴史の終わり』的に自由民主主義が唯一のイデオロギーだと考える思想は、アメリカの価値観を普遍的なものと考え、それを国際政治に介入する理由にするネオコン的な思想にも繋がります。
※ネオコンについて、詳しくは以下の記事をご覧ください。
こうした理由から『歴史の終わり』は厳しく批判されたのです。
とはいえ、フクヤマの議論後には「イデオロギー闘争の終焉」に関する議論が行われ、特にフクヤマの師匠であるハンチントン『文明の衝突』は有名です。
それに、体制としては開発主義的国家が成長しましたが、それらの国家が普遍的なイデオロギーを生んでいるとはいえず、依然として自由民主主義が世界で普遍的で理想的なイデオロギーと考えられています。
この点で、フクヤマの議論はすべてが間違っていたとは言えませんし、その後の議論を生んだ点意義があるものだったのです。
- 人間は「認知」を求めて、時に非合理的に行動するが、それが歴史を動かすエネルギーになる
- つまりフクヤマの歴史観は、合理的・物質的なものが歴史を動かすのではなく、精神的なもの(イデオロギー)が歴史を動かすと考えたもの
- イデオロギー闘争は自由民主主義に向かって収斂していったため、自由民主主義が唯一無二になる
3章:『歴史の終わり』と国際政治思想の学び方
『歴史の終わり』の内容について、理解することはできたでしょうか?
『歴史の終わり』は過去の議論ではありますが、国際政治学を学ぶ場合は一度読んでおくことをおすすめします。
また、『歴史の終わり』と合わせて、冷戦終結前後から活発化した国際政治学の議論を広く学ぶこともおすすめします。なぜなら、冷戦終結は国際政治学上の大きな課題であり、国際政治学に大きな変容を迫った出来事であったからです。
興味のある方は、これから紹介する書籍から学んでみてください。
オススメ度★★★フランシス・フクヤマ『政治の衰退』(上・下)(講談社)
フクヤマが書いた国家の本質に関する書籍です。国家がいかにして成立するのか?を学ぶのにいい本です。
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オススメ度★★サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』(集英社)
フクヤマの議論を受けて、師匠であるハンチントンが「イデオロギー闘争ではなく文明の衝突の時代になっていく」と予測したのが『文明の衝突』です。『歴史の終わり』と合わせて議論されることが多い国際政治学の必読書です。
『歴史の終わり』で書かれたようなイデオロギー闘争にかわって、現代ではどのような現象が起こっているでしょうか?現代国際政治の闘争は宗教、文明など多様化していますので、リアルな国際情勢が分かる以下の新聞・雑誌から学んでみてください。
エコノミスト
英文ビジネス誌 The Economist
日経ビジネス
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ウォールストリートジャーナル
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まとめ
この記事の内容をまとめます。
- 『歴史の終わり』は共産主義と自由民主主義のイデオロギー闘争が、自由民主主義の勝利によって終結し、イデオロギー闘争が終わる(歴史の終わり)と主張した本
- 人間は「認知」をモチベーションに歴史を動かしてきたのであり、それがイデオロギー闘争であった
- イデオロギー闘争が終結した後は、「認知」のモチベーションがなくなり歴史を動かすエネルギーがなくなる可能性がある
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【参照】
フランシス・フクヤマの画像引用元(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Francis_Fukuyama_2005.jpg)最終閲覧日:2019年7月23日