リバタリアンパターナリズム(Libertarian Paternalism)とは、個人の行動・選択の自由を権力が阻害せず、かつ「より良い結果」に誘導する思想のことです。
行動経済学の分野で提唱され、現代では政治学、法学などにも影響しています。またリバタリアンパターナリズムから生まれた「ナッジ」という概念は、ビジネスの世界でも重視されるものです。
リバタリアンパターナリズムは、自由と規律という政治学の本質的な問題に対する一つの解決策として提唱されましたが、現在ではさまざまな議論がなされています。
そこでこの記事では、
- リバタリアンパターナリズムの定義、問題背景
- リバタリアンパターナリズムとナッジについて
- リバタリアンパターナリズムへの批判・問題点について
を詳しく説明します。
関心のある所から読んでみてください。
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1章:リバタリアンパターナリズムとは
もう一度確認しましょう。リバタリアンパターナリズムとは、個人の行動・選択の自由を権力が阻害せず、かつ「より良い結果」に誘導する思想のことです。
リバタリアンパターナリズムは、キャス・サンスティーンとリチャード・セイラ―の共著論文である「Libertarian Paternalism Is Not an Oxymoron(リバタリアンパターナリズムは撞着語ではない)」で提唱された概念です。
行動経済学の分野で提唱され、その後政治学、法学、経済学など社会科学に広く影響を与えました。1章では、まずはリバタリアンパターナリズムの背景にある問題意識や定義について説明します。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:背景にある問題
リバタリアンパターナリズムを理解するためには、そもそも政治学や法学の領域で何が問題とされてきたのか、という「問い」から理解する必要があります。
1-1-1:古典的自由の発展
リバタリアンパターナリズムは、そもそも政治学、政治哲学などの領域における「人々の自由はどうすればうまく実現できるのか」という問いに対する、一つの答えです。
私たちが暮らす社会では、「生存すること」「モノを所有すること」「自分の考えを発信すること」などの自由がある程度保障されています。これは、社会が近代化する中で起きた、「自由を阻害する力(権力)」に対する、さまざまな運動や思想のおかけで獲得されてきた権利です。
こうした古典的な「自由」は、モンテスキューやルソー、ロック、ホッブズらの社会契約思想に源流があります。
1-1-2:自由と規律の問題
一方で、政治学の世界では「自由をどのように実現すべきか」ということも問題になってきました。
「どんな自由も認められるべきではないの?」と思われるかもしれませんが、自由であるがゆえに問題が生まれることがあるからです。
たとえば、私たちは自分たちの健康にどこまで気を遣うべきか自由に判断できます。しかし、世の中には自己管理をしっかりとできる人もいれば、さまざまな環境、性格などの要因から自己管理が十分にできない人もいます。
たとえば、低収入で日々の生活を送るのに一生懸命で、健康までは気が回らないという人はいるでしょう。収入がないため毎日カップ麺、という人もいると思います。
現代の日本では、原則的に個人がどんな生活をしても、そこに政府が介入してくることはありません。
しかし、もし社会の大多数の人が怠惰になり、健康を害し、莫大な医療費が国庫を圧迫するようになったら問題です。そうなれば、国家はなんらかの形で個人の「健康の自由」に規律を与えなければならないと考えるかもしれません。
これは仮定の問題ですが、社会の在り方を考える上では、純粋に「自由であるほど良いこと」とは言えない面があるのです。
これが、リバタリアンパターナリズムを理解する上での前提になります。
1-2:リバタリアニズムとは
さて、リバタリアンパターナリズムという言葉は「リバタリアン」と「パターナリズム」という言葉が合わさったものです。
そこで、リバタリアンパターナリズムについて説明する前に、それぞれの言葉の意味を説明します。
リバタリアン(Libertarian)とは、簡単に言えば「個人の自由に対して政府は一切介入すべきではない!」と考える人々のことです。リベラリズム(Liberalism/自由主義)の一種と言えますが、リバタリアニズム(Libertarianism)は、
- 人々が自分で生み出したものの権利は、その人に帰属する
- よって、どのような理由があっても個人が生み出したものを、国家が(たとえば税金のように)取り上げて再配分するようなことは認められない
と考え、政府の役割を最小限にしか(もしくはまったく)認めない思想のことです2森村進『自由はどこまで可能か』講談社現代新書21-32頁など。
リバタリアンパターナリズムを理解する上では、個人の行動・選択の自由を重視すること、という程度で理解しておけば問題ありません。
※代表的なリバタリアンはロバート・ノージックです。詳しくは以下の記事を参考にしてください。
1-3:パターナリズムとは
一方、パターナリズムとは、「知的エリート」「権力者」「親」のような強い立場にある人が、「知的弱者」「非支配的立場の人」「子ども」などの行動に介入する思想のことです。
「温情的介入主義」とも言われます。つまり強い立場の人が弱い立場の人を優しさから導いてあげる思想、と言うとイメージしやすいかもしれません。
たとえば、病気の患者の健康のために専門的知識を持つ医師が、患者の意思に関係なく医療的行為や生活の管理を行うことは、一種のパターナリズムであると言えます。
一見「良いこと」「必要なこと」と思われそうですが、何を介入するのかは強い立場の人間によって恣意的に選ばれるため、弱い立場の人の自由が阻害されているとも言えます。したがって、自由主義を大事にする社会においては、単なるパターナリズムだけでは問題があるわけです。
ここで先に結論を言っておくと、リバタリアンパターナリズムとは、個人の自由(行動・選択の自由)を前提とした上で、個人の自由を「より良い」方向に誘導してあげる思想のことを言います。
「これだけではよくわからない」と思われるかもしれませんので、2章で詳しく解説します。
まずはここまでの要点を整理します。
- リバタリアンパターナリズムは、「自由」と「規律」という政治学的な問題に答えた思想
- リバタリアンとは、個人の行動・選択について国家から最大限自由であることを目指す立場
- パターナリズムとは、強い立場の者が弱い立場の者に対し、弱い立場の者の意思に関係なく介入し行為を管理しようとすること
2章:リバタリアンパターナリズムとナッジ
それではこれから、リバタリアンパターナリズムと関連する概念である「ナッジ(Nudge)」を合わせて解説します。
もう一度整理しますが、リバタリアンパターナリズムとは、
- 個人の自由(行動・選択の自由)を前提にしつつ、
- 結果的により良い結果がもたらされるように環境や条件を政府などが準備、誘導してあげる
ということです。
リバタリアニズムだけでは、前述ように自由な選択の結果よくない結果(例えば病気、不健康)に向かってしまう人が増える可能性があります。また、パターナリズムだけでは個人の自由が疎外された、管理的な社会になってしまいます。
そのため、個人の自由を疎外せず、行動の結果が「よりよく」なるように環境や条件を誘導的にする必要がある、というのがリバタリアンパターナリズムの中心的な思想です。
2-1:前提とされる人間観
もうお気づきかもしれませんが、リバタリアンパターナリズムで前提されている人間観は「まったく自由な条件のもとでは、人間は不合理に行動してしまう」という人間観です3中村隆文『リベラリズムの系譜学』みすず書房225-226頁など参考。言い換えると、人間の本性は「怠惰である」「めんどくさがりである」とも言えます。
自由主義・民主主義が前提とされている、日本を含む多くの先進国では、多くの人の行動・選択は国家によって管理されることはありません。法律・条令などに従っていれば、基本的にはどのような行動をしても良いことになっています。
しかし、1章でも説明したように、私たちはすべてのことに関して自律的・自己管理的であることは難しいです。
■自由の弊害の一例
政治的な言論の世界でも、たとえばインターネット上の極端な言論の世界に浸り、SNSにおけるフォロー・フォロワーも同質な思想を持つ人で固め、ウェブ上の広告もパーソナライズによって同質的な広告ばかりが出てくる。
その結果、自分では「まっとう」なつもりでも、非常に極端な政治的主張を持ってしまうことはありがちなことだと思います。
ネットを使うことも政治的主張も現代日本では自由なことですが、その結果極端な意見に流されてしまうことが非常に多くあるのです。
人々がこのように極端な意見を持ち、相互に排他的になってしまえば、そこでは真の民主主義は生まれず、政治はけなしあいの場にしかなりません。「熟議」することで新たな思想や政策を生み出すことができなくなるのです。
2-2:いい結果に誘導すること
こうした自由の弊害に対して、政府が「管理」するのではなく「誘導」することで、悪い結果に行き着かないようにするのがリバタリアンパターナリズムです。
重要なのが「管理」ではなく「誘導」であるという点です。
■「誘導」の一例4中村隆文『リベラリズムの系譜学』みすず書房225頁を参考
リバタリアンパターナリズム的な「誘導」として、たとえば「確定拠出年金制度」があります。
日本の年金制度は、会社員の場合は国民年金+厚生年金という二階建て構造になっていますが、企業によってはこの上に「企業年金」が存在します。
かつて企業年金は、「会社に任せていれば勝手に貯蓄されるもの」で、退職金として一括で多額がもらえたり、老後に定額が支払われたりしていました。
現在の企業年金は、確定拠出年金という個人が自分の裁量で運用するものになっています。しかし、実際にはすべての個人が資産運用先を探して、計画的に運用することは難しいでしょう。なぜなら、私たちは「怠惰」「めんどくさがり」だからです。
そこで、多くの会社ではいくつかの投資商品があらかじめ決められており、個人はそこから選ぶだけ。後は証券会社の運用に任せる、という形になっています。
加入したら、原則60歳までは解約できません。
これは、個人で計画的に資産運用して老後資金を作る自信がない人に、加入を誘導することで、結果的に良い結果(=老後の安定)をもたらす制度だと言えます。
また、会社によっては、
- 加入するかどうかは個人の意思
- ただし原則加入で加入しない場合は手続きが必要
というようになっていて、個人の「自由」が保障されていることも多いのです。
2-3:ナッジとは
上記のように制度を設計することを「ナッジ(Nudge)」と言います。
もう少し詳しく言うと、ナッジとは人々の行為の結果をより良い方向に誘導するように意図して、制度を設計することを言います。
ただしそれは、強制的に人の行動を変えたり罰則を与えるようなものではなく、あくまで人々が自然にその制度を利用した結果、より良い結果に導かれるというものです。
整理すると、
- 罰則のような形ではない
- 強制的な介入や義務、束縛ではない
- その制度から離脱する場合のハードルが高くない
というものがナッジとされています。
ナッジの代表例としてよく挙げられるのは「男性の小便器に書かれたハエ(もしくは赤い小さな丸など)5中村隆文『リベラリズムの系譜学』みすず書房227頁」です。利用者は無意識にそこに向かって小便をするため、結果的に便器回りが汚れにくいという良い結果がもたらされるのです。
先ほどの確定拠出年金も、離脱することは可能であるためリベラリズム的に問題がない(選択の自由がある)。しかし、介入しないことを選びにくい制度になっていれば、資産運用が面倒な人ほど自然に加入し続ける選択をするため、老後の生活が保障される。
このような制度設計がナッジと言えます。
2-4:リバタリアンパターナリズムとナッジの区別
リバタリアンパターナリズムとナッジについて混乱したかもしれませんが、以下のように区別される概念です。
- リバタリアンパターナリズム
人々の行為の結果をより良い結果に誘導するために、自由を保障しつつも、政府などが「誘導」を行う「姿勢」「思想」のこと - ナッジ
選択・行動の自由を保障しつつも、より良い結果に誘導する「制度」「仕組み」
このように人々の自由を保障しつつもより良い結果に誘導する手段があるとすれば、あらゆる制度をリバタリアンパターナリズムの立場から設計すれば良い、と思われるかもしれません。
しかし、リバタリアンパターナリズムやナッジには、いくつかの問題がありますので3章で説明します。
- リバタリアンパターナリズムとは、自由の保障と良い結果への「誘導」をする姿勢、思想のこと。ナッジとは設計者の意図する結果に、強制や罰則なく「誘導」する仕組み
- リバタリアンパターナリズムの思想は、怠惰な人、めんどくさがりな人ほどその行動を自然に行い、その結果良い結果に誘導されるため社会に有効な仕組みと考えられる
3章:リバタリアンパターナリズムへの批判・問題点
リバタリアンパターナリズムには、
- エリート主義
- 設計主義
- 主体性の欠如
といった問題点があります。順番に説明します。
3-1:問題点①エリート主義
リバタリアンパターナリズムは、ナッジ的な仕組みの設計者(たとえば政府)によって特定の「より良い結果」に誘導するものです。
つまり、設計者があらかじめ「何がより良い結果なのか」を考えて決めるということです。「設計者」とは、社会においては政治家や官僚であることになるでしょう。そのため、リバタリアンパターナリズムは政治エリートによって、都合の良い結果に気づかぬうちに誘導されるという危険性をはらんでいるのです。
ただし、エリートから「より良い結果」に誘導されることがすべて問題であるというわけではありません。国民は、忙しい生活の中でいちいち自分に関係のない政治問題を熟慮することは難しいですし、常に合理的判断ができるわけではないからです。
問題なのは、「何がより良いことなのか」は価値観に依存する問題だということです。
何が「より良い」ことなのかは価値観の問題であるため、個々人の育った環境や所属する共同体に依存して決まる面があります。しかし、リバタリアンパターナリズムは「何がより良いことなのか」をエリートが勝手に決める思想だとも言えます。
エリートも個人として価値観を持っている以上、エリートにとって都合の良い価値観を押し付けられてしまう可能性があるのです。
3-2:問題点②設計主義
繰り返しになりますが、リバタリアンパターナリズムは「何がより良いことなのか」をあらかじめ決めて制度を設計する思想です。
そのため、あらかじめ、どういう誘導をすれば「より良い」結果に人々を導くことができるか、分かっている必要があります。
それは、たとえば「便器のハエの絵」のようにシンプルなものなら予測することもできるし、実験を繰り返してより良い設計をしていくことができるでしょう。
しかし、社会の制度設計は簡単に実験できませんし、関わる行為者も多く結果の予測が困難です。そのため、ナッジな制度を設計することは難しくなるでしょう。
人間が理想を描きユートピア的な社会を設計する「設計主義」の問題は、共産主義の失敗からも明らかです。リバタリアンパターナリズムを現実にすることは、さまざまな困難さがあると思われます。
3-3:問題点③主体性の欠如
人間は、さまざまな失敗をしたりリスクを冒す行動をする中で、人間的な成長をしていく面があります。
しかし、より良い結果に自然に向かうように誘導されてしまえば、失敗をする経験、リスクを冒す経験をすることができません。
しかも、ナッジな仕組みは人々が合理的に行動しない、怠惰でめんどくさがりな行動をしがち、という前提になったものです。そのため、ナッジな仕組みに誘導される人々から、熟慮し行動の結果を予測する機会を奪うことにもなります。
極論すれば、ナッジな仕組みは個人から主体性を奪ってしまうでしょう。
たとえば、リンクや動的広告が多用されるインターネット空間は、人々を「企業にとって」の良い行動(広告の閲覧、商品の購入)に誘導するように設計されています。
インターネットを利用するほど注意力を奪われ、集中力が持続しなくなり、熟慮せずに購買行動を繰り返すようになるという研究もあります(参考:ニコラス・G・カー『ネットバカ-インターネットがわたしたちの脳にしていること-』)。
これはつまり、ナッジな仕組みが人々から主体性を奪っていることの一例です。
政府によって決められた「より良い」結果に本当に向かうことができる仕組みであったとしても、それがナッジなものであれば人々から主体性が奪われてしまう。
設計者が決めた枠の中での、予定調和的な熟慮、熟議、意思決定しか行われなくなるのではないか。それは本当に「自由」を持っていると言えるのか。という問題があるのです。
- リバタリアンパターナリズムは、エリートによる「より良い結果とは何か」という価値観の押し付けになる可能性がある
- リバタリアンパターナリズムは、より良い結果への誘導という設計主義をはらんでいる
- リバタリアンパターナリズムは、「誘導」することで人々から主体性や経験の機会を奪う可能性がある
4章:リバタリアンパターナリズムに関するオススメ書籍
リバタリアンパターナリズムの要点が理解できたでしょうか?
リバタリアンパターナリズムの問題点も説明しましたが、リバタリアンパターナリズムは「自由」と「規律」という本質的な問題に一つの答えを出したものです。間違いなく、一部の制度設計には活用できる思想であり、学ぶ意義があります。
ただし、リバタリアンパターナリズムについて理解を深めたいなら、「自由」と「規律」という問題に対して、他にはどのような主張があるのか広く学ぶことをおすすめします。
これから紹介する本では、さまざまな議論が紹介されているのでぜひ読んでみてください。
中村隆文『リベラリズムの系譜学-法の支配と民主主義は「自由」に何をもたらすか-』
この本は、政治学の重要概念である「リベラリズム(自由主義)」がどのように展開してきたんか、とても分かりやすく解説された本です。自由主義、民主主義、法の支配といった概念やリバタリアンパターナリズムも論じられています。とてもいい本です。
仲正昌樹『集中講義!アメリカ現代思想-リベラリズムの冒険-』
リバタリアンパターナリズムはリベラリズム、民主主義と関連して論じられます。リベラリズムや民主主義の問題についてこの本では詳しく論じられています。リバタリアンパターナリズムは直接論じられていませんが、自由や規律の問題を広く学ぶ上でとてもいい本です。
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最後に、書物を電子版で読むこともオススメします。
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まとめ
この記事の内容をまとめます。
- リバタリアンパターナリズムとは、人々の自由を保障しつつより良い結果に誘導すること
- リバタリアンパターナリズムはナッジな仕組みを前提とするが、エリート主義、設計主義、主体性の欠如などの問題点がある
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