倫理学

【カント倫理学とは】特徴から主著までわかりやすく解説

カント倫理学とは

カント倫理学とは、自由の問題に正面から向き合う、自由の思想です。

カントの考えでは、「噓をついてはいけない」「他人を尊重しなければならない」といった道徳的義務は、私たち人間が自由であることと分かちがたく結びついています。

一見すると、これは非常に奇妙なことに思えます。なぜなら、素朴に考えれば「~しなければならない」という義務は、むしろ私たちにとって不自由なものに思えるからです。

ではどうしてカントは、道徳的義務が自由と結びついていると考えるのでしょうか?

この記事では、

  • カントの思想の特徴
  • カントの思想の背景
  • カントの主著

などについて解説します。

関心のあるところから読んでみてください。

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1章:カントの来歴と思想

1章ではカントの来歴と、その思想全体の概要を紹介します11章の記述はRohlf, M. (2010). Immanuel kant. Stanford Encyclopedia of Philosophy 桝潟弘市 (2018). 「カントを読む:「人間とはなんであるか」 をめぐって」『藤女子大学文学部紀要』 (17), 59-91頁などを参照。。2章では代表的な著作から、カントの思想を掘り下げますので、用途によって読み進めてください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注2ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:国際都市ケーニヒスベルクとカント

カントは、1724年にケーニヒスベルクという都市に生まれました。ケーニヒスベルクは現在カリーニングラードと呼ばれるロシアの都市です。

しかし、当時は東プロイセンという現在のドイツに繋がる国家の首都でした。カントはケーニヒスベルクからほとんど離れることがなかったと言われていますが、バルト海に面したこの都市は商業の中心地であり、とても国際的な都市であったと言われています。

カントがこの国際都市に生まれ、その生涯を過ごしたことには大きな意味があります。

  • たとえば、カントは1755年にポルトガルのリスボンを襲った大地震と津波について論文を3つも書いている3「地震原因論」「地震の歴史と博物誌」「地震再考」の3つ。まとめて「地震論文」とも呼ばれる。『カント全集1 前批判期論集Ⅰ』岩波書店、273-337、訳者の松山壽一による解説も参照。
  • この災害は私たちが経験した阪神大震災や東日本大震災のように、当時のヨーロッパに衝撃を与えていた
  • ケーニヒスベルクにいながら地震の発生原因を考察するこれらの論文からは、カントが当時の世界情勢に非常に敏感であったことが伺える

カントはこの都市で、ヨーロッパを中心とした世界の情報や学問的知識に触れながら自らの思想を発展させていったのです。



1-2:カントの思想の特徴

では、カントの思想はどのようなものだったのでしょうか?初期のカントは自然科学に関する論文を多く書いています。特にこの時代はニュートンの活躍によって自然科学が大きく発展しており、カントの倫理学もこうした影響を強く受けています。

後ほども少しふれますが、近代的な自然科学の発展はカントに大きく影響を与えており、それは倫理学も例外ではありませんでした。

やがて、カントは自然そのものだけではなく、自然を知ろうとする人間の思考や心の原理を探求するようになります。特に1780年以降、カントは3つの「批判書」と呼ばれる代表的な著作を発表します。このことからカントの思想は「批判哲学」と呼ばれることもあります。

1-2-1:『純粋理性批判』

カントのもっとも代表的な著書は『純粋理性批判』です。

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カントはそれまで多くの論文を発表していましたが、この著書の執筆のために、10年間沈黙の時期があったと言われています。ここでのカントの関心は、人間はどのように世界を知るのかということでした。

この中でカントは、人間は対象に従って世界を知るのではなく、逆に世界を知る人間の認識のあり方に対象が従うのだという「コペルニクス的転回」と呼ばれる考え方を提示します。

これは、「太陽が地球の周りを回っている」という天動説から、「地球が太陽の周りを回っている」という地動説への転回を成し遂げたコペルニクスになぞらえたものであり、カントの中で最も有名な考え方の1つです。

1-2-2:『実践理性批判』『判断力批判』

カントは続いて、『実践理性批判』『判断力批判』という著作を発表します。

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いずれの著作においても、カントの思想を貫いているのは『純粋理性批判』のコペルニクス的転回でも示されているように、「私たち自身のうちに何かを生み出す力が備わっている」という考えです。

『実践理性批判』では人間の意志が自ら自分自身に道徳的義務を課すということを、『判断力批判』では人間の反省的な判断力が美しいものや崇高なものを規定するという考え方を提示します。

特に倫理学に関して、『実践理性批判』での議論はとても重要です。

  • 「人間の意志が自ら自分自身に道徳的義務を課す」という考え方自体は、『純粋理性批判』と『実践理性批判』の間に書かれた『人倫の形而上学の基礎付け』という著作で既にカントが提示していたものである
  • しかし、『実践理性批判』では道徳と自由の関係について、「実践理性のコペルニクス的転回」4川島秀一(1995)『カント倫理学研究―内在的超克の試み』晃洋書房とも呼ばれる重要な議論が展開されいる

こうしたカントの考え方は、当時のヨーロッパの思想背景を前提としています。では、続いてカントがどのような思想的背景をもっており、そこから倫理学に関してどのような思想を提示したのかを確認しましょう。



1-3:カントの思想的背景

この時代は、2つの思想が主流なものとして受け入れられていました。まず、1つはヨーロッパ大陸の伝統的な思想であった「合理論」という考えです。

合理論とは

  • 簡単にいうと、人間の思考や精神的な力に注目する考え方である
  • たとえば、合理論の代表的な人物とされるデカルトは、「疑うことが出来るもの」を考えた
  • その結果、唯一疑うことのできない「考える私」を発見し、「私は考える、それゆえに、私は存在する」という知識が、経験に由来することのない確実なものだと考えた

そして、2つ目はイギリスに由来する比較的新しい思想であった「経験論」という考えです。経験論は文字通り私たちの経験が重要だと考えます。

経験論とは

  • たとえば、経験論の代表的人物であるロックは、生まれたばかりの人間の心は「白紙」のようなものであり、そこに知識が書き込まれていくのだと考えた
  • つまり、私たちには生まれもった知識などなく、全ての知識は感覚を通して得た経験に由来するものだと考えた

カントはこうした思想的背景を前提とし、自らの思想を紡ぎあげていきます。

「私たち自身のうちに何かを生み出す力が備わっている」というカントの考えは、当時の潮流であった合理論と経験論から大きな影響を受けつつも、それらを共に乗り越えようとする格闘の中で生まれました。



1-4:神秘主義と経験主義の克服としての自由の思想

倫理学に関していえば、カントが乗り越えようとしたのは「神秘主義」「経験主義」と呼ばれるものです。それを乗り越えるためにカントが提示したのが、人間の自由という概念でした5蓮尾浩之(2017)「道徳的主体における反省的認識の倫理学」大阪府立大学大学院 人間社会学研究科 博士論文

  • 神秘主義・・・道徳的な義務を神様のような神秘的なものによってもたらされると考えるもの。簡単にいえば、道徳的な義務は「神様がそのように命令するもの」であり、私たちにはそうした神様の命令を感じ取ることが出来ると考える
  • 経験主義・・・道徳的な義務を具体的な利益や幸福によって説明するもの。つまり、私たちが何かを道徳的な義務だと考えるのは、「そのようにした方が幸福になる(得をする)」という経験をしているからだと考える

カントの考えでは、私たちは神様によって生まれながらに道徳的義務を課せられているわけでもなければ、利益や幸福を得ることが出来たという経験によって道徳的義務を知るわけでもありません。

これらの考えはどちらも自らの外部に根拠を求めるという点で間違っているのであり、カントは道徳的義務を「私たちが自ら自分自身に与えるもの」と考えることで乗り越えようとしているのです。

このように、カントの倫理学は自由の思想であると言えます。つまり、私たち人間が自由であるということは、道徳や倫理の問題に関して重要な意味を持っているとカントは考えました。

それは具体的には、どのような考えなのでしょうか?『純粋理性批判』から『実践理性批判』に至るカントの議論を追いながら、カントが両者の関係をどのように論じたのかを見ていきます。

ちなみに、中山元『自由の哲学者カント カント哲学入門「連続講義」』はカントの哲学を理解する第一歩としては有益です。

1章のまとめ
  • カント倫理学とは、自由の問題に正面から向き合う、自由の思想である
  • カントの倫理学は「神秘主義」と「経験主義」と呼ばれるものを乗り越えようとした

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2章:カント倫理学を主著から解説

さて、2章ではカントの倫理学をいくつかの主著から解説していきます6本章では、蓮尾浩之(2017)「道徳的主体における反省的認識の倫理学」大阪府立大学大学院 人間社会学研究科 博士論文を参照しています

2-1:『純粋理性批判』の議論

まずは『純粋理性批判』における自由の議論を確認しましょう。『純粋理性批判』は、主に人間が世界をどのように認識するのか、という問題を扱っています。本書は自然科学の前提となる人間の認識能力を考察し、その可能性と限界を見定めるものです。

よって、ここでの自由の議論もまた、自然科学の考え方と深く関係しています。その論点は多岐にわたりますが、ここではのちの倫理学の議論につながる点をピックアップして解説していきます。

ここで重要になるのは「人間は自由に行為を選択することが出来るのか」という問題です。

私たちの世界が何かしらの法則に従っているという近代的な自然科学の考えは、倫理学においても重要な意味を持っていました。

何故なら、私たちの行為が全て自然法則に支配されており、自由な行為の選択がありえないとすれば、私たちはあらゆる行為の善悪を問うことが出来なくなってしまうからです。

  • たとえば、ある人物が誰かを殴ったとき、その行為が非難されるのは「殴らないことも出来た」と考えられる限りにおいてである
  • もし、その人物が恋人や友人を人質に脅されていて、「殴らないわけにはいかなかった」状況だったなら、殴るという行為への非難は少なくとも軽減されるはずである
  • あるいはもっと極端な例として、身体の自由を奪われて無理やり操られていたのだとしたら、殴った罪を問われることは無いと考えられる
  • つまり、私たちが「自由に行為を選択することが出来る」ということは、道徳的な義務が成立するための必要条件と言える

『純粋理性批判』でカントは、私たち人間が自然法則だけではなく、同時に自由の法則にも従っていると考えます。ここでは2つの世界が想定されています。

  1. 自然法則が支配する世界・・・目に見える物理的な世界のこと
  2. 自由の法則が支配する世界・・・物理的な世界を越えた世界のこと

カントは道徳的義務の問題は、物理的世界を超えた、自由の世界の問題であると考えました。2つの世界を同時に生きる存在としてカントは人間を捉えたのです。

こうした考え方は二元論と呼ばれ、現代ではあまり評判の良いものではありません。実際、カント以降の哲学者たちは、こうした二元論をいかに克服するかということに苦心します。

しかし、私たち人間が自由な存在であると考えるためには、自然法則が支配する世界だけに生きているわけではない、という想定が必要だとカントは考えたのです。

ただし、『純粋理性批判』でのカントの主張は、人間が自由であると考えたとしても自然法則と矛盾するとは言えない、ということでありません。

つまり、私たちが自由であることを積極的に証明するものではないのです。言うなれば、自由の世界にも生きるという想定は、この段階ではあくまで仮説でしかなかったのです。



2-2:『人倫の形而上学の基礎付け』の議論

『純粋理性批判』に議論では、自由の可能性が示されはしても、それが証明されることはありませんでした。本書でのカントの主な関心は、人間の認識能力の可能性と限界を定めることで、近代自然科学を根拠づけることだったからです。

人間の自由について、より深い議論が展開されるのが『人倫の形而上学の基礎づけ』(以下、『基礎づけ』)という著作です。既に述べたように、ここでは「人間の意志が自ら自分自身に道徳的義務を課す」という考え方が示されます。

それは『純粋理性批判』の議論を前提とした上で、自由の概念に新たな意味を与えるものです。

2-2-1:定言命法と仮言命法の区別

まず重要なのが「定言命法」と「仮言命法」の区別です。カントは道徳的義務を果たそうとする私たちの意志を「善なる意志」として、これがどのようなものかを考察します。

  • 「善なる意志」は「もし…ならば~しなさい」という仮言命法ではなく、端的に「~しなさい」という定言命法に従う
  • 私たちが仮言命法に従っているなら、「もし…ならば」という条件に当てはまらない人は義務を果たす必要がないことになる
  • 一方、定言命法は条件を問わず、あらゆる人間に「~しなさい」と命令するため、カントは道徳的義務がこうした無条件の命令に基づいていると考えた

たとえば、ある人が「嘘をついてはいけない」という義務に「もし他人から信用されたいならば」という条件つきで従っているとしましょう。

その人が「私は他人から信用されたいので嘘をつきません」と公言しているとすれば、私たちはどこか不安を覚えるのではないでしょうか?その人は他人からの信用を失わない限りでは(たとえば絶対にバレることがないと考えたときには)平気で噓をつくかもしれません。

たとえ本当は仮言命法に従っているのだとしても、まるで定言命法に従っているかのように振る舞わないといけないことは多々あります。それはあくまで建前にすぎないかもしれませんが、少なくともカントは道徳的義務の本質だと考えました。

2-2-2:自由という概念への新たな意味

では、このような定言命法による無条件の命令は、どのようにして「善なる意志」に与えられるのでしょうか?

分かりやすいのは「神様が与える」という神秘主義的な考えです。しかし、既に述べたようにカントはこうした神秘主義を否定します。

また、幸福や利益を根拠とする経験主義も否定します。定言命法が無条件の命令である以上、それは「善なる意志」の外部から与えられてはいけないとカントは考えました。

よって、この命令は私たちが自ら自分自身に与える命令と考えられるのです。そのため、ここでカントは、自由という概念に新たな意味を与えているといえます。

  • 『純粋理性批判』でカントは、私たちが自由の世界にも生きていると考えたが、それは自然法則の絶対的な支配から逃れるための消極的な自由にすぎない
  • ところがこの段階では、私たちが「善なる意志」によって「自ら自分自身に命令を与えることが出来る」という積極的な自由が論じられている

それは、自ら命令を与え自分自身を律するという意味で「自律」と呼ばれます。想定された自由の世界においては、私たち自身の意志が世界の「法則」として機能するのです。

「自由は道徳法則の存在根拠である」と言葉は、私たち人間が自由の世界に生きる存在であると同時に、その世界の法則を打ち立てる自律した存在でもあるということを意味しています。

しかし、『基礎づけ』の段階ではこうした「自律」が本当に可能なのかという問題について、カントは「決して洞察できない」と述べています。

つまり、私たちが本当に自律した「善なる意志」によって行為することが出来るのか、という問題は未解決のままに残されているのです。この点において、『基礎づけ』の議論は『純粋理性批判』の枠組みを超えていないのです。



2-3:『実践理性批判』の議論

『純粋理性批判』および『基礎づけ』での枠組みが決定的に乗り越えられるのが、カント倫理学において最も重要な著書である『実践理性批判』です。本書の「実践理性のコペルニクス的転回」と呼ばれる議論を解説していきます。

『純粋理性批判』でのカントは、あくまで自由の概念を理論的に考察していました。ところが『実践理性批判』では、そのタイトルが示すように人間の実践的な側面、つまり何か目的をもって行為する存在としての人間が考察されています。

『実践理性批判』でのカントは、道徳的義務への意識は私たち人間にとって理性的な事実なのだ、と考えることで自由に現実的な力を与えようとしているのです。これが「実践理性におけるコペルニクス的転回」と呼ばれる重要な思考の発展です。

  • 『純粋理性批判』では、私人間を自由の世界にも生きる存在として想定することで「自由に行為を選択することが出来る」という余地が残されていた
  • そして『基礎付け』では、人間が単に自由の世界に生きるだけではなく、そこで法則を打ち立てる「自律」した存在であるという意味が付け加えられた
  • これらはあくまで仮説でしかなかった
  • ところが『実践理性批判』でカントは、人間が義務を意識して生きている以上、自らを自由の国に生きる存在であると認めざるを得ないはずだと考えるに至った

以上のように、『実践理性批判』でカント倫理学は人間の自由を積極的に肯定する思想として結実します。

  • 理論的には仮説にすぎない自由であったとしても、その自由が実際に効力をもっていなければ果たせない行為、すなわち道徳的義務を私たちは実際に意識して生きている
  • 私たちは、それを認めることで自らが自由な存在であるということを自覚することが可能になる

これが、カント倫理学において最も重要な考え方です。

道徳的義務と自由をめぐるカントの議論は、人間が道徳的義務を意識して生きているという事実に支えられた、特殊な円環構造となっているのです。



2-4:人間の自由をめぐって

これまで、道徳的義務と自由をめぐるカントの議論を解説してきました。このようなカントの考え方にはどのような意義があるのでしょうか?本章の最後にそれを簡単に提示します。

その前に、準備として「私たちに道徳的な義務を課せられていること」「私たちが自由であること」の関係を考えてみましょう。

  • たとえば、親や教師が幼い子どもに「嘘をついてはいけない」と言うとする
  • それは単純に嘘をつくことが悪いことだから、ということだけではない
  • 幼い子どもに「いいですか、人を殺してはいけませんよ」と言い聞かせている親を見かけたとしたら、多くの人が「変なことを言う親だなぁ」と思うはずである
  • それは、幼い子どもが「嘘をつく」ことはあっても、「人を殺す」ということはありそうにないからである

つまり、「嘘をついてはいけない」という道徳的な義務は、私たちが「嘘つくことが出来る」「実際にしばしば嘘をつく」ということを前提としているのです。

言い換えると、「私たちには嘘をつく自由がある」からこそ、「嘘をついてはいけない」という道徳的な義務が意味をもつのです。

『純粋理性批判』でカントが人間を自然法則の支配から逃れさせたことを思い返してみてください。

私たちの行為が全て自然法則によって決められているのだとすれば、嘘をつくにせよつかないにせよ、それは法則に従って自動的に果たされることにすぎず、「嘘をつくことも嘘をつかないことも出来る」という選択の余地は残されてないことになります。

重要なことは、私たちが道徳的義務だけに従って生きているとしても行為の選択の余地はない、ということです。つまり、「嘘をついてはいけない」という道徳的義務が本当の意味で絶対的なものであり、私たち人間がそれに逆らうことは考えられないというのなら、このような命令は全く意味がないのです。

カントが、人間を自然の国と自由の国という2つの世界に生きる存在として考えた意義がここにあります。

つまり、カントは人間を2つの世界に生きる存在として捉えることで、道徳的義務に従って生きることだけではなく、それに逆らって生きるということさえも選択する自由を人間に与えているのです。

おそらく近代自然科学の影響を大きく受けていたカントにとって、人間もまた自然の中に生きる存在である以上、その行為が自然法則に支配されていると考えることは自明のことだったと考えられます。

だからこそ、人間は(自然法則に回収されない)自由の国に生きる自律した存在でもある、ということを証明する必要があったのです。

カントは後年の著作で、単に自由の法則のみに従う意志は自由であるとも不自由であるとも言えず、行為を選択する意志こそが自由と言えるのだとも述べています。

カントはそうした行為の選択を「自然法則に従うか、自由の法則に従うか」という設定を考えることで表現したのです。

2章のまとめ
  • 『基礎づけ』では「人間の意志が自ら自分自身に道徳的義務を課す」という考え方が示された
  • 道徳的義務と自由をめぐるカントの議論は、人間が道徳的義務を意識して生きているという事実に支えられた、特殊な円環構造となっている

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3章:カント倫理学を学ぶためのおすすめ本

最後に、カント倫理学を学ぶための本をいくつか紹介します。

今回はカント倫理学を自由との関連で解説しましたが、カント倫理学の射程は幅広く、さまざまな観点から読むことができます。

おすすめ書籍

カント『道徳形而上学の基礎づけ』『実践理性批判1』『実践理性批判2』(光文社)

カント自身の著書としては、当然ながら『人倫の形而上学の基礎付け』『実践理性批判』という2つを欠かすことは出来ません。岩波書店から刊行されているカント全集が、翻訳の精度や解説の豊富さから考えると最も望ましいです。しかし、初学者には難しいため、光文社古典新訳文庫から出版されている、中山元さんの比較的読みやすい翻訳をおすすめします。(『基礎付け』はこちらでは『道徳形而上学の基礎付け』という訳になっています)。

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中山元『自由の哲学者カント カント哲学入門「連続講義」』(光文社)

「自由」を中心にカントの哲学を解説している本です。倫理学を中心としたというわけではありませんが、自由に関するさまざまな論点が他の思想とも比較されながら解説されているため、勉強になります。

中島義道『悪について』(岩波書店)

「悪」を中心にカント倫理学を考察している本です。筆者独自の観点で論じられながらも、本記事で十分に触れることが出来なかったさまざまなカント倫理学のテーマが扱われている良書です。

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竹田精二『完全解読 カント『実践理性批判』』(講談社)

『実践理性批判』を読むのは難しいという人に有用な、解読の手引きとなる本です。カント倫理学に興味がわいたなら、ぜひ本書を片手に『実践理性批判』を読んでみてほしいと思います。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • カント倫理学とは、自由の問題に正面から向き合う、自由の思想である
  • カントの倫理学は「神秘主義」と「経験主義」と呼ばれるものを乗り越えようとした
  • 道徳的義務と自由をめぐるカントの議論は、人間が道徳的義務を意識して生きているという事実に支えられた、特殊な円環構造となっている

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