経営学

【護送船団方式とは】特徴・問題点・歴史をわかりやすく解説

護送船団方式とは

護送船団方式(Convoy system)とは、政府が特定の産業(特に中小企業等競争力の弱い企業)を保護し、過度の競争を避けて産業を育成・成長させる日本政府が行った政策のことです。

護送船団方式というのはさまざまな業界に用いることのできる言葉ですが、特に戦後の日本の金融行政の特徴を表す言葉として有名です。

この記事では、

  • 護送船団方式の意味・特徴
  • 護送船団方式の意義・問題点
  • 護送船団方式の歴史

などをそれぞれ解説していきます。

好きな箇所から読み進めてください。

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1章:護送船団方式とは

まず、1章では護送船団方式を概説します。2章では護送船団方式の歴史を解説しますので、用途に沿って読み進めてください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:護送船団方式の意味

この記事では、経済用語あるいは金融用語としての「護送船団方式」という用語を解説しますが、そもそも「護送船団」は字面からもわかるように、軍事用語を語源にもつ言葉です。

護送船団とは、警備艦に護られた船団のことです。さまざまな不測の事態が予測される海上運航において、護衛艦で輸送船を囲い、護衛することで、船に積まれた重要な物資や要人を目的地まで無事に送り届けることを目的としています。

そして、経済用語の護送船団方式では、このニュアンスを私企業と行政(政府)の関係に置き換えて、行政が私企業の経営を保護しながら監視・監督することで安定的に運営させる意味合いを持つようになりました。

経済用語としての護送船団方式という言葉がいつ、だれによって生まれたのかは明らかになっていません。経済学者の飯田隆は以下のような指摘をしています2飯田隆(2005)「護送船団方式についての一考察」『経済志林』4号 77頁

  • 「護送船団」という言葉が経済用語としてはじめて辞典に登場したのは1979年に発刊された日本経済新聞社の「経済新語辞典80年版」であった
  • しかし、この「護送船団」という言葉が行政側の人間によって生まれたものなのか、または銀行側の人間によって生まれたものなのか、さらには学者によって生まれたものなのかは定かではない

このように、決して公式な用語とは呼べない護送船団方式が、いつからはじまり、いつまで続いていたのかについての学説は不確定な要素が存在します。

そこで、この記事では、便宜的な以下のような区分をもうけて紹介することにします。

  • 護送船団方式の起源を戦前の昭和初期に考え、戦後すぐから高度経済成長期(1955年頃~1970年はじめ)までを護送船団方式の最盛期として扱う
  • 第一次オイルショック後の安定成長期以降(1970年代中ごろ~)を護送船団方式の見直しの期間として扱う



1-2:護送船団方式の特徴

護送船団方式の特徴を端的に述べるとしたら、「行政の強い指導力」「閉鎖的な産業体系」をあげることができます。

それぞれの特徴は、「小さな政府」や「自由競争」といった概念とは真逆とも言えるものです。行政が業界を守るように動くことから護送船団方式は、しばしば「保護行政」とも呼ばれます。

1-2-1: 行政の強い指導力

まず、行政の強い指導力とは、市場原理を介さない行政による指導体制の構築を意味します。これは具体的に、以下のような意味です。

  • 行政が護送船団方式を実現することができたのは、行政が公的な銀行のみならず、本来は経営に関する一定の裁量権を有するはずの民間の銀行に対しても、その意思決定を制限できるような強い権限を有していたことにある
  • 本来、民間企業とは利潤を最大にすることが最たる目的であり、すべての民間企業は自由競争のもと、経営に対するあらゆる自己責任を担うことを前提に活動していくべき存在である
  • しかし、国民の資産を預かるという重大な性質を持つ銀行に至っては、不測の事態による廃業や倒産が国民生活に甚大な影響を及ぼすことがある

そのため、戦後しばらくの金融行政の重点は「預金者保護」に置かれました。これは行政による預貸率または流動性資産の設定や、準備預金制度の創設、さらには個別の銀行に対する強力な検査権限など、預金者保護を中心とする銀行に対する管理体制が敷かれました。

1-2-2: 閉鎖的な産業体系

閉鎖的な産業体系とは、自由競争を前提としない独自の産業体系の構築を意味します。

まずは、行政に管理された銀行特有の収支メカニズムです。経済学者の山下(1979)は、銀行の収支メカニズムについて、以下のように述べています3山下邦夫(1979)『金融制度』東洋経済新報社 61頁

主要な金利である預金金利と貸出金利とが、プラスの利鞘をもつように制度的に決定されているために、預金の範囲内で貸出を行なっている限り、銀行の利益は預金増加に伴って単調に増加する

つまり、銀行は行政に定められたルールの範囲内でのみ運営をおこなっていれば、安定的な経営を実現できていたことを指摘しています。

また当時の銀行は、現在のように金融商品や証券などの販売を同一の店舗でおこなうことは許されておらず、銀行の収支モデルは極めて限定されたものになっていました。

加えて、護送船団方式では、銀行同士の競合も意図的に制限されていたことも大きな特徴です。たとえば、以下のようなことがありました。

  • 国内での銀行の設置については、戦前からの1県1行主義に基づき、同一県内で過度な競合が発生しないように調整されいた
  • 新規銀行の設立に関する免許の交付や既存銀行の支店増設に関する認可はほとんどおこなわれていなかった
  • そのため、既存の銀行はライバル企業の動向を気にすることなく、自社の商圏の顧客を独占することができた



1-3:護送船団方式の意義と問題点

銀行経営の健全性に主眼を置き、銀行に対して手厚い周到な配慮がおこなわれた護送船団方式ですが、戦後の復興期、そして高度経済成長期を乗り換え、経済が安定成長期に入ると次のような弊害が指摘されるようになりました。

1-3-1: 自助努力の欠如による非効率経営

銀行に対する過保護とも言える管理体制は、収益を高めたり、顧客の利便性を向上させようとしたりする銀行の経営への自助努力を失わせる作用があったと言われています。

  • 銀行は自助努力をしなくても決められた収支メカニズムのなかで安定的な成長を実現することができたし、競合の参入も行政によって制限されていたこと
  • そのため、そもそも、自助努力をおこなう必要性がなかったた
  • しかし、経済が安定性長期に入り、国内のあらゆる企業に効率化や国際競争力の強化が求められるようになると、旧態の行政主導の金融体制に依存する銀行に対して批判が集まるようになった

当時の大蔵の官僚で銀行局の局長であった吉田正輝は、戦後の金融行政について、以下のように述べています4山下邦夫(1979)『金融制度』東洋経済新報社 85頁

経済成長に果した銀行の役割が高く評価される一方で、昭和40年代に入り、銀行に対するいわゆる過保護行政に対する反省が出てきた。ここに銀行効率化行政に展開されるは背景があったのである。(中略)…債権整備が終了して20年近くが経過し、我が国経済の成長の発展に伴って、銀行の資力も著しく改善されてきているのに、銀行行政が銀行経営の健全性を主眼としていて運営されてきたところに問題が出てくる余地があった

このように銀行の顧客である産業界が国際競争力強化のために厳しい効率化に迫られていたにも関わらず、金融界が前近代的な制度のもとで、非効率な経営を続けていることに非難が集まることは必然であったと語っています。

1-3-2: 国際競争力の低下

戦後から高度経済成長にかけては、国内の銀行を保護するために外資系企業の金融業界への参入だけでなく、国内の銀行による海外の銀行との取引までもが厳しく制限されていました。

そこには第二次世界大戦の敗戦国として、荒廃した国内経済を復興するという大義名分が存在していましたが、高度経済成長を経て、経済が安定するようになると、先進諸国からの経済解放の圧力もあり、国際化の波に対応せざるを得なくなりました。

しかし、護送船団方式による保護行政のもとでは、それまで自助努力をおこなってこなかった銀行の国際競争力を引き上げる術はなく、金融行政の見直しが求められることになりました。

もっとも、あくまで体系に過ぎない金融制度が見直されたからと言って、銀行業界に長らく蔓延った独自の文化や風習までもがすぐに改新されることはなく、国際化対応は長年にわたって日本の銀行を苦しめる大きな課題となりました。

1章のまとめ
  • 護送船団方式とは、政府が特定の産業(特に中小企業等競争力の弱い企業)を保護し、過度の競争を避けて産業を育成・成長させる政策
  • 護送船団方式の特徴は「行政の強い指導力」と「閉鎖的な産業体系」であった

 

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2章:護送船団方式の成立から否定までの歴史

さて、2章では護送船団方式の歴史を紹介していきます。

2-1:護送船団方式の成り立ち

護送船団方式という固有の金融体制が生まれた起源は、昭和3年に施行された銀行に関する法律である「銀行法」5「銀行法」は2020年時点でも現存する法律であるが、昭和56年に全文改正されており、昭和2年当時の銀行法とは大きく異なることに注意したい。までさかのぼることができると考えられています。

国税庁長官を歴任した窪田弘は、この銀行法に関して以下のように述べています6「金融合成の基本理念と今後の課題」『金融ジャーナル』1974年7月号

銀行法(昭和3年1月1日施工)は、制定当時の経済環境を反映しており、いわゆる預金者保護に万全を期そうとしているが、反面においては、当時金融政策といわれるほどのものはなかったこともあって、銀行の機能を経済全体の運営という観点から十分活用するだけの内容はもっていない。銀行行政の歴史、この面の空白をいわゆる行政指導等によって補おうとする努力の歴史であるとも言えよう

つまり、銀行法の不完全性を補完するために、相対的に行政の銀行に対する指導力が高まっていったことを指摘しています。

また、銀行法が施工される直前の昭和2年には昭和金融恐慌が発生し、金融不安による取り付け騒ぎから弱小銀行を中心に経営破綻が相次ぎました。

それによって、社会不安を抑制するために銀行法における行政の銀行の監督に関する規定が大きな比重を占めることになったことも、護送船団方式が生まれる主因であったとされています。

2-2: 第二次世界大戦以降の護送船団方式

こうした官主導の金融制度は、第二次世界大戦の敗戦を経てより一層強化されたと考えることができます。その点を理解するためには、敗戦後の状況を理解する必要があります。

敗戦後の状況

  • 戦後すぐの日本経済は戦争による資本の消滅により、圧倒的な資本不足が大きな問題となっていた
  • GHQの指示により、資本市場の出資者となり得た資産家の資産が解体させられた
  • 戦後すぐの人口構成が若年層を中心であったために国民全体の資産が投資よりも貯蓄に回ったことも影響し、資本市場に資金が集まらない状態が続いた

そこで効率的な産業の復興を実現するために、行政の指導のもとで各地の資金供給の要所となる銀行が資金を必要とする法人部門に貸付をおこなっていくことで、戦後の難局を乗り越えていきました。

この過程を経て、銀行が行政をまるで親のように扱う護送船団方式はひとまずの完成をみたと考えることができます。

戦後の復興期における法人部門の資金需要が、銀行からの間接金融による融資によって満たされていたことはデータにも現れています。経営史が専門の菊池は以下のように、指摘しています7菊池浩之(2017)『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』KADOKAWA 181頁

教科書通りであれば、株式会社は株式を発行し、株式市場から資金を調達する。しかし、戦後の占領政策で日本の資産家層は徹底的に解体させられ、株式市場での大量の資金を調達することは難しかった

そのため、日本企業の自己資本比率の推移を比較し、戦前の1920年には68.5%であったのに対して、戦後の1960年代には24.9%と半分以下まで低下したと指摘しています。



2-3:護送船団方式と高度経済成長

日本経済が戦後復興を乗り越え、高度経済家成長期に入ると、メインバンク制とも呼ばれる間接金融主体の日本独自の金融体系はほぼ確立します。

※詳しくはメインバンク制の記事を参照してください。→【メインバンク制とは】メリット・デメリットからわかりやすく解説

特に、法人部門を中心に旺盛な資金需要が生まれ続けていた高度経済成長期で、銀行は中央銀行の定めた預金金利と貸出金利にもとづいて資金を回すだけで、安定した利ザヤを得ることができました。そのため、銀行自身が融資の効率性や健全性を追求する必要がありませんでした。

つまり、銀行はその規模や経営力に関係なく、政府の決めた金融制度に乗っ取り、行政の方針をもとに経営をしていくだけでした。それだけで企業成長を実現できるという護送船団体制の中心に存在しており、行政もそうした現状に危機感を覚えることはありませんでした。

2-4:経済低成長期と護送船団方式の見直し(金融自由化と金融ビックバン)

高度経済成長期が終わり、日本全体が安定成長期に入ると、護送船団方式の意義にも見直しの声があがるようになります。

相対的に資金需要の低下する安定成長期では、高度経済成長期の時のようなビジネスモデルに乗っ取った安定的な成長を実現すること難しく、むしろ経営の自由度や裁量の小さい銀行にとっては、どのように継続的な成長を実現するのかが大きな課題となりました。

そして1970年代後半には、欧米で実施された金融自由化の波が日本にも押し寄せます。それによって、以下のような変化が起きます。

  • 国際社会から閉鎖的な金融体制の抜本的な見直しを迫らたことが決め手となり、それまで政府によって制限されていた数多くの規制が撤廃となった
  • 各銀行が金利や各種手数料などを自由に設定することができたり、消費者にとってより魅力のある金融新商品を開発できたりするようになった

この金融自由化は、護送船団方式の終わりを告げる象徴な出来事であり、これ以降、各銀行は政府の保護を脱して、金融競争時代に突入することになります。

護送船団方式がいよいよその機能を失ったと言えるのが、1996年に実施されたいわゆる「金融ビックバン」です。

金融ビックバンとは、当時の橋本内閣が提唱した金融制度改革のことです。フリー(市場原理が働く自由な市場)、フェア(透明で信頼できる市場)、グローバル(国際的で時代を先取りする市場)の理念をもとに抜本的な金融市場の改革を進められました。8大和証券「金融・証券用語解説 日本版ビックバン」https://www.daiwa.jp/glossary/YST1444.html

金融ビックバンの理念はどれも護送船団方式の性質を否定するものでしたから、金融ビックバンの実施に伴って、護送船団方式は日本の金融制度から姿を消したと考えることができます。

2章のまとめ
  • 銀行はその規模や経営力に関係なく、政府の決めた金融制度に乗っ取り、行政の方針をもとに経営をしていくだけであった
  • 金融ビックバンの実施に伴って、護送船団方式は日本の金融制度から姿を消した

 

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3章:護送船団方式に関するおすすめ本

護送船団方式について理解が深まりましたか?

さらに深く知りたいという方は、以下のような本をご覧ください。

おすすめ書籍

オススメ度★★★ 鹿野嘉昭『日本の金融制度』(東洋経済新報社)

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オススメ度★★★ 山下邦夫『金融制度』(東洋経済新報社)

かなり古い本ですが、その分、当時まだまだ根強かった護送船団方式を詳細に解説している1冊になっています。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 護送船団方式とは、政府が特定の産業(特に中小企業等競争力の弱い企業)を保護し、過度の競争を避けて産業を育成・成長させる政策
  • 護送船団方式の特徴は「行政の強い指導力」と「閉鎖的な産業体系」であった
  • 金融ビックバンの実施に伴って、護送船団方式は日本の金融制度から姿を消した

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