儒教(Confucianism)とは、孔子によって説かれた中国を代表する思想であり、実践的道徳の理論体系を指します。孔子の没後も弟子の曾子や、孟子・荀子によって発展的に伝承され、紀元前136年、前漢によって国教とされました。
また、中国の思想だけでなく、制度や経済にも大きな影響を与え続け、日本、朝鮮半島、東南アジア諸地域などの諸外国にも広がってたことはあまりにも有名です。
しかし、儒教の詳細な歴史や思想についてはなかなか学ぶ機会がないと思います。
そこで、この記事では、
- 儒教の思想と孔子について
- 儒教の歴史と思想家
- 日本の儒教
について解説をしていきます。
興味のある所から読み進めてみてください。
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1章:儒教とは
まず、冒頭でも触れた通り、儒教とは孔子によって説かれた思想であり、実践的な道徳を体系的にまとめたものです。
紀元前500年頃に成立して以降、中国の基本的な世界観・価値観を構成する基盤となりました。
儒教は中国に限らず、朝鮮半島や日本にも古くから伝播し、現在に至るまで様々な影響を与え続けています。一章では「儒教と孔子の関係性」や「思想の内容」について解説します。
1-1:儒教と孔子
そもそも、儒教の始祖とされる孔子は、
- 紀元前552年頃に誕生したとされており、氏は孔、諱は丘、字は仲尼とされている
- 孔子の「子」は人に対する尊称であり、学識者や思想家に対して使用されることが多いもの
- つまり、孔丘の尊称であったもの
です。
そして、孔子の人生に関していえば、次のようにまとめることができます。
- 孔子は魯国(現在の中国山東省南部)に生まれ、早くして父母を失った
- 生活に苦労しながらも成人後は倉庫や牧場を管理する役人に就くことができ、紀元前518年頃に初めて弟子をとった
- その後、魯の君主が季孫氏の討伐に失敗し、斉国に亡命すると孔子もこれに従い、弟子の育成に努めた
- 弟子たちを引き連れて、諸国を放浪して思想を説いてまわりましたが、諸国から容れられることなく、73歳で亡くなった
孔子が生きた時代は中国では春秋時代と呼ばれる時代で、中央の周王朝の権威が弱まり、地方の諸侯が台頭し始めていました。また臣下が君主に歯向かう下克上の様相を呈してきており、戦争が激化していたのです。
孔子は力による争いや支配こそが戦乱を起こす原因と考え、仁愛による社会秩序の回復を主張しました。その思想体系が儒教だったのです。
1-2:儒教の教典
儒教は実践的道徳として理論体系化されていくのですが、その基盤として六芸が挙げられます。六芸とは漢代に国教となった儒教の経書を指します。
六芸は六経ともいわれており、以下の6つがありました。
六 芸 | 概 要 |
詩経 | 中国最古の詩集。諸国の民謡集である「風」、宮廷の音楽である「雅」、宗廟祭祀の楽歌である「頌」の三部で構成される |
書経 | 中国古代の伝説上の王朝である尭(ぎょう)・舜(しゅん)から周までの政治論集。「尚書」とも言う |
礼記 | 周末から秦、漢にかけての儒家の、古礼に関する諸説を整理編集したもの |
楽経 | 音楽についての経書とのこと。紛失して内容は伝わらず。内容についても諸説あり詳細は不明 |
易経 | 占いの理論と方法論について書かれた書。『周易』、『易』とも言う。八卦の組合せによって、64の卦の意味を解説している |
春秋 | 魯国の隠公初年(前722年)から哀公十四年(前481年)までの年代記。史実を簡潔に記録して大義を明らかにし、天下秩序を保持しようと書かれたもの。この表現方法は「春秋の筆法」と呼ばれた |
その中の『楽』(楽経)は秦の始皇帝によって行われた焚書坑儒の影響を受けて散逸して内容は伝わっておらず、この『楽』(楽経)を除いた5つを五経と呼びます。
焚書坑儒とは、始皇帝が行った思想や学問に対する弾圧を指します。丞相の李斯によって提言されました。紀元前213年に始皇帝に対して不都合な学術書や思想書を焼き(焚書)、紀元前214年に都である咸陽の学者を生き埋めにしました(坑儒)。
1-3:儒教の教義:五常五倫
また、儒教では人が常に守るべき徳目を「五常」といいます。具体的に、五常とは「仁」「義」「礼」「智」「信」を指します。
元々孟子によって説かれた四瑞説における仁、義、礼、智の四徳に、前漢の董仲舒が「信」を加えることで成立しました。董仲舒は万物が五つの要素から成り立つとする五行思想に則ったとされています。
五 常 | 概 要 |
仁 | 人を思いやって万人を愛し、利己心を抑えること。 |
義 | 利に走らず、なすべきことをなすこと。正義。 |
礼 | 仁から起こす行動。宗教儀礼でのマナーなどを指したが、後に守るべき行動規範の意味合いが強くなった。 |
智 | 物事の筋道をわきまえ、よく知っていること。知識。 |
信 | 約束事を守り、誠実であること。董仲舒によって加えられる。 |
そして、この五常の徳目を常日頃から守り、実践することで全うされる道を「五倫」といいます。五倫は、父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信であり、この五倫が守られれば、社会は平穏に治まると説きました。
五 倫 | 概 要 |
父子の親 | 父と子は親愛の情でもって結ばれなければならない |
君臣の義 | 君主と臣下は互いに正しい道によって結ばれなければならない |
夫婦の別 | 夫婦は内外の役割が異なっている |
長幼の序 | 目上の者には敬意を払い接しなければならない |
朋友の信 | 友人は信頼で結ばれ、裏切ってはいけない |
1-4:儒教と仏教との関係
儒教は中国の価値観や世界観を形作った思想であり、中華思想を形成する大きな要因になりました。そのため、儒教が盛んだった中国において、仏教は夷狄の学と見做され、長らく受容されませんでした。
しかし、宋代なると、
- 禅宗の僧と儒学者(宋学)の交流が活発になる
- 新儒学である宋学の思想や取り組みには仏教(禅宗)の考え方が色濃く反映される
といった出来事が起きます。
たとえば、宋学の大家である程頤は「居敬」という修養法をとなえました。「居敬」とは、意識を集中させ心を安静にすることです。この居敬はいわば座禅と同じものでした。
当時の宋学はこの様に仏教の影響を受けており、「宋学の徒は表では仏教を追い払いながら、裏門からこっそり引き入れた」と評される程でした。
1-5:儒教と道教の関係
儒教に影響を与えたものは仏教だけではありません。道教も儒教に大きく関わっています。
もともと、中国では万物を生み出す根源が「太極」であるという思想があり、ここから陰陽が生まれて万物が生成されるという生成論がありました。
魏晋王朝以降になると、「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。」という『老子道徳経』の一節にある「一」を太極に比定する解釈が行われました。
道教ではこの道に根差した生き方が説かれています。この道から太極が生まれ、太極から陰陽が生まれるという考え方は、後に朱子学にも取り入れられ、理気二元論として体系化されました。
朱子学について、詳しくは以下の記事で解説しています。
- 儒教とは孔子によって説かれた思想であり、実践的な道徳を体系的にまとめたものである
- 六芸とは漢代に国教となった儒教の経書である
- 儒教では人が常に守るべき徳目を「五常」と呼ぶ
- 儒教は仏教と道教それぞれを歴史的な関係をもつ
2章:儒教成立の歴史
さて、1章では儒教を概説しましたが、しかし、一口に儒教と言っても、その思想は様々な思想家によって解釈がなされ発展していきました。
2章では儒教の変遷を各時代の思想家と絡めて解説をしていきます。
2-1:儒教の起源と孔子
儒教の起源に関していえば、
古代中国からある先祖崇拝や冠婚葬祭の儀礼を孔子が体系的にまとめて宗教性のある思想に昇華させた
と考えられています。
つまり、孔子が儒教をとなえる以前から「原始儒教思想」のような原型があったという見方が一般的です。
孔子はその原始儒教思想を理論化し、経書などに記録することで、思想家集団を形成しました。仁愛を重んじ、家族的秩序を国家規模にまで展開しようとした孔子の思想は、当時は受け入れられませんでしたが、墨家と並び当時の最大学派を形成するに至りました。
墨子について、詳しくは以下の記事で解説しています。
2-2:孟子
孔子の没後約100年後に登場した孟子は、孔子の教えを踏襲しつつも、易姓革命をとなえ一部武力による王朝交代(放伐)を肯定しました。孟子の教えはあくまで徳による統治「王道」を主とし、武力による統治「覇道」には否定的でした。
また、性善説を主張して、人の性(本質)を善であるとしました。人の本来の性へ戻すために、君主は徳による政治を行う義務があると考えました。
前述した放伐が肯定されるのは、徳による政治を行わず、民の備えている本来の性(善)を不善たらしめる君主を討つ場合でした。孟子は、君主としての責務を負わない君主は、最早ただの一匹夫なため、討ち滅ぼしても構わないと主張したのです。
孟子について、詳しくは以下の記事で解説しています。
2-3:董仲舒
儒教が国教化される前漢の時代に入ると、儒教は新たな思想体系を組み込みつつ変化していきます。
その変化に大きな影響を与えたのが、董仲舒でした。具体的に、儒学者である董仲舒は陰陽五行思想と儒教を組み合わせて、森羅万象と人の営みには密接な関係があると説きました。
君主が徳政で統治すれば吉兆が現れ、悪政を行えば凶兆をもたらすという董仲舒の考えは、天人相関説・災異説と呼ばれ、儒学と神秘主義が結合していきました。
2-4:朱熹
儒教は中国だけでなく、日本や朝鮮半島にも大きな影響を与えました。その中でも朱子学は日本や朝鮮半島の中核的思想として定着していきました。
簡単いえば、朱子学とは、
- 朱熹を始祖とし、これまでの儒教とは違い万物に共通する法則である「理」に近づくことを理想としたもの
- 当時の知識人の存在意義や目指す方向を明確に示し、宇宙規模で理論を展開する朱子学は中国だけではなく、日本でも官学となったもの
です。
君臣の別を強調し、体制保持の性質を持っていたため、官吏登用試験の科挙でも必須科目とされました。
朱子学について、詳しくは以下の記事で解説しています。
- 古代中国からある先祖崇拝や冠婚葬祭の儀礼を、孔子が体系的にまとめて宗教性のある思想に昇華させた
- 孟子は、孔子の教えを踏襲しつつも、易姓革命をとなえ一部武力による王朝交代(放伐)を肯定した
- 儒学者である董仲舒は陰陽五行思想と儒教を組み合わせて、森羅万象と人の営みには密接な関係があると説いた
- 儒教は中国だけでなく、日本や朝鮮半島にも大きな影響を与えた
3章:日本の儒教
2章の最後でも述べた通り、朱子学は日本でも定着して江戸時代には官学とされるに至りました。
しかし、古くから中国との交易が盛んであった日本において、最初に儒教が伝わったのは、朱子学が成立するよりもずっと前の時代でした。3章では日本における儒教の展開について解説をしていきます。
3-1:日本への伝来
そもそも、日本に最初に儒教が伝わったのは5世紀頃と考えられており、百済の五経博士(儒教の経典を教学する官吏)から伝えられました。
『古事記』にも王仁が『論語』を持って渡来した伝承が残っています。
日本に伝わった儒教は政治にも影響を与えます。たとえば、厩戸皇子が作ったとされている十七条憲法の「和を以て貴しとなす」の一文は『論語』に「礼の用は和を貴しと為す」とある一節を典拠に書かれたとされています。
3-2:朱子学と応仁の乱
中国の南宋で生まれた朱子学は、1199年(正治元年)に中国へ留学した俊芿(しゅんじょう)が儒教経典を持ち帰ったのをきっかけに、日本に広まりました。朱子学は京都五山や鎌倉五山などの寺院で研究が進められ、朝廷や一部の高僧の教養の学として定着しました。
しかし、1467年(応仁元年)に京都で応仁の乱が勃発すると、京都の戦火を逃れて、都から多くの知識人や高僧が地方へと下り、地域の大名や武家へと朱子学が広がっていきました。
たとえば、臨済宗の僧である桂庵玄樹は肥後の菊池氏や周防の大内氏、薩摩の島津氏を訪れ、朱子学の講義を行っています。
3-3:江戸幕府と朱子学
そして、江戸時代になると、朱子学は官学に定められます。君臣の別を強調する朱子学は幕府にとって、体制を保持する有用な役割を担っていました。
徳川家康に仕えた林羅山や、徳川綱吉に招かれて経書の討論を行った林鳳岡などの林家によって、大学頭(最高教育官)が世襲されるようになりました。ちなみに、林家は朱子学者の家系であり、朱子学の官学化に大きな影響を与えました。
3-4:明治政府と修身
幕末になると朱子学の思想は、尊王攘夷へと繋がり、明治維新の原動力となりました。明治政府が樹立した後も、朱子学の体制保持の思想は重宝されました。朱子学のエッセンスは当時の「修身」という道徳科目の一つとして、1890年(明治23年)の教育勅語発布から1945年(昭和20年)の終戦まで存続していくこととなります。
「修身」の内容は朱子学だけではなく、陽明学の内容も混じっており、修身=朱子学と論じるには注意が必要です。また、修身の授業形態も教科書を使わず、教師が口頭で教える形であり、実施された授業の内容がどこまで朱子学の精神を継いでいたかは不明です。
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4章:儒教について学べるおすすめ本
どうでしょう?儒教について理解を深めることはできましたか?
学術的議論にはさまざまな見解があるため、より詳しくはこれから紹介する本をご覧ください。
『中国思想史』上・下(レグルス文庫/1978年)
思想史の大家である森樹三郎氏により、各時代の思想史、そして思想の内容が解説されています。平易で読みやすい文章になっているので、初めて儒教を勉強する方にはもってこいです。上巻は思想家ごとに紹介されており、下巻は時代ごとの思想の特徴について書かれています。
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『儒教とは何か』(中公新書/1990年)
思想史の大家である加地伸行氏の著作です。儒教の出発点を「死」と結びつける大胆な仮説を展開しつつ、儒教の起源から解説をしている珍しい内容になっています。概説書として読むには適していませんが、儒教というものに対する新しい視点を提供してくれます。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 儒教とは孔子によって説かれた思想であり、実践的な道徳を体系的にまとめたものである
- 古代中国からある先祖崇拝や冠婚葬祭の儀礼を、孔子が体系的にまとめて宗教性のある思想に昇華させた
- 儒教は中国だけでなく、日本や朝鮮半島にも大きな影響を与えた
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