東洋哲学・東洋思想

【陽明学とは】朱子学との関係や日本おける陽明学までわかりやすく解説

陽明学とは

陽明学(Yangmingism)とは中国、明の王守仁(王陽明)が説いた新儒学で、実践的な倫理を説いたものです。当時形骸化した朱子学批判から始まり、心即理の理論を基盤としました。

陽明学の思想は知行合一・致良知の説を中心とし、中国だけでなく日本でも江戸時代に流行しています。

この記事では、

  • 陽明学の思想と時代背景
  • 陽明学の思想の特徴
  • 陽明学と日本

についてそれぞれ解説をしていきます。

興味のある方はお好きなところから読んでください。

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1章:陽明学とは

冒頭でも触れた通り、陽明学とは明の王守仁(王陽明)によって説かれた新儒学の学派です。その思想は心即理を根底にして、知行合一や致良知の理論を展開したものになっています。

そもそも、陽明学という名称は王守仁の号が「陽明」だったことからきており、その他にも「心学」「陸王学」とも呼ばれています。

王守仁(王陽明)が生きた明代には、

  • 朱子学は実践的な道徳倫理ではなくなり、科挙の必須科目として形骸化
  • 朱子学を批判する形で、陽明学は誕生した

という歴史をもちます。

朱子学が「理」を人の本質であると説いたのに対し、陽明学では「心」こそが人の本質であるとしました。そして、個人の実践的な道徳倫理として、日々の仕事や生活の中で「理」を極めようとします。

1章では、王守仁の生涯と陽明学について、そして当時の時代背景と朱子学との違いを解説していきます。

1-1:陽明学と王陽明

まず、簡潔に王陽明の生涯を振り返りましょう。

王陽明の生涯

  • 王陽明こと王守仁は紹興府余姚県(現在の浙江省寧波市余姚市)の人で、字は伯安という
  • 子供のころから利発であり、仏教や詩などを嗜んでいた。勉強だけでなく武芸にも優れた秀才であった
  • 元々朱子学を学んでおり、28歳の時に科挙に合格して、兵部主事の役職に就いた
  • しかし、35歳の時に朝廷で専横の限りを尽くした劉瑾(りゅうきん)を批判する上奏文をしたためたのが契機となり、地方の貴州龍場駅へ飛ばされることになる
  • 王陽明が地方に左遷されてから挙げた軍事的な功績は後に「三征」と呼ばれるようになる(これ等の軍事的功績に加え、民政にも辣腕を発揮したと言われる)
    ①江西・福建省における農民反乱の鎮圧
    ②寧王の乱鎮圧
    ③広西省の農民反乱鎮圧
  • 劉瑾失脚後、王守仁は再び朝廷へ戻り、南京兵部尚書(陸軍大臣のような役職)に出世
  • そして、三征の三つ目である広西省の農民反乱を鎮圧した直後に死没(享年は58歳と伝えられている)

彼の生涯は決して順風満帆ではありませんでしたが、朝廷から地方に左遷された出来事は彼の思想に大きな影響を与えました。

しかし、朱子学の誕生とは違い、陽明学は主に朱子学の倫理と方法論について変革を行ったに過ぎず、社会全体に与えた影響力は限定的でした。そのため、朱子学ほどのインパクトを与えるには至りませんでした。



1-2:陽明学が成立した理由・背景

そして、陽明学が成立した当時の社会的背景に触れましょう。

前の元王朝は科挙を踏襲し、朱子学を官学としていました。明代に入っても『理性大全』や『四書大全』『五経大全』が編纂され、朱子学の詳細な解説書が次々と作られます。そのため、一昔前の学説では朱子学の理論が大成し自由な思想や発展が妨げられたと捉えられてきました。

一方で当時の文化の中心は元朝の支配した中国北部ではなく、江南(長江以南)であり、当時の知識人は元の支配を避けて江南に移っていました。

  • 江南では産業によって富を得た富豪や商人が多く居住しており、知識人たちのパトロンとして機能していた(最近ではこの環境によって、商人などの庶民の人間味あふれる風土が花開いたという見方も出てきている)
  • 明代に流行した『金瓶梅』『水滸伝』『西遊記』などは、人間味あふれる風土の表れであり、思想の面においても人間性や情意を重視する方向へと変遷していくようになる
  • たとえば、明初の思想家である陳献章(陳白沙)は、朱子学の理の哲学の厳しさに耐え切れず、離脱して自由な自然の性に、人の本来性を求めた

陽明学誕生のきっかけも、自然な人間の性がきっかけで生まれました。王守仁が地方の貴州龍場駅へ左遷された時、三人の従者が病に倒れました。王守仁は自ら従者三名の世話をしてやり、歌や詩を作って歌い、楽しい話をして彼らを慰めました。

また、遠い僻地で自ら家を作り、作物を育てて生活する厳しい環境において、もし聖人であればどの様にして過ごすのか静座して思索に耽りました。

この様に、人として日々の苦しい生活を送る中で「聖人の道は、吾が性に自(おの)ずから足る。向(さき)の理を事物に求めしは誤りなり」と悟ったとされます。

朱子学では理は自己の外にあり、心と別であるとされていました。しかし、

  • 王守仁は別個の「理」は「心」に本来備わっているものだと考えた
  • それは、かつて陸象山が説いた「心即理」の理論

だったのです。

この王守仁の龍場での出来事は「龍場の一悟」と呼ばれ、陽明学誕生の瞬間でもあったのです。

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1-3:陽明学の展開

王守仁が亡くなると、弟子である王龍渓ら左派と朱子学に近い右派が対立し分裂します。特に急進派の左派において、その思想の特徴が顕著に表れるようになります。

一覧を提示すると以下のようになりますが、それぞれ順番に解説していきます。

王畿(王龍渓) 「現成良知」を主張。老荘や仏教に近い。
泰州学派 陽明学を庶民に広める。「満街聖人」の思想。
右派と東林党 陽明学左派の唯心的理論を批判。実証的な学問を志した。

1-3-1: 左派

まず、陽明学左派の先駆者となったのは王畿(王龍渓)でした。

王畿は、

  • 全ての人の中には元々「良知(生まれながらの道徳心)」が備わっている
  • 既に良知が備わっている(現成良知)ので、外から何かを取り入れたりせずに、ただ己の良知に気付きさえすれば、聖人になれる

と考えました。

そして、そのために必要なのは、良知に対する信心であると説きます。

この思想は、朱子学や儒教を離れ、老荘の思想や仏教に近い考えでもありました。そのため、後に禅宗の学問であるとの批判を受けました。

1-3-2: 王艮(王心斎)と泰州学派

同じく陽明学左派に分類される泰州学派もまた、王畿(王龍渓)と同じく良知を根本とした思想を展開しました。

王艮(王心斎)とその弟子を中心とするこの学派は、

  • 王畿(王龍渓)のそれとは違い、庶民や商人に対して積極的に教化を実践した
  • 王艮(王心斎)が「この道は老幼貴賤賢愚を以ってせず、学を志す者あらばこれを伝えん」と説いた通り、身分や才能は問題にしなかった

ことが特徴です。

その影響は泰州学派の思想家何心隠が君臣の上下と友達の道は同等の価値を持つと主張したり、羅近渓が良知と赤子の心を同一と説いたところにも影響を与えました。

1-3-3: 右派

左派の思想は人の欲や心を容認しつつ、本来備わっている良知に気付くための実践を重んじました。それは儒教や朱子学の教えというよりは、老荘思想や仏教に近い教えであり、左派の急進的な考え方に反対する人も多くいました。

右派は人欲を全否定はせず、それを抑える「理」によって、現実的な施策や思想を構築しようとしました。明末の思想家である黄宗羲もその中の一人です。

黄宗羲は、

  • 心の動きにのみ囚われ、現実を顧みない左派の思想を嫌い、実証的な学問の確立を目指した
  • これは、明末に至り清の脅威が迫る中で、現実に疎く退廃的思想となった陽明学左派へのアンチテーゼでもあった

という特徴があります。

彼の実証主義的な学問体系が清代で栄えた考証学の基盤を作りました。

1章のまとめ
  • 陽明学とは明の王守仁(王陽明)によって説かれた新儒学の学派である
  • 王守仁の龍場での出来事は「龍場の一悟」と呼ばれ、陽明学誕生の瞬間でもあった
  • 王守仁が亡くなると、弟子である王龍渓ら左派と朱子学に近い右派が対立し分裂した
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2章:陽明学と朱子学との関係

誕生の背景からもわかるように、陽明学は国学として大成した朱子学に対するアンチテーゼとして誕生しました。儒教の一学派である陽明学ですが、その思想や理論には老荘思想に通じるものや、仏教と近しい考え方が含まれています。

実際に王守仁(王陽明)は若い頃に、仏教や兵法など様々な学問に耽っており、陽明学成立に少なからず影響を与えたと考えられています。2章では主に陽明学の思想や理論についてみていきましょう。

2-1:心即理

まず、陽明学の思想で最もポピュラーなものとして「心即理」が挙げられます。

朱子学では「心」は二種類に分けられていました。一つは本然の性(理)であり、もう一つは気質の性(情・気・欲)です。聖人に至るには、この気質の性(情・気・欲)を本然の性(理)へと近づけていかなければならないと主張します。

一方で、陽明学では朱子学の様に心を二分しません。つまり、

  • 「理」とは「気」に備わる原理原則であるため、「理」こそが「気」であると捉える
  • 結果として「心」を構成する本然の性も気質の性も同一になるため、心即理の思想に繋がる

と捉えられます。

朱子学について詳細を知りたい方はこちらの記事をご参照ください。

→【朱子学とは】成立の歴史から日本への伝播・影響までわかりやすく解説

2-2:知行合一

朱子学の場合は、まず「理」を知るところからスタートして、その後に実践して「理」に到達することが求められました。陽明学では経書などによって知識を入れることと、実践して「理」に至ろうとするのは不可分であるとされたのです。

「知(認識)は行(体感)の始めにして、行は知の成なり」と説くこの考え方を「知行合一」と呼びます。

仮に認識と体感が分離している現象が起きた場合は、私欲によってズレが生じていると考えました。朱子学では認識に時間をかけて、実践までの道のりが長かったのですが、陽明学では心の感じるままに実践に移ることができたのです。



2-3:致良知

王守仁(王陽明)は人生の後半になると、「良知」を強調するようになります。「良知」とは、人に本来備わっている道徳心のことです。

陽明学では人間の中に元々ある「良知」を育み養うことを説きます。そのため、

  • 当然、宋学や朱子学のごとく人為的で強制的な修養ではなく、自然の成り行きで「良知」を育てなければならない
  • そこで陽明学では静座という修養方法がとられた(静座とは仏教でいう座禅と同じ)

といいます。

この致良知の自然主義的な理論は後の左派の思想にも大いに影響を与えていくことになりました。

2-4:万物一体の仁と致良知

「万物一体の仁」とは人を含む全てのものが、仁によって包まれており、全ての根源が同一であるという思想です。

陽明学が誕生する前から、宋学の大家程顥が主張した理論でしたが、陽明学では「万物一体の仁」は「良知」と結合しました。自らを含む全てのものに「良知」があり、同一の水準で備えていると考えたのです。そのため、例え知識人や士大夫、庶民であっても、同一の道徳水準を備えていると説きました。

これは、知識人や士大夫を庶民とは別格におき、民衆を救済の対象としかみなかった儒学にはない新しい発想でした。このような思想的な基盤があり、陽明学は民衆にも浸透していったのです。

2章のまとめ
  • 陽明学の思想で最もポピュラーなものとして「心即理」が挙げられる
  • 陽明学では経書などによって知識を入れることと、実践して「理」に至ろうとするのは不可分であるとされる
  • 陽明学では人間の中に元々ある「良知」を育み養うことを説く
  • 人を含む全てのものが、仁によって包まれており、全ての根源が同一であるという思想
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3章:日本における陽明学

陽明学は中国だけでなく、近隣のアジア諸国にも伝播していきました。私たちの住む日本には、江戸時代に伝えられ、中江藤樹(なかえとうじゅ)や、熊沢蕃山(くまざわばんざん)などが活躍しました。

しかし、江戸幕府でも重視された思想が朱子学だったため、陽明学は倒幕の根拠になりかねないと危険視されました。そのため、以下のように要所要所で陽明学が取り入られていきます。

  • 朱子学が正当の学問とされた江戸時代だが、佐藤一斎(いっさい)や山田方谷(ほうこく)などは朱子学を教えつつも、所々には陽明学の思想を取り入れた
  • 幕末になると地方の私塾などで陽明学が盛んになり、吉田松陰や西郷隆盛、高杉晋作などの思想に大きな影響を与え、倒幕の論理的根拠を与えるに至った
  • その後、明治時代に入ると、欧米化運動に対するアンチテーゼとして、武士道やナショナリズムの高揚と相伴い陽明学が盛んになる
  • 明治以降に定められた道徳科目「修身」の教科書には陽明学者である中江藤樹を見習うべき手本として紹介されている

当然、陽明学のみが取り上げられている訳ではありませんが、明治期の道徳教育にも陽明学が一定の影響力をもっていたことが窺えます。

明治期の日本の思想を理解するためには、神道や天皇制について理解することも大事です。それぞれ以下の記事を参考にしてみてください。

4章:陽明学が学べるおすすめ本

陽明学の要点をつかむことはできたでしょうか?

中国哲学・中国思想について、他にも以下のページで紹介していますのでぜひご覧ください。

→中国哲学・中国思想について詳しくはこちら

陽明学についてさらに深く学びたい場合は、これから紹介する本をぜひ手に取ってみてください。

おすすめ書籍

『朱子学と陽明学』(岩波新書/1967年)

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『朱子学と陽明学』(ちくま学芸文庫/2013年)

島田氏と同様に中国思想史が専門の小島毅氏による著作です。朱子学と陽明学の違いが端的に分かりやすく解説されており、初学者でもスムーズに読み進めることが可能です。思想が誕生した時代背景についても述べられており、前述の島田氏の専著と併せて読むといいでしょう。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 陽明学とは明の王守仁(王陽明)によって説かれた新儒学の学派である
  • 陽明学の思想で最もポピュラーなものとして「心即理」が挙げられる
  • 明治期の道徳教育にも陽明学は、一定の影響力をもっていた

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