政治史

【生麦事件とは】内容から薩英戦争につながる過程をわかりやすく解説

生麦事件とは

生麦事件とは、文久2年8月21日に起こった薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件のことです。

生麦事件により、後に「薩英戦争」が勃発することになります。

この記事では、

  • 生麦事件の背景・内容
  • 生麦事件の影響

について詳しく解説します。

ぜひ読みたい所から読んで勉強に役立ててみてください。

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1章:生麦事件とは何か

まず、1章では生麦事件を概説します。2章では生麦事件の影響に関して詳しく解説しますので、用途に沿って読み進めてください。

このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。

1-1:生麦事件に至るまでの政治過程

背景として、生麦事件に至るまでの政治過程について振り返ります。

1-1-1:尊王攘夷

幕末という時代は、日本と諸外国との間に通商条約が締結され、日本人が欧米人と接触することが頻繁になっていった時代です。いわゆる「尊王攘夷派」と呼称される人々は、外国人だけでなく「違勅調印」した幕府に対しても厳しい批判の眼差しを向けていました。

文久元年(1861)という年は、「尊王攘夷派」による運動が活発になっていった時期にあたります。文久元年4月には、ロシア軍艦ポサドニック号の乗員が対馬国に上陸して島民に暴行・銃殺を行なう事件が発生しています。

尊王攘夷を唱える者たちの中には、この機会を利用して日本を「尊王攘夷」という方針のもとで外国と対峙させようと主張する者もいました。たとえば、長州藩の久坂玄瑞は次のように言っています2「文久元年5月20日菅鉞太郎宛て久坂玄瑞書簡」(一坂太郎・道迫真吾編『久坂玄瑞史料』マツノ書店、2018年、265~267頁)

「対馬島の変差起候段伝承仕候、千載の大機会此秋と志士扼腕奮起仕候事に御座候」

このように、尊王攘夷を唱える者たちは、この未曾有の危機を逆手にとって大規模な尊王攘夷運動へとつなげていこうとしていました。

ちなみに、尊王攘夷運動を主導した久坂玄瑞については、一坂太郎『久坂玄瑞』(ミネルヴァ書房、2019年)が詳しい評伝ですので、一読をおすすめします。

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1-1-2:薩摩藩政府

一方で、このような尊王攘夷運動を目指す勢力に対して、薩摩藩政府はあくまでも「朝廷の守護」を方針として政治運動を起こそうとしていました。

そのため、過激な「突出」計画を実行しようとしていた「誠忠士之面々」の行動を認めませんでしたし、「尊王」という思想には同意でしたが、過激な「攘夷」行動は容認しない立場でした。

※誠忠士之面々の突出計画については、桜田門外の変の記事をご参照ください。→【桜田門外の変とは】背景から影響まで簡単に解説

ちなみに、薩摩藩の実権者であった島津久光については、芳即正『島津久光と明治維新―久光はなぜ、討幕を決意したのか―』(新人物往来社、2002年)、町田明広『島津久光=幕末政治の焦点』(講談社、2009年)が詳しい評伝ですので、一読をおすすめします。

1-2:島津久光

そして、この時期に、薩摩藩を主導したのが島津久光です。島津久光は、当時の薩摩藩主であった島津茂久(後に忠義)の実父であり、後見人として薩摩藩の実権を握っていました。前薩摩藩主・島津斉彬は異母兄にあたります。

島津久光は、慎重ながらも大胆な計画を進めていくことになります。それは、兵を率いて京都に上洛し、勅使(朝廷の使者)を守護する名目で共に江戸へ行き、幕府に改革を迫るというものでした。

その計画を実現するために、久光は地盤固めを行なっていくことになります。

1-2-1:薩摩藩の人事改革

まずは、薩摩藩の人事改革を行ないました。

  • 久光は、信頼する小松帯刀や中山中左衛門、大久保利通、堀仲左衛門といった人物を薩摩藩の首脳として抜擢した
  • 「誠忠士之面々」からは、大久保と堀が抜擢されており、藩内を統一するように配慮されたことがわかる
  • 次に、小松帯刀や中山中左衛門らを京都に派遣し、兵を率いて入京するための下準備をさせた
  • 朝廷の要人と会合を重ねることで、率兵上京の成功を確実にしようとした

島津久光の率兵上京は、それまでの江戸時代(近世の政治社会)の在り方を大きく変える出来事でもありました。まず、幕府(徳川宗家)以外の大名家が上京するのみならず、兵を率いて上京することは有り得ないことでした。

その常識を打ち破ってでも、幕府に改革を突きつけようとする行為は、まさに江戸時代を通じて培われてきた政治秩序を激変させるものでした。さらに、久光は無位無官であり、大名家の当主でもありません。

そんな人物が朝廷と交渉し、勅使を守護する役目を担おうとする行為も朝廷社会から見れば「非常識」でした。「非常識」に満ちた島津久光の率兵上京は、文久2年(1862)に遂に実行されることになります。

尊王攘夷運動を主導する人物たちの中には、薩摩藩・島津久光が兵を率いて上京することに過剰な期待を抱き、薩摩藩が「尊王攘夷」を先導してくれると考えている者もいました。



1-3:西郷隆盛

また、薩摩藩のなかにも、藩政府とは別行動を採り、幕府の要人を暗殺して日本を「尊王攘夷」に導こうと計画する者たちもいました。「誠忠士之面々」に名を連ねていた有馬新七たちです。

薩摩藩政府(島津久光)としては、過激な行動を採られることは率兵上京計画に不測の事態を招きかねないため、許容されるものではありませんでした。ここで、西郷隆盛が薩摩藩に復帰することになりました。

  • 安政の大獄で大老井伊直弼を主導する幕府から目を付けられていた西郷隆盛は、約3年間の奄美大島での潜伏生活を余儀なくされていた
  • 今回復帰したのは、「誠忠士之面々」であった大久保利通らの強い要請と過激勢力の抑え役を望まれてのことであった

しかし、西郷は、島津久光の率兵上京を時期尚早だとして反対します。結局は、西郷も同意するかたちになりましたが、ここで久光と西郷の間に遺恨が生じることになります。

西郷隆盛は、率兵上京に先発して、「尊王攘夷」を唱えて過激な行動に走りそうな者たちを偵察する役目を務めることになります。ところが、西郷は下関で島津久光らを待つという約束を反故にして、決起しようとする者たちを抑えるために独断で大坂・京都へ向かってしまいます。

これによって、西郷は違反を咎められ、沖永良部島へ流罪となり、再び表舞台から姿を消すことになります。それだけ薩摩藩は神経質に藩内統一を維持しながら行動をしていました。

1-4:寺田屋騒動

やがて、薩摩藩はそれまで異なる道を歩んでいた有馬新七ら「尊王攘夷」の実現を唱える者たちをも粛清することになります。「寺田屋騒動」と呼ばれるこの事件は、島津久光一行が伏見に到着し、朝廷と接触して浪士の鎮撫を命じる勅諚を得たことがきっかけでした。

「寺田屋騒動」によって、過激な者たちによる京都の騒擾を未然に防いだとし、島津久光は朝廷からの信頼を得ることになります。

朝廷からの信頼を得た島津久光は、勅使大原重徳に随行するようにとの命令を受けます。勅使は、江戸城の将軍徳川家茂に対して勅命を伝える役目です。島津久光ら薩摩藩はその護衛役として付いていくことになりました。

勅命の内容は次の3つです3「文久2年5月11日孝明天皇勅書」(『日本思想体系56 幕末政治論集』岩波書店、1976年、229~230頁)

  1. 将軍が上洛すること
  2. 五大老を設置すること
  3. 一橋慶喜を将軍後見職とし、松平慶永を大老に就任させること

文久2年6月、勅使大原重徳と島津久光・薩摩藩兵は江戸に到着し、勅使の大原は将軍徳川家茂に勅命を伝えます。幕府は勅命を受け入れ、松平慶永が政事総裁職に就くなどの幕政改革が実現することになります。

島津久光は率兵上京と幕政改革の2つを見事に成し遂げたのでした。そして、「生麦事件」は、この帰路に起こります。



1-5:生麦事件の発生

生麦事件は、文久2年8月21日に起きます。このとき、島津久光を中心とする薩摩藩の行列は、江戸を出発して東海道を通っていました。事件現場の生麦村は、現在の神奈川県横浜市鶴見区にありました。

たまたま付近を通っていた上海商人のリチャードソンら4人のイギリス人は、馬に乗ったまま島津久光の行列に接近してしまいます。リチャードソンは薩摩藩士によって斬り殺され、他2名はケガをし、1名は無事でした。この「生麦事件」は、後の「薩英戦争」の要因となります。

文久期における薩摩藩についてのまとまった研究は、毛利敏彦『明治維新政治史序説』(未来社、1967年)、佐々木克『幕末政治と薩摩藩』(吉川弘文館、2004年)、町田明広『幕末文久期の国家政略と薩摩藩―島津久光と皇政回復―』(岩田書院、2010年)があります。

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どれも学術書ですが、薩摩藩の動向を体系的に知りたければ一読をおすすめします。

1章のまとめ
  • 生麦事件とは、文久2年8月21日に起こった薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件のことである
  • リチャードソンは薩摩藩士によって斬り殺され、他2名はケガをし、1名は無事であった

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2章:生麦事件が与えた影響

さて、2章では生麦事件が与えた影響を解説していきます。

2-1:生麦事件とイギリスの対応

宮地正人は『幕末維新変革史 上』(岩波書店、2012年)にて、生麦事件に対するイギリス側の対応を述べています4宮地正人『幕末維新変革史 上』(岩波書店、2012年)382頁。それによれば、生麦事件についてはイギリス国内でもさまざまな意見が存在しました。

  • 『ロンドン アンド チャイナ テレグラフ』では、日本の慣習を無視したとしてイギリス人の非が主張されていることを紹介している
  • イギリス領事ヴァイスは強硬論を主張した
  • イギリス代理公使ニールやイギリス極東艦隊司令長官キューパーは慎重論をとっていた

生麦事件について、薩摩藩は幕府にイギリス人を殺傷した下手人は行方不明だとして届けを出しています。

一方で、幕府は薩摩藩に下手人の差し出しを命じますが、薩摩藩は大名行列の作法を外国人が犯したとして拒否します。さらに、薩摩藩はイギリス艦が鹿児島に来航すれば対応するとして、臨戦態勢を整えていくことを宣言するに至ります5宮地正人『幕末維新変革史 上』(岩波書店、2012年)382頁



2-2:薩英戦争へ

イギリス政府はイギリス代理公使ニールに対して以下の訓令を出しました。

  • 幕府に謝罪状と賠償金を要求すること
  • 薩摩藩に犯人の処刑と賠償金を要求すること

これらが拒否されたらイギリス海軍と協議のうえで報復するべきだとしました。宮地は、この時期の日本の動向が薩英戦争へつながったと指摘しています。

この時期の日本では、御殿山イギリス公使館が長州藩士によって焼き討ちにされ、幕府は「奉勅攘夷」(天皇の勅命の通りに攘夷を行なうこと)として条約を破棄する姿勢を朝廷に対して打ち出していました。

このような事態に対して、イギリスは軍事行動を行なってでも日本の外交方針を転換させようとしました6宮地正人『幕末維新変革史 上』(岩波書店、2012年)382~383頁

さらに、イギリスは幕府・薩摩藩に対して、次のような要求を行ないました。

幕府に対して

  • 謝罪状を出すこと
  • 賠償金10万ポンドを支払うこと
  • 第二次東禅寺事件の賠償金として1万ポンドを支払うこと

薩摩藩に対して

  • 生麦事件の犯人をイギリス海軍軍人の面前で処刑すること
  • 生麦事件の4人の被害者へ2万5000ポンドの賠償金を支払うこと

このように、イギリス国内の世論や在日イギリス人の間では、生麦事件に関して強硬論・慎重論と分かれていましたが、日本の外交姿勢を重く見たイギリス政府は幕府・薩摩藩に対して強硬的な要求を突きつけることで事態の転換を図っていました。

一方で、薩摩藩も要求を一切許容しない姿勢を示し、臨戦態勢をとっていました。やがて、こうしたイギリス政府と薩摩藩の姿勢が「薩英戦争」というかたちでぶつかり合うことになります。

2章のまとめ
  • 生麦事件についてはイギリス国内でもさまざまな意見が存在した
  • 日本の外交姿勢を重く見たイギリス政府は幕府・薩摩藩に対して強硬的な要求を突きつけることで事態の転換を図った

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3章:生麦事件について学べるおすすめ本

生麦事件について理解が深まりましたか?

幕末の政治史という全体像のなかに生麦事件がどのように位置づけられるのかが考えられる書籍を選びました。

おすすめ書籍

宮地正人『幕末維新変革史 上』(岩波書店)

重厚な幕末維新史の通史です。本記事でも取り上げたように、国内政治史のみならず、外交史や国際政治史といった観点からも広く幕末維新史を論じている点に特色があります。生麦事件・薩英戦争についても堅実に記述されています。

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町田明広『グローバル幕末史 幕末日本人は世界をどう見ていたか』(草思社)

生麦事件については、「第五章 薩摩藩の世界観―斉彬・久光に見る現実主義」にて論じられています。薩摩藩とイギリスの関わりについて深く論じられています。

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まとめ

最後にこの記事の内容をまとめます。

この記事のまとめ
  • 生麦事件とは、文久2年8月21日に起こった薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件のことである
  • リチャードソンは薩摩藩士によって斬り殺され、他2名はケガをし、1名は無事であった
  • 日本の外交姿勢を重く見たイギリス政府は幕府・薩摩藩に対して強硬的な要求を突きつけることで事態の転換を図った

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