消極的自由(Negative liberty)とは、個人の行動・選択の自由が他人によって干渉されないこと。積極的自由(Positive liberty)とは、ものごとの価値の優劣を知り、より高い価値の実現のために自律的に行動することです。
これは哲学者アイザイア・バーリンが提唱した概念ですが、より簡単な説明として、「消極的自由=~からの自由」「積極的自由=~への自由」という分類もあります。
バーリンの議論は、「自由はどのようにして実現されるべきか」という政治学、政治哲学上のとても重要な問題です。
そこでこの記事では、
- 消極的自由・積極的自由という区別が生まれた背景
- エーリッヒ・フロムの議論
- バーリンの議論や批判
について詳しく解説します。
関心のある所から読んでみてください。
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1章:消極的自由・積極的自由とは
もう一度整理しますが、
- 消極的自由とは、個人の行動・選択の自由が他人によって干渉されないこと
- 積極的自由とは、より高い価値の実現のために自律的に行動することで
です。
消極的自由、積極的自由は、ユダヤ人のアイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)によって、『自由論』(Two Concepts of Liberty/1969年)で提唱された概念です。これは、それまでの政治学を中心とした分野で当たり前のように使われてきた「自由」という概念について、2つに区別して使うべきことを主張したものでした。
「なぜ自由の意味を区別する必要があるの?」と疑問だと思います。まずはその問題背景と過去に論じられた消極的自由、積極的自由から説明します。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:消極的自由・積極的自由の概念が生まれた背景
そもそも「自由」とは、権力者によって個人の行動・選択がコントロールされないことを目指して、歴史の中で獲得されてきたものです。
たとえば、過去の学者たちは、
というように自由について論じています。
また、例えばフランス革命は自由を実現するために、実際に社会を変革しようとした運動でした。こうして近代社会で追求された初期の自由は、後に詳しく説明する「消極的自由」であったと考えられます。
しかし、社会の近代化が進むにつれて自由であるがゆえの問題が生まれるようになります。
たとえば、個人による財産、生産手段などの私的所有が認められた結果、経済活動が自由になり資本主義社会が拡大。その結果資本家が生まれ、劣悪な環境で働かされる労働者が生まれました。
つまり、単なる「自由放任」では、かえって誰かの自由が疎外されてしまう、という問題点があるのです。そこで、「自由」という概念について区別する考え方が登場しました。
1-2:フロムの議論
バーリンが消極的自由、積極的自由を論じる前に、ユダヤ系哲学者、心理学者であるエーリッヒ・フロム(Erich Seligmann Fromm)が『自由からの闘争』(1941年)で論じています。
フロムは、
- 社会の近代化によって、個人は伝統的な規範から切り離されて孤独になった
- 孤独な個人は安心感を求めて、ナチスを代表する権力やナショナリズムに惹きつけられ全体主義を支持した
- 消極的自由(~からの自由)だけでは個人は孤独なままで、個人は再び自ら自由を捨てていく
- そのため、積極的自由(~への自由)を持ち時価を実現するために行動して良くべき
と考えました。つまりフロムは積極的自由の価値を肯定していると言えます。
フロムの議論はユダヤ人でありナチスの全体主義への危機感から生まれたもので、アーレントの思想とも通じるものがあります。詳しくは以下の記事をご覧ください。
これに対して、バーリンはより詳しく自由を区別して定義しました。
まずはここまでをまとめます。
- 単なる自由放任では、資本家による労働者の搾取のように、さまざまな問題が生まれる
- エーリッヒ・フロムは、人々に消極的自由がもたらされたことで孤独が生まれ、人々は強い支配者やナショナリズムと結びつこうとしたため、積極的自由が重要であると考えた
2章:バーリンの消極的自由と積極的自由
アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)は、積極的自由ではなく消極的自由こそ守られるべきものであると考えました。
それぞれの定義から説明します。
2-1:消極的自由の定義
バーリンによると、消極的自由とは、
「主体―一個人あるいは個人の集団―が、いかなる他人からの干渉もうけずに、自分のしたいことをし、自分のありたいものであることを放任されている。あるいは放任されているべき範囲はどのようなものであるか」2バーリン『自由論』
という問いに対する答えだと言います。
少し難しいですが、つまりは個人の行動・選択について他人からの干渉を受けず、自由に行うことができるのが「消極的自由」だということです。
2-2:積極的自由の定義
これに対し積極的自由とは、
「あるひとがあれよりもこれをすること、あれよりもこれであること、を決定できる統制ないし干渉の根拠はなんであるか、まただれであるか」3バーリン『自由論』
という問いに対する答えであるとしています。
つまりは、あるものより別のもの(別のこと)により高い価値があるのだ、ということを理解し、その価値を実現するために自律的に行動することが、「積極的自由」であるということです。
簡略化して言えば、
- 消極的自由とは干渉されないこと
- 積極的自由とはより高い価値の実現のために行動すること
ということです。
2-3:積極的自由は行動・選択を阻害する
バーリンはこのように消極的自由と積極的自由を区別した上で、消極的自由がより本質的で守られるべきであると主張しています。
なんとなく言葉だけ捉えると、積極的自由の方が個人の自由が認められていて、大事なように思われるかもしれません。しかし、積極的自由を保障することはかえって自由を阻害することになる可能性があるのです。
リベラリズムの立場では、さまざまな価値に優劣はないと考えます。バーリンも同様の立場を取っています(価値多元論)。
「価値に優劣がないってどういうこと?」と思われるかもしれませんが、たとえば「自由に思想を発信すること(言論の自由)を国家は侵害してはならない」と考えること自体は「消極的自由」であり、それ自体は守られるべきものです。
しかし、「言論の自由を守るために、あなたも政権を批判しなければならない」「デモに参加しなければならない」と言われたらどうでしょうか。これは、押し付けがましい「積極的自由」であり、自由の実現のためにあなたの行動、選択が規制されることになります。
そのため、バーリンは消極的自由は守られるべきで、自由を獲得し広げるための権利は、国家は認めるべきであると考えます。
しかし、そのための行動が強制されたり、そのようなリベラリズムの態度を「持たなければならない」と強制されること(積極的自由)は、かえって個人の自由の障害になると考えたのです。
2-4:理想主義的リベラリズムの問題点
かつて、ルソー、カント、ヘーゲルらは、
- 市民は常に政治に問題関心を持ち、議論し、政治に参画するべきである
- そのような市民によって構成されるのが、理想的な社会である
と主張しました。ここで想定されているのは、自ら自律的に政治参加する理想的市民です。
しかし、こうした理想主義的なリベラリズムの考え方は、バーリンの区別で言うところの「積極的自由」でありかえって自由を阻害する可能性があります。
なぜなら、たとえば社会には保守的・伝統的価値観、宗教的価値観によって行動する人々もおり、必ずしも全員が自ら自由を求めて政治参加するとは限らないからです。
こうした、異なる価値観を持つ人々に対して「より良い自由を得るために政治参加するべき」「理想的な市民になるために努力するべき」とリベラリズムの価値観を押し付けることは、かえって彼らの行動・選択の自由を阻害することになります。
このように、バーリンは、
- 過去のリベラリズムの議論は、かえって自由を阻害する可能性があることを指摘
- 「自由」の概念を区別し、消極的自由を守り積極的自由には慎重になること
という主張をしたのです。
ただし、このようなバーリンの主張には問題点も考えられます。
まずはいったんここまでを整理します。
- 消極的自由とは、行動や選択が他人から干渉されず自由であること
- 積極的自由とは、より高い価値の実現のために自律的に行動すること
- 積極的自由の行使は、他人の自由を阻害する可能性がある面で問題があるため、守るべきは消極的自由である
3章:バーリンへの批判
バーリンの自由の主張には矛盾点も考えられます。結論から言えば、「反リベラルという価値観にも価値中立的でいられるか」という問題です。簡単に説明します。
以下のような問いを考えてみましょう。
「積極的自由、つまり特定の価値観を人や社会に押し付けないリベラリズムの立場を重視すると、たとえば社会に『自由は必要ない』と考える反リベラル(たとえば全体主義のような)の人々が現れた場合、その価値観にも介入しないのだろうか?」
リベラリズムの、価値観に優劣をつけないという立場を価値中立性と言いますが、価値中立的であれば「反リベラル」の立場も尊重しなければならないことになります。
少なくとも、「反リベラル」という価値観を持つ人々の考えを変えるために介入するようなことはできません。しかし、「反リベラル」を野放しにすると、勢力が拡大し、消極的自由すらも疎外される社会になってしまうかもしれません。
一方で「反リベラル」を野放しにしないため、消極的自由を守る法整備を行った上で、「どのような価値観を持っても良いですよ」というスタンスの社会を作ったとしましょう。
すると、今度は「消極的自由を阻害するような行為を規制する」というリベラリズムの価値観を、その他の価値観よりも優位に置くことになります。その結果、反リベラルの人々の行動・選択は限られます。
バーリンのリベラリズムを価値中立的なものとすると、このような矛盾が生じるのです。
「それは哲学的、抽象的な話で現実的ではないのでは?」
と思われるかもしれませんが、人が激しく移動し移民が増え、異なる文化を持つ者同士が共に生活をしていかなければならない現代社会においては、現実に現れる問題なのです。
4章:消極的自由・積極的自由に関する書籍
バーリンの議論の問題点を指摘しましたが、バーリンによる消極的自由・積極的自由の区別は、その後のリベラリズムの議論を進める上でとても意義があるものでした。
そのため、「自由はどのように実現されるべきか」という政治学、政治哲学などにおける本質的な問いを考える上で、より深く理解するべきです。
これらの「自由」の概念や議論についてより深く理解するためには、これから紹介する本を読むことをおすすめします。
アイザイア・バーリン『自由論』(みすず書房)
バーリンの議論を理解するためには、まずは原著をあたることをおすすめします。分かりやすい日本語訳がありますのでぜひ挑戦してください。
中村隆文『リベラリズムの系譜学―法の支配と民主主義は「自由」に何をもたらすか―』(みすず書房)
この本は、「自由」をめぐるリベラリズムのさまざまな議論についてとても分かりやすくまとめられた本です。バーリンの議論も出てきますので、その他の議論と含めてぜひ学んでみてください。
最後に、書物を電子版で読むこともオススメします。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- より高い価値を実現しようとする積極的自由は、他人の自由を阻害する可能性があるため、消極的自由がより本質的で守るべきもの
- バーリンの議論は、価値中立的なリベラリズムの立場に立つものだが、価値中立的である結果矛盾が生じている
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