日本の建国とは、日本列島が「国家」として成立したこと、またはその時期を指します。多様な思想・学説の存在ゆえに、「建国記念の日」を巡る状況はかなり複雑になっています。
現代日本では、毎年2月11日が「建国記念の日」と呼ばれる祝日に設定されています。
その根拠となるのが、古代日本の歴史を描いた『日本書紀』です。『日本書紀』に登場する初代天皇である「神武天皇」の即位日(天皇となった日)は、現代の太陽暦で紀元前660年2月11日にあたります。
したがって、戦前まではこの日が「紀元節」と呼ばれ、日本国が成立した日と考えられてきました。
ただし、現代の学術的な研究によると、紀元前660年は縄文時代の終わりごろから弥生時代のはじまりに当たる時期とされています。つまり、原始古代の文献や遺跡の状況をみる限り、この時期に日本が統一国家として成立していたとは少々考えにくいのです。
そこで、本記事では、
- 紀元前660年が建国の年とされた根拠
- 文献史料からみた日本建国の時期と詳細
- 考古学の成果による日本建国の時期と詳細
をそれぞれ解説していきます。
好きなところから読み進めてください。
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本記事は、日本神道の信仰や「皇紀(現代でも一部の法令の根拠となっています)」の概念を強く否定するものではありません。あくまで、学術的な状況から「日本」の国名・制度などが国家として整ったタイミングについて解説する点に意図があります。ご了承いただけますと幸いです。
1章:日本の建国の歴史とは
1章では、日本の建国について、いわゆる「建国記念の日(かつての紀元節)」の根拠となる『古事記』『日本書紀』の記述や、それとは別の解釈による「建国のタイミング」についての議論を詳しく解説します。
日本の建国と日本の遺跡・遺物・遺構の関係については2章で解説しますので、関心の順にしたがって読みください。
1-1:神武天皇の即位年とその根拠
明治期から戦前までの日本では、『古事記』『日本書紀』(以下『記紀』と略す場合も)といった古代について記す文献史料が重要視され、そこに含まれる神話的要素までもが歴史的な事実と考えられてきました(いわゆる「皇国史観」)。
したがって、日本建国のタイミング=初代・神武天皇の即位年とされたのです。
『記紀』における神武天皇は、日向国に生まれ畿内に移動し、そこで初代の天皇として即位した人物として描かれています(いわゆる「神武東征」)。特に、『日本書紀』には、その年代について「辛酉年」であるとの記述が残されました1『日本書紀』第3巻「神日本磐余彦天皇」。
「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳爲天皇元年」
筆者訳:辛酉年の春正月、天皇は橿原宮にて即位された。よってこの年を神武天皇元年とする。
筆者作成
ここでいう「辛酉」とは、干支の一つです。かつては「十干」と「十二支」を併せた60通りの組み合わせで年代を表す記述が一般的で、『日本書紀』でも用いられています。『日本書紀』では一部の例外を除いて天皇の即位年・崩御年の干支が記されているため、順に遡れば西暦の年代が計算できるのです。
干支で計算の場合
- 神武天皇の即位年月日は紀元前660年2月11日(※太陽暦による計算)とされ、天皇家の歴史、ひいては日本の歴史はそこから始まったと解釈されるようになった
- 2020年(記事公開時)は神武天皇の即位から数えて2850年で、これは現在でも「皇紀」として一部の法令や神道の信仰上の暦として用いられている数字である
- 少なくとも戦前には、この「紀元前660年を日本のはじまりとする」との考え方が事実として日本の国民に受け入れられていた
ただし、戦後になると「皇国史観こそが戦争につながった」との意見も挙がるなどして状況は一変します。『記紀』の神話的要素に対する批判的検討や地中から出土する遺物・遺構について検討を行う考古学の成果が古代の歴史研究の主な手段となったのです。
その結果、現代では日本列島の歴史は旧石器時代にはじまり、縄文時代(約1万6000年前)→弥生時代→古墳時代……と続いていくとされています。また、天皇家の歴史は古く遡っても古墳時代から始まったと考えるのが一般的です。
※天皇制に関しては以下の記事で詳しいです。
→【天皇制とは】古代から現代までの歴史と要点をわかりやすく解説
→【象徴天皇制とは】起源・役割・戦前との違いをわかりやすく解説
神武天皇自身についても、神話的な要素が強いことから現代では「架空の人物」とみる向きがほとんどとなりました(一部、実際の出来事を反映しているとの見方もあります)。
1-2:日本の建国に関する歴史
このように、現代では『記紀』に記された神武天皇の即位年をそのまま日本の建国の年と考える人が少なくなっています。つまり、「日本建国の年は神武即位年とは別にある」との考え方が主流となっているわけです。
ここで重要になってくるのが、「日本」国号の成立時期です。実をいうと、ある時期まで、日本列島および日本列島に存在する国家的な仕組みは諸外国から「倭」「倭国」などと呼ばれていました。それがいつしか「日本」と名乗るようになり、現在まで国名として継続しています。
「倭」から「日本」への名称の変化の時期については、諸説あるものの、7世紀末の天武天皇の時代(在位673年―686年)にルーツを求める説が最も有力です。
「日本」の国号が採用される契機となったのは、壬申の乱を終えた政府の新羅に対する強烈な対抗意識によるものであり…(中略)…さらに憶測を加えるならば、「日本」国号の成立時期を天武十年(六八一)に編纂が開始され、持続三年(六八九)に施行されたとされている、浄御原令にまで遡源させることも、あながち不当ではあるまい2川崎 晃「日本の国号の成立に関する覚書」『学習院史学』第12巻学習院大学 80頁。
天皇号の成立時期については、一部には推古調節もあるが、最近は天武・持統超(七世紀末葉)説が有力視されている。一九九八年、奈良県明日香村の飛鳥池遺跡で「天皇」と書かれた木簡が発見された。その年代は天武朝と推定される。現在のところ、これが「天皇」の最古の史料である…(中略)…また天武・持統朝は、「日本」という国号が定められた時代でもある3熊谷公男『大王から天皇へ』講談社 11頁。
このように、天武天皇の時代は「日本」国号のほか「天皇」の名称が使用され始めた時代である可能性が高いと考えられています。さらに、天武朝の時代は「飛鳥浄御原令」が形成されるなど、官僚制・法制度などが新たに定まった時代です。これらの諸要素は701年の「大宝律令」に継承されました。
現代の学術的な見解によると、それをもって天皇を中心とする朝廷による政治の仕組みが整ったとみられています。
その一方で、古代中国の文献から「日本の建国」を遡らせる考え方も見過ごせません。日本列島の諸勢力は紀元1世紀から断続的に中国大陸方面と対外交渉を行っており、その記録は中国の正史(正当な歴史書)に残されています。
たとえば、天武朝に至るまでの間に、以下のそれぞれ中国に遣使していました。
- 弥生時代には“漢委奴国王”の金印を収受した奴国(57年)や倭国王帥升(107年)といった北部九州の首長(→伊都国の記事を参照)
- 弥生時代の終わりから古墳時代初期にかけては邪馬台国に都を置いた倭の女王・卑弥呼(→『邪馬台国論争』の記事を参照)
- 古墳時代中期にはヤマト王権の「倭の五王」(→大和朝廷の記事を参照)
- 飛鳥時代には推古天皇・厩戸王(聖徳太子)
いずれの記録においても「倭王」「倭国王」などの表現が見られ、これは倭=日本列島が「一つの国家として描かれている」と評価できるものです。これらの中国側の記録をもって、日本列島における国家的なまとまりの成立・存在を認めることも不可能ではありません。
このように、「(神話的な要素が強い)神武天皇の即位年」のほかにも、日本の建国とみなせる時期・事象にはさまざまな考え方が存在します。まとめるならば、以下のことがいえます。
- 神話を重視するならば、日本の建国は神武天皇の即位年である
- 政治的な制度や「国名」の成立を重視するならば、日本の建国は天武天皇の時代である
- つまり、どの要素を重要とするかによって見解は異なってくる
筆者作成(一部は2章で解説)
こうした「諸説あり」の状況を勘案して、現代日本の2月11日の祝日の名称は戦前の「紀元節」を改め「建国記念“の”日」と定められました。
よって、現代の「建国記念の日」は紀元前660年2月11日に日本が成立したことを事実として解釈した祝日ではなく、あくまで日本国の成立・存在を祝う日とされています。すなわち。多様な思想・学説の存在ゆえに、「建国記念の日」を巡る状況はかなり複雑なのです。
- 日本の建国とは、日本列島が「国家」として成立したこと、またはその時期を指す
- 皇国史観から、日本建国のタイミング=初代・神武天皇の即位年とされた
- 天武天皇の時代は「日本」国号のほか「天皇」の名称が使用され始めた時代である可能性が高い
2章:日本建国にかかわる考古学の成果
続いて、2章では主に地中に残された遺構・遺物(住居址や土器など)から歴史を探る考古学の研究成果から「日本の建国」がどのように捉えられているのかを紹介します。
2-1:出土した「文字資料」からみた日本の建国
日本列島の歴史上、遅くとも古墳時代までは文字による記録の量がかなり少なかったと考えられています。したがって、その時代の「モノ」にはほとんどの場合文字が残されていません。そこで、形状や文様などの文字以外の情報が考古学研究の基礎となっています。
ところが、古墳時代終末期≒飛鳥時代以降には木片に文字を書く文化=「木簡」の使用が開始されるため、木簡に記された文字(文章)からも歴史の一端が読み取れるようになります。1章でも触れた通り、日本国の成立にかかわる重大な要素の一つである「天皇号の使用時期」は木簡の記述から明らかになりました4花谷浩「飛鳥池工房の発掘調査成果とその意義」『日本考古学』第8号 121頁。
木簡の内容から分類すると, A.飛鳥寺および東南禅院に関連する木簡, B.天皇および宮廷儀式に関連する木簡, C.工房に関連する木簡, が主要なもの。それ以外(D)に, 字書木簡や漢詩木簡, 寺名木簡などがある…(中略)…Bの木簡群で最も注目されたものに,「天皇聚□(露か)弘寅□」と書かれた木簡がある。文意ははっきりしないが,「評五十戸」の木簡と共伴した(筆者註)から,「天皇」号の成立時期を考える上に大きな価値がある。
※筆者註:日本では「郡(こおり)」(土地の単位の一種)を表現する漢字が「評」→「郡」と変化したとされ、飛鳥池遺跡の稼働時期はちょうどその変革期にあたる。
「天皇」の名称が記された木簡が出土したのは、奈良県明日香村に位置する飛鳥池遺跡です。
- 飛鳥池遺跡はいわば政権が抱えていた一大工房遺跡であり、飛鳥池遺跡からは「天皇」「皇子」の呼称が記された木簡のほか、日本最古の銭貨である「富本銭」も発見されている
- 飛鳥池遺跡の木簡は国内外の文献・考古資料を通して「天皇」の名が刻まれた最古の例である
- その木簡は、飛鳥池遺跡が工房として稼働していた年代=天武天皇の時代のモノであり、天武天皇の時代に国家の仕組みが整った(≒日本の建国)とする説の根拠の一つとなっている
一方で、天武天皇の時代より前に日本列島を統治していた(とされる)王は、自ら「王」または「大王」と名乗っていました。このことも、遺跡から出土した「文字資料」から確かめられています。
「大王」の使用状況がわかる有名な例が、熊本県江田船山古墳から出土した銀錯銘大刀および埼玉県稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣(ともに古墳時代中期後半~後期初頭)です。
これら2つの刀剣には、ヤマト王権の大王と目される「ワカタケル大王」の名が刻まれていました。「ワカタケル大王」の名を含む銘文は、畿内の大王の影響力が九州から関東まで及んでいたことを示す貴重な資料として今なお注目されています。
- 江田船山古墳出土銀錯銘大刀:「治天下獲□□□鹵大王世奉事典曹人名无利弖……(以下略)」
- 筆者訳:「天下を統治するワカタケル大王の時代、典曹人(文官か)として(大王に)仕えたムリテという名の人物は……」
江田船山古墳の墳丘(左:筆者撮影)と銀錯銘大刀
- 稲荷山古墳出土金錯銘鉄剣:「(前略)……獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也」
- 筆者訳:「ワカタケル大王がシキの宮に所在していた際、私(鉄剣の持ち主か)は大王が天下を統治するのを補佐しており、この鋭い鉄剣を製作させ、私が大王家に仕えてきた理由をそこに記させた」
稲荷山古墳の墳丘(左:フリー画像)と金錯銘鉄剣(右:フリー画像)
銘文中にみえる「獲加多支歯大王」は「ワカタケル大王」と読み、『記紀』にみえる大長谷若建命(大泊瀬幼武天皇)すなわち雄略天皇(←筆者註)であると考える5直木幸次郎「稲荷山古墳鉄剣銘に関する一試論-斯鬼宮と磐余宮」『人文研究』第32巻第9号大阪市立大学文学研究科 652頁。
筆者註:雄略天皇は中国・南宋の歴史書に記された「倭の五王」のうち「武」にあたる。
特筆すべきは、銘文に「治天下」の記述があることです。天下とは「世界」または「国家」を示す言葉であり、「治天下」とはすなわち大王が国家を治めている状況を意味します。
政治制度・法制度こそ後の天武天皇の時代と比べて未熟ながら、古墳時代中期後半以降のヤマト王権は既に「国家」の概念を有していたのかもしれません。
したがって、遺跡から出土する文字資料をみる限り、「日本の建国」と呼べる状況の開始時期が古墳時代にまで遡る可能性も出てきます。ただし、このころの日本はまだ「倭国」と呼ばれていたことには注意が必要です。
2-2:前方後円墳の成立と「日本の建国」
また、考古学界では、文字資料に頼らない形で日本列島に国家的な仕組みが整った時期を考察する研究も盛んに実施されてきました。この研究をみていく上で、日本独自の形状の墳墓である「前方後円墳」は非常に重要なポイントです。
3世紀中ごろ~後半以降、畿内を中心に前方後円墳が拡散します。規模や副葬品の内容に差異はあるものの、全国で共通の形状の墓が作られ始めたのです。
現代日本では、
- 前方後円墳の急激な拡散以降、土や石を盛った墓が列島で盛んに作られた時代を「古墳時代」
- そのころの畿内中枢の政治勢力を「ヤマト王権」
と呼んでいます。
最古の大型前方後円墳と呼ばれる奈良県箸墓古墳(筆者撮影)
研究者間で意見に違いはあるものの、そんな古墳時代の特徴として今までに以下のような点が挙げられてきました。
- 「前方後円墳」が約300年間の間に列島各地で築かれる
- その300年間には前方後円墳だけでなく「前方後方墳」「円墳」「方墳」など様々な形の古墳が築かれた
- 同じ時期の古墳の大きさや副葬品の内容などをみると、前方後円墳がその他の形状の古墳と比べて最も優位である
- 前方後円墳のなかでも時期や地域によって規模や内容などに差異が存在する
- (一部の例外を除いて)畿内の前方後円墳がその時代の最大規模を誇る古墳である
- 「前方後円墳」の形状のほか、副葬品が畿内と地方とで共通している場合もある
こうした諸特徴から、考古学界では「前方後円墳は畿内のヤマト王権の主導のもとで全国に広まった墳墓であり、いわば政治的な結びつきの証である」との考え方が複数の研究者によって提示され、ほぼ定着しています。
極端にまとめれば、前方後円墳が築かれた地域=ヤマト王権の支配領域だというのです。
古墳時代は、日本における古代国家形成期として極めて重要な時期である。筆者は、この時代を律令国家に先行する初期国家段階と把握する。また、前方後円墳を頂点とする政治的身分秩序が、この時代の権力関係を特徴づけることから、この政治秩序を前方後円墳体制と呼ぶことを提唱した6都出比呂志「前方後円墳体制と民族形成」『待兼山論叢』史学篇第26巻大阪大学文学研究科1頁。
近代国家のような線引きされた国境は確認できないが,時期によって多少の出入りがある国家フロンティアをもち,モザイク状に空隙もあった領域―宮城県(一部の時期は岩手県南部)から鹿児島県まで―をもち,<軍事権・外交権・イデオロギー的共通性をそなえ,大和政権(大和の有力首長層)に運営された首長層の利益共同体を前方後円墳国家>とよぶ。律令国家に先行した古代国家を,即物的な呼びかたかもしれないが,前方後円墳国家と概念づける7広瀬和雄「古墳時代像再構築のための考-前方後円墳時代は律令国家の前史か―」『国立歴史民俗博物館研究報告』第150集 131頁。
加えて、「前方後円墳」だけに止まらず、三角縁神獣鏡(古墳時代前期)・鉄製の甲冑(古墳時代中期)などの分有関係もヤマト王権の大王による地方支配の様相を示すものとして戦後のかなり早い時期から注目されてきました。
初期大和政権の勢力圏を考えようとするには、三世紀の中葉に大量に輸入されて、畿内を中心として国内に配布された、三角縁神獣鏡の分布状態を検討するのが、もつとも確実な方法であろう8小林行雄「初期大和政権の勢力圏」『史林』第40巻4号京都大学史学研究会 265頁。
三角縁神獣鏡が副葬されていた福島県会津大塚山古墳(筆者撮影)
こうした学説を積極的に支持するならば、古墳時代の開始をもって「国家の成立」とみなす意見も一定の妥当性をもつことになります。
たしかに、前方後円墳の成立=国家の成立とする意見の内容も重要です。一方で、「モノ言わぬ古墳や出土品から政治制度を語ることも十分にできる」と、考古学の可能性を示した点にこれらの学説の意義があります。
現在の私たちが「文字使用が盛んではなかった時代」についてある程度の知識を持っているのは、「考古学が歴史を探るツールとして十分な力をもっているため」です。
最後になりますが、少なくとも、文献史料や考古資料に「日本が建国されたのは〇〇年」との記述や証拠は一切存在していません。
また、「日本列島に国家的な仕組みが整った時期」についての学術的な見解・議論は数多く存在する一方で、「日本が建国されたのは〇〇年」と断言するような研究成果はかなり少数派です。
そのため、「日本の建国」に特化した本記事の内容については、参考程度に捉えていただけますと幸いです。
- 古墳時代中期後半以降のヤマト王権は既に「国家」の概念を有していた可能性がある
- 古墳時代の開始をもって「国家の成立」とみなす意見も一定の妥当性をもつ
3章:日本の建国についてわかるおすすめの本
日本の建国について理解することはできたでしょうか。
もっと深く学びたい場合は、以下の本を参考にしてみてください。
熊谷公男『大王から天皇へ』(講談社)
日本古代史を専門とする著者が、「治天下大王」の概念が生まれた時代から天皇号の成立までの歴史をまとめた一冊です。日本列島に政治体制が整っていく様相が深く理解できます。
白石太一郎『古墳とヤマト政権―古代国家はいかに形成されたか』(文芸春秋)
古墳時代を研究する考古学の大家・白石が、畿内を中心とする古墳(特に前方後円墳)から当時の政治・支配・国家について述べた一冊です。
一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 日本の建国とは、日本列島が「国家」として成立したこと、またはその時期を指す
- 皇国史観から、日本建国のタイミング=初代・神武天皇の即位年とされた
- 古墳時代の開始をもって「国家の成立」とみなす意見も一定の妥当性をもつ
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