この記事では、まず結論を先取し、その結論にたどり着いた過程を説明しましょう。
結論からいえば、
- 連載第1回で説明したポスト人種社会に、アメリカ合衆国は到達したとはいえない
- なぜならばアメリカ合衆国が建国の瞬間から内在した人種主義は、今日まで永続的に影響力をもつため
です。
ポスト人種社会の思想は、人種を否認し個人の責任を強調する一方で、人種間の不均衡を覆い隠し永続する人種主義を不明瞭にしてしまいます。
この記事ではアメリカ合衆国において永続する人種主義の存在を指摘し、一見リベラルなポスト人種社会の思想に潜む問題を確認してきましょう。(→連載の第1回をまだ読んでないからは、こちら読むことがきます)
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1章:人種主義とはなにか
※1この記事はアメリカ社会を専門とする研究者が執筆し、それを運営者が加筆・編集したものです。
※2このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注1ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1: 人種主義の定義
そもそも、人種主義とはなんでしょうか?こちらも結論からいえば、このサイトでは、人種主義を「パワーのシステム」2Trask, Haunani-Kay 1993 From a Native Daughter: Colonialism and Sovereignty in Hawaii. University of Hawaii Press. 171頁(翻訳『大地にしがみつけ−ハワイ先住民女性の訴え』松原好次訳、春風社)と定義しています。(→より詳しくはこちらの記事で解説)
より詳しくいえば、人種主義とは、
- 支配的な人種集団が他の人種集団を搾取するパワーのシステム
- このパワーのシステムが構築された社会に生まれ落ちた個人は、望むと望まないにかかわらず特定の利益または不利益を受けるもの
といえます。
つまり、ポスト人種社会は人種を否定し個の不可侵性と責任を強調しますが、個人の意思に関係なく構築された構造上に生まれる時点で何らかの恩恵や困難を経験します。そのため、「人種主義のシステムの内部に人々は生まれ落ち、生活を営み、死を迎える」3Feagin, R. Joe 2014 Racist America: Roots, Current Realities, and Future Reparations. Routledge. Ⅶ頁 といえます。
1-2: 人種主義の起源
加えて、冒頭でも触れたように、人種主義はアメリカ合衆国の建国の瞬間から存在したといえます。それは社会学者であるフェイガンの以下の指摘に依存します4Feagin, R. Joe 2014 Racist America: Roots, Current Realities, and Future Reparations. Routledge. 1-5頁。
アメリカ独立宣言に内在する矛盾
- 1787年に作成されるアメリカ合衆国憲法の重要な点は、新たな国家における裕福なブルジョアジーの資産の保護であった
- 特に、憲法草案者にとって利益を生み出す資産の保護は、迫り来る資本主義社会において主要な目的であった
- 事実、憲法草案に参加した白人の少なくとも40%が奴隷を所有していたといわれ、ジョージ・ワシントン(George Washington)は奴隷を百人以上所有した最も裕福な人物であった
- 経済的利益の保護に努めた結果、アメリカ合衆国憲法は「全ての人間は生まれながらにして平等である(all man are created equal)」と保障しながらも、55人の代表者の一人として奴隷廃止を支持する者はいなかった
このようにみると、建国の瞬間からアメリカ合衆国には人種主義が存在することが明らかだと思います。
- 人種主義とは、支配的な人種集団が他の人種集団を搾取するパワーのシステムである
- 人種主義はアメリカ合衆国の建国の瞬間から存在した
2章:ポスト人種社会への長い道のり
では、なぜアメリカ社会はポスト人種社会に到達していないといえるのか?一見リベラルなポスト人種社会の陥穽とはなにか?このような疑問に2章では答えていきたいと思います。
2-1: 社会経済的状況における人種間の不均衡
アメリカ合衆国のポスト人種社会への長い道のりは、今日の社会経済的状況における人種間の不均衡に明瞭に示されています。それは黒人とラティーノの生活水準、失業率、教育達成度、貧困率等の指標は白人に比べて一層困難な状況にあるからです。
以下の指標は、あくまでもその一部です。
2014年のアメリカでの失業率(Bureau of Labor Statistics 2015)
- 白人:5.3%
- ラティーノ:7.4%
- 黒人:11.3%
2015年のアメリカでの教育達成度(Excelencia in Education 2015)
- 93%の白人が高等学校を卒業する一方、高等教育を終えたラティーノは66%
- 大学(学部レベル)を卒業した割合は白人36%に対して、ラティーノ15%
2015年のアメリカの貧困層(Kaiser Family Foundation 2015)
- 白人:9%
- ラティーノ:21%
- 黒人:24%
2005年までの職業と富の割合(Gardner 2005)
全米上位500社の95%が白人によって経営されていて、特定の技術を要する専門職も白人に独占
- 獣医
- 農家
- 探鉱機械製作者
- 言語病理学者
- 電気技師
- 薄板工
- パイロット
- 建設監督者や管理者
- 探偵
などの33の職業の90%はアメリカ合衆国人口の約60%の白人が占める
人種間の差異が、階級的・社会的な差異に直結してることがわかると思います。
これらの人種間の不均衡は、歴史的な人種主義により限定的な選択を強いられた結果生まれたものでしょう。つまり、個人の資質や努力の問題というよりは、社会構造による特定の人種の歴史的な排除が問題です。
しかしながら、ポスト人種社会という思想が蔓延することによって、これらの人種間の社会経済的格差を個人の行為の結果に還元してしまう可能性があります。
たとえば、社会学者のヒギンボサムによると、法学者のエイミー・ワックスは個人の能力に格差の原因を見ています5Higginbotham, F. Michael 2013 Ghosts of Jim Crow: Ending Racism in Post-Racial America. NYU Press. 33頁。
21世紀も四半世紀を過ぎた今日、生物学的差異に優劣をつける「科学的」人種主義を主張する者は多くないでしょう。
しかし、ポスト人種社会が人種の重要性を否認し個人の自由と平等を謳うとき、
- 継続する人種主義の構造の存在は見えにくくなり(dis-appear)、社会構造による排除は不問となる
- その結果、不可視となった「人種」はアメリカ合衆国社会の「本質的」な基礎構造に組み込まれてしまう
のです6Goldberg, T. David 2015 Are we all postraical yet?. Policy. 44頁。
2-2: 人種主義の内面化
社会経済的状況だけではなく、人種主義の継続は黒人とラティーノに対する警察のハラスメントからも明白です。
2011年、約80万人が路上で停止命令を受けて調査を受けたとされ、その90%は黒人とラティーノでした。また2005年の調査によると、警察の暴力を経験した黒人は4.4%、ラティーノは2.3%である一方で、白人は1.2%のみでした7Brooks, W Cornell 2014 “law enforcement vs. black and brown americans” NY daily news” http://www.nydailynews.com/opinion/law-enforcement-black-brown-americans-article-1.1893031(2020年5月30日最終閲覧日)。
実は、このような人種プロファイリング(racial profiling)の経験をオバマ元大統領は言及しています。2013年7月、オバマ元大統領は非武装の10代の黒人少年が自警団に殺害された事件に関して以下のように述べています8Obama, Brack 2013 Remarks by the President on Trayvon Martin.(筆者の意訳)。
トレイボン・マーティン(黒人少年)が銃撃を受けた時、私はこの事件の被害者は私の息子であったかもしれないと言った。別の言い方をすると、トレイボン・マーティンは35年前の私であった可能性がある。少なくともアフリカンアメリカンのコミュニティにとって、なぜこの事件に沢山の苦痛が存在するのかと考える時、アフリカンアメリカンのコミュニティは未だに消えない一連の歴史と経験を通してこの問題を認識していると理解することは重要である。この国において、デパートに買い物に行った時、後をつけられた経験がないアフリカンアメリカンは少数である。これには私も含まれる。路上を横切る際、車のドアがロックされる音を聞いた経験のないアフリカンアメリカンは少数である。少なくとも上院議員になるまで、私はこの経験をした。エレベーターに乗り込むと、隣の女性がその場を出るまで財布を握りしめて息を殺すという経験がないアフリカンアメリカンは少数である。これは頻繁に起こる出来事である。
オバマ元大統領の言葉が示すのは、黒人やラティーノが日常的に受ける人種主義的な眼差しの経験でしょう。社会学者のカプランが指摘するように、これが問題なのは、黒人やラティーノは人種プロファイリングといった人種主義的眼差しを彼ら自身に内面化してしまうことです9Kaplan, H. Roy 2011 The Myth of Post-Racial America: Searching for Equality in the Age of Materialism. R&L Education. 81-91頁。
『黒い皮膚・白い仮面』(1998 [1952])におけるフランツ・ファノンの考察が示すように、人種主義的眼差しの内面化は支配関係の継続を意味します。
- ファノンの考察はフランスの植民地支配に関するもので、フランス社会の人種主義的な眼差しを内面化する黒人と、それによって支配関係が継続される過程を示す実体験に基づいた重要な議論
- 人種プロファイリングといった人種的なパワー関係が構造化されたアメリカ合衆国社会において、黒人やラティーノの内面化が指摘される限り、ファノンの体験はいまだに重要な視座を提供している
実際、ファノンの叫びは人種主義的な眼差しが与える心理的な損害の大きさと、その眼差しを内面化する過程を生々しく知らしめています。
たとえば、ファノンは「ただ単に他の人間たちのなかのひとりの人間であることを望んでいた」10132頁が、「白人のまなざしが、それだけが真のまなざしである白人のまなざし」11135頁の世界に生まれ落ちたために、「他人が私について抱く《観念》の奴隷ではない、私のみかけ(apparaître)の奴隷」12136頁になるという経験をします。
当然、そのような経験はファノンに押し付けられた人種主義的な眼差しに由来します。ファノンはその経験を以下のように述べています13131頁)。
「ほら、ニグロ!」。それは通りがかりに私を小突いた外的刺激だった。私はかすかにほほえんだ。
「ほら、ニグロ!」。それは事実だった。私はおもしろがった。
「ほら、ニグロ!」。輪は次第に狭まった。私はあけすけにおもしろがった。
「ママ、見て、ニグロだよ、ぼくこわい!」。こわい!こわい!この私が恐れられ始めたのだ。
ファノンはこのような押し付けられた人種主義的な眼差しを内面化してしまいます。その過程を、「ニグロはけものだ、ニグロは性悪だ、ニグロは悪賢い、ニグロは醜い」14134頁という黒人に対する人種主義的な眼差しが「私を真黒に焼く」15134頁と述べています。
ファノンに従うと、一度人種主義的な眼差しを内面化すると、「集団的無意識を同化してしまったニグロは、自分を観察した場合、己のうちにニグロに対する憎悪しか認めることができな」16203頁くなります。つまり、フランス社会の人種主義的な眼差しを内面化した黒人は、自己自身を疎外してしまうのです。
この抑圧の結果として、「劣等コンプレックスというものがあるとするなら、それは二重のプロセスの結果として」1734頁生まれるとファノンはいいます。
つまり、経済的な構造と内面化と二重の要素が絡み合い黒人に対する支配は継続するのです。言い換えれば、支配関係の解体には経済的な構造の変革だけでなく、内面化した人種主義的な眼差しからの解放も必須となります。ファノンが『黒い皮膚・白い仮面』で目指したのは自己の疎外からの解放でした。
ファノンの視座はアメリカ合衆国の文脈でも重要であることがわかるでしょう。支配関係は経済的な構造だけでなく、人種プロファイリングといった人種主義的眼差しの内面化を通して継続するからです。
つまり、
- オバマ元大統領の言葉に示されるような黒人やラティーノの日常的な人種主義的な眼差しの経験とその内面化は、ポスト人種社会の支持者が信じるような単なる個別の人種主義的な言動ではない
- むしろ、上述のような白人に特権を与える社会構造と結びついた、白人による有色人種の支配という関係を象徴する出来事
なのです。
2-3: 白人性研究の視点
ちなみに、白人の社会構造上の特権は、白人性研究という立場から指摘されています20Frankenberg, Ruth 1993 White Women, Race Matters: The Social Construction of Whiteness. University of Minnesota Press 1997 Local Whiteness, Localizing Whiteness. In Displacing Whiteness: Essays in Social and Cultural Criticism. Ruth Frankenberg (ed), pp. 1-34. Duke University Press Books.。
白人性研究に従うと、白人性とは白人の「社会構造的な特権」「その特権の不可視性」「他者化が可能であること」を指します。具体的には、以下のように説明することができます。
- 社会構造上の特権
→アメリカ合衆国社会において、白人として生まれ落ちることはそれ自体で利益を享受する。たとえば、上述のような黒人やラティーノに対する警察のハラスメントを、白人が経験し悪のイメージを内面化することはおそらくない。
→人種間の社会経済的な格差に示されるように、白人に生まれることで受ける特権は明瞭である - 社会構造の特権が不可視性
→アメリカ合衆国で白人は一般的で、典型的な集団、つまり無徴のカテゴリーとして機能した。その結果、人種主義の被害を被る有色人種の状況や社会的に不利な立場は、正常な状況(白人)から逸脱と捉えられてきたのである
→たとえば、有色人種(people of color)や黒人問題という言葉は存在するが、無色人種や白人問題という言葉は存在しないのは白人が無徴のためである - 他者化が可能であること
→そして、白人の「正常的」な立場から測定の対象となる集団、つまり他者化された存在こそが人種であった。白人と考えられなかった黒人やラティーノ、アジア系は人種となり、基準となる白人は人種ではない
→白人として人種意識を感じることは少なく、人種主義に対する責任を感じることも少なくなるのである
つまり、白人性とは皮膚の色の問題ではなく、人種として他者化された存在を生産することが可能な構造的パワーをもつ存在を指すともいえるでしょう。
2-4: 新自由主義との共鳴
加えて、ポスト人種社会が新自由主義と共鳴するとき、個人の主体性を強調することで集団の妥当性が否定される問題が指摘されています21Goldberg, T. David 2015 Are we all postraical yet?. Policy. 27-35頁)。(→新自由主義に関してはこちら)
新自由主義による自己責任の強調は、人種という集団的な権利を否定する立場にたちます。すると当然のように、アファーマティブ・アクションのような特定の人種や民族に与えられる集合的な権利は否認されます。(→アファーマティブアクションに関してはこちら)
つまり、
- このような制度的な排除は「機会への公平性と個人主義」というレトリックにより正当化される
- その結果、人種主義を受け続ける人々はしばしば特権集団として描かれるという逆火(backfire)が起きる
のです。
「機会への公平性と個人主義」を通して人種主義的な社会構造やパワーの不均衡は保護されるといえるでしょう。
2-5: キング牧師の夢見た世界
では一体、マーティン・ルーサー・キングの夢見た世界とは、ポスト人種社会だったのでしょうか?たしかに、1960年代の当時、彼の理想とする社会像は黒人の社会的権利を獲得する上で支配的な白人社会批判をするパワーをもちました。
しかし、オミとワイナン22Omi, Michael and Winant, Howard 2014 Racial Formation in the United States 3rd Edition. Routledge. 185-209頁が指摘したように、公民権運動の成果は人種問題を解決するために十分であると新右翼(the new right)が考えると、彼らは公民権運動の成果を読み替え、正義と平等な機会という主張に基づき、制度的な排除を正当化していきました。
つまり、1960年代の黒人公民権運動家のリベラルな主張を、別の文脈で読み替え、やはり「機会への公平性」というレトリックよって制度的な排除を正当化したのです。永続する人種主義というシステムを不可視にする視点として、マーティン・ルーサー・キングの夢見た世界は機能したのかもしれません。
2-6: 日本社会との関係
以上のように、この記事ではポスト人種社会という一見リベラルな思想に潜む陥穽を解説しました。最初に提示した結論に再度確認するならば、アメリカ合衆国はポスト人種社会に到達していないでしょう。ポスト人種社会の思想は人種を否認し個人の責任を強調することで、人種間の不均衡を覆い隠し永続する人種主義を不明瞭にしてしまいます。
筆者や大多数の日本人は、アメリカ合衆国社会の人種主義から距離を取ることができるかもしれません。しかし鈴木が以下の本で指摘するように、たとえば、在日韓国・朝鮮人と日本社会との関係を考慮したとき、日本人でないということが抑圧される理由になるような状況があります。
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そうしたとき、個人ではなく、日本人として歴史の一連の流れに位置付けながら、日本社会の問題と向き合う必要性に気付かされます。もしかしたら、アメリカ合衆国社会の人種問題とそう遠くないのかもしれないです。
- 社会経済指標における人種間の不均衡は明瞭である
- 人種主義的眼差しの内面化は支配関係を継続する
- 白人性とは皮膚の色の問題ではなく、人種として他者化された存在を生産することが可能な構造的パワーをもつ存在を指す
- 新自由主義との共鳴で、集団的な権利は否定されがちになる
3章:ポスト人種社会を学ぶための本
ポスト人種社会という思想とその陥穽を理解することはできましたか?
オススメ度★★★ 藤川 隆男『人種差別の世界史』(刀水書房)
人種とはなにか?特に、白人とはなにか?といった疑問に答えてくれます。学術書ではありませんので、手軽に読める本です。
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オススメ度★★ Michael Omi 『Racial Formation in The United States』(Routledge)
社会学的な立場から、人種の分析がされています。人種に関する古典本でもありますので、一度は読んでおきたい本です。
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一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- ポスト人種社会(post-racial society)とは、アメリカ合衆国は人種主義の歴史を乗り越えて、個人の努力と資質が社会的成功に最も重要な社会に到達したという考えを指す
- 人種主義とは、支配的な人種集団が他の人種集団を搾取するパワーのシステムである
- アメリカ合衆国はポスト人種社会に到達していない
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