農本主義(peasantism)とは、農業こそが国家を支える根幹と位置づけ、これを重視する思想を指します。農本思想や重農主義とも呼ばれ、「農は国の本」とする社会思想として東アジアで発展しました。
その後、西洋でも類似する思想が発展し、「重農主義」と呼ばれるようになります。そのため、注意して農本主義を理解する必要があります。
今回は主に中国における農本主義について、
- 農本主義(農本思想)と農家
- 歴代王朝と勧農政策
- 日本における農本主義
- 農本主義と重農主義の違い
に焦点を当てて解説をしていきます。
また、今回の記事では、分かりやすくするために、以下の使い分けをしています。
- 中国での思想・・・「農本思想」
- 日本での思想・・・「農本主義」
- 西洋での思想・・・「重農主義」
興味のある方はお好みの箇所から読み進めてください。
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1章:古代中国の農本思想とは
中国における農本思想は農業を国の基盤に置く社会思想・哲学であり、古代から存在していました。その背景には儒教の思想が大きな影響を与えていると考えられています。
そこで、1章では、中国において主張されてきた農本思想と、農家について解説をしながら、儒教の影響について述べていきます。
1-1:農本思想の意味
農本思想と農家について解説をする前に、もう一度、農本思想の意味についておさらいをしておきましょう。
より簡単いえば、農本思想とは、
中国における社会思想で、農業を国の基盤に据えた考え方
です。
これは経済的な基盤という意味合い以外にも、国家を運営していく社会秩序の為にも農業を中心にすることが重要であると考えられていました。
農は国の「本」であると考えらえられる一方で、商業は「末」と表現され、軽視されました。この基本的な考え方は、中国の一時代に留まらず、各時代に伝統的に引き継がれていく基本的な思想となっています。
1-2:農本思想と「農家」とは
1章の初めに、農本思想は儒教の影響を受けているという事に触れましたが、古代中国には他にも農業を国の基本に据えた「農家」と呼ばれる思想家集団が存在していました。
農家については、『孟子』の中でしか、動向を知ることができません。それによると、
- 許行という農家が、神農に倣い君主といえども民と平等に農耕に従事すべきと説いた
- 君主と民が同じように農耕に従事すべきというこの主張は「君民並耕説」と呼ばれ、許行だけでなく、その弟子である陳相によっても主張された
- その他にも、物の大小や多少を均一にして物価を同一にし、民の生活を安定させることを説いた
とされています。
農家には、上記の論説に見られる通り、地位や物価を均一にする無差別平等主義の思想が根底にありました。そのため、農家の思想は墨家や道家の影響を受けているとも考えられています。
しかし、肝心な農家の思想は殆ど散逸してしまい、今日では断片的にしか伺い知ることができません。具体的に、以下の内容がわかっているのみです。
- 『漢書』芸文志・条理の中で、『神農』20篇・『氾勝之』18篇の名が確認でき、さらに『神農教田相土耕種』14巻や『昭明子釣種生魚鼈』8巻という農業技術に関する農家の書があったことが分かっているのみである
- その書の内容は『斉民要術』をはじめ、『文選』や『爾雅』に引用されていると言われていますが、具体的にどこに書いてあるかは不明である
こうした農家が誕生した時代は、中国の春秋戦国時代であり、国家間の戦争が激化した時代でもありました。当時は中央の周王朝の権威が衰退して、下克上の様相を呈しており、多くの知識人が浪人として諸国を遊説していました。
そうした人々は一般には諸子百家と呼ばれ、中には大きな学派を形成するに至ります。許行や陳相などの農家もそうした思想家集団の一つと考えられています。
農業の重要性を説き、国の基本に捉える考え方は農本思想と共通する点はあるものの、農家の思想と農本思想には大きな違いがあります。それは、農耕を国家の基幹に据えるまでの以下の考え方です。
- 農家の思想は、あくまで無差別平等主義を主軸に考えて農耕を推奨したもの
- 一方で農本思想には無差別平等主義を根底としておらず、どちらかと言えば、商業によって得られる「利」を批判する形で理論が展開されていった
そして、農本思想の情勢には儒教の考え方が大きく影響している点も農家思想と農本思想を区別する重要なポイントになるのです。
1-3:農本思想が生まれた理由
もともと、中国では食料を生み出す農耕を尊重し、それを推奨する思想が古代より存在していました。先に述べた農家の思想もその中の一つであり、道家が原始的な小規模農村の社会形態を理想としたのにも農耕を尊重する思潮が流れていました。
しかし、農本思想がより論理的に体系づけられたのは、儒教の影響に依るところが大きかったです。
1-3-1: 儒教との関係
そもそも、儒教とは孔子を始祖とする実践的道徳を論理体系化した思想です。農本思想にはその儒教の商業を否定的に捉える考え方が色濃く反映されています。
具体的に、儒教には次のような考え方がありました。
- 儒教には「義利の弁」という経済思想の中核を成す考え方がある。ここでいう「弁」とは「わきまえる」という意味合いであり、「義利の弁」とは義と利をわきまえることを指す
- 儒教においては、「義」は道徳的・人道的に正しい道であり、守るべきものとされてきた。一方で「利」は人の本質を惑わすものであると考えられ、儒教の中では軽視されてきた
- 実際に孔子も「君子義に於て喩り、小人利に於て喩る(優れた人物は正しい道に則って行動し、つまらない人物は目先の利益によって行動する)」と説き、「利」に走る人を批判的に捉えている
- 孔子の後に続く孟子も「王何ぞ必ずしも利を曰はん。亦仁義あるのみ(王はどうして利益のことだけを言う必要があるのですか。ただひたすらに仁義有るのみです)」と主張し、「義」の重要性を説いている
このように、儒教では「利」は卑しく軽蔑される対象であり、「利」を生み出す商業や商人もまた批判の対象となりました。
この考え方から、国家を支える産業は「利」を追求する商業によってではなく、農業によって成されるべきという思想に結び付き、農業を国家の「本」とし、商業を「末」と位置付けられるようになったのです。
1-3-2: 本音と建前
農本思想には、目先の利益を追い求めないように、人として行うべき道に則るべきという考え方があります。
しかし、この思想には、豪族や商人などの有力者の力を抑制する別の目的がありました。
- 中国歴代王朝の歴史は、中央の政府と地方の有力豪族とのせめぎ合いの歴史でもあった
- 何故なら中国の歴史の中で、豪族や商人は土地を兼併して商業利益を独占し、大きな力を付け、時には王朝を打倒する敵対勢力にもなり得たためである
政府は地方の有力豪族が、経済的・軍事的に成長し、中央に対して反意を持たぬよう力を抑制する必要があり、その理論的な根拠に農本思想が利用されることがありました。
農本思想は商業で得られる利益を抑制する思想であり、儒教的な「義」に適う考え方であるため、正当に地方の有力者の経済力を削ぐことが可能だったのです。
- 農本主義とは、農業こそが国家を支える根幹と位置づけ、これを重視する思想を指す
- 似たような思想ではあるが、農家と農本思想には大きな違いがある
- 農本思想がより論理的に体系づけられたのは、儒教の影響に依るところが大きかった
2章:近代日本における農本主義
日本においても、農業を貴ぶ農本主義思想は古くから存在していましたが、日本近世以降に盛んに論じられるようになりました。2章では日本で発展した農本主義について、時代ごとに解説をしていきます。
2-1: 江戸時代の農本主義
日本では江戸時代に為政者の視点から、農業を国の「本」にすべきという理論が展開されていました。熊沢蕃山などに代表される為政者視点の農本主義は、主に幕府や藩の財政を安定させるための方法として出発していました。
熊沢蕃山は代表的な陽明学者です。陽明学について詳しくは以下の記事で説明しています。
しかし、近世末期になると、農民の立場に立ち尊重する思想が現れました。安藤昌益や二宮尊徳などの思想家に代表される通り、これまでの農本主義とは異なる、農村復興・農民教化を主とする思想でした。
人 名 | 概 要 |
熊沢 蕃山 | 世の中の経済的困窮の原因を、農民の商売への参入に求めた。「人の始めは農なり」と論じ、衣食重視の農本主義思想を展開。武士が農村で暮らし、生産に従事することで、農民の年貢負担を減らし、幕府の財政支出を削減できると主張。 |
安藤 昌益 | 人間の本質を勤労と捉え、農民の生産活動が社会を支えていると主張。勤労農民による万民平等の社会を理想的な社会であると説いた。 |
二宮 尊徳 | 「天道」を自然そのものとし、「人道」を人間の作為と考え、自然に働きかけ、自然と一体となる労働が重要と説いた。農村復興の方法は過去の実績に基づいて分量を決め、農民の収入より多い収奪を押えれば可能と考えた。 |
2-2: 明治~昭和初期
江戸から明治に入ると、農本主義の思想は転機を迎えます。この頃は緊縮財政と増税を行った松方財政や産業革命の影響によって、農村の解体と農民の没落(資本家の労働者や小作農化)が進みました。
そんな中で、政府への租税収入の確保を目的として、近代化を擁護しつつも自立した農民の保護を求める声が上がりました。
これは主に農商務省の官僚や農政学者によって主張され、大正から昭和にかけて展開される農本主義とは異なり、体制擁護の色合いが強く反映されていました。
2-3: 農村恐慌~昭和戦前期
第一次世界大戦後の1920年代の後半になると、世界恐慌の影響によって、日本の農民は危機にさらされます。アメリカの困窮によって、日本の対米生糸輸出が落ち込み、他の農産物の価格も次々と暴落していきました。
農民の生活に大きな打撃を与えたこの昭和農業恐慌によって、農本主義が盛んに唱えられるようになりました。
この大正~昭和にかけての方本主義は昭和維新、国家改造運動と結び付いて主張されるようになりました。その中でも権藤成卿や橘孝三郎の論説が有名であり、現代史の農本主義とは農本自治主義をさすことが多いです。
氏 名 | 主 張 |
権藤 成卿 | 権藤独自の見解で、大化改新によって実現した「公民自制自治」を理想に据え、資本主義の中央集権排除を主張。政治組織は農村を中心とする自治制にすべきと説く。 |
橘 孝三郎 | 農村自治を主張する点は権藤と同じであるものの、ほど復古的、反資本主義的ではなく、また、ある程度機械工業や経済を統制する国家権力の存在を認めている。 |
- 江戸時代に為政者の視点から、農業を国の「本」にすべきという理論が展開されてた
- 緊縮財政と増税を行った松方財政や産業革命の影響によって、農村の解体と農民の没落(資本家の労働者や小作農化)が進んだ
- 世界恐慌の影響によって、日本の農民は危機にさらされた
3章:農本主義と重農主義の違い
農本思想・農本主義の他にも、農業を重視する思想として重農主義が挙げられます。一見すると類似する思想ですが、若干の違いについて留意する必要があります。
18世紀にイエズス会宣教師によって、中国の農本思想が欧州に紹介されるようになります。イエズス会宣教師の著作を見た経済学者のフランソワ・ケネーが自らの理想を具現化し、中国の農業政策を称賛しました。
しかし、両者には以下のような違いがあります。
- 欧州の重農主義・・・農業を経済学的に捉えて「富の源泉」と位置付けた
- 中国の農本思想・・・国家を運営する基盤として統治学的に把握した
また、農本主義との関係でいえば、次のような違いがあることも重要です。
- 日本の農本主義・・・資本主義に対するアンチテーゼとして出現し、工業化が進む中での農業の復権を唱えた
- 中国の農本思想・・・工業化前の社会において、体制を維持するために農業・農村の維持を主張していた
農本主義と農本思想においても、質的に違いがあるということを認識しておく必要があります。
欧州の重農主義に関してより詳しくは、以下の記事を参照ください。
→【重農主義とは】重商主義との違いや自由貿易の思想をわかりやすく解説
4章:農本主義について学べるおすすめ本
農業と国家に関するさまざまな関係を理解することは出来たでしょうか。
これはあくまでもさまざまな議論の一部にすぎませんので、以下の書物を参考にあなたの学び深めていってください。
オススメ度★★ 宇根 豊『農本主義のすすめ』(ちくま新書)
日本における農本主義成立の背景から、戦後に下火になった経緯を紹介しています。今の資本主義的な考えを離れて、農本主義を見直す様な内容にもなっているので、学術的中立かどうかは個人の判断によるところが大きいですが、日本の農本主義の流れを学ぶことができます。
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オススメ度★★★松原隆一郎『経済思想入門』(ちくま学芸文庫)
欧州の経済思想についてとても分かりやすく、1冊にまとめられています。重農主義の入門書としてとてもいい本ですので、買って手元に置いておくことをおすすめします。
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一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。
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まとめ
最後にこの記事の内容をまとめます。
- 農本主義とは、農業こそが国家を支える根幹と位置づけ、これを重視する思想を指す
- 似たような思想ではあるが、農家と農本思想には大きな違いがある
- 日本においても、農業を貴ぶ農本主義思想は古くから存在したが、日本近世以降に盛んに論じられるようになった
- 欧州の重農主義とは共通点があるものの、質的な違いもある
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